閑話.魯坊丸の遊びの日々を懐かしむ。

あの日から10日が経ち、清洲会議の日も近づいていた。

また、雲がどんよりとして雨が降りそうだ。

もうすぐ皐月さつきだ。

雨月うづき早苗月さなえづきとも呼ばれているから仕方ない。

俺は貯まっていた案件を処理するだけで手一杯だったが、農家は田植えの準備で大忙しだ。

余所と違って種を蒔いて終わりじゃないからね!


城の者も総出で農家を手伝っている。

清洲の連中は田植え前と思って、4月18日を決戦の日としたのだろうが、こっちはいい迷惑だ。

田畑を掘り返して肥料の『蝮土』を撒いてゆくとか、水路の点検とか、那古野・末森家中の田植えは4月からはじまっている。

場所によって水田も少しずつ広がっている。

出来た収穫量が全然違うからやりたがっている領主が多くなって来たのはいいけれど、水と水捌けの問題があるから簡単に進められない。

裏では、皆さん、色々と暗躍している。

俺は参加する気もないので報告だけ聞いて放置する。

俺の評価?

知らないよ。

好き勝手言わないでくれ!

兄上信長や信勝兄ぃを蹴落として、守護代も当主もなりたくない。

熱田衆は何度も言っているから阿呆なことを言わないけどさ!

見舞いと称して、千代女に意見を聞きに来る者が絶えないから、そろそろ城に連れ帰った方がいいかもしれない。


「若様、若様、あのごつい奴は殴り易そうです」

「桜の従者に欲しいなら、家臣にしてもよいぞ!」

「やった! 私も遂に従者持ちだ」


どこで聞いたのか知らないが、連日のように仕官を望む者が中根南城に訪ねてくる。

人手はいくら居てもいいので全員を採用だ

間者でもちゃんと邪魔をせずに仕事をしてくれるなら採用する。

とにかく、人手が欲しい。


「若様、余り桜を甘やかさないで下さい」

「あの程度はいいだろう」

「他の者も欲しがります」

「そうか? 普通の家臣を欲しがるのは、桜くらいと思うぞ」

「…………」


千代女の代わりの何見かみ姉さんが文句を言う。

だが、何となく納得してくれたようだ。

俺は桜、楓、紅葉の三馬鹿トリオに檄甘だそうだ!

最初に千代女と一緒に雇った忍びであり、小姓感覚で便利使いしている。

そう言えば、俺に小姓がいないことを今更に気が付いた。


「若様、女好きで、見目麗しい乙女のみをお望み! むさ苦しい男はいらないと伺っております」


もう一人のリーダー役の乙子おとこ姉さんがそう答えた。

中根南城は侍女が多く、その半分の26人が忍びである。

俺の世話をする下女は、河原者から拾ってきた女の子たちだ。

ハーレムを作っている訳ではないが、城の女性率が高いことに気が付いた。

念の為に言っておくが侍女らの数より多く従者と下男を配下にしている。

彼らの住処は俺の遊び場所になっている外曲輪なので、城の中に限ると女性率が上がってしまうのだ。

俺は女好きと思われていたのか?


「私が聞いているのは、大殿(故信秀)がどのような小姓がいいかと聞くと、千代女様を指名されたと聞いております」

「そんな勘違いもあったな」


突然に指名された望月家もびっくりだっただろう。

俺としてはラッキーだった訳だ。

そして、御付きの三人が三馬鹿トリオだから、中根南城の情報はすべて望月家に駄々漏れとなる。


だが、馬鹿とハサミは使いよう。

向こうの意図を承知していれば、脅威でも何でもない。

桜らを厚遇した。

そして、沢山の忍びが欲しいと桜らに言った。

桜らで務まるならば…………と、沢山のお友達甲賀衆が勧誘に応じてくれた。

俺があるのは、桜らのお陰だ。


「部屋に戻ったら、おやつの時間にしよう」

「やった!」

「台所に行って取って来てくれるか?」

「不肖、桜。拝命します」

「手伝います」

「で、です」


びしっと訳の判らない敬礼をして、桜らが走ってゆく。

護衛を放棄して、おやつに釣られて走っていった。

俺は思わず笑ってしまう。

何見、乙子の二人が眉間に手を当てて首を横に振っている。

忍び失格。

この何見と乙子の姉さんはリーダー的な役目をしているが、三馬鹿トリオの部下なのだ。

この三馬鹿トリオが侍女長と言うのは悪夢なのだろう。


「若様、考え直しませんか?」

「良いではないか。誰もあの三人の命令を聞く者はいない。他の者は何見かみ姉さん、乙子おとこ姉さんと頼っている。面白いので、このままにしておく」

「若様は悪趣味です」

「そうでもないぞ。あの残骸を見ろ! 桜らも貢献してくれている」

「あれは同情します」


通路の横に、『飛び魚』(ハンググライダー)の残骸が置かれていた。

検証する為に回収して来たが、俺も又右衛門も忙しいので放置されていた。

笠寺の戦いは織田の大勝利で終わった。

皆が『熱田明神の神通力だ!』、『白鷺しらさぎのご加護だ!』と褒め称えてくれるが、全機大破の散々な結果だった。

よく、全員が生還できたと思ってしまう。


 ◇◇◇


今川の本陣への空爆は一番機の千代女と五番機の福のみ成功し、二番機の桜など本陣に命中すらしていないらしい。

気化したアルコールが拡散して、火を付けた瞬間に広い範囲で燃え広がった。

結果、派手に燃え広がったように見えただけだった。

焼死したのが三人のみ、重傷者は雪斎和尚が一人。

後は大火傷を負った者が生きていた。


戦果を見れば、軽微だ!

雪斎和尚に当たったのがビギナーズラックだ。

名前がお福なので、福の神が降りたのかもしれない。

見たことのない物に慌てただけである。


加えて言うならば、火薬玉の爆撃もお福が武将を一人倒しただけであった。

五番機は余り上昇しなかったことが成功の鍵かもしれない。

しかし、矢が届く高度だったので危険と隣合わせだった。

矢を射る者がいて帆に当たれば、墜落が必至だ。


他の者は高度があったのでその心配はないが、命中精度は全然駄目だった。

一番高高度を取っていた桜など、誰もいない浜に落ちたらしい。

爆音で脅しているだけであり、効果は余りなかった。

千代女は狙った所に落ちなかったと言っていた。


敵の負傷者の多くは潜入した何見と乙子らの火薬玉で被害を大きくしたのだ。

彼女らは姿を隠して、こっそり火薬玉を投げ入れた。

空爆された西側の武将より、東側の武将の戦死を多く出したのは、そういう絡繰りであった。

精密爆撃なんて夢のまた夢だ!

墜落必至のハンググライダーなんて実用性はない。


「もうお止めになりますか?」

「桜が飛びたいと言ったのだ。最後まで面倒を見るぞ」

「最後までですか?」

「桜が跳べるようになるまでだ」


俺はにやりと頬を緩める。

何見と乙子が「可哀想!」と言う顔をする。

桜は俺と約束したのだ。

最後まで付き合ってくれると!


 ◇◇◇


去年、中根南城でハンググライダーの実験に成功した俺のハンググライダーに桜が搭乗すると言い切った。

高針の東加藤家と交渉し、山崎砦に同じ発射台が完成させた。

大枚を叩いたのだ。

今更、「やっぱり怖いから止めます」と言う台詞は許さない。


グライダー用の発射台なので、ハンググライダー仕様に改造するのに苦労した。

ハンググライダーを載せる台車が苦労の結晶だ。

本来ない前尾翼1枚と後尾翼2枚のようなものを付けた。

グライダーの前輪と後輪のような物だ。

これで横ぶれを防止した。

台車にはL字の棒を立てて、主軸キールに当てる。

主軸キールを後から押して発射する。

発射した瞬間に帆が裏返って、転覆するのを防ぐ為に重石の人形を載せた。

その人形の代わりに桜が搭乗したのだ。


「桜、その棒を放すな!」

「判りました」


無人の実験では二町 (218m)先の海まで飛んで落ちた。

山崎砦の発射台は海の側だ。

どこに落ちても大丈夫だ。


「武蔵、打て!」


止め金が外れて、ハンググライダーが発射された。

打ち出された瞬間、桜が海に落ちた。

バーの根元から折れていた。

これはもう一度確認する必要がある。


「桜、もう一回飛んでくれ!」

「めちゃくちゃ、怖かったです」

「安心しろ! 飛べるまで付き合ってやる!」

「怖かったです」


桜の意見など聞く気もない。

もう一度発射して根元から折れることが確認できた。


「人を支えるには、この細い棒では無理です」

「本来、ぶら下がっているだけだからな!」


発射台で打ち出す構造になっていないハンググライダーで発射するのは無理と判った。

又右衛門が諦めますかと言うが、俺は首を横に振る。


「飛び魚と人を別々に飛ばせばいい」

「別々に?」

「こんな感じの足踏み台を台車に付けてくれ!」


短距離走のスタート地点にある斜めの台座のような物を両足に用意する。

ハンググライダーと人を別々に飛ばして空で合体させる。

バーは握って貰うが、基本的に桜には『人間大砲』になって貰う。

これで根元に掛かる荷重がゼロに近づく。

準備を終えると、すぐに再開だ!


「桜、発射の合図と同時に、その台をおもいきり踏み込め」

「判りました」


ガチャン、止め金が外れた瞬間に桜が台座を踏み込むと機体が浮き上がり、帆が裏返って、ほぼ真上に舞い上がった。

そして、そこから真っ逆さまに落ちてきた。

岸壁にギリギリの所だった。


「桜、大丈夫か?」

「死ぬ、死ぬ、死ぬ!?」


がたがたと歯を震わせて、助け出された桜が怯えていた。

機体は見事に岸壁に当たって粉砕され、桜はホンのわずかな差で海に落ちた。

岩が目の前に迫ってきた時は死んだと思ったらしい。


「若様、もう結構です」

「安心しろ! 最後まで責任は取る」

「もう、嫌です! 死にたくありません」

「桜」

「はい、千代女様」

「嫌ならば、そこで腹を切りなさい。若様と約束をされたのです」

「しかし?」

「死ねば、若様も諦めてくれます」


にっこりと笑う千代女の目は笑っていない。

桜はうな垂れるしかない。

二度と戻れないレールの上に乗ってしまったのだ。

空を飛ぶなど優雅な世界ではない。

機体は発射台が完成するまで時間があったので10機もあった。


「桜、がんばれ!」

「代わってよ」

「それは嫌!?」


楓が無責任に断った。

臆病な紅葉は巻き沿いに遭いたくないのか、最初から隠れている。

部下の侍女達も顔を逸らした。


「バーをしっかり握って重心を下げろ!」


桜は根元が折れたり、機体が浮くのを繰り返しながら何とか続けた。


「一回くらいは綺麗に飛んでみせろ!」

「そんなの無理です」

「耳を澄ませろ! 足にすべて集中しろ!」

「やってみます」


武蔵が木槌を振って、止め金が外れる音を聞く。

今だ!

桜が台座を踏みきった。

見事に飛んだ!

バーを掴み損ねた桜が前尾翼に頭をぶつけながら放物線を描いて海に落ちてゆく。

ハンググライダーはハンググライダーで五町 (545m)ほど飛んで着水した。

新記録だった。

それを見た又右衛門が閃いた。

主軸のキールから命綱を引いて、飛び出した体がキールを引っ張るようにすればいいのではないかと言ったのだ。

俺は手をポンと打った。


ハンググライダーって命綱があったな!


そもそもハンググライダーはブラ下がって乗る乗り物だ。

重し人形の代わりに桜を載せていたので完全に忘れていた。

設計ミスだ。


人形を載せる竹棒を跨いでいる桜の小股はかなり痛かったに違いない。

台座を踏み込もうとすれば、跨いでいる竹の棒に圧が掛かって機体が浮き易くなる。


「桜、股は大丈夫だったか?」

「めちゃ痛かったです」

「すまん。設計ミスだ」

「酷いですよ!」

「砂糖菓子を買ってやる」

「若様、大好きです」


圧の掛かった状態で機体が前に飛び出せば、お股に信じられない圧が掛かる。

男なら一発で悶絶するかもしれない。

よく、そんな状態で一度でも巧く踏み込めた桜を褒めて上げよう。

ナイス、桜!


と言う訳で、ぶら下がるハンググライダーに設計変更し、バーの両端からキールに伸びる構造に変更した。

これで桜の足元に何も無くなった。

行け、桜!


完璧な踏切から見事なジャンプに拍手が起こる。

ハンググライダーは五町 (545m)ほど滑空して着水した。

皆が感動した。

だが、桜が浮いて来ない。

見張り番の者が慌てて、桜を救出に向かった。


「死ぬかと思いました」

「どういうことだ?」

「綱が解けません」


陸上なら簡単に解ける綱も水中では解けないらしい。

顔を上げようしたが、帆が上にあって息も付けない。

暗転して死に掛けたらしい。

死に掛けたと言っているが、元気そうなので実験を続行する。

体に撒く命綱にも研究がいるようだ。


踏切成功は一度の奇跡だった。

真剣にやっているのだが、早過ぎたり、遅過ぎたり、どちらでしてもキールに負担が大きく掛かって巧く飛べない。


「発射台から飛び出た瞬間に蹴れば、良いと思うけどな?」


楓のその一言に桜が同士を求めた。

確かに不器用な桜より、器用な楓の方が巧く飛べそうだ。


「楓、若様の為にがんばりなさい」


千代女の一言で死の宣告が告げられた。

こうなれば、紅葉を撒き込まない訳にはいかない。


「生まれる時は違っても、生きる時も、死ぬ時も一緒だ!」

「そんなこと言っていません」


紅葉も参加する事になった。

やはり楓は良い手本になった。

紅葉が武蔵の掛け声を『1、2、3』で打たせるようにし、自分の中で『1、2の3』と数えて踏み切る。

紅葉が安定して飛べるようになると、他の侍女も参加するようになった。


機体を何度も改造して、熱田の沖まで滑空できるようになってゆく。

馬鹿な桜が調子にのって上昇気流に乗って落ちた。

桜の反省から、5間(9m)より高く飛ばないルールが生まれた。

破れば、城の廊下を一人で雑巾掛けが待っている。


少しでも越えたら罰則だ!

皆、海上スレスレを飛ぶ。

巧いものだ!

そんな訳もあって、舟乗り達には海上スレスレを飛ぶ乗り物と思われるようだ。


しかし、この機体は欠点だらけである。

向い風だと、発射時に空中分解することがある。

横風だと、バランスを崩して落下する。

小回りに旋回すると、必ず失速して落下する。

それでも楽しいらしく、侍女から喜ばれている。

いつも順番待ちだ。


巧い者なら熱田まで滑空し、大きく旋回して井戸田まで戻ってくる。

今は旋回の幅を少しずつ小さくしてゆく。

俺は機体を更新しながら実験を続けた。


 ◇◇◇


「よくあんな機体で飛び出そうと思ったな?」

「私なら乗りません」

「だよな!」


何見と乙子が俺の意見に同意する。

強風が吹けば落下し、小さく旋回しても落下する。

欠陥だらけの機体を使おうと思わない。


桜の2番機は高度が高過ぎて降下しようとしてそのまま落水した。

3番機の楓は高度を下げるのを諦めて、命綱を切って上空からダイブした。

4番機の紅葉はゆっくり降下して、再び旋回している所で強風にあって落下した。

下が天白川でなければ死んでいた。

5番機のお福も降下しきれずに直進して山にぶつかった。


山崎砦から飛び立った三機は千代女が落ちたのを見て怖くなったのか、そのまま直進して佐治の所に着地しようとして、3機とも着地に失敗した。

着地の練習なんてやったことなかった。

いつ落下するか判らない機体で地上を飛ばすことなどできない。

そんな機体で着地の練習などできる訳ない。


俺も又右衛門も忙しくなった。

新しい機体の検証などしている暇もない。

遅れに遅れ、竹では機体を支えられないという結論に達する。

たったそれだけのことを知るのに、一年以上も要することになる。

多忙な日々が迫っていることを俺は気づいていなかった。

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