閑話.我が家の秘書はスーパーウーマン。

中根南城の大広間はまるで戦場地のように人が転がっていた。

皆、疲れ果てて寝息を立てている。

日が高くなり、庭には日差しが降り注いでいる。

俺は気温が上がり、寝苦しさから目を覚ました。

すらすらすらと右筆達が目に隈を作りながら仕事を続けている。

彼らは自分で判断して書類を作る。

もう、右筆と言うより書記官のようだ。

上洛するまでは右筆だったよね!


「おはようございます」

「すまん。寝てしまった」

「お部屋に帰って、一度ゆっくりとお休み下さい」

「そうする。皆も起きたら部屋で休むように言ってくれ」


俺の体は無理が利かない。

限界がくれば勝手に寝てしまう。

書類が山ほど溜まっていた。

はじめは右筆と俺で処理するつもりだったが、どうやら俺一人では判断できないことが多かった。

侍女を総動員して、さらに、神学校の各部署の担当者にもやって来て貰った。

大広間にはおおよそ50人が疲れ果てて眠っている。


「千代女様は凄い方です」

「ははは、笑うしかない。一人で50人分の仕事をしていたことになる」


俺が普段から読んでいた書類は送られてくる手紙の10分の一だとはじめて知った。

大名や領主などに送る贈り物は商人にすべて振ってあった。

しかし、新しく知己を得た方に贈り物を送るかどうかの判断は千代女がほとんどやっていた。

誰が生まれた。

誰が死んだ。

誰が嫁いだ。

あるいは、嫁を迎えた。

何を送るかは決まっているが、無制限に数を増やしてゆく訳にはいかない。

予算に限りがある。

忍び衆や文官、あるいは、商人から上がってくる膨大な情報を貰って、誰を残し、誰を切るか、その見切りを千代女がやってくれていた。

人間関係を把握していない俺は、知っている者を呼び付けて判断材料にする。

全体を頭に入れながら、見切りを決めるのは難しかった。

どちらを切るかで口論になった。


他にも千代女宛ての手紙や訪問の多さに驚かされた。


俺を悩ましたのが推薦状だ。

各地に放った手の者は、武将や文官見習い、鍛冶師、大工、工芸師、山師などをスカウトして来てくれる。

名のある者は俺が会って雇うことになっているが、それ以下の者は千代女が振っていた。

才能はあるが実力のない者は学校や弟子入りさせて鍛え直す。

一人前の者だが、熱田のレベルに達していない者は神学校の予科生に回す。

腕はあるが怪しい者は町に小屋を建てさせてしばらく監視する。

結局、皆で話しても行き詰った。

千代女に聞きに行くと、推薦者と本人の出身地で大体は判るらしい。

誰がスカウトマンの癖まで覚えて判断するのだ?

千代女はそれをやっている。


「1,000人ほど捌けば、身に付きます」


ふふふ、笑いながら軽く流された。

熱田の面接官が千代女だったとはじめて知った。

顔も合わせず、書類だけで!

皆の愚痴や希望まで千代女宛てに手紙を送って来ていた。

採用と配置替えも千代女の仕事だった。

情けないが千代女に助言を貰った。


千代女は中根南城に帰ると言ったが止めさせた。

まだ、起き上がれる程度なのに、城に帰って来たら絶対に仕事をはじめる。

と言うか、近くにいると千代女に尋ねに行く。

特にあの馬鹿桜とか!

ここで無理をさせたくない。


城に戻ると他の仕事の裁定を求められた。

新しい商人の取引先や新人の陶芸家の作を贈り物に使うかなども千代女が決めていたようだ。

商人と職人にとって裁定官であり、機嫌を損ねる訳にいかないらしい。

芸術とか判らん。

俺に相談されても困る。


また、中根三城の家臣らが俺の手を煩わすのは申し訳ないと頭を下げながら相談に来た。

普段は困ったことがあると相談し、作業の手配で済む案件は千代女が処理していた。

城代らが千代女に頭が上がらない訳だ。

やっと理解できた。


中小姓らの質問も千代女が答えていた。

俺ならば、どう対処するか?

千代女なりに考えて、中小姓らにアドバイスを送る。

指示を出すだけで俺の意図を察してくれる。

家の中小姓らは皆優秀だ!

と思っていたら、優秀なのは千代女だった。


うちの家臣衆の支え、忍び衆をまとめ、中堅の武将から頼られ、中小姓を束ね、商人らから信頼を集めている。

千代女に贈られた賄賂の金額がどれほどあるのか想像もできない。

聞けば、教えてくれそうだが聞く気もない。

城の帳簿に上がらない采配は千代女の銭で賄っているのだろう。

なるほど、取次役に権力が集中するのを実感させられた。

がんばって仕事を終わらせて、再び見舞いに行く。


「千代、何をやっているのだ?」

「こちらでできることだけでもやっておこうかと…………」


忙しさにかまけて三日ほど見舞いに来なかったら、千代女の寝ていた部屋が書類だらけになっていた。

御爺である嘉平の屋敷は俺の貯金箱であって俺が使った銭の証文がすべて集まってくる。

千代女は寝ている間に指示を出し、各所の証文の控えを写させて送らせたようだ。

俺も今回の上洛でどれだけ使ったか?

俺も判っていなかった。


「大変なことになっていますぞ」

「御爺、脅かすな!」

「いや、いや、冗談ではなく、本当です。預かっていた10万貫文が綺麗に消えて、まだ3万貫文ほど足りません」

「嘘だろ?」


俺はこの四年間で貯めた10万貫文も御爺の嘉平に預けていた。

現金ではなく、証文という形だ。

使い過ぎたのは承知していたが、足が出ているとは思ってもいなかった。


「大丈夫でございます。堺衆や敦賀・小浜衆らは買い占めた米をすべて売れば、10万貫文に収まりますし、高値で売って頂ければ、利益も返ってきます」

「そうか、取り敢えず安心した。焼酎と蒸留酒が売れるまでは倹約した方が良さそうだな」

「しかし、若様の新領地の開発費が出てきません」

「判っている」


他にも頭の痛いことがいくつもあった。

美濃の斎藤さいとう 利政としまさは述べ三万人の兵も動員してくれた。

一人200文を出すと約束したので、それだけで6,000貫文を払わねばならん。

米、弾薬など好き放題に使ってくれたので諸経費と合わせると、一万貫文を越えた。


「どこまで本当か判りません」

「それは承知しているが、ここでケチなことを言えば信頼を失う」

「そうですね。では、こういうのはどうでしょうか?東美濃の小里城の小里は20人しか兵を出していないのに、利政の請求にも小里200人と書かれております。書類に不手際がございましたと指摘してはどうでしょうか?」

「誠か?」

「はい、入り込んだ手の者からの報告です」

「他はどうだ?」

「残念ながら、他は知る由もありません。小里は偶然にも帳簿を預かる台所方に入り込めました」


千代女も凄い!

俺の知らぬ間に派遣する間者を増やしている。

俺は思わず笑った。


御礼を含めて1万2,000貫文を送るつもりであったが、そこから36貫文のみ引いて、書類を訂正して、1万1,964貫文を送ることにする。

請求した額でもなく、切りの良い数字でもない。

利政は訂正した書類の部分に気が付くだろう。


「こちらはすべて承知している。せこいマネをするな!」


こんな感じの警告文だ。

もちろん、右筆にはもっと美しく上品な言葉に置き換えて貰うが、言っていることは同じだ。

美濃の動員数をすべて把握していると言うハッタリだ。

利政はさぞ肝を冷やすことだろう。


次に出費が多いのが、近江の六角氏になる。

保内商人の得珍保とくちんのほには帰り道で便宜を図って貰ったのでかなり色を付けないといけない。

六角各所へのお礼もしなければならない。


その次に頭が痛いのが、公方様義藤だ。

俺達が去った後に、三好に止めを刺してから朽木に逃れた。

大人しくできない方だ!

三好の損害が絶大なので、しばらくは京に戻らないだろう。

また、畠山の兵は遁走して壊滅した。

大和や河内南部の武将の多くが討死したと報告が入った。

しかし、腹を下していた畠山はたけやま 高政たかまさと側近らは無傷で帰っていった。

畠山らの体面上、三好も公方様とお手てつないで仲良くもできない。

しばらくは膠着しそうだ。

さて、公方様はさっそく今川に勝利した事を褒め称え、解放された斯波しば 義統よしむねを御相伴衆に任じてきた。

兄上 (信長)は喜んでいるが銭を無心されている俺は気分がよくない。


「(近衛) 晴嗣はるつぐ様から公方様が京に戻るように説得して欲しいと言う手紙も来ているようですね」

「桜からでも聞いたのか?」

「はい」

「知るか、自分で説得しろ!」

「説得しても巧くいかないので、若様を頼っていると思われます」


おそらく、そうだろうな。

公方様は朝廷を軽く見過ぎる。

嫌、公方様だけでなく、幕府そのものが朝廷を軽視する。

悪い傾向だ!

ここで冷たく接すると、朝廷は公方様に不審を抱くことになる。

京に戻るかどうかは三好の動向を見てからだろう。

だが、朝廷を蔑ろにするのは賛同できない。


「御爺、2,000貫文を公方様に届けておいてくれ!」

「承知した」

「こちらの余裕がないのに銭だけは出てゆくのですね」

「まったくだ。俺は公方様の子守なんて嫌だよ」


贈った銭の内、半分は朝廷に見舞金として献上するように手紙を書いておこう。

献上しなければ、次はないと結んでおく。

朽木では義兄上の (中根)忠貞たださだも世話になっているので無視もできない。

割に合わないな。


千代女が仕方ないと言う顔をする。

そうだな!

やはり、千代女は話していると頭の中が整理される。

少しずつ考えがまとまってゆく。


「千代、動けるようになったら、神学校に行って予科と生徒から10人ほど、お前の部下にしろ! 取次衆として召し抱える」

「私の部下ですか?」

「そうだ、その10人にお前の仕事を分割させるようにしろ! 千代が倒れて貰っては困る」

「畏まりました」


千代女は俺が思っている以上に熱田にとって貴重だった。

千代女がいないと中根南城だけなく、熱田まで動かなくなる。

仕事を分担して、部下を付けるのが最善だろう。


「それと褒美だ! 織田に降った加藤の傍示本城ほうじほんじょうを、東郷領ごと千代にくれてやる。父上望月出雲守に頼んで、任せられる者を送って貰え! さらに諸輪城もろわじょうもやる。城代にする者を推薦しろ!」

「若様、それは余りに過分な褒美でございます」

「今川の盾代わりに置かれる。安いかどうか判らんぞ?」


東郷領は1,000石程度だ。

しかし、芋を植えるなど、少し手を入れるだけで2,000石並に引き上がる。

ならば、家臣を40人ほど養えるので半分はそのまま東郷加藤を召し抱えるとして、20人くらいを甲賀から呼ぶことができる。

しかし、西加藤、東加藤、東郷加藤とややこしいな!

さらに湿地帯も多く開発すれば、一万石も目指せる。

先に戦で寝返って、そのまま織田に留まると言った4,000人の内、2,000人を引き受けることになった。


「その費用も馬鹿になりません」

「同感だ!」


黒鍬衆が2,000人なら喜ばしいが、普通の兵士が2,000人だから、一から教えねばならない。

中島、清洲、守山、岩崎丹羽、笠寺、鳴海とテコ入れが山積みだ。

人が余っていない。

黒鍬衆三代目を解体して、10組の鍬衆を作っても足りない。

本当にどう配分しても足りない。


「今は配置している100人を半分に割って、残りを補充して配置してはどうでしょうか?」

「負担が重そうだな?」

「皆、若様の為にがんばってくれると思います」

「そうか、仕方ない。それで一度割り振ってみよう」

「それと、予科生の訓練を若様の領地で行うのはどうでしょうか?」

「それはいい案だ!」


人手はある。

訓練と思って使わせてみよう。

境川の治水だ、

それが終わったら開発して行こう。


「ですが、開発したくとも銭がございません」

「一先ず、熱田から借りるさ」

「返す当てはあるのですか?」

「焼酎と蒸留酒が売れれば、余裕で返ってくる」

「そんな皮算用かわざんようばかりしていると、いつか痛い目にあいます」

「その後に砂糖も控えている。大丈夫だ!」


俺に入る尾張の税収入は年四万貫文である。

その他の利益で同じくらいを儲けているので、合わせて八万貫文になる。

商家に隠した金額は俺もよく判らんが、数万貫文はあると思う。

但し、こちらは忍びの運営費なので手を付ける気はない。


その八万貫文の内、六万貫文は開発費と維持費で融けて無くなる。

残る二万貫を使って、商品を売り買いして儲ける。

買い手のない物は全部を俺が買い取った。


初期に買い漁った酒が売れて、10万貫文の貯蓄となったのだ。

今、倉に寝かせている焼酎と蒸留酒が売れれば何とかなる。

失った分もすぐに取り戻せるさ!


千代女の心配を他所に俺は城に戻った。


戦をすると銭が消える。

戦はもうしたくないと思ってしまった。

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