第101話 清洲騒動(12) 熱田明神の御怒り。

熱田神宮文書 (千秋家文書)には、南より五羽の白きさぎが舞い上がり、熱田明神の妹御をお助けになられたと綴られている。

日本武尊やまとたけるのみことは御亡くなりになると白鷺しらさぎになってお舞いになり、その白鷺は熱田の地に舞い降りられた。

そこで宮簀媛みやずひめはお預かりしていた草薙剣くさなぎのつるぎをお納めになって熱田神社を建てられたのだ。

熱田明神の生まれ代わりと言われる俺が熱田に戻ると熱狂に包まれた。


魯坊丸ろぼうまる様が御戻りになられた』


町の者が飛び出して俺を迎えてくれる。


「急ぐ、道を開けよ」

「道を開けろ」

「道を開けろ」

「道を開けろ」


集まってきた人々が割れて道が生まれた。

俺が湊に向けて馬を走らせると、熱田神社の前で年寄衆が大喜を先頭に待っていた。


「舟を出したい。準備できるか?」

「すでに準備は終わっており、順次出港させております」

「でかした」


俺はすぐに湊に行きたかったが、年寄衆に頼まれて勝利祈願をさせられることになった。

湊の男衆はすでに出港し、また取り残されたお市達を救出する為の小早100艘も出港した。

だが、それだけで終わる訳がない。

熱田の民はそう思った。

思い思いの鎧を纏い、槍を手にして熱田神社に集まっていた。


『魯坊丸様だ。道を開けろ』


本宮へと続く道が造られる。

本宮に到着すると、扉が開き神官が恐れ多くもご神体の『草薙剣くさなぎのつるぎ』を持ち出して来た。

どうやら俺に持って行けと言うことらしい。

皆の前で剣を抜いて振り上げる。


「すでに勝利は確定しておる。ただ、進め!」


うおおおぉぉぉぉ、ここに集まった300人の熱田の民が吠えた。


『出陣』


皆が一斉に走り出し、湊の残された船に乗って漕ぎ出した。

熱田の湊から呼続浜まで半里 (2km)しかない。

湊を出た所で北から南に進む白鷺が目に入った。


『白鷺だ。吉兆だ』


誰かそう叫んだ。

日本武尊は白鳥、あるいは、白鷺になって飛びだったと言う。

熱田の民にとって縁起のいい鳥だ。

兄上 (信長)も戦勝祈願の折りにはわざわざ捕まえておいた白鷺を放って、芝居じみた声で『吉兆だ。我が勝利は間違いなし』と叫んで士気を上げる。

神の鳥を捕える方が罰当たりじゃないか?

それより美味しそうに食べているよね。


一羽、二羽、三羽と増えてゆく。

松巨島へ向かう熱田の民の興奮は絶頂に達する。

俺の目には白鷺ではなく、ハンググライダーと判った。

上昇気流を巧く捉えてゆったり上がってゆく。


千代女、何をさせるつもりだ?


そう呟きながら、やれることを考える。

上空からの爆撃か?

思い付くのは鉄砲も矢も届かない上空から火薬玉を放り落とす。

火を付けて火薬玉を落とせば、敵の武将の頭上を狙える。

その使い方は考えていなかった。

先頭のハンググライダーが旋回をはじめると、後ろもそれに合わせて旋回をはじめた。

なるほど。

一度に飛び立てないので、最初のハンググライダーは南を迂回するコースを取ったのか。

五羽目が飛び立つのを待っていたようだ。

五羽目はすぐにこちらに進路を変えて直進してくる?

否、敵の本陣は白毫寺びゃくごうじ付近と聞いている。

ならば、本陣を直接狙うつもりか?


五羽目はまだ高度が取れていないので強弓でも届く。

だが、向こうも面喰っており、矢を放っている感じはしない。

そして、本陣上空で何かを落とした。

爆発する?

…………しなかった?

何を落としているのだ。

四羽目、三羽目、二羽目と続く、そして最後の一羽目が高度を一気に下げて加速しながら本陣の上空を通過して何かを落とした。

直後、大きな火がその一帯に上がった。


そういうことか。


落としていたのは蒸留酒だ。

気化したアルコールが一斉に引火して大きな火が上がった。

これで敵の本陣は壊滅だ。

死んだかどうかまでは知らないが、おそらくこれでしばらくは機能しない。

敵の兵は何が起こっているか判っていない。

大きな騒ぎになっていないが、あと一押しで敵は崩れる。


「敵に天罰が下った。天意は我にあり、押し出せ」


俺は檄を送る。

皆が勝利を確信して舟を漕がせた。

千代女に感謝だ。


 ◇◇◇


今川義元に当てられた文書には、天より火の玉が落ちて来て、太原崇孚たいげんそうふ (雪斎)は日本武尊やまとたけるのみことの怨念によってお亡くなりになられたと書かれている。


「なんだ、あれは?」


今川の兵はあんぐりと口を開いて天を見上げる。

大きな鳥に捕まった人の姿が見える。

その鳥は羽ばたきもせずにゆったりと本陣の上空に近づいた。


刹那!

何か降ってきた。

雪斎を守る兵が咄嗟に庇って槍を突いた。

カコンと言う音がして、二つに割れて何が降ってきた。

強烈な酒の匂いが降ってきた。


「何だ、これは酒を降らせて何がしたい」


雪斎は体に掛かった水に触れると、ぬるぬるとしているのを感じた。

酒だけでなく、油も混じっている。

その意図をすぐに悟った。


これが敵の新兵器?

天を駆ける武器だと?

あり得ん。

織田は何者だ?

雪斎は狼狽する。

自分は何と戦っていたのかと問い質す。

人ではない、何かであることは間違いない。

天を駆けるなど、人の所業ではない。


次の一羽からも降ってきた。

本陣から少し逸れた所に落ちた。

三羽目、四羽目と次々に落としてくる。


「皆、この場を離れよ。ここに居てはならん」


雪斎自身も駆け出した。

逃げねばならん。

逃げられるのか?

人ならぬ者に抗えるのか?

雪斎はおのれの傲慢さを後悔した。

織田と戦ってはならん。

それを義元公にお伝えせねば。


すごい速さで雪斎の上空を過ぎると二つの黒い物が落ちてくる。

護衛の兵が槍でそれを払うが、やはりカコンと割れて中身が跳び散った。

雪斎は鳥に捕まれた人を睨む。

火縄を絡めたクナイが雪斎の真横を通り過ぎた。

雪斎が吠える。


「花倉の乱より義元公に御仕えして17年、最後の最後で見誤ったわ」


火の手が一瞬で上がり、雪斎の体が炎に包まれた。

周りの兵は逃げ出した。

武将らは主君を助けようと、炎の周りを取り囲んだ。

僧衣の主が転げ出し、寄った武将が「誰か、水を、水を」と叫んだ。

雪斎はこんがりと生焼けに仕上がっていた。

ううう、悲鳴のような声を上げている。


「ううぅ、あうぃおぅ、うおいぇはぁ…………」

(兵を引け。一箇所に固まるな。悠然と撤退するのだ。そして、織田と和議を結べ)


雪斎の声は武将らに届かない。

喉が焼けて、声にならなくなっていたのだ。

大鳥は大きく旋回すると、包囲されている織田の西側、呼続浜の方へ集まってゆく。


ズゴォ、ドドドド~カン!

地面が揺れるような音がいくつもなった。

ここにいると殺されると悟った呼続浜にいた兵が逃げ出した。

織田の兵が呼続浜に向かって特攻する。

本陣周りを守っていた武将らは混乱している。

雪斎のように丸焦げになった者もいれば、軽度の火傷で済んだ者もいる。

だが、混乱しており、指示を出す者がいない。

各所に散らばっていた大将もどう行動するべきか迷っていた。

本陣の様子を見に行かせ、今後の対応を思考していた。


素直に心の中の声を解釈すれば、「駄目だ、逃げよう。ここに居たくない」と思っているのだが、本陣の命令を無視する訳にいかないと踏み留まっていた。

勝手に逃げれば、軍規違反で打ち首だ。

だが、武将達の思惑など意に介さず、井戸田の山崎砦から大鳥が飛び立ち、炎と爆裂を落としてゆけば、もう兵達の心が折れてしまった。


「おらは死にたくねい」

「熱田様がお怒りだ」

「南無、南無、南無…………」


織田の奇妙な武器に心が折れた。

これは人の所業ではない。

神仏が織田に味方しているに違いない。

大きな鳥は神の使いであり、我らに天罰を与えている。

神や仏に逆らって、生きて行ける訳もない。


「留まれ、逃げることは許さん!」


今川本隊を預かっていた朝比奈-信置あさひな-のぶおきは何とか踏み留めようとしていた。

だが、その頭上にも火薬玉が降って来て、その爆音と破片で馬が暴れて信置は落馬する。

やはり天罰だ。

もう兵達の逃走は止まらない。


今川本隊の兵が最初から恐怖していたのだ。

そう、井戸田の関所を落とそうとしたが、炎と爆音で近づくことさえできなかった。

それが何か知る訳もない。

ただ、恐ろしかった。

そして、今川本隊3,000人はほとんど無傷で引き返した。

兵こそ失ってはいないが、その心には恐怖が芽生えていた。

信置が落馬した瞬間、それが一気に開花して、もう駄目だと兵達が逃げ出したのだ。


「これ、逃げるではない、逃げるではない」


兵を追うふりをして逃げ出す武将も現れる。

信置は起き上がり、それを茫然と見送るより他はなかった。

不甲斐ない。

しかも、本陣へと送った使者が戻ってくると、本陣の雪斎も大火傷を負い、生死の境にあると言う。

今川が負けたのだと悟った。


「撤退する」


信置は近習を連れて逃げ出した。

生き残らねばならない。

戦場で敵と戦って死ぬならば仕方ない。

諦められる。

だが、敵は神仏ならば?

天罰で殺される。

武将にあるまじき、情けない、そんな無様な死に方はしたくない。

ここは死に場でないと思った。


 ◇◇◇


西加藤の隠居、延隆のぶたかは『飛び魚』 (ハンググライダー)が敵の本陣に火を付けたのを見て笑った。


あははは、やりおるわ。

海の上を走る乗り物と思っていたが天駆ける船であったか。

流石、魯坊丸だ。

だが、今川の殺気は消えていない。

さらに高まってきた。

本陣が燃えていることが理解できないのだと悟った。


そりゃ、そうだ。

人が大鳥に乗って攻めてくるなど思いもしない。

何が起こっているのかも理解できないのだ。

だが、それは長く続けない。

本陣が襲われたのだ。

それが成功したか、失敗したか、知る術を全朔は持っていない。

最悪、動揺した敵が襲ってくるかもしれないと覚悟する。


だが、その心配はなかった。

大きく迂回した『飛び魚』 (ハンググライダー)が西側に火薬玉を落としていった。

それもかなり大きな音であった。

西側にいる武将の何割かが討死したのは間違いない。

これで敵の心が折れる。

そう悟って、攻め掛かる。


『掛かれ』


慌てる西側の敵に向かって特攻する。

同じようにお市も叫ぶ、お市も『飛び魚』 (ハンググライダー)をよく知っていた。

そして、何が落ちてきたかも判っている。


「西じゃ、海から味方が来ているハズじゃ」

「お市様、後ろに付いて下さい」

「判ったのじゃ」


全員が西に特攻を開始する。

慌てている敵を食い破って行かねばならない。

だが、井戸田からも次の『飛び魚』 (ハンググライダー)が飛び立って、ほとんど真上を通過しながら、後ろの敵の頭上から炎と火薬玉を次々と落としてくれる。

これで敵の混乱は最高潮に達した。

助かった。そして、勝った。


「魯兄じゃは凄いのじゃ。これは戦なのか?」


 ◇◇◇


ずずずと舟の底が擦れる音がした。

俺が乗っていた舟が足を止めた。

遠浅の浜は舟を海岸まで進めることができない。

まだ、一町 (109m)ほど残っている。


呼続浜に布陣していた今川の兵も爆撃には驚いただろう。

呆れるばかりの攻撃だ。

空からでは防ぎようもないではないか?

武将の何人かが命を失い、兵は浮き足立っている。


「すわ掛かれ」


俺が叫び、草薙剣を振り降ろすと舟から兵が飛び降りて、浜へと駆け上げてゆく。

そのまま「うおおおぉぉぉ」と叫びながら今川の兵へ襲い掛かった。


「熱田明神様はお怒りだぁ」

「天罰が下るぞ」

「地獄へ落ちろぉ」


熱田明神の加護を叫びながら襲い掛かる熱田の兵。

事ここに至っては、もう今川の兵に戦う気力は残っていなかった。

熱田方からすれば、逃げ出す兵を押し留めようとする武将らを狩ってゆくだけだ。

武将と言っても様々だった。

最後まで今川に忠を持って戦う者も居れば、我先にと逃げ出す者もいる。

降伏する者もいた。

向こうから全朔が敵を割って飛び出して来た。

俺を見つけて舟まで走ってくる。


「無事な御帰還、嬉しく存じ上げます」

「それはこっちの台詞だ。無茶をするな」

「申し訳ございません」


延隆のぶたかが片膝を付いたままで頭を下げた。


「この後は如何致しましょう」

「このまま引いても良いがどうしたいか?」

「追撃しとうございます」

「敵の数は多い。『窮鼠猫きゅうそねこを噛む』、反撃されれば、一溜りもない」

「お知恵をお借りしとうございます」

「ならば、『熱田明神の温情である。武器を捨てる者は命を助け、国元に返す。寝返る者はそれを許す。死にたい者だけ掛かって来い』と騒ぎながら攻め立てよ」

「承知」


天白川を泳いででも逃げる者もいるだろうが、すべてではない。

おそらく、再び渡河できる時間まで、今川の兵は松巨島に閉じ込められる。

その内に散った兵のいくらかが戻ってくるだろう。

だが、再び同じ数に戻ることはない。

それでも数は多い。

油断すれば負ける。


東三河より東は寝返り難いだろうが、水野信元や西三河衆ならば寝返るかもしれない。

むしろ、寝返った彼らが率先して働いてくれるハズだ。

降伏を認めれば、敵の兵は目減りして減らすことができる。

そして、数が拮抗すれば、勝ち目のない戦だ。

敵は必ず降伏する。

それで織田の勝ちが決定する。


「敵の数を減らすことを念頭に置き、追撃いたします」

「気をつけろ、今度は助けんぞ」

「承知」


延隆のぶたかが翻って戦場に戻って行く。

入れ替わるように一塊の一団が浜に抜けて来た。

黒鍬衆 (黒鍬衆予科生)だ。

そして、その真ん中が割れて、お市が牡丹に乗って飛び出してきた。


「魯兄じゃ」

「お市」


俺はざぶんと舟から降りて、お市の方に駆けて寄った。

お市が牡丹の上から、俺の胸に飛び込んできた。

受け止められる訳もなく、尻持ちを付いた。


「無茶するでない。状況を聞いて、死ぬかと思うほど驚いたのだぞ!?」

「済まぬのじゃ。許してたもれ」

「馬鹿やろうッ」


俺はお市をぎゅっと抱きしめた。

よかった。よかった。生きていて、よかった。

敵に囲まれたと聞いたときは、駄目かと思った。本当によかった。


「すまぬのじゃ、すまぬのじゃ」


可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃになっていた。

本当に手が掛かる妹だ。

俺は叱らねばならんのだろうが、今は無事を喜んだ。

すっと影が俺の上を通った。

ハンググライダーがゆっくりと旋回を繰り返していた。


「千代姉じゃじゃ」


お市がそう言うので目を凝らした。

よく見ると乗り手は千代女だ。

うちの女性陣は、皆、度胸が凄い。

感心する。

あの無茶で馬鹿な桜なら判るが、千代女が同じことをしたのか?

信じられない。

俺ならあんな未完成の機体で、空を飛ぼうとか思わないぞ。


「千代姉じゃ、ありがとうなのじゃ!」


お市が千代女のハンググライダーに向かって両手を振った。

千代女も片手の親指を付き出して答えてくれた。

がくん、ハンググライダーが奇妙にぐらついたように思えた。

旋回していた千代女の機体が西に流れる。


「舟を出す。急げ」


お市と俺が舟に乗り、船乗り達が降りて舟を沖に押し戻してゆく。

黒鍬衆 (黒鍬衆予科生)が沖に押し出すのを手伝い。

後ろから遅れて加藤らも飛び乗ってくる。


「急げ、機体がもたん」


千代女は何とか立て直そうとしていたが、ガキっという音と供に機体が折れ、びりっと帆が破れながら錐揉み状態になって海に落ちてゆく。


「急げ、急いでくれ。千代ぉ」


俺にはただ、叫ぶことしかできなかった。

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