第100話 清洲騒動(11)千代女、行きます。

蛇池に居た魯坊丸ろぼうまるより早く中根南城にお市が出撃したことは伝わっていた。


「山崎砦の蔵人浄盤様の使者が到着いたしました」


使者は中根南城の物見台に上がって来ると城代の元に跪いた。

城代は一度頷くと声を発することもなく、敵の様子を見ている魯坊丸の侍女で取次役にしか過ぎない千代女の方を見た。

城主一族の次に誰が偉いのか?

力関係が如実に現れる瞬間であった。


「お市様はどうなりました?」

「敵方に取り囲まれております」

「まだ、ご無事。それが唯一の朗報ね。で、砦代の筆頭側近が来たのは他に用があるのでしょう」


筆頭側近が城代と千代女を何度か見比べてから口を開いた。

井戸田の関所を守る山崎砦の兵は50人のみ、関所の100人を借りて、今川本隊3,000人を相手にした。

尋常ならざる兵力差だ。

矢が飛び出す絡繰り箱、火計用の油壺と神の水 (蒸留酒)壺、そして、持って行かせた火薬筒をあらん限りに投入した。

関所の前を火の壁にして、敵の侵入を何とか防いだようだ。


「何と言うか、勿体ない。若様が聞いたら怒りそうな使い方ね」

「こちらも必死でございました」

「両岸に火を放ったのは正解ですが、その後がいけません。門まで敵をワザと引き付けた後に火計を使えば、それだけで敵を撤退させることができたでしょう」


三度は敵を退けられる量を一度ですべて使い切るとか。

千代女は重たそうな溜息を付いた。

魯坊丸は夜空に火の花を咲かせる為に銭を大量に浪費するかと思えば、いくさで使う矢や油の使用には妙に細かい。

山崎砦の蔵人浄盤に『賠償しろ! 再教育だ!』と言って叱り付けるのはもう決定的だ。


「判りました。中根北城主の村上 承膳むらやま-しょうぜん様と学校長の掃部助に伝達。100人ほど山崎砦に回して欲しいと伝えて下さい。それと中根北村と長根村の農民をそちらに廻します。予備の倉を開けて、絡繰り箱と油壺を山崎砦に送りなさい」

「感謝致します」

「使い方は中根北城の者に一任しなさい。それが条件です」

「承知致しました」


中根村の者は魯坊丸の教育が行き届いており、山崎の者より投石とそれらの取扱いに長けている。

蔵人浄盤に預けるよりマシと千代女は判断した。

そのあと、すぐに熱田の大喜から使者が来た。


「舟の用意はすぐに致しますが、どこに向えばよいかと聞いて来いと言われました」


そのくらいのことを「聞きに来ないで!」と千代女は内心思った。


「お市様が囲まれているのが白毫寺びゃくごうじの手前と聞いております。ならば、その西の呼続浜よびつぎはましかありません。そこから上陸して敵を食い破りながら救出して下さい。こちらも同時に反対側から騒ぎを起こします」


熱田の使者は頭を下げるとすぐに熱田に戻っていった。

魯坊丸から指示を受けることが当たり前になり過ぎて、些細なことまで聞きにくるようになっていると千代女は思った。

魯坊丸は皆が独自に考えて欲しいと思ってすべて仕事を任せるようにしているのに、魯坊丸への依存心がドンドンと強くなっているように感じる。


阿形あぎょう様と吽形うんぎょう様、巧くいくでしょうか?」


魯坊丸の世話役の一人、侍女の桜が呟いた。

桜、楓、紅葉の三人は千代女と一緒に甲賀から来た世話役、兼、使い走りだ。

その後も侍女が増えて行き、今では26人の侍女のリーダー的な存在になっている。


「最強の20人です。何とかしてくれるでしょう」

「そうですよね、阿吽の二人は最強です」

「それに何見かみ姉さんと乙子おとこ姉さんも参加しています」

「姉さんらはお市様が好きですから絶対に助けてきます」


桜ら三人は気楽に言っているが、城の20人の忍びを送ったからと言って状況が変わる訳もない。

その20人より強い加藤ら10人がお市も守っていながら何もできていない。

千代女の目的は外から騒ぎを起こして、その隙にお市だけでも救出する。

その一点しか考えていない。

敵に包囲された味方1,000人弱を助けるなど不可能だ。


「若様なら何とかしそうだけどね」

「そう、そう、若様なら思いも付かないことを言い出すのよ」

「いや、いや、いや、桜は違うでしょう。若様と一緒に変なことを言うのは桜じゃない」

「そんなことないよ」

「そんなことあるって!」

「そう、そう、桜が言い出さなかったら、飛び魚に乗ることもなかったわよ」

「そんなことない」

「あるです」


桜、楓、紅葉の三人が暢気に後でしゃべっている。

これで侍女の長格と言うのだから、明らかに人選を間違っていると千代女は思っていた。

能力で決めず、早い者勝ちで決める魯坊丸も魯坊丸だ。

流石に上忍の何見と乙子には低姿勢だが、他の子には先輩風を吹かせていた。


しゅばっと巨大なおおゆみから火薬筒を入れた竹槍が撃ち出されている。

少しでも敵を動揺させようと無駄な足掻きをやっていた。


「どうして角度が二つしかないのよ」

「角度も八方向のみですし」

「敵の大将が狙えれば、もっと効果的な武器なのに」

「それより距離よ。もっと弓を引けるのに止め金が付いていないのが問題でしょう」

「そう、そう、それが問題」

「皆、忘れているかもしれないけれど、これ『おおゆみ』じゃないです」


あっ、二人が思い出した。

そうだ!

これはおおゆみじゃない。

その間抜けな二人を見て、千代女も笑った。

これはグライダーの発射台だ。


 ◇◇◇


千代女はこの発射台が完成した日を思い出してしまう。

それは魯坊丸にとって転機の日でもあった。

織田信秀が亡くなった日だ。

中根南城に戻ってきた養父の中根 忠良なかね-ただよしが魯坊丸を探していた。


魯坊丸ろぼうまる魯坊丸ろぼうまるはどこか?」

「若なら庭におります」

「千代か、魯坊丸ろぼうまるは庭か!」

「はい、裏庭でございます」


その日も魯坊丸は裏庭の曲輪で遊んでいた。

千代女は魯坊丸のいる曲輪へ忠良を案内すると、扉を開けた瞬間に声を上げた。


魯坊丸ろぼうまる魯坊丸ろぼうまるはどこか?」

養父ちちうえ、こちらでございます」

「一番外であったか!」

「ハンググライダーの模型を造っておりました」

「はんぐ? また奇妙なモノを…………まぁよい。今はそれ所ではない」


忠良は信秀が亡くなったことを教えてくれたが、魯坊丸は慌てる様子もない。

まるで初めから知っているように振る舞った。

この日を境に魯坊丸は少しずつ忙しくなってくる。

だが、その日はまだ無邪気に笑っていた。


「千代、これが新しい模型だ」

「若頭の又右衛門が頭を抱えますよ」

「先ほど、これを見て頭を抱えていた」

「それよりこの化け物のような巨大な弓は何なのですか?」

「グライダーの発射台だ」

「ぐら?」

「この紙飛行機を飛ばすこの箸と同じようなモノだ。だが、又右衛門にいくら説明してもグライダーを理解して貰えんので、ハンググライダーで我慢することにした。今日で完成するので、明日は試射を行う」


長さ6間 (10m)、幅10間 (18m)というお化け物じみたおおゆみだ。

翌日、又右衛門が以前から頼んであったハンググライダーを持ち込んだ。


「皆、弦を張るので綱を引っ張ってくれ!」


従者や侍女を集めて綱をひっぱる。

ガチャンという止め金の音がなって弓が張れた。

発射用の溝に台車を載せて、その上にハンググライダーを載せる。

手伝っていた侍女の桜が一番に騒いでいた。


「若様、若様、これは人が乗ると言っていませんでした?」

「あぁ、そうだ。だが、危ないのでしばらくは無人の人形丸で飛ばす。武蔵、木槌を打て!」

「はい」


武蔵が止め金を外す木槌を打つと、ハンググライダーは発射された。

びゅしゅと撃ち出される。

台座とハンググライダーが離れた瞬間、機体がぐしゃりと潰れた。

見事にバラバラだ!


皆、『あっ』と言う声を上げた。

バラバラになりながらも、いくつかの部品が海まで飛んで行って落ちた。

千代女が呆れたように「またか」と溜息を付く。

この麒麟児はトンでもない物を造ることがあるが、ガラクタも造る。

今回は大金を厠に捨てたようだ。


「では、これでおしまいと言うことですね」

「待て、待て、無理なことはない。失敗などいくらでもある。失敗したなら次を考えればいい」

「どうするつもりですか?」

「とりあえず、威力を弱めよう。又右衛門、止め金の位置を変える。指示してくれ!」


力8分でもう一度撃ち出す。

今度はバラバラにならず、二町 (218m)先の海まで飛んで落ちた。


「お見事です」

「そうであろう、千代」

「これならば、渡河してくる敵の頭に落とせば、武器になります」

「これは人が乗って遊ぶ物で武器じゃないぞ」


船の次は空を飛ぶおもちゃを造ると言う。

やりがいこそあるが、トンでもない若様に仕えたと千代女は何度も思っていた。


「はい、はい、はい、私、やっぱり乗ってみたい」

「駄目だ。桜」

「でも、乗りたいです。崖の上から滝壺に落ちた修行もしているから大丈夫です」

「それでも無理だ」

「無理ですね」

「千代女様!?」

「ここでは無理だが、他の場所なら無理でもない。千代女、山崎砦の管轄は高針の東加藤だったな」

「はい、そうです」

「会いたいと連絡を入れて、日時を決めてくれ」


井戸田の岬の南西は海しかないので落ちてもいいそうだ。

魯坊丸は対岸まで竹槍を飛ばせる武器と適当なことを言って売り込んだ。

加藤 順盛かとう よりもりは変な物に難色を示したが、山口 教継やまぐち-のりつぐが寝返ると軟化して許可を下ろした。

こうして、ハングライダーは『飛び魚』と名が与えられ、侍女のおもちゃとして試験飛行を繰り返している。

今でも安全を考えて、水面を水平に飛んでいる。

旋回を繰り返すと縄が緩み、途中で空中分解する欠点が解決していない。

それが解決するまで上空を飛ぶことは禁止されていた。

ゆえに、漁師達から水の上を走る乗り物と思われているようだ。


 ◇◇◇


「姉さんらがいくら強くても数万の敵を倒すのは無理だよ」

「そんなことないって」

「無理です」

「そんなことない」


桜の気楽さが羨ましいと千代女は思う。

無理だ。


『待て、待て、無理なことはない。失敗などいくらでもある。失敗したなら次を考えればいい』


魯坊丸様、次などありません。

心の中でそう呟く。

だが、心の中の魯坊丸が諦めてくれない。

心が寒い。

気が付くと北風が吹いていた。


この発射台は向かい風と横風になるとすぐに墜落する。

発射直後のバランスが取れない。

追い風になる東から北の風が発射条件だ。

はっとした。


「桜、楓、紅葉、『飛び魚』はいま何機ありますか?」

「試験前の新造一機、整備終了したのが三機、整備解体中が二機、地上の練習機二機、山崎砦で試験機三機です」


桜が中根南城から五機、山崎砦から三機を飛ばせると言う。

千代女が魯坊丸のような怪しい笑みを零した。

何度も旋回するから墜落する。

ならば、旋回を一度と限定すればいい。


「忍びの侍女26人を招集、蒸留酒と油、火薬玉を取って来なさい」

「何に使われるのですか?」

「飛び魚の浮き袋に入れて、敵の頭に落とします」


浮き袋はハンググライダーが着水した時に沈まないようにする為に薄い木を張り合わせた木袋である。

紐で固定しているだけなので紐を切れば落下する。

中に入った水を抜く為に瓢箪の口のような物で口を塞いでいたので、蒸留酒と油を入れることは不可能ではなかった。

侍女達が集められた。


「お市様が亡くなられると魯坊丸様が悲しまれます。自分の命を賭しても、その顔を見たくない者は一歩前に出なさい」


全員が一歩前に進む。

ならば、飛び魚の技量の高い者から選べばよい。


「桜、楓、紅葉、朝顔、福は私と飛びます」

「はい」

「牡丹、鹿、蝶は山崎から飛びなさい」

「牡丹と書いて、猪」

「鹿」

「蝶」

「我ら猪鹿蝶、赤の三連星にお任せ下さい」


腕は良いがお調子者の三人だ。


「どうでもいいわ。火縄と火薬玉を入れた投石綱を身に付けるのを忘れないようにしなさい」

「大丈夫です」

「お任せ下さい」

「敵大将の頭上に落としてやります」

「死なないように気を付けなさい」

「はい」、「はい」、「はい」


又右衛門が準備できたと千代女を呼んだ。


「先に行きます」

「すぐに追います」


千代女が飛び魚に乗った。

下の台座の足置きに軽く足を掛ける。

これを忘れると打ち出した瞬間に根元が折れて墜落する。


「打ちます」


止め金を外す木槌が振り上がった。

心臓の鼓動がバクバクと鳴り響く。

井戸田と違って失敗すれば、墜落して死ぬこともある。

千代女の乗る機体はテストをしていない最新機だ。

女は度胸よ。

がちゃん、足に衝撃が走る。

木槌が振り降ろされて、解放された弦がハンググライダーを加速する。

千代女、行きます。

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