閑話.侍女のお遊び。

中根北城は別名『牛山砦』と呼ばれる。

大根山だいねやま(八事山)からぽつりと突き出た牛山と呼ばれた小さな丘の上に立つ小屋がはじまりであった。

今では立派な屋敷が建ち、その周りを総石垣で囲われていた。

その北側に八事 (弥富)の神学校が建てられたのは偶然ではない。

桜山に続く、重要拠点は中根北城主の村上 承膳むらやま-しょうぜん(小膳)の弟、村上掃部助に任されている。

掃部助は魯坊丸ろぼうまるの小姓に選ばれ、偶々、河原者を集めて作った下八事に新しい村を任されたのが始まりだ。

小屋の1つを熱田社として、神小屋がはじまった。

魯坊丸が教えたことを掃部助が河原者に教える。

皆、生きることに必死であり、物覚えが早かった。

桜山が開発され、防衛拠点が造られたときに新設の神学校が開校されて、神小屋の生徒が神学校に移り、魯坊丸に頼まれて学校長に就任した。

魯坊丸の教えを学ばせるのが学校長の仕事だ。

その神学校の一室で海の方を眺めながら掃部助は思いふけっていた。


「学校長、どうかされましたか?」

「お前らは物覚えが早かった。同い年の武家よりすぐに賢くなったものだと思い出していたのだ」

「生きる術は他にございませんでしたから必死でございました」

「今は中小姓、黒鍬衆、職人衆、忍び衆に別れてしまったが、皆、無事かと思っていたのだ」

「魯坊丸様の教えを守り、無駄に命を削る者はおりません」

「そうだな。で、何の用か?」

「黒鍬衆予科生204人の準備ができました。いつでも出陣できます。今年選ばれた予科生と神学校生も参加したいと希望しましたが、学校を守るように言い付けました」

「うん、それで良い。足手纏いを連れて行っては邪魔になる」

「学校長も出陣されたいのではございませんか?」

「当然だ。だが、魯坊丸様から神学校を任された以上、魯坊丸様の為にこの学校を守らねばならん」


魯坊丸は下八事の神小屋をはじめに、熱田、那古野、末森の神社とお寺に小屋を建てさせた。


神小屋と寺小屋だ。


村人・町人は言うに及ばず、加世者、河原者、外れ者の子供まで昼食と勉学を無料で与え、教えた。

その中でも神童と呼ばれる子供が八事の神学校に集められていた。

13歳で卒業し、予科生になるか、元服して城に勤めるかと道が分かれてゆく。

予科生と言っても、黒鍬、中小姓、職人、学者、商人など今では色々と分かれているが、神学校に併設して予科生の住まいがあるので、小中高一貫学校から専門大学になるような感じだ。

周りには工房が沢山並び、工房都市、或いは、学園都市に育っている過程だった。

城に戻る者を除くと、まだ誰もほとんど生活の場を移動してない。

下級武士なら城に戻らず、予科に入った方が出世すると噂される。


あくまで噂だ!


何と言ってもまだ卒業したのが黒鍬衆の100人のみであり、城の手伝いをしている中小姓衆ですら中小姓予科生のままで派遣されていた。

そして、活躍している黒鍬衆らも日々更新される新しい技術を習得する為に交代で学校に戻って来ていた。

因みに、予科に年齢制限はない。

だから突然に引き抜かれて予科に入れられている者もいれば、研究・開発費を支給してくれる予科生のままでずっといる気の者まで出てきていた。

基準も曖昧であり、予科学校と名乗っているが学校の体を為していない。

訓練所、あるいは、研究所と言った方がいいかもしれない。

その中で出陣できるのは、教師役の初代黒鍬衆の10人と、予科生204人であった。


「学校長、井戸田の山崎砦の蔵人浄盤様から早馬が届きました」


急ぎ、手紙を渡された。

お市が入ったのは井戸田の岬なのだが、何故か、山崎砦と呼ばれている。

山崎砦の砦主は蔵人浄盤であり、東加藤家の順盛の家臣だ。

だが、入道全朔にゅうどう-ぜんさくは順盛の叔父なので大きな顔をしていた。

どちらが砦主か判らない。

関所は井戸田の管理なので、平時は蔵人浄盤に何の権限も持たされていない。

ここで全朔に大きな顔をされると立つ瀬のない蔵人浄盤であった。


「魯坊丸様の名代、千代女殿からのご命令だ。山崎砦に入ったお市様の護衛に付け」

「畏まりました」

「装備は〇特上だ」

「火薬玉ですか?」

「20個ある。すべて持って行くがよい」


急ぎ、予科生が倉庫の鍵を開けて持ち出すと山崎砦へと急いだ。


 ◇◇◇


井戸田の岬に戻る山口 教継やまぐち -のりつぐに家臣が囁いた。


「殿、ここで命を落とすのは余りにも惜しゅうございます」

「判っておる。死ぬ気はない」

「ここは恥を忍んで織田に降る手もございます」

「それはない」


織田に余裕があれば、井戸田の関所に入れてくれるだろう。

しかし、清洲に兵を送っている織田に余裕はない。

末森も岩崎丹羽勢と戦っている。

降伏しても中に入れて貰えるかどうか判らない。

少なくとも教継はそう考えた。


「ならば、鎧を捨てて海に入るのは拙いでしょうか?」

「丸裸になって海を泳いで逃げるのか?」


干潮になると岬と岬の間は渡河できるほど潮が引く。

だが、少し脇に逸れると水深が深くなる。

鎧を着たままでは身動きができない。

岬を避け渡るには舟を用意するか、丸裸になって泳ぐしかない。

舟は当然ない。

丸裸で上陸しても太刀打ちできると思えない。

ならば、民と家臣を捨てて逃げるのか?

あり得ない。

民や兵を見捨てて逃げ出して再起できる気がしなかった。


「見事にぶち当たり、織田を誘き出して生き残る。それしか道はない」

「承知しました。某も抜くつもりで当たります」

「それでよい」


海を渡り戻った鳴海・笠寺衆は中に戻った織田勢と戦わなければならない。


『すわ掛かれ!』


教継の声で雑兵と一緒に鳴海・笠寺衆が襲い掛かった。

先ほども必死に襲ってきたが、禄に弓を引けない兵だったので織田勢も余裕が生まれた。

しかし、今度は鳴海・笠寺衆の弓が援護を射る。

後方に控えていた破城槌はじょうついを持った兵が今度は先を走る。


「味方を盾で守れ」

「届かなくてもよい。矢を撃て」


雑兵の近くで鳴海・笠寺衆の武将とその家臣が連れ添って指示を出す。

そして、自らも弓を引いて矢を射って、織田の兵を狙い撃った。

中々に当たらない織田勢の矢と投石より、鳴海・笠寺衆の矢が被害を大きくする。


「殿、敵の左岸の壁がかなり手薄と思われます」

「梯子隊を出せ!」


鳴海・笠寺衆が援護に入ると織田勢の粗が浮き彫りになってきた。

ふふふ、教継がわずかに笑った。

教継の雑兵も戦力として乏しいが、織田勢も同じようだ。

長梯子が左岸に掛けられて兵が登ってゆく。

向こうも必死に抵抗するが、一梯子、二梯子と次々に掛かると対応が遅れてくる。

行けるのではないか?

そう思えるほどだった。


 ◇◇◇


魯坊丸が設計する城や砦、関所には1つの特徴があった。

最前線の場所から少し奥に物見台を設置することだ。

それなりの武将が指揮しやすいように物見台はかなり広く造られていた。

関所に入ったお市は全朔と一緒にそこに陣取った。

砦主の蔵人浄盤が慌ただしく指示を出している。


「敵は弱兵だ。慌てずに対応しろ」

「勢いが止まりません」

「敵の破城槌を近づけさせるな」


第二波は完全に押されている。

相手は戻って来ただけで相手が変わった訳ではない。

それなのに今度は攻守が逆になっている。

後ろで聞いていたお市が首を捻る。


「どうして、織田が不利になっておるのじゃ?」

「今度は敵の武将が前に出て来ている。指揮する者が変われば、弱兵も弱兵でなくなる」

「織田も同じであろう?」

「右翼の笠寺衆以外は戦をしたことがない者ばかりだ」


熱田に避難して来た笠寺衆は今回の出陣に呼ばれなかった。

多くの武将が教継の寝返りに抵抗して討死し、その遺児を家臣団が守っていた。

当主らは初陣が多かったが、老練な家臣団がそれを支えていた。


一方、熱田衆は上洛組と清州組に武将と家臣団を取られ、残った家臣は戦が苦手な者ばかりであった。

目の前の対応に手を取られ、あちらこちらで穴が生まれた。


「左翼の壁一部に上陸を許しました」

「何をやっておる」


蔵人浄盤はヒステリー気味で声が裏返っている。

仕方ない。

全朔が叫んだ。


「元隆、兵の一部を率いて押し返して来い」

「畏まりました」


長男で当主の資景は清州に出陣している。

代わりに連れてきた次男の元隆に命じた。

元隆は家臣の奥村家勝と共に兵を引き連れて左翼の壁内に向かう。

西加藤家が連れてきた兵も弱兵だが、所々に忍び衆を入れていった。

非番で手の空いている忍び衆を借りてきたのだ。

各所に指揮する者がいれば、弱兵が弱兵でなくなる。

これは織田も同じであった。


「ここまで脆いと今川の本隊が攻めてくるともたんのではないかや?」

「お市様、その心配はありません」

「何故じゃ?」

「こちらはまだ手札を切っておりません」


後ろで立っていた加藤がぼそりお市の耳元で囁いた。

沢山の矢が飛び出す仕掛け箱、敵の動きを封じる網討ち、水の上でも燃える神の水による火計など、今川の本隊が出てくるまで残していると言う。


「今、使わんでよいのか?」

「数に限りがございます」

「難しいものじゃな!」


加藤が頷いた。

そこでお市の目に大きな弓台が目に入った。


「そうじゃ! 『侍女のお遊び』を武器でできんのかや?」


あっ、加藤が今気づいたという感じで下忍を呼ぶと耳打ちする。

下忍は頷くとすぐに物見台を降りて走っていった。

入れ替わるように黒鍬衆予科が到着し、物見台に上がってきた。


「村上承膳様の命により、お市様の警護に入らせて頂きます」

「丁度よかった。いしゆみの準備をしろ、物見遊山で対岸にいる今川兵の度肝を抜いてやれ、お市様の命だ」

「畏まりました」


すぐに予科生が準備を始める。

被せてある布を取ると、巨大ないしゆみ (バリスタ)が現れる。

木と竹を組み合わせ、薄い鉄の板で挟んで弓部ボウを作っている。

中根南城の侍女が『飛び魚』と言う舟より速い乗り物に乗って海を駆けて遊んでいる。

それ以外、まったく役に立たない乗り物であり、途中で海に沈むので舟で迎えに行かねばならない。

中根南城の侍女が楽しむ乗り物であった。

それゆえに侍女の遊ぶ為に造られたおもちゃ、別名『侍女のお遊び』と呼ばれていた。


「わらわも早く遊びたいのじゃが、背が足りぬと乗せてくれんのじゃ」

「まだ、完成しておりませんのでお市様が乗れるのは先かと存じ上げます」

「わらわは今すぐに遊びたいのじゃ」

「無理でございます。魯坊丸様が許可を降ろしません」

「魯兄じゃは過保護過ぎるのじゃ」


そんなことを言っている間に左翼の敵を元隆と家勝が押し返して岬から排除した。

壁の中でかまけている間に関所の門まで敵の接近を許してしまった。

ドガン、関所の門が破城槌に当たる。


「慌てるな」


そう言うと全朔が立ち上がって手を振った。

ダダダン、鉄砲10丁が右翼側の壁から一斉に火を噴く。

慌てた敵が盾を右翼側に向けた。

その瞬間、反対側から黒鍬衆予科100人の投石が飛んできた。

100発100中とはいかないが、日々鍛錬をする彼らの命中精度は高い。

破城槌を持っていた兵が次々に倒されてゆく。

そうしている間に大弩の準備が整った。


『引け!』


綱引きのような大きな縄を20人の兵で引く。

カチャリと止め具に止まると、発射台杭を置いてその上に竹筒の束を載せた。


「お市様、指示を」


全朔から渡された指揮棒を持って、大きく振り上げてから降り降ろす。

すると、大きな木槌を持った男が止め金に掛かった台を叩くと、止め金が外れて大弩から竹筒が発射された天空で台杭と分かれて飛んでいった。

台杭は竹筒を押し出す板がある為にすぐに失速するのだ。

10本の竹筒が少しずつ散らばって対岸に突き刺さった。


「ははは、慌てておるわ」

「慌てておるのじゃ」


対岸からの攻撃に元信らが慌てた。

残念なのは、その慌てた顔がはっきりと見えないことだった。


「火薬筒が入っていない竹筒はただの嫌がらせにございます。被害もほとんどございません」

「そうか、どうして用意していないのだ?」

「今、取りに行かせております」

「加藤、それは何じゃ。火薬玉のようなものか?」

「その通りでございます。竹の筒の中に入れる専用の火薬玉です」

「だから、どうして用意していないのかと聞いている」

「ご隠居、お忘れですか? 信長様にも渡していない魯坊様の切り札を末森配下の東加藤家の家臣蔵人浄盤殿にお預けするのですか?」

「…………」


全朔は思い出した。

海上戦の切り札として火薬玉を預かっていたのでうっかりしていた。

熱田衆の切り札であって、那古野衆や末森衆の切り札ではなかった。


「むぅ、拙いか。これが終わった後で色々と言われそうだな?」

「ご安心下さい。すでに京で使いましたので今更でございます」

「使ったのか!?」

「大勝利でございました」

「ははは、それは見たかったぞ」

「後でゆっくりと話させて頂きます」

「凄かったのじゃ!」

「そうですか、ははは」


和やかに笑いが飛ぶ前で蔵人浄盤が忙しそうに指示を送っている。

怪我人を下げ、持ち場を少しずつ変えてゆく。

破られそうなな所に元隆と家勝が援軍に駆けつけ、黒鍬衆予科生が所々で援護に入るようになると織田勢が持ち直してきた。

時折、放たれる竹槍が気持ちよく大きな弧を描いて飛んでいった。

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