閑話.雪斎、成海神社(大和武尊)に感傷す。
鳴海浦に到着した雪斎和尚は『東宮大明神』と呼ばれている
逸る気持ちを落ち着かせ、急いて事を仕損じると何度も言い聞かせた。
眼下には松巨嶋が見えた。
大和武尊が『奈留美良乎 美也礼皮止保志 比多加知尓 己乃由不志保尓 和多良牟加毛 (鳴海浦を見やれば遠し火髙地に、この夕潮に渡らへむかも)』と詠んだ通り、辺りが一望できる壮大な眺めである。
今川義元は改築に当たり、成海神社の神域にかかってしまうので神社を乙子山に
この一年、ただヤラれていただけではない。
信長と争った戦は十数回に渡り、小さな小競り合いを入れると三十回に達する。
信長は好きなように田畑に油を撒くと火を放って荒らしまくった。
戦いはいつも引き分けであった。
だが、好きなように田畑を荒らされたので山口親子の負けであり、支配者としての地位を傷つけられた。
砦や関所を造ろうとすると邪魔をされる。
信長は良い忍びを持っており、罠を張るにも中々に引っ掛からない。
まるで山口親子や城代の
村人を買収されて、田畑を捨てて那古野に去る者も続出した。
窮した村人は女子供、老人を含めると4,000人余り、これが逃げ出せば民がいなくなってしまう。
苦渋の策であったが、年貢を納めさせることで信長の動きを封じた。
減った年貢の半分など大した量ではない。
民が逃げ出さぬように今川から兵糧を送らねばならぬという奇妙なことになった。
もちろん、米を恵んだ分は働いて貰う。
鳴海城の改築と笠寺の街道の整備に時間を掛けた。
砦や関所は邪魔をするのに、街道の整備は邪魔をしない。
信長とは奇妙な奴だ。
「あれほど栄えていた鳴海がこうも廃れてしまうとは」
雪斎和尚は独り言のように呟いた。
3年前、鎌倉街道に隣接する町や村が非常に栄えていた。
しかし、織田と今川が争うようになると旅人や行商人も減った。
信長があちらこちらで火付けをしたのも原因である。
放棄された田畑も多く、そこに雑草が生えている。
鳴海・笠寺の民は痩せ細っている。
一方、海を隔てた熱田側は青々とした田畑の緑が広がっているのが見えた。
まるで地獄と天国だ。
そう言えば、須弥山の手前に大きな三途の川があり、天国と地獄を分けていると言う。
今の熱田と鳴海がそんな感じに思えたのだ。
信長に侵入させる鳴海であったが、鳴海城の改築を完了させた。
何度か邪魔をされたが、決戦をするつもりがないらしい。
町や村、田畑に火を放つ度に流民が生まれる。
飢えた民が鳴海城に集まった。
おかしなもので今川は米を配ることで鳴海の雑兵2,000人を手に入れた。
この一年の恩を返して貰う日が来た。
今川の米を食ったのだ。
逃げようとする者は殺す。
作業に出ない者も殺す。
この戦に出陣を拒む者も殺す。
女と年端もいかぬ子供と老人が多いが気にしない。
戦力としては数えていない。
雪斎和尚は腹を括った。
この雑兵2,000人をどう使って織田を誘き出すか?
雪斎和尚の目が怪しく光っていた。
◇◇◇
雪斎和尚が鳴海を訪ねたのは3年前であり、織田の取次役であった
繁栄する熱田も教継の案内で見せて貰った。
その熱田を見て、元那古野城の城主であった
(山口)教継は織田に置いておくには惜しい武将であり、雪斎和尚が口説いて調略した。
那古野を取り戻す算段が立ったと一年前は思ったものだ。
所詮、熱田は商人の町であり、防御も知れていた。
5,000兵もあれば、制圧できると雪斎和尚は思っていたのだ。
鳴海を手に入れると、鳴海城代として
元信は織田との戦いでも何度も活躍した武将であり、器量者である教継の足りない武を補ってくれると思ったからだ。
雪斎和尚は鳴海城の北東にある
「元信、あの中根南城の石垣の報告を聞いた覚えがないぞ!」
「あの程度の高さ、大したことでござらん」
「教継も同じか?」
「あの曲輪の中で田畑を耕していると聞いております。林まで曲輪に入れて何を考えているのか、まったく判りません」
「そなたら、揃いも揃って阿呆か!」
雪斎和尚は怒鳴り付けた。
眺める景色は雪斎和尚の度肝を抜いた。
何重に広がる曲輪は難攻不落な巨大な城に見えた。
その曲輪は海岸まで広がっている。
海岸ならどこでも渡河できたハズが、この長壁の為に渡河できる場所が限定されてしまう。
これでは大軍が一斉に夜寒の海岸から上がって中根南城を取り囲むのは無理である。
否、海側は必ず潮が満ちてくるので陣を配置できない。
さらに雪斎和尚が目眩を感じたのが天白川であった。
入江のように広がった天白川に平行して水路が走っていた。
その水路の内側に壁がある。
「あの外堀も聞いておらんぞ!」
「あれは水車用水と言って、上の道の名物になっております」
「水車? それは報告は上がっておったな!」
川の上流にある20余りの黒い建物がすべて水車と言う。
上の道からも見えるらしい。
麦などを水の力で
考えた者は恐ろしいほどの知恵者だ。
「用水か、何か知らんが、あれはもう外掘だ! 天白川から攻めるのを防いでおる」
「東はそうかもしれませんが、西は何もありません」
確かに何もない。
西と南は海が広がっている。
干潮では渡ることができる浅瀬になるが、満潮の時に合わせて高波に備えた防波堤と呼ばれる壁がその上に立っている。
潮の高さは一間 (1.8m)以上も上下し、そこからさらに一間 (1.8m)の石垣壁が立っている。
二間 (3.6m)の壁は厄介なことこの上ない。
「それにあの大門の報告も聞いておらんぞ!」
「中根大門でございますな! 扉の付いておらん門を作って、中根の城主は何がやりたいのですかな?」
「いや、いや、中々のモノでございます。柱に立つ仁王像は見事なものらしく、大和(奈良)は
元信は門のない大門も馬鹿にし、教継は建物の立派さを褒め称えている。
昨日(16日)、雪斎和尚は寺部城まで近づいて確認した。
大門より、そこから延びている
渡し場所からしばらく長い回廊のような通路があり、中根大門に達する。
その形はコの字のようで両側に白壁が広がり、大門まで何層から分けた段になっていた。
段の所には階段があり、階段の脇に休憩用の茶屋などが店を開いていた。
客もほとんどいないのに店を開けて、何の意味があるのか?
段には客が落ちないように腰より少し高い壁があった。
なるほど、階段に木盾を立てると何重の壁になる。
腰より高い壁は弓兵が撃つのに丁度よい。
さらに両側の壁から矢の雨を降らすことができる。
大門に扉が付いていないことを笑うよりも、大門に達するまでにどれだけの兵を失うか?
想像するだけで寒気がする。
総石垣造りの城など聞いたこともない。
加えて上の道の左右に立っている中根北城と中根中城も総石垣造りの城だそうだ。
雪斎和尚はこめかみを押さえた。
そういう重要なことは前持って報告してくれ!
そう思わずにいられない。
そこに至るまでの常滑街道は名の通り土が滑るので兵を横に広げられない。
少数で大軍を受け止めるのに最適な場所であった。
舟を用意して裏手から攻めるしかないが、この滑る土の為に船着き場でないと舟から上がることもできない。
厄介な街道であった。
確実に上の道から熱田を目指すと、二万の大軍でも足りないと雪斎和尚は算出した。
つまり、熱田への道は井戸田の渡し場しか残っていないのだ。
わずか三年でこれほど変わるとは思いもしなかった。
眼下に見える松巨嶋を見て溜息を付いた。
大和武尊は宮酢媛(宮簀媛)を尋ね、
草薙剣を持っていれば、討たれることもなかったであろう。
雪斎和尚は草薙剣を持たない大和武尊のように黄泉への道を歩いているような気分になっていた。
「雪斎様、何を気弱なことを言っておられるのですか?」
「井戸田の渡し場は粗末な関所があるだけです」
そこを渡ろうとして、何度も撃退された元信と教継の言葉は非常に信用ならない。
だが、ジタバタしてもしかたない。
義元が襲われたと虚偽の噂ですべての道を閉ざし、尾張を油断させる。
この策は一度しか使えぬ大博打だ!
この現状を知っていれば、今川から大量の舟を造らせて二万の大軍で直接に熱田の湊を襲った方が楽そうであった。
「敵の守備兵を減らし、それを井戸田、夜寒、島田の三方から挟撃する作戦は中止だ!」
「では、どうされますか?」
「すべて戦力を井戸田に集中する。他は陽動で兵を動かす。さらに、井戸田で一度負けて、撤退し、そこを挟撃して敵を逃がす」
「ワザと逃がすのですか?」
「そうだ、逃げる敵を追って井戸田を渡河する。時間との勝負になるぞ!」
まず、織田に気付かれずに今川の本隊を
熱田の兵は京への上洛と清州攻めの陽動で減っている。
熱田に二万の大軍を受け止めるだけの兵はいない。
何とか、作戦を修正して算段を付けた。
「織田は手強いのぉ」
「そうでございますか? 大軍で押し寄せれば、一溜りもありませんぞ」
「その通りでございます。所詮は海の満ち引きを使った防衛でございます。抜ければ、問題なく熱田は取れます」
「馬鹿者が!」
元信は思っていた以上に戦馬鹿であり、教継は交渉や領地経営のできる器量者であるが、戦下手であり、この二人に報告を任せた雪斎和尚の大失態であった。
鳴海を躍起になって取り戻そうとしない訳だ。
それ所か、鳴海と大高というお荷物を今川に背負わせるつもりだったのか!
やっと敵の真意を知った。
心の臓に刀が掛かるほど近くに敵を呼び込む?
よもやと思っていたが、これほどの軍師が敵に育っていたとは信じ難かった。
「認めねばなるまい」
「何がですか?」
「聞くな!」
「雪斎様がいらっしゃったのです。今川の勝利は間違いありません」
「教継、お主は井戸田で巧く負けてくればよい」
おそらく、教継は偽装をするまでもなく、負けて帰ってくる。
雪斎和尚は考えている。
本気で逃げる今川の失態ぶりに魅せられて、織田も出てくるのを祈るしかない。
もし、織田に知恵者が残っているならば出て来ない。
それで今川の負けが決まる。
雪斎和尚は自分の失態を認め、織田が出て来ないならば、しばらく対峙して撤退すると決めた。
しかし、仮に織田が誘い出されても、色々と問題が山詰みであった。
遅すぎれば、本隊が渡河する時間がない。
早すぎれば、敵も用心して追い駆けて来ない。
誘い出された敵をどう巧く追い返さなければならない。
それも渡河できる時間はわずか二刻 (4時間)のみの間でだ。
渡河できなければ失敗だろう。
信長が討たれ、信勝が負ける。
そんな都合のいい事態でもならなければ、今川の負けだ。
中々にどうして、骨の折れる仕事だ!
◇◇◇
4月17日深夜、雪斎は雑兵2,000人を鳴海城から笠寺に移動させた。
用意させた鎧と槍を持たせれば、兵に見える。
18日正午から井戸田を渡河させる。
嫌がるならば、後から
死んで貰わねば困るのだ!
(山口)教継らも嫌がれば、(岡部)元信の先発本隊が教継らを処分することになる。
笠寺には(岡部)元信をはじめ、
雑兵のお目付け役であり、引き付けた敵に横槍を入れる重要な役割を持つ。
雑兵らと一緒に死ぬかもしれないのが、味方衆に戸部城の
那古野の信長を警戒させない為に進軍はぎりぎりまで隠す。
竈の火を炊くことさえ禁止する。
18日の朝になると三河が騒がしくなった。
これを半分に割って、笠寺への後詰と中根を襲う遊軍に分ける。
こちらは派手に旗を上げて貰う。
教継の子、
どれほどの備えがあるか見せて貰おう。
雪斎和尚はそう考えた。
此度は負けるかもしれない。
だが、織田の力を計ることで、次の策に繋がる。
義元公の為に死力を尽くす。
雪斎和尚は朝に鳴海城を出て舟で松巨嶋に渡り、笠寺を経由して白毫寺の本陣に入った。
日が上がった。
もう遠慮はいらない。
舟を使って可能な限り渡河を進める。
三河から次々と鳴海城へ味方が到着する。
干潮になると同時に一斉に渡河させて、井戸田を目指さす。
雑兵の配置が終わった。
正午、渡河できる時間が迫ってきた。
【熱田強襲隊】
・笠寺先鋒:620人
雑兵兵:2,000人(兵の数に入れていない)
山口教継の鳴海衆:500人
戸部政直の笠寺衆:50人
山口盛重の笠寺衆:50人
成田弥六・助四郎の手勢20人
・今川(笠寺)の先陣:3,000人
岡部元信の駿河先方衆1,000人
葛山長嘉、三浦義就、飯尾乗連、浅井政敏
遠江・三河衆(荷入れに見せた隊)2,000人
・鳴海城より雪斎の本隊:2,000人
孕石元泰の駿河先方衆1,000人
山口教吉の鳴海衆900人(100人は城に残留)
大高の大高衆300人
【今川本隊】
鳴海城に集結する今川の本隊:10,400人
朝比奈信置の今川本隊4,000人(池鯉鮒から鳴海へ)
近藤景春の沓掛衆400人(100人は城に残留)
沓掛に荷入れ隊(遠江衆、東三河衆)2,000人
(鵜殿長照など)
村木に守備隊(遠江衆、東三河衆)2,000人(三河らから砦建造に集められた村人ら)
刈谷城の葛山氏元の駐留兵(駿河衆)1,000人
水野信元の水野衆1,000人
延べ、16,020人(雑兵を含むと、18,020人)
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