閑話. 帰蝶様、命。

稲生の繋ぎ橋。

今度、信長と一緒に見ようと約束していた筏を繋いだ川橋を見ながら帰蝶は凄く苦しそうな溜息を吐いた。

信長との約束をこんな形で破ることになるとは思ってもいなかった。

船着き場の守備兵は少ない。

しかし、敵が攻めてくれば、鎖を外して逃げればよい。

筏は勝手に川に流されて海まで流れ着くだろう。

今朝、信長が渡った繋ぎ橋を帰蝶はわずかな兵で渡り、後から続く民を見て暗い気持ちになっていた。


やってしまった。


那古野城の守備を文官に任せ、その他の城から兵をかき集め、土方の中から予備兵を集めた。

それで1,000人くらいにはなる。

熱田の方にも今川が攻めてくると警戒するように各城に使者を出しておいた。

そこまでは良い。

土方の方々から希望して一緒に戦ってくれるというありがたい申し出を受け、村々から志願兵が次々と集まって来て、那古野の町衆も参戦してくれると言う。


『殿が危ないのぉ、助けて下さい』


帰蝶の祈りは那古野の民を動かした。

その嬉しさから頬に涙が走った。

さらに朗報が届く。

末森から勝利の報告が上がった。

胸のつかえが半分になった。


熱田は何と言っても魯坊丸の拠点である。

責任を持つので好きに対応するように熱田神社に使者を送った。

問題はあと1つだ!


守山を経由して清洲に移動する丹羽勢の動きだ。


「土岐川 (庄内川)の渡り舟をこちら側に移動しておきなさい」


守山城から続く渡し舟の守山口、木曽街道へ続く清水口を完全に閉鎖する指示を出す。

帰蝶は美しい鎧を纏って、那古野城を出ると稲生の船着き場へ向かった。

追い駆けてくるように兵が続いてくる。

繋ぎ橋を渡って、向こう岸で皆が到着するのを待った。

兵が集まってくることで最初は心強く思った。

しかし、村人が集まってくると、心が少し苦しくなった。

そして、向こう岸に数え切れないほどの人が集まって来ていた。

胸が熱くなり、そして、その数の多さに冷や汗が出てきた。


那古野をほとんど空にして大丈夫か?

そう疑問に思うかも知れない。

だが、その心配は少ない。

土岐川と矢田川の水深は深い。

冬、水位が下がる頃に川底を毎年のように掘っているからだ。

渡し船を集めないと簡単に渡河できない。

川底を掘るのがこんなに心強いことになると思わなかった。

帰蝶はにんまりする。


さて、朝に清洲の又代である坂井 大膳さかい-だいぜんの添え状を持って、岩崎城の丹羽氏勝から守山城の織田信光の元に清洲援軍に申し出があった。

清洲が援軍を求めて丹羽が応じた体裁を取っていた。

そして、信光の支配地を通過する許可を求めてきた。


拒否すれば、信光が清州方でないのではと疑われる。

しかも戦いになれば、守山城の東にある小幡城が戦場になり、信光は援軍に向わねばならなくなる。

それでは信長の策が瓦解する。

保険の那古野氏の裏切りで清洲を取れるかは微妙だ。

信光からの問いに信長は通過を許可した。


「殿が清洲を制するまで、敵の足止めをします」


帰蝶はそう言って、蛇池じゃいけ付近で迎え討つことを決めた。

この池には大蛇が棲んでいると噂さえ、信長が池の水を村人に手伝って貰って、すべて抜いたことがある。

結局、池の水を抜いても大蛇は出て来なかった。

何でも自分で確かめないと気が済まない信長らしいと帰蝶は笑ったことを思い出した。


「殿はあの頃から変わっておりませんね」

「そうなのですか?」

「ええ、そうよ」


丹羽勢は長久手を回って矢田川を渡河し、小幡城の手前を通っている。

小幡城の辺りは森と湿地帯が複合する未開拓な土地が多い。

土岐川が度々に氾濫して毎年のように川の道が変わる場所であり、広い土地が村人は少ない。

川が入り組んで道を探すのも一苦労なのだが、道をすぐに整備する織田の勤勉さが仇となった。

守山城を出発した信光を追うように丹羽勢が後ろから迫ってくる。


後ろから次々と繋ぎ橋を渡ってくる民を見て、帰蝶はもう一度溜息を吐いた。

足軽の鎧を身に付け、女・子供・老人まで混ざっている。

信長を慕って集まってくれたのは嬉しいが、本当に戦えるのか疑問に思えてきた。

かと言って退くこともできない。


「殿に叱られそうだわ」

「奥方、今更にそれを言われやがりますか?」


これぇ、千早の目付の佐吉丸さきちまるが拳骨を飛ばす。

小さな声で『やがります』とはなんじゃ!

言われますか、おっしゃりますかだと修正を入れる。


「おっしゃりますか?」

「何を?

「勝てるかどうかです?」

「勝ちたいわ」

「きっとですますが勝てる……が微妙でやがります?」


自分で何が言いたいが判らなくなったようだ。

「普通に話なさい。聞いていて疲れます」

「ありがとうや、です」

「申し訳ありません。後にちゃんと躾けておきます」


頭を下げらされる千早を見て、ふふふと帰蝶が笑った。

千早が言いたいのは林家とその与力が勝てるとは言ってくれたことだろう。

自らの城の守備を任されていた武将らが集まって来てくれた。

彼らが言うには蛇池付近は土岐川がせり出しており、道が狭くなっている。

そこを抜けてきた敵を三方から押し込むように攻め立てる。

これで勝てるらしい。


但し、犠牲もかなり出る。

訓練もしていない兵なので守勢に入れば敗北するので、とにかく果敢に攻めて、攻めて、攻めて、数の力で押し込むしかない。

その蛇池付近の出口の正面に異様な集団がいた。

帰蝶を慕って出陣してくれた土方衆である。


ほぉ、ほぉ、ほぉ、土方の作業員らが互いに筋肉を見せ合っていた。

(ポージングです)

肉や魚を食べるようになって、盛り上がるような筋肉が付く者が増えてきた。

筋肉は強さの象徴だ。

誰が一番強いのかを互いに比べあっていた。

彼らの持つ武器は熱田鍬 (スコップ)だ。

突けば、槍。

振れば、刀。

払えば、棒。

受ければ、盾になる不思議な万能武器の熱田鍬 (スコップ)と言われている。

熱田鍬 (スコップ)1つで最強の兵になる。

魯坊丸が名付けた須小ッ賦万スコップマンと言う武芸を持つ集団だ。

(魯坊丸は名付けていません)


「本当に大丈夫なのでしょうか?」

「さぁ、私は見たこと判りやがりません」

「魯坊丸が言ったそうなのよ」

「そうなのですか?」

(言っておりません。デマです)


下女の千早ちはやは余り関心を持ってなかった。

熱田鍬 (スコップ)が最強の武器になると教えているのは黒鍬衆である。

最強の武器とは誰も言わない。

魯坊丸も言わない。

罠を仕掛ける為に欠かせないのが黒鍬衆であり、魯坊丸にとって手足であり、「(俺にとって)最強の兵だ!」と言ったことはあったかもしれない。


『俺たちゃ須小ッ賦万スコップマン、さい・きょう・だ!』


変な歌を唄いながら柔軟体操を踊る。

土方衆は奇妙な集団だ。

皆、『帰蝶様、命』のハチマキを締めている。


帰蝶も背筋がざわざわっと寒くなる。

これから現場に愛嬌をふりまいて差し入れを持って行くのが怖い。

援軍に駆けつけてくれた方だ。

行きたくないと言う訳にいかない…………。


「大丈夫ですか? あの方達は変ですよ」

「今は頼るしかありません」

「奥方、本気で言っているのですか? 裸になって変な格好をしている奴でやがりますよ」

(ポージングです。裸なのは上半身のみです)

「お嬢様、硬化術かもしれません」

「爺、硬化術とはなんだ?」

「唐の国から伝わった。槍も通さぬ体になる秘術でございます」

(ただのポージングです)


千早のお目付け役の佐吉丸さすけまるが力説する。

知識が豊富な忍びの術を極めた老人である。

帰蝶と千早が「へぇ」と声を上げた。


「魯坊丸は唐の秘術も知っているのね」

「あの小僧は凄いでやがりますな」

「某も聞いたことがあるだけの秘術でございます」

(諄いようですが、健康体操と一緒に教えた。ただのポージングです)

「小僧とはなんだ。 奥方が良いと言われたがこれ以上、言葉を乱すと罰するぞ」

「判ったです」


互いに筋肉を見せ合って、どちらが活躍できるかを話しているだけでした。

帰蝶様の為に働けることを喜びあっている所でした。


「鉄のような筋肉ですか? 鎧も付けていないので心配しておりました」

「奥方の心配が減って、良かったです」

(筋肉は鎧の代わりになりません。ただのポージングです)


帰蝶の視線に気付いた彼らが一斉に帰蝶の方に向いて筋肉の姿勢を取った。


「筋肉が付いた方の方が、女人が慕われるのです」


魯坊丸が流した噂を彼らは信じていた。

彼らを指導するのは、魯坊丸に鍛えられた黒鍬衆の方々だ。

黒鍬衆の中で魯坊丸は『神』だ。

彼らは神の教えを伝える信徒であった。

帰蝶様が命の土方衆は筋肉で愛を伝えた。


「あれは何でしょうか?」

「意味不明です」

「あれは気功術に違いありません。互いの気を高め、戦闘力を上げているのです」

(ただのポージングです)

「必ず勝つのでお任せ下さいと言う意味かしら?」

「それに違いありません」


帰蝶はにっこりと微笑むと、深々とおじきをして礼を尽くした。


おぉぉぉぉぉ、愛が伝わった。

土方衆が雄叫びを上げて、歓喜の声を上げた。

彼らはこの後、大変勇敢に戦った。


その手柄を信長が褒め讃え、『黒鍬衆』を名乗ることを許す。

こうして、尾張には『魯坊丸の黒鍬衆』と『帰蝶の黒鍬衆』が生まれる。

魯坊丸の黒鍬衆が技能を持つ武力集団であるが、帰蝶の黒鍬衆は須小ッ賦万健康体操術を継承する土木作業員だ。

清洲開拓期に大いに力を発揮して、後に本願寺もびっくりの10万人を越える集団に育ってゆく。

個人で持つ家臣としては最大数かもしれない。


だが、それを危険視する者は誰もいない。

どこまで行っても彼らはおかしな踊りを伝える土木作業員だ。

彼らは全国に分散し、農地改革に力を発揮するなど誰もまだ考えていない。

神として帰蝶が後世に名を残すかは今の所判らない。

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