閑話.信勝ちゃんの初陣(1)

末森の月中 (15日)の評定は好戦的な若侍らと慎重な家老衆で大きな隔たりがあった。

赤池城の丹羽十郎右衛門と浅田城の丹羽伝左衛門が寝返った。

13日に浅田城の丹羽伝左衛門と本郷城の丹羽 左馬允にわさまのすけとで小競り合いが起こり、二城の決別が決定的になったのだ!

この好機を逃す手はない。

信勝を支持する若侍らは積極的に攻めることを主張し、家老の加藤 順盛かとう よりもりは慎重論に徹した。


「我らに降って来た者を見捨てると申されるのですか?」

「見捨てるなどと言っておらん。こちらから動かんと言っているだけだ!」

「武名を馳せた図書助様のお言葉とも思えません。年を取られて臆されましたか?」

「黙れ!中士風情に誰が発言を許した」


評定は重役である家老と軍務を取り締まる番方で話し合われる。

政務の役方、奥の奥方は家老の後ろに横に並ぶ。

家老らは報告を聞き、様々な事を議論し、決定して行く場である。

番方は番頭、徒頭、物頭の順に並び、家老の評定の行方を見守るものだ。

番頭の多くは城主でもあり、領地を持っている。

番頭の下、徒頭、物頭 (足軽大将)は家禄 (銭)を貰っている家臣だ。


番頭を細かく見ると、組頭と呼ばれる侍大将がおり、中士、平士と続く。

この中士の中に信勝直轄の馬廻衆が含まれる。

中士、平士の中には○○領に100石とか、50石と言う領地持ちもいる。

村1つも支配していない末森城下に住んでいる小領主の家臣だ!


だが、評定で発言が許されるのは番頭以上であり、信勝のご寵愛を受けているからと言って、勝手に発言が許される訳ではない。

信長のように厳格を重んじることなく、信勝はこの決め事に対して緩かった。


那古野の評定の名物になっている『魯坊丸の毒舌』も評定後であり、評定では問われぬ限り、一切の発言を禁じられていた。


信長はそういった事に厳しいのだ!


さて、もう少し詳しく順位を並べるとこうなる。


家老:評定衆

番方 〔軍務〕

番頭:組頭、侍大将、城主。(評定衆)

(那古野では、この間に軍奉行が入る)

中士:馬廻衆を含む。

平士:士分の者

ここまでは領主を含む家臣であり、ここから下は領地を与えていない。


徒頭:徒党の頭(特に領地を持たない集団、川衆、山衆、町衆など)

徒士:徒党に所属する士分の者扱い。

物頭:足軽大将(兵卒を指揮する者)

ここまでが士分であり、この下が兵卒になる。


若党:城の直轄兵

足軽:兵士

(無頼漢:徒党の兵、傭兵や加世者の一時的な兵、通常は兵士の数に数えない)

ここまでが平士になり、以下、仕える者になる。


中間:武家の奉公人

小者:下働きの家臣


こんな感じだ。


馬廻衆の中士や平士が声を上げるのは礼儀を欠いていた。

だが、彼の後ろには信勝を支持する若党の者が控えており、信勝も若い者の意見を聞きたいと申して発言を許していた。


若侍衆の意見はこうだ!

信長は去年、赤塚の戦いでの敗戦を最後に、萱津の戦いなど連戦連勝を続けている。

然るに、信勝はまだ初陣を果たしていない。

武名で信長に差を付けられてゆくのが許せない。


末森の方針は信光の帰順、丹羽の臣従、山口の調略であった。


信光は弾正忠家の家督を自分に寄越せと言っているだけであり、末森に例年通りの税を納めており、敵対している訳ではない。

下手に兵を送り刺激するのは下策であった。

春日井郡かすがいぐんで起こる問題はすべて信光が積極的に動いて、信勝が兵を起こす隙を与えてくれない。

当然だ!

故信秀も才は自分より上だと認めていた信光だ。

しかも円熟している。

未熟な信勝が勝てる訳もない。


武勇の家柄で家臣から圧倒的な信頼を得ているのが林 秀貞はやし-ひでさだとするならば、織田一門衆の長は信光なのだ。


「当主と言うならば、当主として相応しい振る舞いを行え! それまで認めん」


信光から与えられた宿題と末森の家老らは考えている。


北の春日井郡に討って出ることができず、東の丹羽氏と南の山口氏とは交渉中だったので、信勝は戦う場所を失ったままだった。

初陣がお預けだ!


ここで丹羽氏との交渉が決裂し、丹羽氏勝と戦える状況になった。

信勝を支持する若党の侍らは、「何としても信勝様に初陣の勝利を齎す!」と意気込んでいた。

若党に支えられた馬廻衆らが弱腰の家老衆を罵っていたのだ。


「それほど言うならば、お主らだけで攻めて行けば良いであろう」

「無茶なことを申すな!」

「黙れ小僧! 無理を言っているのはお主らだ。気合で戦が勝てるものではない」

「むむむ、信勝様をお助けする気がないのか! 何の為の家老か、信勝様をお助けする為でないのか? 」


馬廻衆と若党を含めても100人もいない。

たったそれだけで攻めて行けと言うのは無茶であった。

だが、城主達は領地の整備に熱田衆から多額の銭を借りていた。

ゆえに銭の掛かる戦は避けたかった。

せめて今年の秋まで、できるなら来年の秋まで待ってくれれば、予算が生まれる。

それらの事情も考えずに、ただ喚くだけの者と議論する気にならない。


信勝の味方である佐久間 盛重さくま-もりしげも京に兵を送った直後であり、三好との同盟を結んだ後に信長から兵を出させて攻めることを主張した。


「萱津の戦いでの貸しもあります。信長殿も嫌とは申さないでしょう」

「あい判った。大学允に任せる。使節が京より戻ってから準備を致せ、だが、秋まで待たんぞ」

「御意」


何、勝手に仕切ってやがる。

第2席の (加藤)順盛が第3席の (佐久間)盛重を睨み付けた。

だが、盛重は涼しい顔で応える。

どうやら信勝の信頼を奪われたようだ。


こうして、夏まで戦は延期されたのだが事情はすぐに変わった。


 ◇◇◇


丹羽氏勝の居城である岩崎城でも評定が行われていた。

沓掛城より東に行くことを絶対に許さない今川であったが、何故か東尾張の丹羽領内は入れたのだ。

岩崎城の天井裏に加藤のネズミ一匹が徘徊していた。


「どういうことで御座る」

「それでは今川に臣従した意味がないではないか?」

「何故、援軍を出さんのだ!」


岩崎の諸将が城代に入った今川家臣の松井 宗信まつい-むねのぶに罵倒を投げ掛ける。

援軍を出す条件で臣従し、今川の駐留兵1,000人を岩崎城に入れた。

我が物顔で岩崎城を占領している。

そして、評定でも上座に座っているのは義元公の名代である宗信である。


「我が兵はこの岩崎城を守る為に入ったのであって、織田と戦う為に入ったのではない」

「援軍を出す条件であったであろう」

「援軍は出す。織田が攻めて来たならば、援軍は出す。しかし、赤池城と浅田城は丹羽の不手際であろう。さっさと取り戻して来い。我々は尻拭いをする為に来たのではない」

「言わせておけば!」


丹羽の武将が立ち上がろうとすると、周りに配置された武将が一斉に刀に手を掛けた。

上げた拳をその場で降ろし、不貞腐れ顔で座り直した。


「それでよい」


武将はぐぐぐっと歯を食いしばって耐える。


宗信が氏勝に向かって言った。


「よいか、そなたらは臣従したのだ。同盟ではない。織田を攻めるのは義元公がお決めになられる。それまでに不手際を解消しておけ!」

「しかし、我らが立てば、織田も出てきます」

「そうだな! よい話をしてやろう。18日に清洲勢が動く。信長はそれに兵を出さねばならず、援軍を送ることができない。しかも末森は京に兵を送っている。取り戻す好機だと思わんか?」

「では、松井様も?」

「何故、儂が動かねばならん。お主らの問題であろう。さっさと片付けて来い! これ以上、義元公の手を煩わすのではない」

「ですが?」

「儂は命じたのであって頼んだのではない。どうする?」


宗信が高圧的に氏勝に迫った。


「赤池城と浅田城の二城を取り戻して参ります」

「それでよい」


岩崎丹羽の出陣が決まった。

まさか、これほど高圧的な態度に出るなどと思ってもいなかった。

士気は最悪だが、今更、今川に逆らう訳にいかない。


その知らせは、(加藤)順盛を通じて信勝に知らされた。


 ◇◇◇


18日早朝、岩崎勢3,000人に対して、信勝の援軍2,000人が出陣する。

信勝は非常に不満であった。

小領主に過ぎない岩崎丹羽氏が3,000人の兵を集められるのに、弾正忠家当主である信勝が2,000人しか集められないのか?


守りをほとんど置かないのならば、5,000人を軽く集めることができる。

だが、城や村の守りを置かないのはあり得ない。

当然、半分に減ってしまう。

しかも、京に兵を送っているので2,000人は妥当な数字だ!


「信勝様、諦めて下さい」

「何故、大学允は付いて来ない」

「あやつはそんな奴です」


(佐久間)盛重は最強の強者を京に送ったので末森城の後詰めを願い出た。

末森の兵が出陣した後、佐久間の兵で末森城を守ると言うのだ!

盛重は勘が鋭く、今回の出陣に何か違和感を覚えていた。

まるで操られているような感じだ。

だが、根拠はない。

もちろん、京に送った兵は枝葉の兵であり、佐久間家の屈強の精鋭ではない。

とにかく、兵を温存することにした。


一方、末森から岩崎に続く高針街道を手薄にできないが、それでも高針城の (加藤)順盛らが一番多くの兵を出していた。

高針街道の南にある街道だ。

その平針街道に沿って赤池城と浅田城の二城が立っている。

今川が平針を織田から奪い取れば、天白川の南側がすべて今川方になる。

攻める今川にとって赤池城と浅田城は意味がある。

だが、万里の長城のような長い壁が作られ、関所が出来た今となっては破られる気はしなかった。

無理をして、赤池城と浅田城を救うのは気が進まないのだ。


一方、岩崎丹羽氏も今川の援軍を期待していた。

丹羽勢単独で当たりたくない。

双方が戦を望まないのに戦になっている。

これが (加藤)順盛の違和感となり、(佐久間)盛重と同じく、戦いをやりたくない理由だった。

だが、国境に接する東加藤家としては嫌だからと言って兵を出さない訳には行かない。


敵が飯田街道を上らず、意表をついて高針街道に進路を変えないと言う保障はなく、その時になって援軍を誰も出さないと言われる訳にいかない。

国境に接していない内藤家のように好き放題が言えないのだ。


そこで順盛は援軍の条件に慈眼寺に城内の妻や子、村人を避難させることを入れた。

最悪の場合、赤池城と浅田城を捨てて関所まで引く。

天白の慈眼寺は織田方の平針城と赤池城の中間であり、長壁の内側になる。

(天白川を越えるので織田寄り)

順盛の妥協点はここしかない。


「信勝様、今の末森には守山の信光様の3,000人、知多の山口殿の1,500人はやって来ません。2,000人が集まっただけで良しとして下さい」

「納得いくか! 俺は織田弾正忠家の当主だぞ!」

「当主ならば、当主らしくして下さい。然すれば、皆も集まって参ります」


岩崎勢は折戸城周辺で集結している。

信勝の末森勢は浅田城と折戸城の中間まで兵を進め、赤池城と浅田城の600人と合流して丹羽氏勝の丹羽勢を待った。

しかし、日が昇っても折戸城の丹羽勢は動こうとしない。


「どういうことだ?」


信勝は巌流島で待ちぼうけを食らった佐々木小次郎のように苛立っていた。

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