第94話 清洲騒動(5) 帰蝶のご乱行。

佐屋の湊に次々と舟が到着し、人や馬が降ろされてゆく。

少し眠っていたのか、気が付くと日差しが雲の合間から差していた。

もう少しだけ早く天候が回復してくれればよかったのに!

静かだと思ったら、すやすやと俺が眠っているのを見て、お市も釣られたのか牡丹をベッドに気持ちよく寝ている。

下女の千雨ちさめが唇の前に指を立てて囁いた。


「寝かせてあげて下さい。昨日から興奮し過ぎて余りお眠りになっておりません」

「判った」


俺はお市をそっとしておく。


「ここからはお前が背負え!」

「私が背負うのですか?」

「お市様もそれが一番安心する」

「判りました」


千雨の部下と名乗っているあんずが命令する。

杏は千雨の部下であるが中忍なので格が1つ上だ。

戦闘指揮は杏が取る。

というか、千雨に護衛は任せられない。

あいつはお市のお気に入りだが色々と駄目だ!

ここからお市を背負って牡丹に乗るようだ!


魯坊丸ろぼうまる様、お待たせ致しました」

「気にするな! こちらも寝込んでおった。よい休憩になった」

「まだ、御顔の色も悪く、やはり御加減が?」

「終わってから休む!」


林 通忠はやし-みちだた柴田 勝家しばた-かついえが出発の準備が整ったと伝えてくれた。

尾張衆250人 (内、馬50頭、猪1頭)、末森衆130人 (内、馬110頭)と馬が多い。

(船頭や漕ぎ手、相乗り者に化けて、熱田忍び衆50人も同乗した)

一隻が沈み、二隻が流された。

大丈夫と言ってくれただけあって被害は小さい。

こんなことになるならば、馬を諦めて人だけ乗せて漕ぎ手を増やした方がよかった。

後悔と言うのは、いつも後から付いてくる。


「出発!」


通忠を先頭に進み出した。

佐屋街道は佐屋から熱田まで6里 (24km)の行程だ。

しばらく行くと、勝幡織田の旗を上げた大軍が見えた。

その先頭で馬に乗っているのが、勝幡城主の織田 信実おだ-のぶざねだ。

勝幡の兵300人、大橋 重長おおはし-しげながが率いている津島衆500人、常備兵2,000人を連れて出陣して来た。

俺達が佐屋の湊に到着したので来ると思っていた。


信実叔父上は少し厳つい体付きだった父上ちちうえ(故信秀)をほっそり細身になった感じと言えばいい。

信光叔父上は父上より才能豊かと評された豪胆な方に対して、信実叔父上は細かい所にも目が届く繊細な方だ!

馬を降りて俺の方に走ってくる。


魯坊丸ろぼうまる、よく無事に帰って来た」


馬上の俺をすっと抱き上げると、ぎゅっと抱擁してきた。


「少し大きくなったな!」

「そうでしょうか?」

「前に会ったのは6ヶ月前だぞ! 少しは顔を出せ、手紙だけで済まそうとするな!」

「すみません。俺も忙しく、痛て!」


俺を一度地面に降ろしたかと思うと、ヘッドロックを組んでくる。

信実叔父上なりの愛情表現だ!


「痛い、痛いです。マジで痛いから!」

「大丈夫、この程度は撫でているようなものだ」

「ギブ、キブ、キブです」


信実叔父上には意味の判らない言葉だが、必死にもがいているのが面白いのか、中々に離してくれない。


「酒で儲けさせて貰ったから信じたのに、こんな詰まらん仕事を押し付けた罰だ!」

「最初からちゃんと言いました。西の要だと!」

「中立など、詰まらんと言っているのだ! 坊主の機嫌取りも、荷之上城の相手も飽きた。折角、常備兵2,000人を揃えたと言うのに、中島郡では調略だけとは情けない。仕事を寄越せ! たまには俺の活躍する場所も作れ!」


信実叔父上は無茶を言う。


勝幡の常備兵は那古野と違う。

津島衆の経費を持たす為に黒鍬衆と同じような扱いになる。

つまり、土木作業がメインの常備兵だ。


黒鍬衆は土木作業のエキスパートだ!

どんな作業も戦闘もそつなく熟す。

来年の黒鍬衆も予科生として3年間の研修期間でみっちり訓練されているのに対して、勝幡常備兵は平常の作業をしながら訓練をしているので能力が圧倒的に足りていない。


常備兵としては戦闘能力が足りず、黒鍬衆としては作業能力が足りない。

実に中途半端な兵達だ。

今の所、完璧にできるのは穴掘りと投石だけだ!


「俺は優しいよな!」

「優しいです」

「俺は魯坊丸が好きだ! 大好きだ!」

「ありがとうございます」

「活躍の場所を作ってくれるよな!」


信実叔父上は俺に凄く気を使ってくれる。

でも、過激な愛情表現は反対だ。

くっ、苦しい!


父上 (故信秀)が作った情報網は、西は勝幡、東は末森、知多を含む南は中根南に集まってくる。

そして、勝幡と中根南の情報が末森に運ばれる。

末森に集まった情報を太雲たうん岩室 宗順いわむろ そうじゅん)から聞くのが末森筆頭家老の信光叔父上の仕事だった。

忙しい父上 (故信秀)に代わって、信光叔父上が指示を出していた訳だ。

つまり、勝幡の信実叔父上と末森筆頭家老の信光叔父上は俺の正体を誰よりもよく知っている。


織田家の名を継ぐことも許されず、元服後に中根 忠良なかね ただよしの養子に出される不運な息子などと思っていない。

織田を影から支える織田三人衆のノリだ!


「いいか、今日はお前に憑りつく!」

「どういう意味ですか?」

「お前と一緒に居れば、絶対に活躍の場が巡ってくる。俺にも良い目をさせろ! 信長ばかり贔屓をするな!」


贔屓などしていない。


「うにゃ、叔父じゃなのじゃ?」

「そうだ! お前の叔父上だ!」

「久しぶりなのじゃ!」

「お市。美人になったな!」

「そうであろう」


目を擦りながら起き出したお市に気が逸れてやっと解放してくれた。

ナイス、お市!

心の中で合掌しておく。


「奇天烈な乗り物に乗っておるな!」

「カッコいいじゃろ!」

「良き奇天烈だ!」

「良き奇天烈なのじゃ!」


ぱあん、二人が気をよくしてハイタッチを交わす。

二人は妙に気が合うようだ。

お市はおんぶされたままできゃっきゃっと騒いで話している。

今の内に避難だ。


「信実様、再会を喜んでいる所を申し訳ありませんが、先を急ぎます」

「そうだったな!」


信実叔父上はさっと馬に乗って並走して来た。


「叔父上(信実)、どういう状況ですか?」

「信長が日下部(JR清洲駅)辺りで清州勢と戦を始めた。今事は終わっているかもしれん」

「今川は?」

「岩崎城に入った今川勢は丹羽勢と合流して守山と末森に別れた」

『末森は大丈夫でございますか!』


勝家が大きな声を上げた。

耳を澄ましていたのだろうか?

それとも末森と聞こえてからか?

信勝愛に溢れるおっさんだ!


「詳しくはまだ知らんが、おそらく勝つであろう」

「そうでございますか!」

「熱田は来ていませんか?」

「来ているが、始まっておらん。数は把握できていない」

「兵が残っておれば、問題ないと思います」

「残念だが、清洲攻めに集められている」


ちぃ、俺は舌を打つ。

兄上(信長)は何をしているのだ!

熱田は京に武将を出しており、さらに出陣させられると指揮をする者がいなくなる。

南の要として出陣をさせないと信じていたのに、悪い意味で期待を裏切ってくれた。

帰って来たのは正解だった!


「千代、今日の干潮はいつ頃だ?」

「おそらく、未の刻 (午後2時)だと!」


最悪、正午ごろに攻めてくるぞ!

6里 (24km)だと半刻 (1時間)と少しは掛かる。

絵に描いたようなギリギリ感じゃないか!

おそらく、義理父上(中根忠良)も出陣しているとなると、母上と城代が指揮をするのか?

不安しか残らない。


「千代、城代はカラクリを使ってくれると思うか?」

「城代様は若様を尊敬しております。若様の許可なく使うとは思えません」

「城内の忍び衆はどうだ?」

「城を攻めてくれば使うと思いますが、渡河地点では城代様の命令がないと無理と存じ上げます」


しくじった!

義理兄上と義理父上の両方が不在になることを考えていなかった。

兄上(信長)、やってくれる。

家族思いで優しく、優秀で頭も回るのに、どこか抜けている。


「羽城は大丈夫だな!」

「忍び衆の拠点でもございます。問題ないと存じ上げます」

「だね! あの元締めは顔が怖いからな!」

「はい………ではなく、若様にぞっこんですから本人には言わないで下さい」


一方、熱田側の渡河地点は加藤勘三郎の羽城、羽城の支城の山崎城、新田四郎の田子城、神官の大喜五郎丸の屋敷があり、こちらは城代もしっかり選んでいるので大丈夫だ。

大丈夫だと思いたい!

最悪、元締めらが何とかしてくれる。


 ◇◇◇


土岐川 (庄内川)の渡し場である万場に到着すると、先行させた忍びが帰ってきた。


「ご苦労、どうであった!」

『信勝様は大丈夫でございますか!』


うん、そんな気がした。

俺は首を少し振って先に話してやれと合図する。


「末森勢は浅田城の東で一戦した後に反転して国境まで退却し、丹羽勢を完全撃破して大勝利を収めております」


うおぉぉぉぉぉ!

勝家が吠え、続くように騎馬隊の武将も一緒に吠えた。


「信勝様、初陣! おめでとうございます」


信勝兄ぃはこれが初陣だったのか?

勝ったことはいい事だ。


「今は岩崎城へ攻めておるのか?」

「連絡橋を焼け落としたので追撃をしておりません。すでに戦闘は終了し、死者はございません」

「よかった。ご無事のようだ!」

「勝家様、拙うございます。我々は何もしておりませんぞ!」

「そうだ! 我々は何もやっておらん」


京に上れと言う命令を無視して帰参したのに、何もせずに末森に戻るのは非常に拙いらしい。


「魯坊丸様、頭を下げてお願い致します。どうか参戦のご機会を我らにお許し下さい」


先ほどの話の流れから言えば、熱田の戦闘はこの後だ!

それに参加させて欲しいと言うのだろう。


「願ってもない話です。よろしくお願いします」


足りない武将が確保できたと思ったのだが、予想は斜め上を行く。


「帰蝶様、総出陣の命を発しました」


帰蝶姉上は今川の侵攻に気づいたようだ!

末森と守山を迂回して信長を襲う丹羽 (今川)勢を迎え撃つつもりらしい。

しかし、末森は撃退に成功した。

残るは信長を襲う丹羽 (今川)勢のみ!

熱田が忘れられているよ!


「帰蝶様は熱田の事は千秋家に任せると使者を送りました」


丸投げか!

残っている各城の守備兵と次の常備兵候補の予備兵を総動員して稲生に向かっているらしい。


「その数は!」

「約1万人!」


どうしてそうなる?

城の守備兵など300人くらいだ!

町の警備隊を入れて100人、予備兵が500人、各城から回して300人程度だ。

1,000人も集まればいい方だろう?


「まさか、帰蝶姉上は土方にも動員を掛けたのか?」

「動員は掛けておりませんが、自主的にスコップを持って参戦を表明しました」

「何故だ?」

「帰蝶様は現場を回り、酒や肴を差し入れしております。男は皆、帰蝶様に憧れ、帰蝶様を我が嫁、我が女神と崇拝しているのです」

「人気があるとか言っていたな!」

「皆、『帰蝶様、命』のハチマキをして参戦を決めました。その数、5,000人」


阿呆か、ファンクラブかぁ!

郷土愛と言うか、那古野愛を増す為に色々と生活向上を目指してきたけど、思わぬ方向に効果が現れたな!

むさくるしい男衆の中で酒を持って来て、『みなさん、がんばって下さい』と笑顔を振り撒く。

美人の帰蝶姉上に優しい言葉を掛けられた男などイチコロだったのか!

今度、会員カードでも作ってやるか?

帰蝶様グッズも売れそうだな!


「魯兄じゃ、何か楽しそうじゃな!」

「思わぬ出来事で現実を忘れたかっただけだ」

「そうなのか?」

「だが、まだ数が足りていないぞ! 他に何があった」

「残るは村衆の女達でございます」


村の女?

男は出陣していないので必然的に女・子供・老人、それと守備兵になる。


「信長様は魯坊丸様の意見を取り入れて、村にも娯楽を増やす努力をされておられました」

「相撲大会や水練、田植えの参加などであろう」

「その通りでございます」


ルックスのいい兄上(信長)が手伝えば、皆も喜ぶのが間違いない。

水田へ移行するアピールになるし、共に村を守って行こうという郷土愛を増す事業だ!

国防意識が高まれば、国民で国を守ろうとするようになる。


『イザぁ、鎌倉』


何かあった場合、国民で国を守ると言う意識は大切だ。

その為にも兄上 (信長)は農村を回った。

昔からやっていることだから苦にならないと思ったからだ!

銭が付いたので派手に回っていた。


「信長様は月祭りを開催し、村々で女踊りなどを披露しております。奥方や女人らもうっとりするような美しい舞いでございます」

「兄上 (信長)はそういうのも好きであったな!」


俺は嫌いだ!

人前で踊るなんて絶対に嫌だよ。

神社の行事ごとにやらされますけどさ!


「熱田では、魯兄じゃの人気は凄いからのぉ!」

「はい! 老若男女を問わず、子供までも若様にうっとりです」

「俺は嫌いだ!」

「そんなことをおっしゃらずに、もっと舞って上げれば喜びますのに!」

「そうなのじゃ! わらわと一緒に舞うのじゃ」

「信長様も張り合ったのでございましょう」

「俺は見る方がいい」


熱田神社で舞っている為か、俺の舞いは神聖なものらしい。

寿命も1,000年延びるとか?

そんな訳あるか!


「それはともかく、村々では信長様はこよなく慕われております」

「それはいい事だ!」

「帰蝶様は信長様が危ないとおっしゃられましたので、亭主より、子供より、信長様をお助けしたいという女衆が集まりました。『信長様をお助けするわよ。あの美しい顔に傷でも付いたら生きていけない!』などと、老人、子供の尻を叩いて、その数3,000人」


こっちはミーハー狂信者か!

兄上 (信長)より子供や家を守れよ!


「最後に、空気を読んだ商人らが護衛の者や店の者、主人自らも参戦を決め、2,000人ほどが集まったようです」


何となく判った。

怖いよね!

目の逝った『帰蝶様、命』のお兄さんと『信長様、大好き』の奥さんに後から協力しなかったと店を焼き打ちされる恐怖に負けたのね!

延べ一万人と言っても、本当に烏合の衆じゃないか!


伝令、信実叔父上の部下が帰って来た。


「信長様、清洲勢に完勝されました」


よし!


「然れど、岩倉勢が清州に到達し、清洲勢も残る兵を信長様に向けております」

「その数は?」

「信長様1,800人足らず、清洲・岩倉勢5,000人に及ばす」


俺は信実叔父上の顔を見ると頷いた。

信光叔父上も動いているようなので問題ない。


「未確認情報ですが、犬山勢3,000人が青木川に沿って南下しているとの知らせも入っております」


手紙が届かなかったか!

先に送った使者も桑名で足止めされており、念の為に近江から浅井、牛屋(大垣)経由でも送っていたが、川が増水して足止めされたと見るべきか!

仕方ない!


「千代は加藤らを連れて熱田に戻れ!」

「わらわも戻るのじゃ!」

「(林)通忠ら那古野衆は、津島衆、勝幡常備兵の半数を伴って、兄上 (信長)の援軍に行って下さい」

「承知」

「叔父上 (信実)、中島郡の参集は?」

「すでに出してある。1,000人ほどは集まっているハズだ!」

「では、それも兄上 (信長)の援軍に!」

「伝令を出せ!」

「残る勝幡衆、勝幡常備兵の半数! それから勝家様、助力をお願いできますか?」

「任せろ!」

「我々は帰蝶様に合流致します」


俺は土岐川 (庄内川)を北上し、4里 (15km)の道を新五条大橋経由で稲生を目指す。


えっ、何故、万場を渡河して最短距離を行かないのかって?

大勢で渡河すると時間が掛かる上に、稲生は交通渋滞を起こしているからだ!

恐らく?

土岐川と五条川が合流する辺りは湿地帯と荒地が混在して通り難い。

横たわる五条川も渡れない。

もう1つの最短ルートであるが、川上りは船の足が遅い!

しかも大勢で移動できない。

つまり、駆け足でぐるっと北を回る方が早いのだ。


「叔父上 (信実)、敵がいるかもしれません。容赦なく、ぶっちぎって下さい」

「任せろ!」


帰蝶様が丹羽勢に討たれた後でないことを祈りつつ!

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