閑話.不動明王、一刀萬殺の剣。

天文22年 (1553年)4月、村上 義清むらかみ-よしきよが越後の長尾 景虎ながお-かげとらを頼って来たことで北信濃への出兵が決まった。

武田 晴信たけだ-はるのぶは義清の葛尾城を奪い、東信地方とうしんちほうを手中に治めた。


残る北信地方ほくしんちほうを治めると信濃を統一することになる。

(北信地方:長野市辺り)

しかも善光寺のある北信地方は石高10万石もある有数の米所だ。

石高が低い甲斐の国から見れば、涎が垂れるほど欲しい土地の1つだった。

しかし、このとき晴信は気づいていなかった。


善光寺から景虎の春日山城まで15里 (約60km)しかなく、山を1つ超えた国防の拠点であったことを。

ゆえに、長尾家を始め越後衆は北信衆と婚姻を重ねて信頼を深めていた。

よそ者の甲斐の武田家に北信地方を取られるのは、喉元に刃を付き付けられるようなものであった。

ただの助力ではない。

晴信は越後衆が他国の為に必死に守りに来るなどと思っていなかったのだ!


 ◇◇◇


天文19年(1550年)に越後守護の上杉 定実うえすぎ-さだざねが亡くなった。

定実には実子がいなかったことで、公方様 足利 義藤あしかが-よしふじから (長尾)景虎かげとらは守護代行を命じられる破格の待遇を受けた。

景虎は越後を支配する正統な理由を頂き、天文20年 (1551年)に越後の統一を成し遂げたのであった。

天文21年(1552年)1月、公方様は (三好)長慶と和睦して京都に戻ったが、その権力基盤は実に脆弱なものであり、公方様は各諸将への上洛を促したのだ。

大恩ある公方様に報いる為に景虎は上洛を模索した。


天文22年 (1553年)4月、(村上)義清が景虎を頼り、武田家との衝突が避けられなくなったのだが景虎は上洛を諦めず、山吉 豊守やまよし-とよもりを京に送った。


「豊守、甲斐の武田家がちょっかいを出してきたが、上洛は予定通りに行う」

「畏まりました」

「段取りを頼むぞ!」

「お任せ下さい」


豊守は張り切っていた。

昨年の春に父の政久が隠居して、初の大仕事を任されたからだ。

と言っても、京での取次役は在京している神余 親綱かなまり-ちかつなが執り行っている。

神余家は祖父・昌綱の代から在京雑掌を扱っていた。

すでに下交渉も終わり、豊守が書状をもって届ける所まで済んでいた。


豊守は内衆である富森左京亮信盛にお会いして、将軍家の取次役である奉公衆の大館上総介晴光に書状を渡せば終わりであった。

4月、(山吉)豊守は上京した。

しかし、突然の三好と織田の争いですべて取り止めとなってしまったのだ。


「父の山吉政久殿に代わってはじめての大役というのに、運の悪いことだな!」

「誠にその通りでございます」

「で、どのようになっているのでございますか?」

「よく判らんが、朝廷の見回り衆の役儀に三好が従わなかったことに発しているようだ」

「それで何故、織田と?」

「見回り衆は織田の兵だ。後から来た織田に大きな顔をされて腹が立ったのであろう」

「面目を潰された訳でございますな!」

「あぁ、よくあることだ」


室町の世では面目が重きを占めていた。

笑われたと言うだけで殺し合いになる。

仲間が殺されただけで一族を撒き込んだ戦いになり、一族の戦いが御家同士の争いになることがよくあった。

織田家と三好家の争いならば、織田家が少し痛い目にあって終わるハズだった。


「ならなかったのでございますか?」

「ならなかった。織田家は1,500人に対して、三好家は7,000人で知恩院を攻めた。三好家は手痛い目に合って10日の停戦となったのだ」

「織田家が勝ったのですか?」

「何でも橋を落として、一方的に勝ったらしい」


町衆の目には、吉祥院城に引き上げてゆく三好の兵が敗軍の兵に映った。

織田振り (派手なこと)は親綱の耳にも届いており、銭で公家様や町衆の心を鷲掴みにして、織田家を敵にすると悪役にされると語った。

三好 長逸みよし-ながやすが一方的に悪いことにされている。

親綱は「織田家とは争わぬことだ!」とぼそりと呟いた。

織田家を恨むほどではないが、織田振りのお蔭で公家様など献上金を増やさねばならない事態になっていた。

夕食も質素、今も酒に肴が出ない。

公家様や奉公衆のいる所では派手に付き合うが、その分、どこかを締めないと破綻してしまうらしい。

どうやら親綱は織田家をよく思っていない。


「織田家は公方様の助力を得て、三好家は管領様と畠山家の助力を得たらしい。一万五千の兵が京を目指している」

「一万五千ですか? 大軍ですな!」

「総勢で三万近くになるかもしれん。だが、この戦が終わらぬと上総介様 (大館晴光)への取り次ぎはできん」

「それは困ります。いつ終わるのですか?」

「停戦明けの6日後ではないか? 流石に織田家も勝ち切れないだろう」


先に本誓寺の超賢和尚から預かった手紙を持って、石山本願寺大坂御坊に行こうと思ったが淀川でも合戦があり、河内を迂回してもいいが安全は保障できないと言われたので諦めた。

やるべき事ができなくなった(山吉)豊守は (神余)親綱の屋敷で日々を過ごし、骨を折って貰った大覚寺義俊様にお礼のあいさつなどをして京の方々と交流をして時間を潰した。


4月13日、豊守らは下鴨神社から東に進み、大文字山に登ってから南下して南禅寺の裏に当たる大日山から戦を眺めることにした。

知恩院を攻める三好・畠山連合軍を眺める絶好の場所だった。

もちろん、同じことを考える人は多く、場所の取り合いで喧嘩沙汰を起こしている者もいる。

日が昇ると、法螺貝の音を合図に戦が始まった。

鴨川沿いの三好の兵が進んでゆく。

しかし、畠山の兵はほとんど進まず、何とも見ごたえない行進が続いた。

知恩院の外側の正門では戦が始まっている。

果たして、畠山の戦はいつはじめるのだろうか?


「山まで登って見物に来たのは失敗でしたな!」

「まったくです。これならば、鴨川から知恩院を眺めていた方が面白かった」

「しかし、三好・畠山連合軍は何をやっているのですか?」

「落とし穴のようにも見えますが?」


少し進んでは止まり、また進んでは止まる。

そして、勢いよく進むと何やら落ちた。

見ている者は面白くもない。

そして、知恩院の向こうから煙が上がると昼前に京の戦が終わった。


豊守は親綱の屋敷に戻ると知恩院の裏手である祇園社の方で大きな戦になっており、援軍に来た河内畠山勢が公方様によって壊滅させられたと聞いた。

見に行く所を間違ったと後悔した。


翌日は鴨川から見物をする。

織田は鉄砲を沢山持っているようで矢の代わりに使っていた。

鉄砲はまだ珍しい!

一発撃つのに火薬がいる。

豊守には撃ち続けられる鉄砲の音が銭の落ちてゆく音のように感じた。

織田は随分と金持ちのようだ。

それも昼過ぎに終わった。

半日で戦を終えるのが京の戦なのか?

親綱からそんなことはないと言われた。

日が暮れてくると親綱が屋敷に戻って来て、織田家が降伏したと言う。

何故だ、勝っていただろう?


「どういうことです?」

「尾張に今川の大軍が押し寄せて、すぐに尾張に戻ることになったようだ!」

「それは口惜しいでしょうな!」

「本当かどうか知らないが、詫び料として大金を三好に払う」

「銭で勝敗を売り買いするのですか? 京の戦いは変わっておりますな?」

「待て、某もこんな戦いは初めてだ」


三好方の士気は低く、知恩院に籠っているだけで織田方の勝ちは見えているのに運の悪いことだと思った。


寡兵かへいでここまでがんばった大将の顔を見てみたいですな!」

「見に行きますか?」

「街道は通れますか?」

「まだ、閉鎖されております。では同じ道で!」

「一昨日の岩場に行きますか!」


豊守は織田の大将の顔を見る為に再び大日山に登った。

朝は無辜の民が先に通過した。

昼が近づくと、やっと織田家の本隊が知恩院を出て来る。


「おぉ、殿しんがりですな!」

「よく見えますな!」

「魯坊丸の顔は見えませんが、お市様は判ります」

「魯坊丸? お市様?」


織田の大将は魯坊丸という8歳の麒麟児であり、お市様は7歳の天女様らしい。

はじめて名前を聞いた。

二条通りを曲がってくれば、顔を少しは見えてくるが、知恩院から出てきたばかりの魯坊丸が見える訳もない。


「ほれ、一際、変わった乗り物に乗られている方が見えますでしょう」

「あれは猪ですかな?」

摩利支天まりしてんの生まれ代わりと言われる『お市様』ですよ。帝も公方様も一目見たいと言われた息女で、織田の守護神と言った所ですな!」

景虎かげとら様も毘沙門天びしゃもんてんを信仰されておりますから、親近感が湧きますな!」

「如何にも!」


織田の本隊が二条通りの真ん中に達すると、突然に三好の兵が現れて街道を封鎖する。

同時に法螺貝が鳴り、随分と離れた所で見送っていた三好勢が一気に詰め寄って来た。


「三好が騙したようですな!」

「汚い!」

「三好は降伏を破棄して、織田の大将を亡き者にする気のようですな?」

「それが三好の戦ですか? 景虎様はお怒りになるでしょうな!」


逃げ道を奪われて織田が立ち往生している。

だが、そのまま茫然と立ち尽くせば、三好の本隊が押し寄せてくる。

動かなければ、死を意味する。


「何故、織田は動かん!」

「裏切られたと動揺しているのか?」

「あそこに留まっておるなら死を待つようなものだ」

「動け! 活路を開け! 何をしている?」


織田方は挟み撃ちに遭った為に動けなくなっていた。

上から見て、三千人に近い三好勢が横から押し寄せている。

前か、後ろか、いずれかを突破しなければ、座して死を迎えることになる。

だが、織田は動こうとしない?


「公方様は動かれた!」


法螺貝の音を聞いたのか?

祇園社の方で待機していた公方様の兵が鴨川沿いを駆け上がってゆく。

街道を封鎖した三好勢も本隊に合わせて動くつもりなのだろう。

今は静かに盾を立てて待っている。


「数で劣勢だ! 織田方は三方から攻められては一溜りもないぞ! 織田は戦の仕方を知らんのか?」


豊守はまるで自分のことのように声を荒げてしまった。

もう矢が届く所まで三好の本隊が迫って来ていた。


パパン、パン、パン、パン、パン!

けたたましい鉄砲の音が聞こえた。

恐ろしいほどの数の鉄砲の音だ!

どこだ?

どこから鉄砲を撃っている?

豊守は目を凝らすが撃っている鉄砲隊が見当たらない。

よく見ると内側を歩いていた織田の鉄砲隊が本隊を守るように外側に移動してゆく。

膝を付いて構えると、ダン、ダダダダンという音を出して鉄砲が鳴った。


だが、三好も鉄砲に慣れているのか?

足を止めて盾を前に身を屈める。

本隊も矢を撃っているがどちらも数が足りない。

次の玉を込める間に詰め寄られて終わる。

織田は終わった。


豊守の胸に無念さが込み上げてくる。

織田の方は口惜しいだろう!

勝っている戦を譲り、そして、引き上げることも許されない。

無念だろう!


ずずずずずずごん!

大地から炎が湧き上がると、三方から攻めようとしていた三好勢が吹き飛んだ。


「何が起こった?」

「判らん!」

「あれは何なのですか?」

「知らんが、魯坊丸が手を降ろした瞬間に地面から火が上がった」

「雷ですか?」

「かもしれんが、天からではなく、大地から噴き上がったのだ!」


豊守は見逃すまいと目を凝らす。

猪の上に立ったお市がどこかを指差していた。

その先を追うと、三好 長逸みよし-ながやすと思われる大将の兜が目に入り、その頭上に何かが落ちてくる。


ずずずごん!

再び閃光が光り、辺りを吹き飛ばす。

一瞬で光景が変わった。

兵がなぎ倒されて死体へと変わる。

ぞぞぞぞぞと背筋に寒いものが駆け上がってくる。

織田は何をやっているのだ?

さらに眼を凝らす。

魯坊丸が何か叫んでいる。


ずごん!

再び、南禅寺と二条大橋の近くで閃光と爆音が轟いた。

目が慣れてきたのか?

今度は稲穂のように倒れてゆく兵がはっきりと見えた。

一方的だ!

三好に抗う術はない。


魯坊丸が次の狙いを指差した。

ずごん!

再び、閃光と爆音が轟き、他の大将と思われる武将が馬から吹き飛ばされて落ちていった。

これは戦ではない。

一方的な虐殺だ!


うおおおおぉぉぉぉぉ!

織田の先陣である騎馬隊が声を上げて、南禅寺の方へ突撃していった。

そうか!

この時を待っていたのか!

心の中で納得する。

こちらも一方的な蹂躙がはじまった!

織田の本隊もそれに付いて突撃を行う。

逃げる三好を織田が突き刺す。

もう、勝敗は決した。


魯坊丸は少し早い歩幅でこちらに向かってくる。

手を振って、「逃げろ、逃げろ!」と言っている。

三好勢に止めを刺すつもりはないようだ。


だが、公方様が二条大橋から飛び込んで来て、逃げる三好勢を滅多切りにしてゆく。

織田は逃げて行くが、公方様の虐殺が続いた。


「長逸は死んだと思うか?」

「おそらく、そうかと!」

「大将が討たれたならば、この戦は終わったな!」

「はい、たった一撃で大将を討ち取りました」

「殿の魯坊丸か!」

「我が景虎様は毘沙門天の加護を得て雷神の如く敵に襲い掛かりますが、魯坊丸は不動明王ふどうみょうおうの如く動かず、右手に持った倶利伽羅剣くりからけんを一度振えば、一刀萬殺いっとうばんさつであらゆる者に死を与えるようでございます」

「妙に饒舌になっておるではないか?」

「申し訳ございません」

「だが、それは事実かもしれん。確か、倶利伽羅剣は熱田神社に納められていたと聞いたことがある。不動明王の魯坊丸か、毘沙門天の景虎様か、どちらが強いのか見てみたくないか?」

「滅相もない」

「儂は見てみたいぞ!」

「先陣を切って進まれる景虎様は一刀萬殺から逃れるかもしれませんが、後ろを付いてゆく我らは、屍の上に骨を埋めることになります。縁起でもないことは言わないで下さい。私は死にたくありません」

「だが、よいものを見せて貰った。よかったな! 景虎様によい土産話ができたではないか?」

「親綱殿、報告せねばなりませんか?」

「当然であろう」

「そもそも景虎様は争いごとを好みません」

「戦は好きであろう」

「戦うのは嫌いではないようですが…………」


豊守は景虎様が織田と戦いたいなどと思わぬように祈った。

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