第88話 京に雷鳴が轟く!

ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、従者達がとある動作をして大声で『ぱん』と叫ぶ。

すると行進から守備の陣形に一瞬で兵の配置を変える。

根来の鉄砲衆は鉄砲を構え、黒鍬衆は抱っこ紐(吊り紐)でとあるモノを投げる練習を繰り返した。

昨日の夕方から何度も繰り返している練習だ。


抱っこ紐(吊り紐)を使った射程距離は強弓と同じくらいの四町 (400m)もある。

ただ、この距離を命中させることができるのは指導役(リーダー役)の20人のみであった。

この20人が彦右衛門(滝川 一益たきがわ かずます)の合図で投げるタイミングを合わせる練習をして貰っている。

敵もいないのに、壁から投石を繰り返す彦右衛門らを敵の目にどう映っていたのだろうか?

因みに、他の黒鍬衆は手慣れた一町から一町半 (100~150m)の的に当てるしかできない。

投石を山なりで当てる復習もして貰う。

ずっと練習してきたことなので苦もなく、できるのが普通であった。


「魯兄じゃ、煙が上がったのじゃ」


お市はどんよりとした空を見上げて山の裏手から煙が上がったと言う。

時間的にはそろそろだ。

俺はそれを聞いて皆の練習を止めた。


「そこまでだ、隊列を組め」


俺にははっきりと煙が上がっているのが見えない。

千代女もたぶん上がっていると言うので間違いないだろう。

空の色はどこも灰色に見えて見分けが付かない。

しばらくすると知恩院の裏山の向こう側を見張っていた者が戻って来て、逢坂山から狼煙が上がったと告げた。


 ◇◇◇


日の出と同時に出発した先発隊の4,900人は約3里 (11.8km)先の逢坂の関を昼前に越えた。

義理兄の忠貞たださだはどうやら襲われずに済んだようだ!

三好 長逸みよし-ながやすは武器を持たない無辜の民を襲うほどの卑劣な武将ではなかったようだ。

俺の中で長逸への好感値が上がっていた。

確かに裏表のない判り易い武将だ。


「わらわは馬鹿じゃと思うのじゃ」

「馬鹿などと言うな! 判り易いと言って上げなさい。馬鹿とは犬千代(前田 利家まえだ-としいえ)のような奴を言うのだ」

「犬千代は命じた通りに動くので可愛らしいのじゃ」


お市と犬千代は気が合うらしい。

俺の命令は利かないが、お市の命令には従う。

もう解任されて護衛ではないが、今日だけは上洛の時の鎧を付けて復帰する。

今日だけは弥三郎と一緒にお市を守って貰う。


「長逸は戦術にも長け、武勇も持っている。武将としてはかなり高い」

「魯兄じゃには敵わないのじゃ」

「相性の問題だ。俺とは相性が良かったので都合がよかった」


長逸から見れば、最悪の相性だ。

彼は私利私欲で軍を動かさない。

一言で言うならば、奸雄かんゆう松永 久秀まつなが-ひさひでの増長を阻止したい為だったのだと思う。

去年、三好の兵と供に入京した細川 氏綱ほそかわ-うじつな十河 一存そごう-かずまさ松永 長頼まつなが-ながより今村 慶満いまむら-よしみつらと放火や荘園の押領に勤しむという事を繰り返した。

一方、長逸はそれに参加せず、宮中の拝観を願い出て許されている。


そう言った一面もあったので、京の守護を久秀と長逸に任せたのだろう。

長慶ながよしにとって忠義心が厚く、信頼のおける一族だったと思う。

そして、長逸も今回の事は離反ではなく、公方様への威嚇、織田と言う害虫駆除だと思っているに違いない。


行動は早く、敵の三倍の兵力を集めるという戦略の鉄則も外していない。

武家の大将らしく、正々堂々と正面から挑んでいたのも好感が持てる。

人の話を聞かない前田三兄弟より良い武将だと思う。


「犬千代の兄じゃも面白いのじゃ」

「そう言えば、練習に付き合ってくれるのだな! (内藤)勝介しょうすけが怒っていたぞ」

「他の者は手加減するから嫌いなのじゃ」


それでお市に怪我をさせる時点で駄目な奴でしょう。

他の者は手加減するから怪我などさせることがない。

犬千代は「お市様に槍を向けられません」と土下座をして謝って拒絶している。

槍の練習で全力を出すのが前田家の美学らしい。


「長逸は嘘を付いていないし、俺の失敗を利用したに過ぎん」


長逸は『承知』と言っただけで、『退却を許す』とは言っていない。

段取りを話したのは家臣であって長逸ではない。

そもそも銭で戦の勝敗を売り買いするなど許せるハズもなかった。


「長逸は卑怯者ではないのか?」

「俺の失敗を付いた策だ」

「魯兄じゃは失敗したのか?」

「失敗した振りをした。約定は本来2枚書いて各々が1枚ずつ持つ。約束を違えたら、その約定を公表して、その者が約束を果たさない者だと弾劾できるようにする為だ」

「それがどうしたのじゃ?」

「俺は敢えて長逸から裏証文を貰わなかった。長逸は俺の失敗だと思っている。失敗したと思わせることに成功したのだ」

「やはり、長逸は雑魚なのじゃ」


長逸は日が暮れると兵を移動した。

蹴上の手前にある南禅寺に兵を隠し、鴨川の河辺に外套を被った怪しい侍達が座り込んでいる。

あれで隠しているつもりなのだ。

武芸に達者な者はどうも忍びを軽視する傾向が強い。

そのお蔭で、こちらはやりたい放題だ。


先発隊が出発するときも、俺とお市は表に出て見送った。

お市は巨大な猪に乗っているので見間違われる心配もない。

先発隊に紛れて逃げ出るなどと疑われて困る。

一応、警戒した。

向こうの見張りが俺らを確認して長逸の元に戻って行った。

義理兄 (忠貞たださだ)らは襲われないと確信したが、報告を聞くまで心配だった。

これで準備が整った。


さぁ、ここからさよならだ!


俺は見送りの住職や僧侶にあいさつを交わす。


「魯坊丸様、いつでもお帰り下さい」

「又、世話になることがございますが、そのときまで荷物もよろしくお願いします」

「頼むのじゃ」

「お任せ下さい」

「お市様もお元気で!」

「住職も長生きするのじゃ」


俺は馬に乗る。

織田の本隊はすでに知恩院を出始めていた。


「世話になった」


そう言って彦右衛門らが待つ所に入って行った。

お市は巨大な猪の『牡丹』に乗っているので非常に目立つ。

専用の鞍を付け、お市が落ちないように気遣っている。

くつわを嫌がったので、首輪を付けてそこから手綱を引いている。


「牡丹、出発じゃ」


お市がそう声を掛けると歩きはじめる。

頭がいい?

本当に山神が化身しているのではないかと思いたくなる。


先頭は騎馬隊20騎が前を行く。

騎馬隊は林 通忠はやし-みちだたが直に指揮を執る。

蹴上から山科までの敵中突破を担当する。

中々に度胸がいる。


それに織田衆480人に続く。

騎馬隊が開けた道を押し通らなければならない。

敵を残すと大変だ!

俺とお市が通るときに危険が残る。


騎馬隊が突破ならば、織田衆は駆除が役目だ。


最後に俺とお市がその後ろに付いてゆく。


殿しんがりだ!


俺らの周りに20人の黒鍬隊、俺らの後ろに20人の従者が続く。

従者には重い荷物を背負って貰っている。

非常に心苦しいが置いてゆく訳にはいなかい。


義理兄 (忠貞たださだ)と合流した後は、一旦に朽木に持って行って貰う。

重い荷物を持たせて尾張を目指せないからだ。

だが、先発隊と一緒に運ばせるのも怖かった。

尾張が落ち着いたら取りに行かせる。


『魯坊丸とお市が殿しんがりをしているだと?』


長逸がそんな感じで驚いているに違いない。

黒鍬衆と根来の鉄砲衆の180人は交互に一列に並べて、騎馬隊と織田衆の右側を歩いて貰っている。

右の腰に火の付いた火縄を付けてくるくると回して歩いている。

この異様な隊列だ!


公方様は知恩院の少し南、祇園社がある鴨川沿いに全軍の2,000人を連れて待機していた。


先頭が二条大橋の手前で右に曲がった。

二条大橋から街道沿いにある南禅寺の表門まで直線で10町 (1km)だ。

我が本隊の長さは三列行進で6町 (650m)である。

どの辺りで襲ってくるのかも判り易かった。


俺の心配は雨が降らないかどうかだけだった。


 ◇◇◇


本隊が二条大橋と南禅寺の表門の中間に達した頃、表門が開いて三好の兵が流れ出す。

河原で外套を被った怪しい連中が尻に敷いていた木盾を持って一斉に街道に溢れて来た。


ぶほぉぉぉと遠くから見守っていた三好・畠山の連合軍に法螺貝の音が響く。


おおよそ3,000人の三好勢が動いた。


畠山と三好の一部が連動していない。

長逸を支持する部下のみが動いているようだ。

山科に配置していた三好勢を戻し、前方南禅寺に1,000人、後方二条大橋に1,000人、そして、長逸の本隊が3,000人で迫って来ている。

700人の相手なら、それで十分ということだろう。


通忠が率いる騎馬隊は槍をぎゅっと握り、突撃のタイミングを見定める。

織田衆480人は槍を弓に代えて構えて待っている。


敵の前方と後方は死守が目的らしい。

隊列を乱して、兵が割れれば突破を許すことになる。

それを嫌って守りに徹するのだろう。

予想通り、実に好都合だ。


「若様、2町 (200m)を切りました」

「千代、ヤレ」

「お任せ下さい。放て」


千代女の合図で後にいた従者らが腰の火縄で爆竹に火を灯して外に投げた。

お市が持ち込んだおもちゃ箱にあった花火だ。


ぱぱんぱんぱんぱん、入っていた爆竹を一斉に放り投げると、けたたましい音が広がった。

押し寄せ来ていた三好勢が思わず足を止めて、盾を前に身を屈む。

知恩院での正面では鉄砲隊に一方的に撃たれていた経験が生きているようだ?


「相変わらず、凄い音なのじゃ」


お市が両手で耳を塞ぐ。

俺ははじめから耳に綿を詰めている。

一応、手を振っておくか!

爆竹の音を合図に鉄砲隊と黒鍬衆が内側から外側に移動した。

鉄砲衆は鉄砲を構えて撃ってゆく。

敵の距離は一町半 (150m)で狙うには丁度いい。


「彦右衛門、届くか?」


彦右衛門は敵の大将である長逸を探している。


「あそこなのじゃ」


お市が牡丹の上で立ち上がって長逸の方を指差した。

見つけた。

おおよそ、3町 (300m)だ。

イケる。


『彦右衛門』


俺の声より早く、彦右衛門が手を上げる。

精鋭の黒鍬衆20人が火薬玉に火を付けた。

その直後!?


ずずずごごごごぉぉぉぉ、大地が揺れて風圧で吹き飛ばされてそうな爆音が俺の横を通った。

残り80人の黒鍬衆は鉄砲隊と一緒に前に配置を変えて、爆竹のけたたましい音の中で火薬玉に火を灯し、素早く抱っこ紐(吊り紐)を回転させて、『1、2、3、4、5、6、7、8、9、トウぉ』と数を数えてから放り出していた。

その爆裂音が届いたのだ。


火薬玉は打ち上げ花火の研究から生まれた副産物だ。

小さな筒は巧くいったのだが、大きな筒の打ち上げ花火は成功していない。

花火玉は筒の中で一緒に爆発してしまう。

逆に、火薬が少ないと打ち上がらない。

だが、失敗の悲惨の状況を見て、千代女が攻撃の武器に使えると進言したのが『火薬玉』のはじまりだ。

手榴弾のように火薬の中に陶器や鉄の破片を入れて殺傷能力を上げている。

導火線が長いのは退避する時間を稼ぐ為だ。

これを逆に利用して、好きな所に投げることを考案したのが彦右衛門だ。

同じ、鉄砲の名手の橋本 一巴はしもと-いっぱ下手物ゲテモノと言って協力してくれなかった。


80発の火薬玉が爆発すると、まるで天から雷鳴が落ちたような音が響いた。

思っていたより凄まじい。

爆発と一緒に腕や足が吹き飛んだ者もいる。

前衛が一瞬にして肉塊に化してしまった。

(血みどろになって倒れているだけです)


三好の兵は完全に棒立ち状態であった。

何が起こったのかも理解できない。

鴨川の対岸で見物している客達は雷鳴を落ちたように思えた。


「織田様は雷様を従えているのか?」

「判らんが凄い音だった」

「とにかく、凄いぞ」


皆が呆けている間に、彦右衛門の指示で20個の火薬玉が長逸の頭上から落ちて来て爆裂した。

矢を庇うように側近の武将が長逸に集まった。


すどどどどんと言う音と共にその場が死体と瓦礫の山に変わった。

少し離れた武将が立ち上がり、動かない長逸を見て、『長逸、討死』と叫んだことで三好の兵の瓦解が俺の知らない所ではじまっていた。


持ってきた火薬玉は120個、一度に100個を消耗し、さらに畳み掛けるように、もう10個を投入する。

前の奥に四つ、後ろの奥に三つ、他の大将らしい兜頭の三つだ。

その間も鉄砲と矢と石の投石が続けられる。


すどどん、流石に先ほどのような轟音ではないが、敵を威嚇するのは十分だ。

もう敵は動くことができない。


『逃げろ』


俺は叫ぶ。


先頭では、(林)通忠みちだたは『すわ掛かれ!』と号令を出して、棒立ちの三好勢に襲い掛かった。

慶次もその後ろで襲い掛かっている。

俺の護衛もせずに、一番面白そうな所で参加している。

ホント、勝手な奴だ。

敵の戦意はほとんどなく、一方的な蹂躙が始まる。


「逃げろ、逃げろ」


俺の声で織田衆の逃亡が始まった。

弓を槍に持ち替えて、近江を目指して街道を駆け足で進む。

俺が進んだ後に鉄砲隊と黒鍬隊が次々と合流して、俺の後方に200人の兵が付いてくる。

これが最終の隊列だ。


南禅寺までの三好勢は戦意を失っており、敵ではない。

街道の向こうを守る三好勢は音しか聞いていないので、動揺はしていてもそれなりに抵抗を続ける。

慶次らは思い存分に暴れて道を開く。

織田衆480人も抵抗する敵を抹殺する。

勢いの違いだ。

俺とお市は殿200人を率いて、悠々と近江へと脱出した。


さて、公方様は逃げる三好勢を一方的に蹂躙し、山科に移っては茫然と傍観していた河内畠山の兵も討ち果たし、東山霊山城を放棄して朽木谷へ移動したことを後で知ることになる。


死んだと思われた長逸は血だらけになりながらも側近らが壁になった為に一命を取り留めていた。


戦いに参加せず、後方で傍観していた副大将の三好 長勝みよし-ながかつが逃げる兵をまとめて三好軍の崩壊を寸前で防いだ。


一方、紀伊畠山は武将のみ吉田神社に残して兵だけが四散した。

公方様も後方にいる三好勢まで手を出さなかったのだ!

気が付いた長逸が余りの惨敗に肩を落とし、吉祥院城に戻る途中で武衛屋敷が目に入った。


「忌々しい織田め。燃やせ」


命じた家臣のガラが悪かったのか?

屋根の銅板をすべて引き剥がし、その後に火を放って燃やしてしまった。

火の粉が御所まで飛び散って、小さなボヤを起こしたことで帝が激怒したこと等々、俺はそれを知るのはしばらく経ってからのことであった。


さらば、京よ。

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