第89話 走れ、魯坊丸!

東山の街道に配置された三好勢を駆逐し、山科に出ると河内畠山勢が街道から少し離れた場所に布陣していた。

三好 長逸みよし-ながやすは畠山に奇襲のことを話していなかったのか、ぽかんとした顔で俺らを見逃してくれた。

その後、京の東山霊山城を放棄して、こちらに突入して来た公方様が呆けている彼らを蹂躙したことを俺は知らない。

とにかく、平和裏に通過させて頂いて逢坂の関を越えて大津に入った。


大津では義理兄の忠貞たださだが待っていた。


「無事に再会できて嬉しいぞ!」

「兄上こそ、ご苦労を掛けます。黒鍬衆を10人付けますので、相談しながら巧くやって下さい」


熱田衆の皆が俺の無事を喜んでくれる。

尾張の従者衆が主の元に帰ってゆく。

他の者達はすでに元傭兵の見回り組900人が護衛して、朽木方面へ移動を開始していた。

ここで俺が引き攣れてきた従者20人と尾張の従者衆500人を交換し、根来の鉄砲隊も返した。


「織田を頼む!」

「朽木は住む所もないでしょうから最初は大変かと思います」

「そんなことは心配するな!」


土方衆1,000人の中には京の大工なども多くいるので住居を作るのに困ることはないと思いたい。

当主の元綱もとつなの代わりに叔父の直綱なおつな(稙綱の四男)が陣代代行を任されており、その陣代の藤綱ふじつな (稙綱の次男)の命で成綱しげつな (稙綱の3男)が同行している。

まぁ、公方様の命で陣代の藤綱が許可したのだから悪いようにはしないだろう。


「なるべく早く京に戻れるように致しますので、しばらくお持ち下さい」

「こちらはこちらで動く。おまえは父上を支えてくれ!」

「承知しました」


義理兄は帝から将曹しょうそうの地位を授かっており、京の治安を守るのが仕事だ。

いつまでも朽木に居ては困る。

俺は随行員の代表である野口 政利のぐち-まさとし (平手政秀の弟)に在京の織田取次役を命じておいた。

政利らは頃合いを見て京に戻って貰わないといけない。

俺は義理兄と握手を交わして別れを告げた。


 ◇◇◇


ここからは義理兄より俺らの方が大変だ!

18日!

おそらく、その日の決戦だ。

今は16日の昼過ぎ…………すでに夕方前だ!

一日半で37里 (145km)を走破しなければいけない。

まだ西の空は明るいが、東の空は黒々としている。

しかもぽつぽつと降りはじめている。

最悪だ!


「準備はできたか?」


俺ははじめから鎧・兜を身に付けていないので問題ない。

そのまま馬に乗るだけだ。

(内藤)勝介しょうすけらはそれらを脱いで身軽な格好になっていた。


魯坊丸ろぼうまる様、本気でやられるのですか?」

「昨日も話したであろう。すでに六角家の方々にも手紙を出しておいた。許可されなければ諦めるが、俺一人でも尾張に戻るつもりだ! 付いて来ずとも良いのだぞ!」

「精一杯、付いて行かせて貰います」


尾張衆500人を二つに分ける。

馬を持っている50人とその側近200人で先行する。

持ってゆくのは、身を守る為の槍か、刀のどちらかだ!

鎧・兜などの具足は後ろの従者に預け、足軽300人と従者500人、それに黒鍬衆90人が後から普通に街道を通って戻って来て貰う。

従者や黒鍬衆は荷物が多いので一晩中走り続けるなど無理だ。


勝介しょうすけも年だから後続の指揮を任せたいのだが?」

「なりません。後続の指揮は千秋 季忠せんしゅう-すえただに任せました。補佐役として若侍衆の佐久間 信辰さくま-のぶときも付けました。問題はございません」

「ついて来られないならば、置いてゆくぞ!」

「お好きにどうぞ!」


もう知らん!

大降りになる前に野洲川と日野川を越えないとすべてが徒労に終わる。

議論している暇もない。

俺は千代女に手綱を持って貰って馬を走らせる。

すぐに瀬田大橋だ!


「魯坊丸!」

「三十郎兄ぃ、お久しぶりです」

「少しは大きくなったか?」

「二ヶ月程度で大きくなりません」


瀬田大橋の向こうでは三十郎兄ぃと津々木 蔵人つづき-くらんど柴田 勝家しばた-かついえ佐久間 盛次さくま-もりつぐが待ち受けていた。


「魯坊丸様、京のことでお話がございます」

「津々木、おまえに付き合っている暇はない。尾張に帰ってから聞かせて貰う」

「京はどうなっているのですか?」

「聞いていないのか?」


蔵人が送った使者は誰も返って来ないので苛立っていた。

しかも三好勢が関を封鎖していたので旅人もやって来ない。

兄上(信長)に送っている使者も瀬田城に入らない。

まったく京の情勢が入っていないようだ!


「申し訳ございません。大和経由で様子を見に行かせましたが、まだ戻って来ておりません」


勝家がそう言った。

大和を迂回すれば、日にちが掛かる。

当然と言えば当然なのだ。

何故、山道を使って山を越えない。

解せん?


俺は音羽山・醍醐山の山々を抜ける修験道を使える忍びと普通の下人らを同列視していた。

普通の人が山に入ると遭難するのだ!

それでも地元の猟師とかの協力を貰えば、簡単には入れると思うのだが?

俺が蔵人らの無能さを再確認していた。


ただ、よく考えると無能というのは酷過ぎる。

14日の夕方の瀬田に到着し、15日に周囲を確認した。

今日、これから対応しようと思っている矢先に俺達が姿を現わしたのだ。

14日に大和経由で様子見を送った勝家の対応は早い方だと褒めるべきかもしれない。

ただ、街道を使うと甲賀に戻って信楽道を使って大和に入る。

そこから京に上るのだから遠回りになる。


「京はどうなっておるのでしょうか?」

「三好と戦をして逃げてきた所だ。三好 長逸みよし-ながやすを殺してしまったかもしれんので京に入るならば、10日ほど待った方が良いぞ!」

「三好長逸を殺したですと!」

「知らん! 首まで確認しておらん」


蔵人がぶつぶつと呟き出した。

時間がないのだ!

これ以上は付き合っていられない。


「魯坊丸様、詳しくお教え下さい」

「詳しいことは後続の季忠に聞け! 俺は急ぐ!」

「どういうことです!」

「今川が攻めてきたのだ!」

「まさか?」

「信じるかどうかは勝手にしろ! 付いてくるならば、身軽な格好で後に付け! 荷物は後続と一緒に後から持ち帰ればよい」


そう言うと馬を走らせるように千代女に命じた。

丁度、勝介しょうすけが捕まったようなので後は任せよう。

林 通忠はやし-みちだたなど騎馬隊をそのまま指揮して、俺を放置して先を急いでいる。


だが、野洲川の付近で通忠が馬を止めて俺を待っていた。

進藤 賢盛しんどう-かたもりの家臣が賢盛からの手紙と許可証と手形を持って待っていたのだ。

賢盛は儲け話を感謝すると書かれている。

わざわざ六角 義賢ろっかく-よしかたが定めた通行許可書を貰えた!

義賢に借り1つだ。

後で返して貰うと手紙に書かれていた。


「魯兄じゃ、何と書かれてあるのじゃ?」

「秋に再会するのを楽しみにしておると書かれておる」

「秋に何かあるのかや?」

「浅井で大きな紅葉狩りをするみたいだ」

「野立てをするならば、わらわも呼んで欲しいのじゃ!」

(「でっかい野立てになりそうだ!」)


俺は敢えてお市に返事をしなかった。

近江を通して貰う為にできることは何でもすると書いておいたので、今更嫌と言えない。

秋の戦も高く付くには間違いない。

上洛なんて二度と嫌だ!

赤字だ、赤字だ、大赤字だ!


「出発!」


手形は以前に借りた物と同じだ。

今回、保内商人に頼む荷物は京から尾張に戻る織田の兵だ。

宿では食事と仮眠を取れる場所を用意して貰う。

松明なども用意して貰い、以前のように夜の道案内もお願いする。


俺らは鍋も食糧も持参していない。

全部、知恩院に置いてきた。

急に用意しろと言った訳だから割り増し料金が高く付く。

銭が欲しい六角家にとって、いいカモだ!


この付近は野洲川と呼ばず、横田川と言う。

室町の頃に掛けた横田河橋を馬で一気に渡った。

そこを過ぎると日野川があり、それも渡ると近江八幡に到着した。

保内商人の案内で宿に入る。


「食事と仮眠を取れ!」

「温かいご飯なのじゃ! 茶を取ってたもれ!」


お市がさっそくご飯にありついている。

走りながらにぎり飯を食っていたハズなのによく入るな!

お市は温かいご飯の上にインスタント味噌を乗せてから茶を掛けると味噌茶漬けが完成する。

美味しそうな匂いがぷ~んと漂う。

皆、釣られてお市の真似をする。

そして、がつがつと美味しそうに食べている。

冷たい飯に温かいお茶を掛けて茶漬けにするのが普通なのだが、温かい飯に熱いお茶を掛ける新ジャンルを広めていた。


「千雨!」

「はい、何でしょうか?」

「この後、お市はどうする」


お市はそろそろ限界であり、いつ寝てもおかしくない。

牡丹の上から転がり落ちる。


「ご安心下さい。お市様に毛皮を着せて、私が牡丹に乗ってお市様を運びます」


どうやら千雨も乗ることができるらしい。

俺が乗ろうとすると嫌がる癖に、女ならば載せるのか?

スケベ猪め、いつか成敗してやろう!


「俺の荷物に油紙の合羽がある。それを着せてから背中に括り付けろ。それで雨を防げる」

「助かります」


これでお市の問題は片付いた。

遅れてやってきた勝家が宿に逃げて来た。


「一緒に帰ることにしたのか?」

「ご同行させて頂きます」

「津々木はどうした?」

「まだ、納得しておらず、内藤様と話されていたので騎馬隊のみ引き連れて、先行して追い駆けて来させて頂きました」

「そうか、びしょ濡れだな! 一度、服を脱いで暖を取れ! 先は長いぞ!」

「お気づかい、感謝致します」


勝介しょうすけは強制的に後続の従者衆と合流することになったようだ。

俺もそろそろ限界であり、食事を終えるとお市と共に寝息を立てた。

どしゃぶり雨が続く!

小休止のつもりがかなり長い休憩になり、雨が小雨になったのは日付が越えた真夜中であった。

俺は眠たい目を擦りながら毛皮を着せられ、その上から油紙の合羽を纏って馬に乗ると、千代女と一緒に紐で体をぐるぐる巻きにされて固定された。

千代女の背中が温かく、おれはもう一度寝息を立てた。


「もう時間がない。出発する!」


千代女の声で小雨の中を出発した。

暗闇の中、風が轟々と吹いていた。

松明の火も消えそうくらい細々としており、思ったほど速く歩けない。

だが、保内商人の案内役も馬鹿ではない。

町からしばらくは左程の勾配もない。

道も広い!

山に入る頃に日も明けて、辺りも少しは明るみが出て来る。

そして、その予想通りになった。

朝が来て辺りが明るくなると、歩みも速くなってくる。

だが、足元がぬかるんでいる。

この速度では夕方までに桑名に着けそうもない。

しかも風はまだ轟々と吹き付ける。

千代女は舌を打って悔しがった。


ぱっか、ぱっかと馬は駆ける。

少し目が覚めてきて薄め目で後を見ると長蛇の列になっている。

一列に並んでいるので長く見えるのだ!


俺の体はぐるぐる巻きにされて身動きも取れない。

外せと命じるのも時間の無駄だ!

俺はこのまま身を任せて寝ることにした。


ぱっか、ぱっかと馬は駆ける。

走れ、走れ、走れ!

俺は寝る。

おやすみなさい!

小休止の宿所で食事と休憩を取る為に起こされました。

のおぉぉぉ、もっとゆっくりと寝させてくれよ!


嵐の中の『近江大返し!』って何?

知りません。

高々、500人に満たない兵じゃないですか!

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