閑話.恥の上塗り、厠評定。

最後の管領と呼ばれる細川 氏綱ほそかわ-うじつなは開戦前夜の13日に吉田神社の前の寺領に本陣を置きますが、夜半に起こった腹痛で吉田神社の厠の近くの部屋に輸送されました。

京の町から名医と呼ばれる者が呼び出され、腹下しに利くという妙薬を飲んで何とか落ち着いたそうです。


(細川)氏綱と一緒に居られた河内・紀伊守護畠山 高政はたけやま-たかまさ、北河内衆を率いる畠山 政尚はたけやま-まさなお、紀伊衆を率いる湯川 直光ゆかわ なおみつ、大和衆を率いる筒井 順政つつい-じゅんせいなども宴会に参加しており、吉田神社に運ばれました。

吉田神社からすれば、庭先を貸しただけのつもりがいい迷惑です。

本殿からその他の部屋まで腹を下した紀伊の武将が担ぎ込まれ、医者の手伝いをしながら看護させられることになったのです。

神社の外は藁のむしろをずらりと並べ、具合の悪い兵が芝生のように寝かされています。

しかも足元に置かれた壺で用を足すのです。

起き上がることもできない者はその場で下を濡らします。

鼻を摘まなくては歩けません。

どこから高僧が(細川)氏綱を見舞いに訪れ、その惨状を『腐臭地獄』と揶揄したそうです。


「あぁ、臭い、臭い!」


三好 長逸みよし-ながやすの調べで井戸の水も危ないとなれば、鴨川から桶で運ぶしかありません。

まだ無事な紀伊の兵が水桶を運ぶ姿が甲斐甲斐しく見えました。

もちろん、高貴な(細川)氏綱に川の水を出す訳も行かずに、霊験あらたかな下鴨神社の井戸から運んできます。


初戦で手痛い仕打ちを受けた(三好)長逸と三好衆の兵は織田を侮っていなかったので、前夜に宴会をするという馬鹿なことは致しません。

また、三好の兵と同じく陣を組んでいた紀伊畠山の兵も長逸の厳戒令ではしゃぐことを禁止されました。

被害者の多くは紀伊畠山家の武将なのです。

もちろん、隠れて酒を呑んだ者や武将に進められて馳走になった者も腹を下して運ばれました。

いつの世も馬鹿はいる者です。

その数は約1,000人で神社の前に並べられれば、さぞ迷惑だったでしょう。


「旦那様、肩を貸しますので起き上がって下さい」

「もう駄目だ!」

「旦那様、家の名誉の為です」

「無理だ!」


この年でしもの世話、下人も楽ではない。


山科に布陣した三好の兵は長逸のいいつけを守って宴会をしていませんでしたが、井戸や置き水の甕にも腹下しの毒が放り込まれており、手痛い被害を出しました。

一方、紀伊畠山衆と河内畠山衆は目が届かないのをいい事にどんちゃん騒ぎをしてしまったのです。

全滅に近い有様です。

小者や下人らが酒にありつくこともなく、無事だったくらいです。

こちらも世話人が居て幸いでした。

三好勢から戦力外を言い渡され、街道の山科の出口付近に陣を引いて貰います。

来る予定のない六角への備えです。

皆、青い顔をしながら腹痛に耐えていました。

知恩院の裏手から攻める役は三好勢のみです。

何の為に援軍に来て貰ったのか判りません。

本当に動けない者は少し離れた小川が通る辺りに野ざらしです。


清水寺の前に布陣したのは大和衆でした。

管領 (細川)氏綱と (畠山)高政の要請に応えての出陣です。

まだ、幼い筒井 順慶つつい-じゅんけいを抱える陣代(後見人)の (筒井)順政はここで恩を売っておきたかったのでしょう。

その順政も本陣の宴会に呼ばれて不在となります。

タガの外れた諸将が気前良く、町衆から貰った酒を兵に振る舞ったのです。

結果は山科の畠山勢と同じです。

倒れた順政は西宮城主の島 清国しま-きよくにに後を託します。

大和で筒井家と勢力を争っている島家ですが、非常に豪の者が多いのです。

矢が刺さったくらいで槍を止めないのが島家の者です。

腹が痛いくらいで寝させて貰えるハズもあり得ません。

被害は全滅に近いのですが、報告された数は約1,000人であり、残る4,000人は戦えると (島)清国は判断しました。


『根性を見せてみろ!』


そう叫びながら立ち上がらなければ、その場で槍をぐさり!

青い顔をして、皆は立ち上がっていたのです。


夜明けに近づく頃には (細川)氏綱や (畠山)高政らは妙薬が少しは利いたのか、話せるくらいには回復してきました。


「おのれ! ごろろろろぉ!」


怒りを露わにして力を込めるとお腹から雷様が鳴り出し、(細川)氏綱は厠へと急ぎます。

いかん、いかん、いかん、情けない声を飛び出します。

管領が走ってゆくと、何故か吊られて(畠山)高政も行きたくなり、一人、二人と走ると不思議なモノで自分も行きたくなるのです。

後を追って、(湯川) 直光と(筒井) 順政も厠に向かいます。

腹の痛みが治まってくると部屋にいるより、厠にいる方が長くなってきたのです。

吉田神社の厠は大勢で使うことができました。


「このような屈辱は生まれて初めてだ!」

「管領様、お怒りは尤もですが、余りお怒りにならない方がよろしいかと!」

「高政、おまえは怒っておらぬのか?」

「某もはらわたが煮えくり返り、中にある物をすべて吐き出したい気分でございます」


くくく、高政の言葉は笑いの壺に嵌ったのか、直光は思わず苦笑を上げた。

それは比喩ではなく、本当に吐き出しているのだ。

高政はそれが判っていない。

なんと滑稽なことか!

自分の情けなさを感じると共に、まだ強気なことを言っている二人が面白かった。


「直光、何を笑っておる」

「自分の情けなさを笑っております」

「順政、おまえも何か言うことはないのか?」

「この恨み、100倍にしてお返しする所存でございます」

「おぉ、よう言った。織田など皆殺しだ!」

「管領様、その通りでございます。兵が減ったと言っても、まだ8,000人も残っております。直光、どう配置すればよいか?」


聞かれても直光は困ってしまう。

知恩院の北に配置した紀伊衆の武将が軒並み倒れており、側衆が身代わりとなり、兜を被って馬に乗っている。

武将でもない者に指揮が取れるのだろうか?

三好に合わせて兵を進ませるしかない。

山科に配置した河内畠山衆は戦力外だ。

となると、頼りは大和勢だ。

清国が率いる島衆は戦になるとめっぽう強い。

郡山衆の中殿、辰巳殿、薬園殿は立ち回りが巧い。


「本隊は三好に合わせて進軍するだけで問題ありません。三好が大外の外門をこじ開けた後に入り込めばよろしいかと思われます」

「手緩い! 総掛かりだ。織田に背筋が凍り付くほどの恐怖を与えよ。抵抗せずとも皆殺しだ。織田魯坊丸とお市以外は切り殺せ!」

「それは心証が悪くなります」

「管領を怒らせれば、どうなるか見せしめだ!」

「管領様の命だ。そのように致せ!」


氏綱、高政も簡単に言ってくれると、直光は聞こえぬくらいの声で舌を吐いていた。


「我らは正々堂々と挑もうとしておるのに、織田はこのような卑劣な策を弄するなど、武士の風上に置けぬ所業を、ぬおぉぉぉぉぉぉぉ!」

「管領様、お気を鎮め下さい。薬師は申すには水を吐き出させ死に至るかもしれぬ毒らしいのですぞ。気を高めてはなりません」

「おのれ、織田め!」

「直光、問題ないのであろうな!」

「背後の南から大和勢も攻めます」

「大和の島 清国しま-きよくには敵衆ではございますが、中々の豪の者でございます。あの者が攻めれば、一溜りもありません」

「島衆はそれほど強いか?」

「情けないことですが、倍の敵ならば、軽くいなされてしまいます」

「それは上々だ!」

「まっこと、力強い味方でございますぞ!」

「大和勢4000人の内、1000人を東山霊山城に続く山道に配置すれば、公方様も手も足も出せません。残る3,000人で襲い掛かれば、1500人しかおらぬ織田勢は陥落することでございましょう」

「目にモノを見せてくれる。ぬおぉぉぉぉぉぉぉ!」

「管領様、お気を鎮め下さい」


何か尤もらしいことを話しているが、皆、厠で同じ方向を向いて座っている。

これほど滑稽で奇妙な評定も珍しい。

このことは吉田神社で仕えている神職、神人らの口から人々に伝わった。

これが世に言う『知恩院・東山霊山城の戦いの吉田神社の厠評定』である。


吉田神社にとっていい迷惑な評判だ。

この話は全国津々浦々ぜんこくつつうらうらまで語り継がれる。

管領の細川氏綱と紀伊・河内守護の畠山高政の愚かさを後世まで伝えることになる。

これが『恥の上塗り、厠評定』である。


後世の落語家がこよなく愛した笑いネタだ!

腰を浮かせて、客に尻を向けてぷるんぷるんと立ち回りのある落語だ。

その滑稽な動きに笑いが起きるらしい。


「一人を十人で取り囲んで正々堂々もあるものか? そう思うだろう」

「その通りだ!」

「その一人に十人が叩きのめされるからお笑いモノだ。しかも尻を出して糞をしながら! 絞まるところも絞まっていない」

「辰さん、さっきから糞、糞、糞と言っているがいけねいよ」

「糞を糞と言って何が悪いんだい」

「糞ではない。おうんこ様だ」

「言い換えれば、何が良い事でもあるかい! 偉い様が四人揃って糞を垂れていただけだろう」

「嫌、嫌、嫌、おうんこ様だ」

「だから言い変えると、どう違うんだ?」

うんが落ちてゆきまする」


じゃんじゃんじゃんとすべてを洗い流すような叩きばちの三味線の音が鳴り響き、ゆっくりと静かになってゆき、落語家は両手を前に揃えて頭を下げた。

お後がよろしいようで!


そんな感じで後世の笑い者にされるとは露にも知らない二人です。

どうしてこれほど不評だったのか?


室町時代の世の中では、

『命を惜しむな、名を惜しめ!』

まだ、そんな言葉が残っておりました。


味方を見殺しにしながら、自らが率いてきたほとんどの武将が無事に国元に帰っていったのです。

戦を逃げた臆病な武将の代名詞として後世に語り継がれるなどと思っていなかったでしょう。

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