第82話 織田三十郎、鈴鹿峠を越える。

関の宿を出発した末森の一団は鎌倉街道を上って鈴鹿山脈の鈴鹿峠に差し掛かった。

鈴鹿峠は他の峠よりもっとも楽な峠であったが、それでも鎧兜を身に付けた武者、鎧を纏い、大きな荷物を背負わされている足軽らの足は重かった。

揺るやかな坂を登り、峠も近づく所で片山神社へと続く急こう配が待ち受ける。

兵達の顔が歪んでゆく。

神社を通り過ぎると鈴鹿の関が目に入った。

関を守る兵も緊張している。

関を抜けるとすぐに峠越えだった。


「休憩だ!」


峠を越えると先頭で末森の騎馬隊を預かっている (津々木)蔵人くらんどが声を上げた。

兵達が一斉に情けない声を上げて、その場に崩れた。

ここまで小休憩もなしだ。

流石に兵も根を上げている。

蔵人が (織田)三十郎の元に駆け寄った。


「この先に水飲み場がありましたので休憩とさせて頂きます」

「よきにはからえ!」

「畏まりました」


兵達は水を取ってくると、陣中食の干飯ほしいいなどを取り出して食い始める。

普段は一日二食であるが、こういう場合は腹が減るので三食になる。

三十郎は中根南城の生活に慣らされているので普段から三食だ。

水で溶かしたインスタントの味噌汁と干した魚、沢庵、そして、早朝の作らせたにぎり飯が並ぶ。

三十郎はデカイにぎり飯を手にとって、がぶりと食い付いた。


「う~ん、腹の足しにはなるが、やはり熱いにぎり飯がよいな!」

「無茶を申されても困ります」


小者の白髭しらひげがそう答える。

お市にも忍びが付けられているが、この小者が三十郎の護衛だ。

側近の者らが蔵人に駆け寄って、これ以上の無茶な行軍を止めるように掛け合っている。

やはり、今日中に京に入るのは無茶だ!

騎馬隊のみ先行する手もあるが、馬も鎧武者を乗せたままで駆け足を続ければ壊れてしまう。

焦る蔵人を側近らが罵倒している。

我関せず、そんな風に三十郎は飯を食う。


「織田以外の景色を見るのは楽しいが、如何せん尻が痛い!」

「我慢なさって下さい」

「判っている。だが、皆、辛そうだな!」

「普通ならば、この先の土山の宿で泊まるところでしょう」

「違うのか?」

「先を急ぎますので甲賀の里まで行くつもりでしょう。可能ならば、夜を通して京に入りたいと思っているかもしれません」

「それは嫌だな!」


三十郎の視界に (柴田)勝家かついえの姿がちらりと映った。

見回りなのか?

にぎり飯を欲しそうな顔をしているので声を掛けた。

(勝家は元々、そういう顔です)


「勝家、一緒に食おう。まだ、沢山ある」

「三十郎様の分を取るつもりはございません」

「余分に作り過ぎたのだ!」

「それでは1つ頂きます」


勝家がにぎり飯を取ると、大きな口に放り込み、巨大なにぎり飯の半分が一口で消えた。

体もデカいが食い方まで豪胆だ!

ははは、熊のような奴だ。


「三十郎様は怖くございませんのか?」

「何をだ?」

「京では戦になるかもしれません」

魯坊丸ろぼうまるがまだ京にいるのであろう。ならば、大丈夫だ!」

「それは如何なる理由でございますか?」

「あいつは信長兄上の戦下手を散々になじってきた。あいつが京に居るなら、安全か、勝つ算段があるのだろう」

「口先と実践は違いますぞ!」

「俺ならばそう言われても仕方ない。俺は将棋が強くてな、末森ではほとんど負け知らずだ。だが、魯坊丸だけには勝ったことがない」

「それがどうかしましたか?」

「あいつは『捨てる駒を考えないと、俺に勝てませんよ』と言う。 将棋は相手の駒を取らねば勝てない。だが、あいつは飛車ひしゃを捨てる。角行かくぎょうを捨ててくる。それを取ると負けてしまう。判るか?」

「判りません」

「俺も判らん。勝家は将棋をしたことはないか?」

「ございません」

「そうか! ともかく、頭が違うのだ! 頭が!」 

「そうでございますか?」


勝家は丸い目をさらに丸くしていた。

ともかく、勝家は総大将の三十郎が落ち着いているのはよいことだと安心した。

一団は甲賀の里で望月出雲守の歓迎を受け、望月館に入って体を休めた。

蔵人は不満そうだったが、出雲守の威圧に屈した。


 ◇◇◇


公方様は夜討ち、朝駆けはしなかった。

(三淵) 藤英ふじひでの説得を聞いてくれたのだろう。

酔い潰れた三好・畠山の兵が昼頃から移動を始め、知恩院の北側に一万、山の裏手の山科に一万、南側の清水寺の辺りに五千が陣取った。

昨日に続いて、町衆が酒(にごり酒)や肴を運び込んだ。


「ご苦労様でございます」

「この荷は何だ?」

壺銭つぼせんでございます」

「そうか、役議によって中を検める」


壺銭つぼせんと言うのは酒のことだ。

壺一つに付き、酒造役(酒税)を取っていたことから、酒の入った壺を壺銭つぼせんと呼んだ。

下級の兵士が柄杓を取って、中の酒を検める。

ごく、ごく、ごく、一口ではなく、ひしゃく一杯の酒を一気に飲み干した。


「おまえだけ狡いぞ!」

「おまえも他の壺を検めればよい」

「そうか、俺はこちらの壺にしよう」


下級の兵らが群がって酒を検めた。

商人に扮した加藤がにやりと笑う。

この壺銭には下剤の団子が入っている。


毒液を小麦粉の上に垂らして団子を作る。

その団子をぽとりと壺に落としておけば、しばらくするとほぐれて全体に下剤が広がってゆく。

直後は団子も崩れておらず、効果は期待できない。

見張りの兵がこぞって、壺銭の毒見をしてくれた。

機嫌がよかったのか、(細川)氏綱が直々に出て来て持ち込まれた献上品を見て満足そうに微笑んだ。


「大義である。町衆の忠義、この氏綱、感じいったぞ!」

「ありがとうございます。ご勝利をお祈りしております」

「うむ、うむ、そうか!」


町衆に支持されていることに満足したのか?

氏綱は昨日に続いて上機嫌であった。

明日は戦だと言うのに、その日も宴会を許した。


「氏綱様は何を考えておる」


夜が更けてくるとあちらこちらで篝火が焚かれ、町衆が持ち込んだ酒と肴で宴会が始まった。

昨日ほどのどんちゃん騒ぎではないが、思い思いに肴を手に取って酒を呑んで楽しんだ。

(三好)長逸ながやすは慌てて、氏綱の陣に入った。

氏綱が (畠山)高政、(湯川)直光なおみつらを呼んで宴会をしていた。


「氏綱様、このように浮かれていては戦になりませんぞ!」

「何を恐れる。高々1,500。河原の者も含めても3,500に届かないと聞くぞ!」

「確かにそうですが…………」

「心配無用、我ら畠山が露払いをしてみせましょう」

「そうじゃ、そうじゃ!」

「侮る敵ではございません」

「よい! まずは一献、呑め!」


長逸ながやすは差し出された酒を一杯だけ飲み干した。

氏綱や直光は完全に織田を侮っていた。


「町衆も言っておった。織田は口だけだ! 落とし穴や毒を使う小細工しかできない小物だと申しておった」

「それは事実でございますが、侮ってはいけません」

「ちょ、ちょっと待て! 急用を思い出した。暫し待て!」

「おぉ、某も!」


氏綱の陣で宴会をしていた者らは慌てて出ていった。

草むらで何をしているのかは敢えて問わなかった。

長逸ながやすも興が醒めたのか、陣に戻っていった。

翌朝、氏綱や直光が寝込んでおり、名代が出てくる。

そこではじめて長逸ながやすは織田の策であったことに気が付いたのだ。


「又しても、やってくれたな!」


長逸ながやすは本陣で台代わりにしていた盾を真っ二つに割るほど怒りを露わにした。

ぶりぃ、きばったときに長逸ながやすも少し漏らしたようだ。

何事もなかったように座り直した。

長逸ながやすも腹を摩る。

何となく、腹の具合が悪かった。

ぷ~んと何か臭うが誰もそのことに言及しない。


「おのれ!」


長逸ながやすの目に憎たらしい魯坊丸の顔が浮かんでいた。


 ◇◇◇


知恩院では明日に備えて、最後の準備を急いでいた。

祇園社と接する壁と掘の作業はぎりぎりまで続けられた。

皆、がんばっていた。

俺も朝寝、昼寝で英気を養い。

その日は暗くなる前から床に入り、日が昇る前に起き出して加藤からの報告を聞いた。


「見事だ!」

「私は魯坊丸様の指示通りに動いただけでございます」

「町衆が疑われる心配はないな?」

「沢山の毒見役がございます。問題ないと心得ます」


水瓶、使いそうな井戸に毒団子が放り込まれた。

残念なことは三好軍が宴会をしなかったことだ。

しかも本陣を氏綱に渡したので三好の軍は鴨川付近に駐屯した。

井戸の水を使わず、鴨川の水を使ったらしく被害が小さい。

畠山の兵は四割近くだったのに対して、三好の兵は二割くらいしか脱落しなかった。

平均で三割、7,500兵が脱落と言った所だろう。


「思ったより成果は薄いな! 半分は削ぎたかったのだが?」

「動ける者は動員しているのでございましょう」

「そうか、そうかもしれんな! ならば、士気も下がっていよう」

「何かよい策でもございますか?」

「ないよ。普通に待つだけさ!」


停戦が切れる日の出まで、あとわずかであった。

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