第81話 紀伊・河内守護畠山高政の上洛。

4月12日、細川氏綱が畠山高政の紀伊・南河内の兵を率いて京に上洛を果たした。

氏綱は自ら先頭を進み、かなり派手な鎧武者の格好で馬に乗って行進する。

まるで自分が一万五千の兵を引き連れてきたような振る舞いだ。

そもそも氏綱は元々在京しており、桂川の下流で合流した。

長逸のいる吉祥院城に入城すればいいものを、わざわざ京の南を迂回して、鴨川の土手を北上して、御所のある二条大通りを横切っての上洛であった。


「氏綱は馬鹿なのか?」

魯坊丸ろぼうまる様、管領様を呼び捨てになさるなど!」

「敵に敬称などいるか?」

「我らに到着を見せ付ける為ではありませんか?」

「そんな訳あるか! 普通の上洛と勘違いしている。あいつらは逆賊だぞ! 自分らが朝廷に逆らっているという自覚がないのを露呈しておる」


知恩院からも鴨川の土手に畠山の兵が長々と続く兵が見えていた。

大軍を率いて京に上洛するのは武家にとって花形である。

しかし、長逸は朝廷の兵に逆らって騒動を起こし、幕府の調停も無視している。

帝は(畠山)高政に兵を退くように使いを出した。

それを無視して上洛を果たし、帝のいらっしゃる御所の前を行進するのは、帝を武力で脅す行為に等しい。

本人は帝を脅しているつもりなどないのだろうか?


町衆は畠山の上洛を歓迎していないのだが、乱暴・狼藉はご遠慮頂きたい。


そこで町衆は銭・酒・食糧を納め、長逸、氏綱、高政の三方に送り、乱暴ご法度の証文を頂いた。

長逸らを快く思っている訳ではないが、町に火を付けられるなどされては堪らない。

三好・畠山連合軍が暴徒と化さない為に協力を惜しまないという姿勢を示すしかなかった。

長逸ながやすは気分よく氏綱、高政を迎えた。

その日は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだ!

完全に油断仕切っていた。


公方様から朝駆けのお誘いの手紙が届いた。

見立ては正しい!

物見遊山の兵達は緩み切っており、夜襲を掛ければ総崩れだろう。

総勢二万五千の三好・畠山連合軍をわずか二千兵の公方様が勝つには今しかない。

忍びを平行して使えば、3つの首が簡単に揃ってしまう。

しかし、長逸ながやすが討ち取られたとなると、(三好) 長慶ながよしも本気で攻めてくる。

るつもりなら初日に首を奪いに行っているぞ!

三好に加えて細川家と畠山家に恨みを作る。

春はやり過ごせるが、秋以降に大攻勢をどう凌ぐつもりなんだ?


やるならお一人でどうぞ!


俺は尾張に帰って三好と和睦いたしますので、秋以降の反撃はお一人で対応して下さい。

そう返事を送ったら、三淵 藤英みつぶち-ふじひでが渋い顔をしてやってきた。


魯坊丸ろぼうまる殿、公方様を挑発しないで頂きたい」

「怒っていましたか!」

「手打ちにすると飛び出さんばかりに!」

「ははは、阿呆なことを言うからです」

「本当に殺されますよ!」

「それは困る」

「言葉に気を付けて頂きたい。公方様とのご盟約をお忘れですか?」

「勝手に動かれては盟約などあったものではない」

「今が好機なのはお判りのハズです」

「確かに好機だな! 油断しまくりだ。だが、首を取った後はどうする? 畿内は泥沼だ」

「だからと言って『お一人でとか!』とか、挑発的なことを言って貰っては困ります」

「本音だからだ!」


(三淵) 藤英ふじひでが首を捻った。

一々、説明しないと判らないのか?

俺は扇子を振って顔を近づけろと言う。


「よいか! 織田は信用を失う訳にはいかない。公方様がやる分には織田は知らないという立場を取る。忍びを使って三人を捕える協力はするが、おおやけには織田は知らなかったという立場を貫き通す」

「何故、そのような面倒なことをされます」

「織田は信用に足る。交わした約定は必ず守る。これに勝る武器はない。これは何に変えても守るべきものだからだ!」

「ならば、そうおっしゃってくだされば!」

「公方様の周りにも間者は潜んでおる。軽々と本心を言える訳もない。それに三人を殺すのは簡単だが捕えるは至難の技だ! 成功するとは思えん」

「成功しませんか?」

「無理だな!」

「公方様はここで勝って! 自らの武威を示したいと考えておられます」

「判っておる。だが、この戦はもう勝っておる。敵の兵糧は5日で無くなります。俺が火を放ってそう致します。ですから、攻めるのは5日後だと伝えて下さい!」

「5日後ですな!」


藤英ふじひでがそう言うと元に位置に座り直した。


「反乱鎮圧はすぐに済むでしょう。 長慶ながよしが到着し、それでも従わぬ場合は討って出ましょう。お供致しますとお伝え下さい」

「三好の 長慶ながよしですか?」

「7日もあれば、反乱を鎮圧して上がってくると思われます」

「7日後?」


藤英ふじひでの顔に『本当ですか?』と書いてある。

知らん。

すでに高槻城を落としたからその気になれば、いつでも上洛できるのだよ。

芥川山城の芥川孫十郎の説得に時間が掛かっているだけだ。

落とす気なら明日でも落とせるのじゃないか?

何がしたいのかは 長慶ながよしに聞いてくれ!

長逸ながやすの兵糧が10日後くらいで怪しくなるから、それまでには上がってくるだろう。

俺だって公方様に合わせて無理をしているのだ。

それ以上は面倒が見切れない。

ホント、公方様の三好嫌いも困ったものだ。


「とにかく、この魯坊丸ろぼうまるは一切知りません。そう公方様にお伝え下さい」

「判りました。お伝えしておきます」

藤英ふじひで様、公方様をお願い致します」

「承知しました」


ここまで言って、朝駆けするようなら俺は知らんぞ!


 ◇◇◇


少し戻って、その日の早朝 (4月12日早朝)。

六角 義賢ろっかく-よしかた様に通行の許可を貰った末森勢は熱田の湊を出港した。

500人が海を渡る船をすぐに用意しろとは末森も無茶を言う。

5日前 (4月7日)に命じられた佐治が慌てた。

那古野が持つ小早こはやを使えば簡単なのだが、小早は帆船ではない。

しかし、小早は騎馬100騎を乗せるには不向きだった。

(無理すれば、渡れるでしょう)

そこで艤装も終わっていない300石船まで出して来て、戻ってきた帆船や大湊の船も呼び寄せて、なんと3日 (4月10日)で揃えた。

義賢に送った使者が戻って来たのは4月11日で、出港は12日の早朝になったのだ。

佐治の苦労は報われなかった。


船団は熱田を出て安濃津あのうつの湊を目指した。

安濃津は津波の被害で見る影もなく衰退し、復興した湊がまだ小さいままであったが、降ろすのには問題はない。

船団は岸に船を付け、そこから伊勢別街道を通って鎌倉街道に合流する。

初日は関の宿に入った。


「一日、出港が遅れたのは拙うございますな!」

「しかし、前触れもなく、軍団が現れれば、要らぬ諍いが起こる」

「それはもっと困りますな!」

「桑名でなく、安濃津を目指したのも諍いを減らす為だ」

「仕方ありませんな!」

「ところで三十郎様は如何ですか?」

「中々に豪胆なお方だ! 旅の疲れも見せず、たらふく食って寝てしまわれた」

「明日は鈴鹿越えですな!」


4月13日、織田の交渉団は鈴鹿峠を越えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る