閑話.林秀貞、盟友と再会す!

林 秀貞はやし-ひでさだは伯父の通忠みちただから送られてきた手紙を持って、縁側から星を眺めていた。

月明かりのない星空は煌々と照って、我こそは主人とその明かりを比べ在っている。

秀貞はただ、それを眺めていた。


「まこと惜しいことをした」


ひしゃく座がまるで北帝に水を注いでいるように見えた。

魯坊丸ろぼうまるは前座であり、信長が上洛する折の露払いであった。

次がある。

そう言われ、(平手)政秀まさひでの代わりに自分が上洛に付き合おうかと思ったが、信長が残って欲しいという願いを聞いて叔父の通忠に譲った。


「公方様をはじめ、北帝を守る星々の方々とえにしが結べるのであれば、儂が行くべきであった」


公方様とこんな話をした。

右大臣様は気軽な方で話しやすい。

権大納言直々にご教授頂けるとは珠玉の極みとつらつらと書き綴られていた。


「あぁ、口惜しい! 無理を通して、儂が行っておけばよかった」


内藤 勝介ないとう しょうすけの気苦労など、数多の星々と交われるなら至高と言うものである。

秀貞はそう考え、ただただ羨ましかった。

通忠から手紙が送られてくる度にやけ酒を呑んで、縁側で星を見るのが日課となっていた。

夜風が身に染みる頃に床に入った。


夜が明ける頃に那古野城から登城するようにとの下知を頂く。


月初めの評定も終え、秀貞は沖村城に戻って、城の備えや、清州城を囲む西砦、岩倉城の者を迎え撃つ北砦などを回るつもりであった。

秀貞の居城である沖村城は、清州城と岩倉城を結んだ直線上の中間に位置する。

清州城を攻略する上の最重要拠点だ。

岩倉城の織田伊勢守家にとって目の下の腫れ物であり、武闘派の林一族がこの辺りを所領していた。


織田伊勢守家はこの林家がいる為に五条川を迂回して交流をせねばならなかった。


秀貞はここを守りながら領地運営をする。

那古野ほどでないにしろ、砦の確認、周辺の警備、町の開発、荒地の開墾や農地の整備などせねばならないことが多い。

那古野に毎日通うほど暇ではない。


だが、信長に呼ばれれば、その限りではなかった。


 ◇◇◇


信長は秀貞を出迎えると、城の中にある天王社の別当寺に向かった。

住職である沢彦宗恩たくげんそうおん和尚が出迎えてくれた。

そして、本殿に入ると?


「まさか!?」

「お久しぶりです」

「政秀、生きておったのか?」

「政秀は死にました。功菴こうあんと名乗る幽霊僧です」

「ははは、そうか! 信長様が落ち着いておったのはそう言う訳か!」

「私が居なくとも、もう大丈夫でございます」


秀貞と政秀はしばらくぶりの再会に花を添えた。

昔話からはじまり、故信秀との苦労話、やんちゃな吉法師をどう育てるかで対立していた。


「信長様が奇天烈になったのは全部おまえのせいだ!」

「何を言う。跳ね返りに育てたのはお主が追い詰めたからに違いない」

「きわものばかり教えよって! 南蛮かぶれになってしまったではないか?」

「調練とか言って連れ出すから破天荒になったのです。稚児を女の元に連れて行く馬鹿がいますか? 女舞いなど教えるな!」


政秀は茶道や和歌などに通じた文化人であり、山科卿が驚き、感心させるほどの傾奇癖があった。

秀貞は故信秀と女遊びを共にやった仲であり、東に美女がおれば見に行き、西に才女がおれば会いに行った。

女の関心を得る為に武術、芸事は嗜みであった。

最初は懐かしい思い出話で旧交を温めていたが、いつの間にか口喧嘩に変わっていた。

昔から何か言い合うと口論になっていた。


「そろそろ、よろしいかな! 喧嘩させる為に呼んだ訳ではございません」


和尚の声で喧嘩も終わった。


 ◇◇◇


信長も太雲たうんを伴って戻ってきた。

忍びの網は故信秀と魯坊丸を中心に構築された。

末森の警備も以前のままであった。

その情報は前棟梁の太雲の元に集まってくる。

太雲の目を盗んで末森の密談などできるハズもない。


「母上にも困ったものだ!」

「まだ、状況が判っておられないのだと思います」

「那古野に移って頂ければ、すぐに理解できると思うのだが!」

「末森では無理かと」

「田舎に閉じ籠っておるから判らんのだ!」

「魯坊丸様が聞けば、羨むことでしょう」

「ははは、今の言葉、悪童あくとうには伝えるなよ」

「承知しました」


信長もこのことを信勝に伝えるつもりはない。

そもそも信勝から何も言って来ない。

こちらから親切に教えてやるつもりもなかった。


「信勝様がこの忍び網を寄越せと言ってきた場合はどうなさるのですか?」

「魯坊丸に腹を切らせるとか言っている奴に渡せる訳がないであろう」

「それは助かります」


そう言いながら信長は少し冷たい目で太雲を睨んだ。

故信秀は網を魯坊丸に残した。

忍び達の主は家督を譲った長門守であり、その主人の信長である。

しかし、心の主人は魯坊丸だ。

それは仕方ない。

魯坊丸以上に巧く使える者がいない。

忍び達もそれをよく理解している。

それは故信秀の遺言みたいなものなのだろう。


信長も政秀を策略に掛けた今川への報復でそれをはっきりと知った。


魯坊丸は頭1つ抜けた存在だ。

まず、信長は家臣の忠誠心を集めなければならないと思った。

それができて、はじめて対等になれる。


「秀貞、魯坊丸を越えねばならぬ。知恵を貸してくれ!」


信長がそう言うと、二通の手紙と一通の写しを広げた。

そして、太雲が知る限りのことを三人の知恵袋に話した。


 ◇◇◇


魯坊丸は中国の尼子と毛利を詳しく調べていた。

戦が起こると察すると兵糧を買い漁った。

太雲の元にも東海・美濃・近江・伊勢の米を買い漁るように指示がきた。


「他の堺、紀伊、敦賀、小浜にも手の者がいるのですね?」

「当然ですが、京や大和にもおります」


信長も戦があるので兵糧を買い漁るのは理解できたが、東海・畿内の全域で買い漁る理由が思いつかない。

流石に尼子・毛利でも使い尽くせない。

沢彦和尚が口を開いた。


「魯坊丸の狙いは米の相場を吊り上げることです」

「米の相場?」

「現に丹波で戦が起こりましたでしょう。尼子・毛利の為に米を買われ、周辺ではどこにも余っていない」

「何故、そうなる?」

「信長様、一石が1,000文の米を1,200文で買うという商人がいればどうされます」

「売れば、200文が余分に儲かるな!」

「はい、ですから! 領主は余剰米を売って儲けるのです。そこで戦が起こると、使える米が余っておりません。足りない米を商人から買わないといけません」

「買えば良いであろう!」

「畿内、東海には余っている米など、どこにもありませんぞ! すべて魯坊丸様の息が掛かった商人が買い占めております」


信長がはっとする。


「三好が丹波で戦をするのに、高い米を買わされることになったでしょうな!」

「なるほど」

「船の手配や尼子・毛利の詫び料がいると言えば、1,200文で買った米を1,500文くらいでも売れますぞ!」

「流石、功菴(政秀)殿。もうお気づきになりましたか!」

「だが、畿内で戦が起こらなければ、損をすることになるではないか?」

「信長様、それはありません。尼子と毛利は戦をしているのです。買える兵糧は余るくらいに買ってくれるでしょう。儲からないまでも損はしないでしょう」

「太雲、実際はどうであった!」

「丹波で戦が起こると、堺から大量の兵糧が丹波に運ばれております」

「ははは、上洛の費用をそこで賄ったようですな!」


沢彦和尚が笑った。

功菴(政秀)が考え、秀貞も感心する。


「平手の爺ぃ、何か思うことがあったか?」

「信長様、魯坊丸様がなぜ三好と戦ができるのか判った気がしました」

「儂もそれが聞きたかった。敵の直中ただなかにいるのに、あの自信はどこから来るのか? いくつかは思い当たる節はあるが、悪童あくとうは一か八かの戦を嫌う!」


赤塚の戦で散々に言われたことを思い出していた。

魯坊丸は敵より多くの味方を集めることを第一としていた。

今回は真逆だ!

少数で圧倒的な大軍に挑んでいる。


「信長様、それは違います。その大軍が使えないのです」

「何故だ! 三好は三万から五万の大軍を動員できるハズだ!」

「その大軍に食わす兵糧をどこから手に入れるのですか?」

「買えばよい!」

「誰からですか? 魯坊丸様からですか?」


尼子・毛利の戦を口実に三好の兵を封じた?

あり得ない。

考えもしなかった。

そんな戦の仕方があったのか?

信長は驚き愕然とした。


「もし、三好が大軍を動員すれば、味方の城や領民から略奪するより兵糧を手に入れられません」

「そうなれば、三好は自ら造反の芽を植えることになるな!」

「待て、待て! 方法はあるぞ!」

「秀貞様、それは何なんだ!」

「短期決戦です。即日に集め、その日の内に勝敗を決めるのです」

「確かに!」

「もちろん 、そのことは魯坊丸も承知しているであろうな!」


そこに第二報の手紙を持って、岩室 重義いわむろ しげよしが那古野に戻ってきた。

功菴(政秀)のことが秘密になっているので届けられたのは手紙のみであった。

重義は兄の長門守より、尋問を受けている。

手紙を読んで信長が笑う。


「ふふふ、やはり短期決戦はできぬようにしたみたいですな!」


沢彦和尚、秀貞、功菴(政秀)も驚きの声を上げる。


「10日間の停戦ですか?」

「から池を落とし穴にするとは、中々に思い尽きませんな!」

「ですが、やられた方は堪りません!」

「罠というには、余りにも大掛かりで度肝を抜かれたでしょう」


感心するだけ呟きあった。

そして、秀貞が思い出したように言うのだ。


「魯坊丸様が以前申していた。智謀を尽くした先に本当の戦があると」

「秀貞殿、それは何でございますか?」

「魯坊様が儂に問うたのだ! 鍛錬を積んだ者と鍛えない者が果たし合いをするのは卑怯ですかと?」

「卑怯な訳がございません」

「儂もそう答えました。すると、智謀を尽くした者と無知な者が戦うのも卑怯ですか? そうではございませんね! そうもう一度尋ねられた」

「なるほど、それは難しい問いでございますな!」


鍛錬を尽くす者が卑怯でないならば、智謀を尽くす者も卑怯とは言えない。

罠を一言で卑怯と言えなくなる。


「そして、こう言われた。互いに智謀を尽くして、その罠をすべて互いに防いだ者のみが、本当の戦を行う資格を得るのだと!」

「確かに、一理ございますな!」

「露払いは自分がするから、その後の戦を儂に任せるとおっしゃった」

「頼られておりますな!」

「ははは、それはどうか? これでは露払いのみで終わってしまうわ!」

「魯坊丸様は上洛する前から戦をはじめておられた。それに気づかぬ馬鹿者は敵の数に数えられていないようですな!」

「和尚、あの三好を馬鹿者扱いですか?」

「はい!」

「ははは、これで尾張は安泰だ!」


大国の三好を相手に一歩も引かない魯坊丸は秀貞の心を本当に鷲掴みしてしまったようだ。

信長は渋い顔をしていた。

ゆえに、沢彦和尚は信長にも声を掛けた。


「信長様も大変な弟御をお持ちになったものですな!」

「まったくだ!」

「座して、すべてをお譲りになりますか?」

「ぬかせ! 城に籠りたいなどと言う奴に任せておけるか?」

「ならば、やることは決まっておりますな!」

「あぁ、その通りだ!」


昔、信長はどこか魯坊丸を馬鹿にしていた。

結局は口だけ、そろばんだけが得意な奴と思っていた。

だが、父が亡くなって以来、存在感が増してゆく。

砦を造らせれば、唖然とする物を造る。

そして、戦の指揮をできる度胸も持っていた。

ここまでできるのに隠居して、のんびり暮らしたいだと。

ふざけるな!

絶対に負けられん。

ふふふ、信長は薄気味悪く笑い声を上げていた。

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