第78話 土田御前、立つ! 〔女は弱し、されど母は強し!〕

三好との騒動の話は大学允 (佐久間 盛重さくま-もりしげ)に渡りに船であった。

三好との同盟を進めようとする土田御前。

お市の婚姻に反対する信長。

信長の命を受けて動いている魯坊丸。

そこに三好との同盟を壊す『三好騒動』が起こった。

絶好の機会だ!

熱田衆の要である魯坊丸を追い落とす。

大学允の手札が揃った。


一緒に城番をしていた(佐久間)盛次もりつぐが仮眠から目を覚まし、気味悪く笑う大学允を見て声を掛けた。

盛次は佐久間家の当主である大学允の従兄弟にあたる。

一城を与えられているので、同格のように話す癖が抜けない。


「どうかしたか?」

「これが笑わずにいられようか? どう追い落とそうか悩んでおったが、向こうから飛び込んできよった」

「その笑い方を止めろ! 見ていると不気味だ」

「うるさい」


だが、盛次も魯坊丸の手紙を読んで眠気が飛んだ!


「三好と一戦すると言うのか?」

「勝手に死んでくれれば、それに越したことはない。しかし、念の為にもう一手を用意しておこう」

「家老を貶めたような策があるのか?」

「色々とあるぞ!」


末森の筆頭家老は先代 (故信秀)の弟である守山城主の信光である。

信光は弾正忠家に従っている春日井郡かすがいぐんの城主を従えていた半独立勢力であった。

それは弾正忠家では別に珍しいことではない。


那古野周辺を任されている信長、

津島周辺と中島郡の妙興寺領を従える勝幡城の故信秀四男の信実のぶざね

熱田神社とその寺領を従える熱田大宮司の千秋 季忠せんしゅう すえただ

造反して今川に寝返った知多半島を任されていた山口 教継やまぐち のりつぐ

その他に南知多半島の同盟者である荒尾空善、同じく水野家もある。

それぞれは半独立勢力として織田弾正忠家に従っている。

しかし、信勝は末森の家老衆から信光と山口が抜けたことで非常に発言力が弱くなっていた。

それもこれも故信秀の盟友であった林 秀貞はやし ひでさだが裏切って、信長に戻ったからだ。

秀貞が戻らなければ、信光の造反もあり得なかった。


さて、末森の家老を貶めたのは5日前に遡る。

東尾張の岩崎城丹羽 氏勝にわ うじかつが他の城主の意見を無視して今川への臣従を言いただした。

赤池城の丹羽十郎右衛門、浅田城の丹羽伝左衛門は慌てて信勝に織田臣従の使者を送ってきたのだ。


「弾正忠様 (信勝)におかれては非常に申し訳ないことでございますが、我が主であった氏勝が今川への臣従を言い出しました。弾正忠様の命により、氏勝の説得を行っておりましたが、我が殿は最早これまでと思われ、織田家に下るしかございません。どうか臣従をお許し下さい」


十郎右衛門、伝左衛門の両名の臣従は嬉しいことであった。

信勝は両名の臣従を許した。

近い内に両名が末森にやってくる。

問題は信勝が出したことのない命令が出されていたことであった。

盛重は次席家老であった加藤らの策謀を暴露したのだ。

いつの間にか盗み出した家老宛の赤池城主の十郎右衛門の書状を提出する。


「お許し下さい。事が露見すれば、織田と丹羽の交渉が無に喫してしまいます。それよりも交渉の後押しをするように申し付けて臣従の件はお断り致しました」

「何故、俺に相談しなかった?」

「事が露見することを恐れました」


そこで大学允が国境における家老らの領地事情を続けて報告した。


「魯坊丸と結託して、そのような判断を下したというのか?」

「決して、そのようなことはございません」

「この後に及んで! 魯坊丸を庇うのか?」

「庇っておるのではございません。密談もなければ、相談もしておりません。まったくの無関係でございます」


信勝は自領において魯坊丸の兵が好き勝手に動いていることを知って驚いた。

家老らと結託し、自領の開拓と防衛を魯坊丸が行っていた!


「私も知った時は驚き、急いで調べさせました。報告が遅くなり、申し訳ございません」

「大学允、よう知らせてくれた」


言い掛かりも甚だしい。

傭兵・人夫(技術者)が偶々に魯坊丸の手の者であり、それを雇ったから魯坊丸と結託したというのは濡れ衣に近い。

だが、信勝は十郎右衛門、伝左衛門の両名の書状を隠ぺいしたことを重く見て、次席家老の加藤の言葉より大学允を信じた。

こうして、大学允の策略で末森の家老衆は信勝から信用を失ったのである。


 ◇◇◇


土田御前は夜半に起こされて身支度に時間が掛かったが、準備が整ったと使いの者がやって来て、大学允は信勝の部屋に入った。

部屋の上座には、信勝と土田御前が座っていた。


「こんな夜更けに起こして、つまらぬことであったら腹を切って貰うぞ!」

「当然でございます。まずはこれをご覧下さい」


大学允は信勝の方に手紙を出したが、土田御前が先に取って読み始めた。

余程、起こされて機嫌が悪いのだろう。

手紙を読むと目が覚めたのか?

顔を真っ赤にして大学允を睨み付けた。

信勝も手紙を渡されて、それを読むと目を丸くする。


「大学允、どういうことだ? 説明できるのか?」

「これは魯坊丸様の陰謀と某は考えます」

「陰謀だと?」

「よくお考え下さい。此度の同盟は三好から言い出したものでございます。その三好が自分から壊すようなことをするでしょうか?」


そう言われると信勝も頷いてしまう。

土田御前は信勝ほど素直ではない。

怪しむように目を細め、大学允を見定める。


「不慮の事故など、どこでも起こるであろう」

「確かにその通りでございます。しかし、一度和議がなったと書いております。しかし、不穏な空気を作っているのは魯坊丸様自身ではないかと考えるのです」

「何ゆえに?」

「信長様の密命を受けて、この婚約を破棄させんが為です」

「確かに信長は嫌がっておるのぉ!」

「兄上 (信長)は何故に反対されるのだ。織田家にとって悪い話ではないであろう」

「信勝様の婚礼も同時に進めております。信勝様の後ろ盾に三好が入れば、幕府・朝廷への影響力が増し、信長様より有利に立つからでございます」

「そんなことの為に邪魔をすると申すのか?」


信勝は怒った。

織田家の為より、自己の利益を優先する兄上(信長)を許せなかった。


「信勝様、三好殿との交渉は魯坊丸様にお任せせず、信勝様自身が取り仕切られることを進言いたします」

「確かにその方が良いな! 信勝、そうなさいませ!」

「判りました。そのように致します」


信勝のよい所は家臣や母の言うことを素直に聞く所だ。

すべてを自分勝手に進めてしまう信長と大違いだ!

信盛のぶもりもさっさと見限って信勝様に鞍替えすれば、愚痴らずに済むものを!

そう思いながら、大学允は信勝の良さににやりと笑う。


「大学允を京に行かせよ」

「御前様、お待ち下さい。某は尾張を離れる訳には参りません。従兄弟の盛次を推薦致します」


急に名を出されて盛次も焦った。


「お待ち下さい。某はまだ中家老に過ぎません。ご親族の魯坊丸様や那古野家老の内藤様より格下でございます。某に変わったのでは、織田家は同盟を結びたくないと思わせることになると思います」

「確かにそうですね! それはいけません。代表を三十郎 (信秀の四男)に替えましょう。魯坊丸の兄ならば問題もないでしょう。それに末森の家老を付けなさい」

「では、そう致します。目付に家老の蔵人くらんど勝家かついえとする。盛次、そなたも同行せよ」

「畏まりました」


大学允の思惑通りに決まっていった。


「で、此度の騒動を起こした。魯坊丸様の罪をどう致しましょうか?」

「そうですね! 騒動を起こした原因が魯坊丸にあるとすれば、責任を取って貰わねばなりませんね?」

「俺は魯坊丸に厳しい罰を出したいと思うが、問題ないと思うか?」

「それに付きまして、忌々しきことがございます」

「なんだ?」

「末森の台所 (財政)を魯坊丸様が牛耳ろうとしております」

「何だと!」

「魯坊丸様が派遣した中姓が、勘定所で好き放題に動いております。このままでは乗っ取られるのは時間の問題かと存じ上げます」

「誠か、大学允!」

「このようなことを口にするのは恐れ多いことでございますが、敢えて言わせて頂きます。信長様は弾正忠家の家督を奪い返す為に、末森の乗っ取りを魯坊丸様にさせているのではないでしょうか? すでに家老らの調略は終わり、次に台所、その次に侍所を籠絡すれば、『押し込め』(クーデター)は完了致します。末森の城主に魯坊丸様を据え、信勝様を排除すれば、自動的に信長様に弾正忠家の家督が手に入るのです。自らは手を汚さず、その果実のみ奪い取る。申し訳ございません。某の妄想でございます。お忘れ下さい」


大学允の言葉に土田御前と信勝が唖然とする。

戦国の世、『押し込め』はあちらこちらで起こっている。

身近な所では甲斐武田家当主である晴信が父信虎を押し込めて、家督を簒奪して当主になっていた。

土田御前と信勝にとって背筋が凍るような話であった。


「勘定方を呼べ! 今すぐだ!」


空が微かに明るくなっていたが、まだ日が出るには間があった。

信勝は勘定奉行の他に家老らにも参集するように指示を出した。

城下に屋敷を持つ (津々木) 蔵人くらんどはすぐに登城して来た。


呼ばれて驚いたのは、赤川 景弘あかがわ かげひろであった。

何事ぞ!

と言って、衣服を乱したままで登城もできない。

急いで整えて上がった。

信勝は談議の場を大広間に替え、そして、間もなく景弘が現れた。


「お呼びにより、参上致しました」


信勝より早く、土田御前が口を開いた。


「末森の台所を魯坊丸の手の者に牛耳られておると聞いた。事実であるか?」


景弘は目を白黒させた。

牛耳られたかと聞かれれば、そんな事実はまったくない。

そもそも何故、そのような質問を聞かれるのだ?

土田御前が言っている意味が判らない。


「末森の台所、魯坊丸様は関係ございません」

「中姓が牛耳っておると聞いた?」

「確かに魯坊丸様から中姓を借りておりますが、台帳の根拠を説明させているだけでございます。勘定はすべて末森の者でやっております」


末森は那古野ほど複雑な税制をとっていない。

熱田・津島から送られてくる帳簿を精査する為に呼ばれているに過ぎない。


「では、魯坊丸様の中姓を追い出しても問題ありませんね!」

「熱田・津島から送られてくる税を精査しないで良いと申されるならば、問題ございません」

「そうか!」


土田御前から少し緊張が解けたように感じた。

だが、景弘にとって受け入れ難い話なのだ。

だから、不機嫌になると判っていても言葉を添えなくてならない。


「熱田・津島から送られてくる税が正しく納められているか判らなくなります。税を不当に減らされても文句も付けられなくなりますが、本当にそれでよろしいのですか?」

「その額はいくらですか?」

「末森城の運営費と同額です」


景弘は少し脅し気味に説明を始めた。

先代 (故信秀)がはじめた河川工事の為に、各領主から上がってくる年貢はすべて河川工事で消えていた。

末森城は熱田・津島の税で運営している。

奥方の衣服や兵の俸禄、城の修復に拡張工事、馬の飼葉代まで、その税に頼っている。

税収が減らされても文句も言えず、奥方の服も飾りも買えなくなると脅した。


嘘であった。

税制を変更して一年が経ち、勘定方の者もそれなりに読めるようになっていた。

ただ、優秀な中姓がいなくなると割り当てられる仕事が何倍も増えてしまう。

昼夜を分かたず仕事をしても、家に帰る日がなくなる。

それを部下に強いるのは余りに不憫だった。

その脅しが利き過ぎたのか、土田御前は末森の台所を魯坊丸に牛耳られていると思ったようだ。


「大学允、どうするべきと思いますか?」

「此度の三好との騒動は好都合だと存じ上げます。もし、魯坊丸様が起こしたものならば、その責任を魯坊丸様と目付衆にとって頂くのが最善と思います」

「責任のぉ?」

「三好が望めば、腹を切って頂き! 望まなければ、京にて蟄居させればよろしいかと!」

「蟄居か!」

「はい、魯坊丸様、大宮司様の身柄を三好殿、あるいは、六角殿に預ければ、織田家における影響力は失うかと存じ上げます」

「大学允、本気か?」

「少しの間で結構でございます」

「ふふふ、悪よのぉ!」

「御前様には敵いません」


土田御前は大学允の言葉尻を聞いて、そのことにすぐに気が付いた。

佐久間一族は熱田衆と揉めている。

その影響力の大きい魯坊丸と大宮司を排除しようと考えている。

二柱を失った熱田衆が混乱し分裂する。

否、大学允はそれを仕掛けるつもりだ!


土田御前は大学允が忠臣ではないことを知った。

だが、それ以上に魯坊丸が危険な存在であることに気が付いてしまった。

佐久間を使って排除できるならば、排除するべきだと!

ゆえに土田御前はそれを黙認することにした。


「信勝、聞こえましたね!」

「はい、母上」

「皆を中に入れなさい。信長も呼びなさい。話すことがあります」


女は弱し、されど母は強し!

土産を多く寄越し、気づかいも忘れない。

兄妹との仲も悪くない。

このまま良い関係が続けばと思っていた。

しかし、信勝の天敵となりうるならば、魯坊丸に容赦するつもりもなかった。

土田御前は心を鬼と化した。

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