第77話 信長、二度目なのでちょっとしか取り乱しません。

那古野の前栽せんざい(庭園)の一部、箱庭(花壇)と呼ばれる花園の花の手入れを帰蝶がしていた。

はじめは魯坊丸ろぼうまるが持って来させた花々や草木の育成を頼んできたのが始まりであった。

魯坊丸は全国各地、さらに堺を通じて南蛮からも花々の苗や種を取り寄せていた。

これは別に帰蝶に限った訳でなく、各領主の奥方にも頼んでいた。

末森の土田御前は拒絶したが、他の側室らは興味を持って栽培し、咲いた珍しい花を楽しんでいた。

最近はこれを壺に入れて持ち合って見比べるのが、奥方らに流行っている遊びになっている。


「うちの庭師が精魂尽くして育てた菊ですわ!」

「我が家の方が美しいですわ!」

「こちらの松の方が落ち着きませんか?」

「そうですか?」


奥方らは庭師の育てた花や木草を自慢する。

しかし、自分で手入れをしようという変わり者は帰蝶くらいしかいない。

本格的な育成は那古野城の外苑で庭師が行っており、帰蝶もそこに足繁く通っていたのだが、最近はこれを庭に植えて前栽の一部としていた。


「奥方様、細かい指示をして頂ければ、儂らがやりますので!」

「いいのよ。私が好きでやっているのよ」


土を弄るのが最近は楽しくなってきた。

今度は種付けからやってみようかしらなどと考えていた。


「あらぁ、誰ですか? ここの一輪を折った者は?」

「先ほど、信長様が茶室に使うとおっしゃられて一輪を切って行かれました」

「もう、殿には花を使うなら外苑のものをと頼みましたのに!」


帰蝶はちょっと口をとがらせて拗ねた。

先日、茶を覚えた信長が一輪挿しと言って花を愛でるようになった。

一緒に花を愛でることができるようになったのは嬉しいことであったが、庭から勝手に持って行かれるのは我慢がならなかった。

帰蝶が大切に育てた花だ!

(咲く少し前に植えさせ、そこから育てた花です)


「もう、殿ったら!」


今日、膝枕に来たらつねってやろうと逆襲を心に決めた。


「ここに新しい花を植えて下さい」

「畏まりました」


庭師が頭を下げて外苑の栽培場に移動していった。


念の為に言うと、

魯坊丸は尾張に新しい流行を作るつもりで頼んだのではない。

特定の品目 (稲や果実など、高価な作物)を除くと、手に入れた花や草木や薬草の栽培のノウハウを手に入れる為に栽培師を雇って研究する費用を惜しんだ。

尾張の土に合う栽培方法を見つけるという気の長い仕事であった。

雲を掴むような研究である。

大金を掛けて、投資する気にならなかっただけであった。

しかし、各城や領主は多くの庭師を持っている。

奥方にお願いして、庭師に育成して貰う。

その栽培記録と株分け、あるいは、取れた種を回収して、育成のノウハウを無償で確立しようと企んだ。

成功すれば、いい拾い物になる!

失敗しても、左程の損害もない!

熱田に届いた新しい植物は適当に奥方の元に送られ、半年ごとに育成記録が庭師から戻ってくる。

成功したもののみ、魯坊丸に届けられていた。

その程度の気持ちだったので、頼んだ魯坊丸も完全に忘れていた。

尾張に新しい流行が生まれていることを知らない。

もう少し後、多くの『うまら (薔薇)』が集まり出すと、香りに愛でられた奥方らがうまら園を自慢する日がやって来る。

そして、多くの商人が奥方らに「もっとうまらを!」と脅される日も遠くない。

だが、まだ誰もそのことに気づいていなかった。

 

「殿ったら、殿ったら、殿ったら…………」


帰蝶はぶつぶつと呟きながら小さな片手で持てるスコップを取って、切られた花の土を掘り返し始めた。


「帰蝶様!?」

「何か判りましたか?」

「駿河から入った連絡の裏を取りましたが、確かに岩崎丹羽氏、刈谷水野氏に今川からの城代がわずかな手勢を連れて入ったようでございます」

「やはり、事実でしたか!」

「また、村木周辺の村人が水野によって集められ、山を削って海沿いに土を運ぶ作業をはじめられておりました」


駿河の遊楽から去年の秋ごろから今川は戦仕度をはじめていることが報告されていた。

これは河原者に皮はぎや矢の羽を作らせる仕事が増えたことから判る。

そして、最近の遊女の話から今川は東尾張の丹羽氏を臣従させて守りを固め、刈谷水野から知多に進軍すると言う噂を聞いた。

まず、その拠点となる『村木砦』に着手し、秋ごろに大規模な侵攻を行うらしい。


しかし、魯坊丸より遊女の噂話をアテにしてはいけないと念を押されていた。

遊女の情報は織田に漏れることを今川も承知しているからだ!

今川が遊楽を廃止しないのは、尾張、美濃、京などの情報が逆に得られるからだ。

遊女から流れてくる情報には嘘が混ざっている。

そこで裏取りに帰蝶の忍びを派遣して確認させていたのだ。

遊女の噂では織田が動いた場合を考えて、わずかばかりの兵を岩崎城と刈谷城に入れておくらしい。


何故、義元はこんな噂を流したのかしら?

殿を呼び出して、雌雄を決したいという誘いなのかしら?

それとも清州を見逃す代わりに東尾張を認めろという合図なのかしら?

あるいは、他の意図が隠されているのかしら?

いずれにしろ、知多半島は狙っているようであった。


さて、どうしたものかと帰蝶は首を傾げた。


 ◇◇◇


その深夜、信長と帰蝶が寝ている襖の向こうで、長門守が信長を起こす声が聞こえた。


「京より至急の使いが参りました」


信長が不機嫌そうに起き出すと帰蝶はすぐに蝋燭に火を灯した。

長門守から三通の手紙を受け取った?

二通は魯坊丸、一通は内藤 勝介ないとう しょうすけであった。

良く見ると一通は帰蝶宛であった。


「何だと! 三好と揉め事を起こしたと言うのか?」


信長への報告には、京の巡回の役目で三好方と対立することが起こった。

一度は三好と和睦がなり、朝廷、幕府も織田の言い分を認めている。

しかし、三好が兵を集めて不穏な動きを見せていると書かれていた。

戦になるかもしれないと書かれていた。


「殿、慌ててはなりません」


次に帰蝶宛の手紙には、兄上(信長)が怒り狂うだろうから宥めておいて欲しいという内容だ。


「馬鹿にするな!」


三好と言っても京を任されている長逸ながやすのことで、当主の長慶ながよしと織田家の取り扱いに意見の隔たりがある。

おそらく、松永 久秀まつなが-ひさひで長逸ながやすの間で起きている勢力争いに巻き込まれた。

しかし、長慶ながよしが上洛すれば、和睦がなるのでご安心下さい。

そもそも長逸ながやすなど、物の数ではない。

などと、かなり強気のことが書かれていた。

帰蝶宛なのは、これは末森に持ってゆくなと言う意味だろう。


久秀ひさひで長逸ながやすは三好の両雄と呼ばれておったな!」

久秀ひさひでが嫡男の慶興よしおき殿を奉じて、織田家との婚姻を成功すれば、筆頭は久秀ひさひでとなります。長逸ながやすはそれが面白くないので、この話を潰しにきているのではないでしょうか?」

「お家騒動のとばっちりか!」

「そう考えられます」

「婚姻が流れるのはありがたいが戦は余計だ!」

「はい、得るものがございません」


そして、三通目の勝介の手紙には河原で起こった詳細が書かれてあった。


「犬め! お市の護衛もせずに何をやっておる!」

「護衛から外したのは殿でございます」

「あぁ、そうだったな! しかし、だからと言って問題を起こせなど言っておらん」

「それより、どうなさいますか?」

「何をだ?」

「この書状、いますぐに末森に届けるかどうかです」


信長もすぐに理解した。

これは第一報であって、おそらく、すぐに第二報、第三報が入ってくる。

ある程度のことが判ってから連絡を送る方が得策と思えた。

が、しかし!


「末森は把握していると思うか?」

「大学允の手の者が城外を監視しておりますれば、すでに伝わっておるかと存知上げます」

「お市の件で疑われておるのか?」

「殿はお市様の婚儀を反対しておりますゆえに!」

「これをすぐに送っておけ!」

「畏まりました」


一通目のみ、長門守は末森城に魯坊丸の手紙を送った。


 ◇◇◇


その日の末森城の城番家老は佐久間 盛重さくま-もりしげであった。

何かあった時の為に家老の一人が夜間も末森城に留まる。

今日は大学允の番であり、その大学允の元に那古野に京からと思われる使者が入ったと連絡が入っていた。

しばらくすると、那古野から手紙を持った使者がやってくる。

ふふふ、大学允はそれを読むと頬を緩ませる。

すぐに信勝と土田御前に京より急ぎの手紙が届いたことを知らせる。

好機だ!


翌朝、末森城の勘定奉行の赤川 景弘あかがわ かげひろが呼び出され、土田御前から意味の判らない質問をされた。


「末森の台所を魯坊丸の手の者に牛耳られておると聞いた。事実であるか?」


景弘は目を白黒させて答えた。

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