第76話 元管領細川晴元の影。
停戦から3日目!
今日は朝からどんよりした天気で少し肌寒い。
かと言って、何かを羽織るほどでもない。
寺の中は朝から慌ただしく、工事の進捗状況や志願兵の訓練の状況、兵の配置などを議論している。
策は授けるが、細かいことにいちいち口を挟まない。
それが俺のやり方だ!
そもそも一人で全部できる訳がないのだ。
任せて穴を埋めて行けばいい。
知恩院の弱点は南側の祇園社との隣接部で壁しかない。
そこで急ピッチで壁の外側にもう1つの壁と掘を作っている。
昼夜を問わない突貫工事だ。
隣の祇園社には大迷惑だろう!
境界に穴を掘られ、参道の脇は勝手に侵入禁止にしている。
祇園道(花見小路)より北側は罠エリアだ。
『ここより北に入るべからず!』
なんて高札を立てて紐を張ってある。
罠エリアは鴨川の土手の内側にずっと続いており、北側の街道沿いまで全部そうだ。
さらに、街道の北側にも広げている。
前回、布陣した場所も土手と掘を作っているので、敵はさらに北に布陣することになる。
今後は東天王岡﨑神社か、吉田神社辺りを本陣に据えることになるのではないだろうか?
北東の粟田神社を接収して、その周辺まで手を入れている。
佛光寺本廟さんはごめんなさい!
ちょっと遠過ぎます。
街道に近すぎて手の入れる余裕がありません。
佛光寺本廟は三好に接収されて拠点の1つにされるかもしれないが、こちらから討って出るつもりはないので問題はない。
寺も神社もちょっとした砦並の防御力があるから無視できないのだ。
そう言っても粟田神社を本気で守るつもりはなく、三好が本腰を入れてきたら神社が織田軍を追い出す手筈になっている。
苦労して手に入れた粟田神社に乱暴な真似はしないだろうし、粟田神社を守る為に小芝居を打った織田家への心証も悪くならない。
北東から攻めるのが一番効率的なのだが、大軍で攻められないので守るのも容易なのだ。
東は山になっており、山の中は好き放題に罠を仕掛ける。
抜けてきた敵を各個撃破で討つ!
おそらく、山側に配置された武将が一番多くの手柄を取ることになる。
主戦場になる北側は矢と投石が主力であり、果たし合いはほとんど起こらない。
武士として活躍するのは東側だ。
えっ、慶次がその話を聞いて東の守備に志願しているって?
おまえ、俺の護衛だろ!
◇◇◇
寺を出て、寺領の方へ足を運ぶと妙に騒がしい。
忙しいのではなく、騒がしいのだ!
一角に人が群がっている?
気になって、そちらの方に足を運んだ。
「お市様、がんばれ!」
「姫様!?」
「お嬢様、凄いぞ!」
「あっ、あぶない!」
前に進むと、猪と鹿を入れる為の柵の中でロデオをやっていた。
跨っているのは馬や牛ではなく、巨大な猪で普通の倍はある。
暴れる猪の上で落ちないように粘っていた。
「まだ、まだ、なのじゃ! おまえの力はその程度か!」
前に進むと突然に止まり、さらに方向転換して体を捻る。
「何の! それで終わりか?」
ぶひぃ、大きな鳴き声を上げて、猪は必死にお市を振り落とそうしている。
落ちないお市の方が不思議だ!?
猪や鹿は罠で生け捕りにされ、足を括られて逆さ吊りにされて運ばれてくる。
そして、狭い柵の中に放り込まれる。
これで籠城中も新鮮な肉が供給できる。
足の拘束を外された猪が暴れ出したらしい。
気が立っているのは当然であり、その背中に乗ろうとするのは自殺行為だ。
お市、危ないだろう!
前回、気性の荒い馬に乗りたいと言って拒絶されたので猪で代用しているのか?
鞍もなければ、手綱もない。
難度が高過ぎだろう!
「お市様、お止め下さい」、「お市様、お止め下さい」
女官の二人が壊れたラジオみたいに同じ言葉を連発して、ずっと叫び続けている。
俺は
「何の為に護衛を増やしたと思っているのだ!」
「大丈夫でございます。護衛は三方に別れて警護を続けております」
「そういう意味ではない。あれをどうして止めなかった?」
「お市様が希望されたからです」
「それを止めるのが下女の役目だろう?」
「私のお市様なら大丈夫です」
千雨の主観など聞いていない。
巨大猪はロバほどの背丈があり、小さな馬と言ってもいい。
丸々と太った巨体がお市の何倍もある。
あれの下敷きになれば、一巻の終わりだ!
「おまえの力はその程度かや!」
お市の体が鞠のように飛んでいる。
それにしても楽しそうに乗っている。
そんな一進一退が続き、かなりの時間が流れた。
そして、暴れに暴れた猪が遂に観念して動きを止めた。
足を止めたところでお市が背中を叩いた。
うおおおおぉぉぉ、見ていた観衆が声を上げた。
「お市様!?」
皆がお市の名前を連呼している。
熱狂した観客が我を忘れて叫んでいるような怒号が上がり、寺の中からその声を聴いて飛び出してくる者もいる。
お市が皆に手を広げて応えた。
しばらくすると雲の合間から日が零れて来て周りが明るくなると、お市の神々しい姿が現れる。
その姿に歓声が止んで静寂が訪れた。
「あっちに行ってたもれ!」
お市がそう言うと、猪がその言葉を理解したように俺の方に歩いてくる。
「魯兄じゃ、見ていてくれたか?」
「あぁ、見せて貰った。寿命が縮んだぞ!」
「魯兄じゃは心配症じゃな! わらわは平気じゃったぞ!」
「無事でよかった」
お市がにっこりと笑うと普段の可愛い顔に戻った。
「この子をわらわにくれてたもれ!」
「殺すなと言う意味か?」
「そうなのじゃ! こやつはわらわと友達になったのじゃ!」
「馬の代わりでもするつもりか?」
「そうか、馬にすれば良いのじゃな!」
俺がそう言うと、お市が背中を撫でながら猪に話し掛けている。
「おい、わららの馬になるか?」
ぶひぃ、猪が大きな声を上げた。
「なりたいそうじゃ!」
会話が成立するのか?
何と言えばいいのか、言葉が見つからなかった。
体を洗わさせ、お市用の鞍を作らせるか!
翌日から巨大猪に乗ったお市が寺領を徘徊し、その噂が御所に広がって、何やら変な噂となっていることを俺は知らない。
◇◇◇
翌日に(内藤)
兄上(信長)から返事が戻ってきた!
逢坂の関をはじめ、主な関所の検査が厳しくなり、尾張の者の出入りがほとんどできなくなった。
だが、連絡に不都合が起こる訳はない。
六角領内の移動は自由であり、商人に扮して移動することも、山を越えて行くこともできる。
急げば2日、普通なら3日ということに変わりなかった。
「以上である。信長様は直ちに三好と和議を取り、和議がならない場合は尾張に引き上げよと申されておるが、現状、それが難しいのは皆も承知と思う」
「この手紙は第一報を聞いて書かれたものだ。すでに三好と一戦交えたことをご存知ない。今、軍を動かせば、停戦を破ったと見なされて追撃を受けるのは必定である。俺はこのまま三好を迎え撃つつもりだが皆の意見を聞きたい」
義理兄ら熱田衆は後ろで談議を静かに見守っている。
俺はこのまま居残る。
そのことは決定事項だが、頭ごなしに言うのは拙いので那古野衆の意見を聞いている振りをする。
那古野衆がどんな結論を出そうとも知ったことではない。
俺とお市を残して尾張に帰れば、どんな叱責を受けるのかは想像が付くだろう。
周辺の様子、幕府や朝廷の様子、街道の状態などを確認しながら議論が進み、その結論に至るまで二刻 (4時間)ほども要した。
まったく、遅い!
まず、周辺の様子が面白いことになっている。
先月、俺と問題を起こした管領(細川)氏綱の家臣らが氏綱を動かして、(三好)
この騒ぎに(近衛)
そして、
流石、
判断が早い。
三好の危機を把握しており、
しかし、まだ上洛できていない。
摂津の国と山城の国の境を任されていた芥川山城の芥川孫十郎が反乱を起こしたのだ。
これを無視して京に上洛することができなくなった。
兵が集結するまで10日余り、一ヶ月以内に上洛できれば優秀な方だろう。
だがしかし、あの
7日で終わらせて上がってきても不思議ではない。
さて、それで終わりかと思うと、今朝、厄介なことがもう1つ入ってきた。
丹波守護代の
波多野稙通の八上城を包囲している(松永)
俺のことを心配し、
退路は1つではなく、挟撃されることを避けることはできるが、逃げる
はっきり言って三か所同時に仕掛けるのは、やり過ぎではないかと思う。
兵をそのまま集結して丹波に入れば、内藤の八木城が陥落する前に到着できるかもしれない。
もし、無理でもすぐに取り返せばいい!
それで三好の被害は少なくて済む。
俺ならば、そうする。
が、
「千代、氏綱の家臣に(細川)晴元の手の者が入っていると思うか?」
「当事者である御所の公家でもまだ詳しく知らない者がおります。昨日の内に下知を行うには2日前に把握している必要があります。私はいると思います」
「だな!」
敵方の家臣にも手を伸ばしてくるのは厄介な相手だ!
油断していると、足元から崩される。
これからは身内を監視しておこう。
「次に芥川孫十郎の反乱は鮮やか過ぎる。普段から準備して、(細川)晴元と繋がっていたと思うがどう思う?」
「独断であれば、
「そうだな! その方が兵の集まりが難しくなる。まるで
「織田家を公方様の金蔓にする為ですね!」
「織田の銭を手に入れれば、今以上に戦火が拡大できる。応仁の乱以上の被害を京に出し、三好は財力を使い果たし、(細川)晴元が返り咲く可能性も出てくる」
「なるほど!」
「廃墟と化した都の管領だ!」
国を統べる管領の所業ではない。
俺なら大人しく隠居してニート生活を満喫するぞ!
何が悲しくて修羅道を進むのか?
「三好政勝と香西元成の両名はどういう者だ!」
「三好政勝は
「波多野稙通が匿っていた隠し玉はこれだったみたいだな!」
今ある手札を全部切ってきたと見てよいだろう。
悪いが殺されてやらんぞ!
しかし、この対応の早さは元管領の(細川)晴元が京周辺で身を隠しているのがはっきりした。
悔しいが、探すには手が足りない!
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