第71話 桂川の喧嘩、〔犬千代、切った啖呵はしまえない〕

切った啖呵はしまえない。

犬千代もしくじったと思っているが、三好の物頭もやる気になっていた。

まぁ、よいではないか?

この犬千代、この幼き娘の為に命を賭けて散ったとならば、おまつも許してくれるさ!

イザぁ、参る!


などと犬千代が思っている間に敵が来た。

足軽達が犬千代を取り囲み!

三好の足軽、否、物頭の手下らが襲い掛かってきた。


「死にさらせ!」

「なんの!」

「飛んで火に入る夏の虫だ!」

「どこがだ!」


飛んできた槍を横に弾き、横から刺してきた槍をふっと躱すと、片足を上げて腹の上から蹴るように押し返した。

さらに弾いた槍の持ち主の胸を石突きで突き返して手下ら吹き飛ばした。

防具の上からなので大して利いていない。

派手に転がっただけだ。

娘を捕り押さえて蹴り飛ばされた奴も起き上がって刀を抜いている。

家紋入りの者を殺すなと言う兄の言い付けを守っていた。


「舐めた真似をしてくれる!」


物頭は槍持ちから自分用の槍を受け取って、槍穂の穂鞘ほさやを取り外すと切っ先を犬千代に向けた。

足軽の正体は傭兵であり、戦の為に雇われた者が多い。

戦が終われば用なしだ!

明日は敵になっているかもしれないし、三好の武士に媚びるような奴はいない。

銭を貰って仕事をするだけだ。

見回りは臨時収入であり、商人らから袖の下を貰って酒代を稼いだ。

行儀のいい織田など、最初から胸糞悪かった。


「随分といい槍だな! お前には勿体無いから俺様が貰ってやる!」

「これはお市様より頂いた長槍『国士無双こくしむそう』だ。誰であっても譲るつもりはない」 


ぎゅ~ん、ぎゅ~んと犬千代は長さ12尺半 (3.8m)のを振り回す。

風を切る音だけで鳥肌が立つ。

6貫目 (22.5kg)はある大槍を軽々と振り回す犬千代に敵も呆れた。

しかも槍の穂には穂鞘ほさやが被せられたままであり、本気で対峙する気がない。


「槍はこう扱うのだ!」


物頭は槍が遠くなった所で踏み込んだ。


「なんの!」


犬千代は槍の軌道を変えて、穂と逆の石突きを物頭の方に向けた。


がしゃん、物頭は咄嗟に槍を横に向けて受け止めた。

犬千代はすっと体を返して、穂先を袈裟切りのように落としたが、物頭も後に跳んでそれを躱した。


「ちぃ、やるな!」

「そんな大物に当たるものか!」

「そうか? 俺は楽しいぞ!」


犬千代は中々の好敵手に笑みを浮かべる。

傭兵は粗雑物が多い。

同じ傭兵の物頭は舐められたらおしまいだ。

常に力を誇示しなければならない。

下手な武士より強かった。


犬千代は槍を振り回すのを止めて上段に構えた。


犬千代は難しいことは判らない。

だが、槍は単純だ。

突くより速く、振り降ろせばいい!

じわじわと物頭が間合いを取り直す。

物頭の額から汗が零れる。

犬千代は着流しであり、武具を身に纏っていない。

振り降ろされてくる槍を躱して、一突き刺せばすべて終わる。

だが、鎧で身を固めていても、あの大槍に当たれば一溜りもない。

槍筋は隙も多く、戦えないこともないが、犬千代の気迫は並ではない。

そして、物頭も固まった。


『それまで、それまでだ!』


馬を小走りに駆けさせて、忠貞たださだが河原に降りてきた。

忠貞たださだは体を張って二人の間に馬を進めた。

同じように織田の半分の兵が駆け降りて、河原者を守るように並んでゆく。


右近うこん将曹しょうそう中根 忠貞なかね-たださだである。双方、槍を下げよ!」


織田が動くと見守っていた三好の兵も集まり出した。

織田50人の兵を、三好200人の兵が取り囲んで行く。

犬千代の兄らが忠貞たださだの左右に付いた。


「三好の方々に物申す! 右近衛大将久我 晴通こが-はるみち様の下知である。河原者であっても無闇に無法を行うのを慎むように!」

「これは異なこと! こちらも役儀やくぎである。早々に退散されよ!」

「これより京において、如何なる者にも理由なしに乱暴・狼藉はできなくなり申した。通達が遅れているので罪は問わない。無益な所業は控えて頂きたい」


先ほどまで空気だった三好の家臣が忠貞たださだに対して一歩も引かない構えを見せた。

河原で織田と三好が睨みあった。


 ◇◇◇


忠貞たださだは馬鹿ではない。

まだ、変わる前の熱田を知っており、武士の面子も心得ていた。

笑われただけで面子を失ったと言って相手を殺してしまう。

村の者も仲間が殺されたと言うだけで、村同士、家同士で殺し合いをしていたことも覚えていた。

懐かしい!

堺に降りて、武士が言い合っているのを見て脳裏に走ったのはその言葉だ!


道端で武士同士が殺し合っている。

それが普通の日常であった。


織田信長様という変な殿様はそう言った下らない喧嘩が大嫌いだった!

笑っただけで斬り殺せば、その者の首を刎ねる。

面子で家同士が争えば、どちらの家も取潰すと言い放った。

那古野ではこの手の争いはご法度なのだ!


村に遊びに言って餅を配り、水争いも公平だった。

罪人の罪を村に及ぼさない。

常識外れの奇行だ。

そんなことだから家臣らからソッポを向かれた。

もっとも最近は魯坊丸ろぼうまるがその上を行って、河原者の後ろ盾になるものだから信長様の奇行も目立たなくなった。

尾張はともかく変わっているのだ。


だが、京ではそれが通じない。


犬千代こと、前田 利家まえだ としいえの罪は犬千代が腹を切ればそれで終わる?

そんなことは起こらない。

どこの誰であろうと尾張の者が起こした責任はすべて織田家が責任を取らねばならないのだ。

まったく面倒なことになった!


「若様、そう言いながら笑っておられますぞ!」

「ははは、俺も那古野に毒されておるのだ。あの薄汚い連中でさえ、守ってやりたいと思うほどに馬鹿になっておる」

「馬鹿でございますか?」

「織田の者は馬鹿が多い」

「甘ちゃんと思っておりましたが、馬鹿でございましたか?」

「あぁ、馬鹿だ! 馬鹿に付き合うと命がいくつ在っても足りないぞ! 覚悟しておけ!」

「それは楽しみですな!」


馬鹿な犬千代の尻拭い!

忠貞たださだはそんな馬鹿が嫌いではない。

踏ん切りがついた。

ここは尾張ではないと言い聞かせるのを止めた。


100人の内、半分を久我 晴通こが-はるみち様に残す。

50人で200人の三好の兵と対峙する。

しかも河原者を守りながらだ!

公家、武家、町の衆らは俺を馬鹿者と笑うだろう。

笑いたければ笑え!

まったく、魯坊丸ろぼうまるのせいだ!

俺まで頭はおかしくなった。


「配置付きました」

「よいか、こちらから仕掛けるな! あくまで止めるのみだ!」


そう言うと忠貞たださだは土手を一気に駆け降りて、犬千代と争っている者の間に馬を割り込ませた。


 ◇◇◇


織田と三好が河原で睨み合っていることは、すぐに吉祥院城まで兵が知らせてきた。


「どういうことだ! 何故、織田と争っている」

「こちらもよく判りません。とにかく、河原まで押し寄せて睨みあっております」

「もうよい、すぐに行く!」


若槻 光保わかつき-みつやすはわずかな兵を連れて河原に急いだ。

何かあったのか?

まったく理解できない。

何故、織田が介入してくる?

馬を走らせていると、土手の上に久我家の餝称かざりしょうと織田木瓜紋と一緒に赤地に金の刺繍で日輪を描き、『天照皇太神』と書かれた旗がはためいていた。

織田は平朝臣たいらのあっそんを名乗っているので、南朝の旗を掲げているのだろうか?

そんなことはどうでもよかった。

光保みつやすは嫌な汗を流す。

織田と争うと三好が朝敵になってしまう。

土手に上がり、まだ始まっていないことに安堵の息を付いた。

短慮は起こしてなかったようだ!


「そこにおるのは隠岐守ではないか?」


そう声を掛けて来たのは(久我)晴通はるみち様であった。

慌てて下馬すると、晴通はるみちの元に寄って膝を折った。


「久我様、お久しぶりでございます」

「久しいな! だが、あいさつより先に、あちらの矛を降ろさせてくれぬか?」

「承知致しました」


光保みつやすは再び馬に跨ぐと河原に降りた。

小さな火種を見事に鎮火してくれた。


「本当に助かりました。この通りお礼を申し上げます」

「頭を上げて下され! こちらも不手際がございました」


互いに争わないように兵を引き離すと、忠貞たださだは三好の兵に見えるように何度も何度も頭を下げた。

これでは織田の面子が丸つぶれだ!

忠貞たださだがかなり辛い立場に置かれるのは察せられた。

だが、三好方としてはありがたい話だった。


「本当によろしいのか?」

「こちら面子は潰れますが、それでも私に腹を切れという者はおりません。ご安心下さい」


光保みつやすにとって織田の行動は理解し難いものだ。

三好の兵が河原者から略奪をするのは予想していたが、まさか憂さ晴らしに虐殺までしているとは思っていなかった。

だが、その河原者を見かねて織田方が出てくるなどあり得ない。

こんな光景はどこでもある。

織田は…………いやぁ、この忠貞たださだ殿は何を考えているのだ?

まったく理解できない。


「では、この河原のごみ屑を織田に命じて処理させたということでよろしいのですな!」

「あくまで指示の行き違いということでお願いします」


どちらも光保みつやすが出した指示であり、三好方に川原者の追い出しを命じ、織田方に処理を任せた。

諍いは指示の行き違いと言うことにした。

これで三好の下に織田が入ったような印象を受ける。

織田の一方的に損になる。

忠貞たださだ殿に武士としての誇りはないのか?

そう思いながら薄気味悪さも覚えていた。


この京にどれほどの河原者がいると思っているのだ?


この戦乱で家や土地を失った者は山ほどいる。

ここにいる河原者500人を助ければ、辺りの者も集まって、どれほどの数が集めるのか想像も付かない。

それをにっこりと笑って引き受けた。

忠貞たださだ殿は何を考えているのだ?


だが、光保みつやす忠貞たださだの心配ばかりしていられなかった。

勝龍寺城しょうりゃうじじょうの(三好)長逸ながやすに報告に行かねばならないからだ。


長逸ながやすは朝廷や幕府を無視しろと命じていた。


ここに至っては通用しない。

右近衛大将久我 晴通こが-はるみち様から巡回に参加するように命じられた。

織田の上座を約束された代わりに、朝廷の法に従うことを求められた。

そうでなければ、織田に命じたことがおかしいことになる。


また、朝廷の法に従うことは三好の者が乱暴・狼藉を働くと三好自身がその者を斬首しなければならない。

傭兵らの反発が予想される。

これを長逸ながやす様が認めて下さるのだろうか?

だが違えれば、三好が朝敵にされてしまう。


長逸ながやす様ならば、『朝敵、結構!』とか言って御所を襲いそうで恐ろしい。


あぁ、気が重い!

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