第70話 犬千代、やってしまいました。

京の都は人が溢れるように密集している。

だが、人口が多い訳ではない。

応仁の乱で大内裏は焼失し、土御門内裏つちみかどのだいりに内裏を移した。

幸い、この内裏を造営した鳥羽帝が大内裏を模倣されたので配置や建物の名称も同じと言うのが都合よかった。

この新しい内裏を中心に南北の上京と下京が惣構そうがまえで復興していった。

人口が密集しているのは内裏のある左京の南北のみだ。

大内裏の西、右京の三条から七条にはのどかな畑が広がる半農作地帯になっていた。

右京にはまばらにしか人がおらず、村が点在しているような風景が広がる。

空き家などに潜むごろつきや野盗の類いの捜索や追い出しは織田の兵だけで十分であった。

つまり、大番役として右大臣の近衛 晴嗣このえ-はるつぐ、左近衛大将の西園寺 公朝さいおんじ-きんとも、右近衛大将の久我 晴通こが-はるみちが交代で巡回するのは左京のみとなっていた。


「(久我)晴通はるみち様も今日は御災難でございました。お察し申します」

「仕方あるまい。くじびきで負けてしまったのだ」

「おっしゃって頂ければ、我々だけで回りましたのに」

「それはいかん。はじめたばかりで我々が姿を消したのでは町衆の者もがっかりする。それより、弟君の晴れの姿に同行できずに、そなたの方が残念であったな」

「いいえ、私は公家の作法を習いはじめたばかりで、御所に付いて行ってもどうすればいいのかも判りません。はじめから行く予定はございません」

「そうであったか」

「我々熱田衆は正式な随行員ではございません。正式な方でも選ばれない方がおられるのに私が選ばれては波風が立ちます。それより魯坊丸ろぼうまるは立派に拝謁ができましたでしょうか?」

「立派でしたよ」


(久我)晴通はるみちは御前の拝謁を見届けてから巡回の為に御所を後にした。

魯坊丸は昼から宴席が待っているそうだ。

はじめて会う公家様にとって魯坊丸は未知遭遇であった。

まだ、元服もしていないと言うのに帝のお気に入り、それに加えて湯水の如く銭を稼いでいる織田の御曹司の弟である。

ご縁を持ちたい公家様がごまんと取り巻いているだろうと晴通は言った。


「今、考えますと魯坊丸殿を守りながら我が家と縁を深めようと企むのは並大抵の苦労ではすまない訳ですよ」

「そうなのですか?」

「ええ、晴嗣殿と公朝殿も苦労しているでしょう。私は運が良かったのかもしれません」


晴通の目はまるで鷹のように鋭く、義理兄である(中根)忠貞たださだを観察していた。

織田の訓練を見学にくるのは武家が多く、寺にほとんど入らない忠貞にとって公家様と接する機会は少なかった。

前の巡回の時は(近衛) 晴嗣はるつぐであり、魯坊丸の幼い頃の質問責めにあったのみ、まだ誰からも目を付けられていない。

忠貞は経験不足だった。

晴通が何をおっしゃっているのか、まったく判っていなかった。


忠貞は町の者に手を振り、気さくにあいさつをする。

時には馬を止めて様子を伺う。

職業に差別する訳でもなく、男女の隔てもない。

威張ることなく、それでいて威厳を忘れない。

指揮を執る様も悪くなかった。


巡回の部下は100人のみである。

1000人の内、500人が100人ずつで巡回を行う。

翌日は浅井 高政あさい たかまさが残る500人を率いて、同じく100人ずつに分かれて巡回をする。

忠貞の他にも2組が100人で上京や右京を巡回しており、上京から指示を仰ぎに来た者への対応は見事であった。

因みに残る200人は知恩院の小屋で夜間に備えて待機しており、半休・半待機で体を休めていた。


「申し訳ございません。勝手に指示を出してしまいました」

「武家同士の対応に私を撒き込まない心使いは嬉しく思います。しかし、帝より命じられて、私も覚悟を決めております」

「そうでございましたか。要らぬ配慮でございました」


頭を下げる忠貞に晴通はにっこりと笑った。

合格だった。


「忠貞には許嫁がございますか?」

「残念ながらまだでございます。その内に父が見繕ってくれると思っております」

「そうでございますか! どうでしょうか、私の姪に慶福院けいふくいんという尼がおりますが、還俗させますので貰ってやって頂けませんか?」

「慶福院様ですか?」

「身内贔屓ですが中々の器量持ちです。ただ、もう年は27歳になります。しかし、このまま尼で枯れさせるのは惜しい。父は西園寺 実宣さいおんじ-さねのぶ様で、公朝殿の妹になります」

「左近衛大将様の妹様など、私には無理です」

「大丈夫、大丈夫、伊予で政略結婚をさせられて夫に先立たれた可哀想な子です。夫への忠義立てももう十分でしょう。忠貞なら気に入ってくれる。私に任せておきなさい」

「とにかく、父と相談してからにさせて頂きます」

「相談、結構、結構。父君や魯坊丸と相談してからで結構。よい返事を期待しておりますよ」


まだ、返事をした訳じゃないが有無を言わせない。

そんな雰囲気を漂わせていた。

27歳の未亡人と言っても、忠貞には久我家や西園寺家と縁続きになるのは荷が重かった。


 ◇◇◇


利家らは空き家などを一軒ずつ調べながら西堀川小路を下ってゆき、西市の辺りの巡回が一番の目的であった。

まぁ、それでも左京に比べると廃れていた。

九条まで降りてきた前田三兄弟は東に向かって伏見稲荷に向かう予定であったが、昼ごろから上がり始めた鴨川の煙が気になっていた。

そこに同じく煙が気になった巡回隊が近づいてきたので膝を折った。


「犬千代、右近衛大将様だ。膝を付け!」

「よい、顔を上げよ」


晴通の声で利玄が顔を上げた。

馬上の晴通を見上げながら、昼ごろから煙が一本、二本と増えていたと告げ、詳しくはよく判らないと正直に答えた。


「仕方ありません。やはり見に行きますか」


晴通に率いられた巡回隊は平安京の最南西を越えて、桂川の土手に上がった。

晴通は思わず、顔を逸らし袖で覆い隠した。


「おぉ、なんと惨い」


祭りか何かと思えば、納屋のようなボロ屋に火を放った煙であった。

足軽らは逃げる者を後から槍で刺し殺す。

笑みを浮かべて、無抵抗の者を殴る蹴ると続けている。

まるで遊んでいるようであった。

それでも意に添わなければ、やはり刺し殺し、躯となった者が血の池に浮かぶ。

皆、ボロを着ているので地獄の罪人を鬼が追い詰めているように見えた。


まるで西福寺の地獄絵図ではないか。


上がる旗は三好の旗だ。

辺りを通る者はそれを見ると一目散に逃げてゆく。

誰も三好と関わりたくない。

そして、逃げ遅れた者を一箇所に集めていた。


「三好は何をやっておるのだ?」


聞かれた忠貞もよく判らない。

穢多えた非人ひにん、村を捨てた流れ者などが河原に棲みつき、死んだ牛の皮革などを剥ぐ河原者となる。

後ろ盾のない彼らはよく虐げられていた。

昔ならともかく、今の織田家ではもう見られない光景だった。


「中根様、あれは『追剥おいはぎ』でございます」


元傭兵で忠貞の家臣がそう言った。


「三好が追剥をしているというのか?」

「別に珍しいことではありません。河原者も生きてゆく為に多少の蓄えを貯めております。それを狙って襲っているのでしょう」

「浅ましいことだ」

「野盗の類いならば、河原者も抵抗するでしょうが相手が悪い」


三好の者が一人でも殺されれば、面子の為に皆殺しも覚悟しなければならない。

出す物を出した者は助けて貰える。

何も持たない者も三好の気が済めば去ってゆく、雷様や野分(台風)のようなモノだと諦めていた。

忠貞は拳を強く握り締め、唇を噛んで悔しそうな顔をした。


「お助けになりますか?」


元傭兵の家臣が意地悪く、まるで試すかのように聞いてくる。

彼らにとって織田は居心地が良すぎる。

この厳しい世にあっておままごとのような甘ちゃんの所があった。


「尾張ならば、殿であっても罪のない者を傷つけることは許されぬ。その殿を止めても罪にならん」

「それはよい所でございますな」

「あぁ、いい所だ」


元傭兵の家臣はよい所だと言いながら言葉の何処かに棘があった。

言っておくが、織田は法に厳しいぞ。

忠貞は言葉に出さず、心にしまった。


「織田ではあのような者も守るのですか?」


顔を背けていた晴通がその会話に入ってきた。

実に興味深そうな顔であった。

あのような何の後ろ盾もなく、人の数にも入らない者を救いたいというのに興味を持たれたのかもしれない。


「織田では、弱き者ほど守るべき、それが武士の姿と教えております」

「弱き者を守るのが武士ですか?」

「はい、そう教えております」


晴通はしばし考え、このような光景こそ無くさねばならない。

そう結論付けたのだと、忠貞は思うことにした。


「ならば、今日より、その法は京の法としましょう」

「晴通様、よろしいのでございますか? 相手は三好でございますぞ」

「助けたいのでございましょう」

「それはもちろんでございます」

「ならば、助けましょう。これもまた帝の御心です。それに未来の甥御の為です」


忠貞はこの借りが高く付くことを思ったが、それでも頭を下げて感謝した。

止めると言っても武力ではない。

話し合いで治めなければならない。

簡単ではないと思いながら馬を進めようとしたとき、目の前で思わぬことが起きていた。


まだ小さな娘が三好の物頭に小さな小石を投げた。

それがふらりと上がり、その小石が物頭の頬に当たった。

当然、物頭は怒った。

だが、娘も負けない。

くりくりとした目には生きようとする強い力が宿っていた。

三好相手に戦おうとしていた。


「捕えよ」


だがしかし、娘の抵抗も空しく、足軽に娘を捕えられ体を押さえつけられた。

それでも娘は抵抗を止めず、抗戦的なギラついた目を向けているのだ。

物頭は太刀を抜いて近づいてゆく。


「斬れ!」

「私は負けない」


それを食い入るように見ていたのは利家であった。

目の前の光景がブレる。

凛としたその姿がお市様に見えた。

ふらふらと犬千代の足は前に進む。

兄が声を掛けた。


「手出しはならんぞ」


だが、その声も届いていない。

夢遊病者のようにぶつぶつと呟きなから土手を降り、ゆっくりと近づいていた。

少女が叫んだ。

その声が利家の耳に届いたとき、利家は反応した。


『お市様ぁ!?』


疾風迅雷しっぷうじんらい、草履が土埃を高々と舞い上げた。

余り勢いに草履も飛び散った。

火事場の馬鹿力か、風神がのり移った奇跡の所業か?

犬千代は駆けてゆき、振り降ろされる刀を槍の石突きで横に叩くと娘を押さえている足軽を軽く蹴って引き剥がした。

見る者も唖然、止める間もない、一瞬の出来事であった。


「こんな幼子に刀を振るうとは、てめいらの血の色は何色だ。 御天道様おてんとさまに代わって、この『槍の又左』、相手をしてやるから掛かって来い」


左大見得おおみえを切って啖呵を吐くと、ガンと長槍を地面に叩くように置いた。

そして、犬千代は振り返った。


「お市様、もう大丈夫でございます。この利家が来た限りには…………?」


お市と呼ばれて、娘が首を傾げた。

輪郭は少しお市に似ているが、当然、お市である訳もない。

瞳がお市様にそっくりだが、双子の妹などでもない。

犬千代は我に返った。


あっ、やってしまった!

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