閑話.海道一の弓取りも動く!
一方、関東で分裂していた上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏を計略で巧く結び付け、三者連合軍を結成することで北条軍と対峙させ、今川軍と三者連合軍は北条家を挟撃して苦しめた。
しかし、天文15年 (1546年)に起こった『河越城の戦い』でその流れが大きく変わった。
世に言う『河越城の戦い』だ!
北条家に河越城を奪われた上杉朝定は上杉憲政と足利晴氏の協力を得て、八万人の大軍で河越城を囲んだ。
河越城の兵力は3,000人でしかない。
城の周りに十倍以上の敵が集結した。
その頃、今川軍も駿河から相模に進攻し、
しかし、攻めていた三者連合軍の総大将であった(上杉)朝定が陣中で突然死に見舞われたのだ。
忍びによる暗殺か、内輪もめの毒殺か、それとも天寿を全うした心臓麻痺か?
いずれにしろ、(北条) 綱成は助かった。
運がいいとしか言いようがない。
三者連合軍は一夜にして崩壊し、北条軍の一方的な勝利に終わった。
ここから北条軍の勢いは止まらなくなった。
義元は戦略の見直しを余儀なくされた。
三者連合軍は崩壊し、各個撃破で北条軍の進攻が止まらない。
放置すれば、駿河の今川家、甲斐の武田家も飲み込まれる。
そんなことも危惧するような事態であった。
生死を賭けた今川・武田連合軍で北条軍と戦う必要が出てきたのだ!
しかし、幸いというか、運命の悪戯なのか、時代はそう動くことはなかった。
大勝に乗る(北条)氏康が天文18年に大地震に見舞われて、軍事も政務を停滞する大被害を被ったのだ!
その時間が義元の計略を立て直すきっかけとなった。
義元は三河の松平広忠が暗殺されると三河にも進出し、駿河・遠江・三河の三国を手に入れることができた。
尾張の虎と呼ばれた (織田)信秀が病に倒れて亡くなり、織田家は弱体して内部分裂を起こして美濃・三河へ進出する力を失った。
(その中にあって那古野、熱田、津島のみは不気味に発展を続けていた)
一方、甲斐の
震災で北条家が停滞する中、今川家、武田家は力を貯めて三家の力が再び拮抗した。
さらに、村上家の先には同盟を結ぶ、越後守護代の
また、(上杉)憲政が敗れて長尾 景虎を頼った為に北条家と敵対した。
こうして、甲斐の
この状況を利用しない義元ではない。
義元は武田家と北条家の同盟に奔走し、天文22年 (1553年)正月に晴信の娘(黄梅院)が (北条)氏康の嫡男である
あとは氏康が約束通りに義元の嫡男である
しかし、散々北条家を苦しめてきた謀略家である義元を氏康が疑っており、未だ三国同盟の完成に至らないでいた。
いずれにしろ、武田家と北条家の同盟はなった。
武田軍は北信濃へ、北条軍は上総国の真里谷武田家に向けて軍を動かしていた。
天文22年 (1553年)4月、東海から関東は大きく動き出していた。
要するに、今川義元は背後から襲われる心配が無くなった訳だ!
◇◇◇
駿河の今川館に黒衣の宰相が戻ってきた。
僧兵と見間違うほどの立派な体格をしており、体の張りは57歳と思えぬほど若々しかった。
「只今、戻りました」
「して、首尾はと聞くまでもないか?」
「申し訳ございません」
「
「
「で、どう書き直す?」
どうしたものかと
崇孚の計略で
元々は今川方であった岩田氏を再び今川方に引き戻し、荒尾氏と対立する花井氏を味方に付け、強引に武力で水野氏を味方に付ける。
残る荒尾氏・佐治氏・戸田氏と対立させて、知多を今川家の物にする。
そのハズであった。
だが、蓋を開けると知多は分裂する所か一致団結し、すべて親織田方になってしまった。
「虎の睨みが無くなると崩れると思っていたのですが、熱田明神が顔を出して引き止められてしまいました」
「やはり、熱田か?」
「はい、熱田でございます。熱田の繁栄ぶりを
ふふふ、義元が苦笑いを浮かべた。
今川方に組みした方が衰退し、織田方に組みした方が栄えれば、否が応にも織田方の結束が固くなる訳か!
「本当に申し訳ございません」
「構わん。最後に勝てば、良いだけだ!」
「これを見よ」
義元が丹羽氏勝からの手紙を崇孚に投げた。
「丹羽が兵を求めておりますか?」
「兵を連れて
「軒を借りて母屋を乗っ取る。それは良いお考えと思います」
「労さずして、東尾張が手に入った」
「ですが、決め手に欠けますな!」
「尾張葉栗郡の黒田城主の
「ほぉ、それは上々ですな! 織田伊勢守家(岩倉織田氏)は主戦派で染まりましたな!」
「そう言うことだ!」
織田家との対決を反対していた
もう対決は避けられない。
兵を求めた (丹羽)氏勝に応じて義元は兵を送る。
そのまま、5,000人程度の兵で岩崎城を占拠して、末森城の攻略に先鋒として丹羽軍を使う。
東に鳴海城の山口家があり、西に荷ノ上城の土豪・服部党も今川方であった。
気が付くと、半包囲が完成していた。
「あとはきっかけでございますな!」
「今が好機だ! 背後を気にせず、兵が動かせる。一方、織田家の弟が上洛中で気が削がれている」
「それは同意しますが、油断なりません」
「それほどか?」
「城の守りは固く、棲む民も多い、籠城されると厄介です」
「藤林、手下を100人以上も殺された恨みもあろう。何かないか?」
義元に仕える伊賀の忍び藤林長門守がすっと廊下に現れた。
「残念ながら那古野、末森、熱田の守りは固く、探る術もございません」
「頼りにならんな!」
「申し訳ございません。ただ、信長の謀略の1つに清州城の家老である
「那古野は寝返ったのか?」
「いいえ、清州に留まっております。監視のみ付けております」
義元は考えた。
調略しながら清州に留め置く理由は何なのか?
『埋伏の毒だな!』
崇孚も頷いた。
信長の急所は守護を人質に取られていることであった。
清州を攻めて、守護が亡くなると『守護殺し』の汚名を被ることになる。
それを嫌っていた。
「目的は守護である
「策とすれば、門の後背から襲い、開城させて流れ込むつもりでしょう」
「守護を奪還できれば、後はどうにでもなる」
すでに清州の兵力では信長に対抗できるだけの数が集まらなかった。
信長が力押しでも倒すことは難しくない。
「空城の計がよろしかろう!」
「和尚はその策が好きだな!」
「敵を誘い、油断させて左右から挟撃する。必勝の戦い方でございます」
「信長をそれで討てるのか?」
「いいえ、無理でございましょう。ですから、その機を狙って、岩倉の織田信安の兵を背後に出現させるのです」
和尚の策は狡猾だ!
まず、手勢1,000程度を岩倉から清州に援軍を送る。
先発隊は周辺の織田の間者を始末しながら通過し、その後背から本隊を同じ道を通って移動させ、信長の背後に出現させる。
「信長は機動力を重視しており、那古野から2,000人、あるいは4,000人の兵を送るでしょう。どんなに多くとも5,000人に達しません」
「恐ろしいことだが、もっと集められるであろう」
「それをしないから信長は恐ろしいのです。那古野の民は絶対に攻められないと信じているので集まっている烏合の衆に過ぎません。兵に駆り出すようでは逃げてしまいます」
「脆いな!」
「はい、ですから熱田が落ちれば、自然に四散するでしょう」
「我が方はそれで良い。それで清州勢は勝てるのか?」
「さぁ、どうでしょうか? 岩倉の信安が兵を出し惜しまなければ、よい戦いになると思います」
「信安次第と言う訳か?」
「兵を四つに分けて送り、信長に総兵力を悟らせないで兵を送る策を授けましょう。しかし、策は漏れれば、策になりません。扱えるかどうかは信安次第です」
かっと目を見開き、義元が膝を叩いた。
覚悟を決めた目がどこまでも澄んでおり、和尚はそれを嬉しく思った。
近習を急いで集めた!
「準備はすでに終わっておる。4月18日を決戦の日とする。駿河、遠江のすべての城主に鳴海城、大高城への兵糧入れを命じよ。兵糧入れと思わせて全軍で熱田に攻める。丹羽家を
近習が一同に頭を下げた。
かかか、和尚が笑った。
「壮大な兵糧入れになりますな!」
「毎月の満月の日に兵糧を送っておる。どこの城主も自分の順番が回ってくると疑っておらん」
「それでは今川の兵すら戦をしにゆくと気づかないでしょう」
「荷駄隊が先行する形で前線に兵を送る。信長に知れた頃には一万五千の大軍が鳴海に集結しており、それを清州で聞いて信長はどう動くことか?」
「さぞ、驚くことでしょう!」
「それを機にして信安が信長を討ち取ってくれれば、後が楽になる」
「幸い、熱田明神もおらず、代わりに担ぐ神輿もおりません」
「望んでおるが、淡い期待は捨てておけ!」
「当然でございます」
「分裂している弾正忠家が再び、団結する間を与えてはならん。短期決戦だ! 信長が那古野に戻り、体制を立て直す前に熱田を落とす。和尚、任せるぞ!」
「承知しました」
「三河衆には前日の陣触れを出して、すべてを東尾張の岩崎城に送れ! 渋る者は後で皆殺しと伝えよ!」
「さらに、こちらの狙いを隠す訳でございますな!」
「そういうことだ! 刈谷水野勢を熱田攻めの先鋒とする!」
「ならば、刈谷水野家にも城代を送って監視させましょう」
「おぉ、悪くない!」
「我ら今川家は東尾張と (三河)刈谷水野家を完全に掌握する為に動いていると勘違いしてくれるでしょう」
「和尚は陰湿だな!」
「さらに、もう一手! 刈谷水野家から離反した緒川水野家の攻略を宣言し、村木に砦を作ると言って兵を送りましょう」
「今川家の狙いは知多と思わせておくのか?」
「はい!」
村木で決戦を臭わせておくのも悪くなかった。
知多連合を緒川に集結させておける。
巧くすれば、織田家から援軍が送られて熱田の守りはさらに手薄になる。
村木に集めた兵は大高街道を通れば、一晩で鳴海に集結できる。
「村木に送る兵は2,000くらいでよいか?」
「3,000くらいの方が真実味も出るでしょう。さらに、周辺の村から人を集めさせて、砦を作っている振りをするのも悪くありません」
「兵を動かす口実も作るのか?」
「はい!」
がさっと義元は立ち上がった。
近習が一斉に散った。
明日の早朝に軍議を行うと早馬が今川館から沢山走り出した。
武田、北条に続き、今川も動いた。
天文22年4月、すべてが動きはじめていた。
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