第66話 俺って、もしかして駄目な子か?
ぱか、ぱか、ぱか、馬の扱いを上達させるのに
モンゴルの騎馬民族などは鐙なしでも騎乗できたらしいが、日本は
鎌倉、室町と様々な鐙が生まれた訳だ。
俺は単純な皮製の鐙を使っている。
はっきり言って鐙なしで馬に乗るなんて考えられない。
「魯兄じゃ、どうじゃ!」
「お見事!」
「えへへへ、がんばったのじゃ!」
昨日、腹一杯に京菓子を頰張ったお市は約束通り、腹痛を起こして寝込んだ。
しかし、翌朝になるとけろりと治った。
予定通りに
晴嗣も当然のように参加していた。
「晴嗣、カッコいいのじゃ!」
「ほほほ、そうであろう。お市もやるか?」
「やるのじゃ!」
そうなりますよね!
当然のことながら、弓を射るときは両手を放す。
子供用の小弓であっても同じだ!
そこで馬から落ちないように馬と一体になる訓練をする。
手綱も鐙のない馬に乗るということらしい。
「正確に言えば、荒行でございます」
「そうなのか?」
「お市様は落ちずにおられますが、普通は何十回も落ちながら身に付けるものでございます」
「痛そうだな!」
「はい、かなり痛いです」
「千代もやったのか?」
「はい、5歳のときにやらされました。でも、ご安心下さい。足元に藁や砂、あるいは、浅瀬の川などで訓練いたします」
確かにそれなら大怪我はしなさそうだ。
打ち身で痛い目に遭いながら巧くなってゆくらしい。
お市が落ちたらすぐに支えようと周りに何人もの神人が待機しているが、一向に落ちる気配はない。
それどころか乗りこなしはじめていた。
「大した才能だと存じ上げます」
「千代がそう言ってくれると、少しは安心できる」
俺は絶対にできない。
普通に長い時間を掛けて手綱を持たずに騎乗できるようになる方を選ぶ。
どうですか、私の姫様は!
そんな顔で千雨が鼻高々に胸を張っていた。
「さて、
「何なりとお聞き下さい」
「寺で聞かなかったのは他の耳があったからだ! 昨日、お市が危ないところをお前は助ける素振りもなかったな! 慶次のようにお市の動きに見惚れて呆けていた訳ではあるまい」
「お察しの通りでございます」
千雨は兄妹達の為に父上 (故信秀)が付けた忍びの一人だ。
皆、命を惜しまず、
昨日の千雨の行動はそれから外れていた。
つまり、あの程度は危険でないと判断した?
「お市はどんな生活をしておるのだ?」
「ご存知と思いますが、お市様はお里様とご一緒に『遊戯道(アスレチック)』で修行されております」
修行?
聞きなれない言葉が飛び出してきた。
咄嗟に千代女を見た。
千代女が顔を背けて、ぽつりと説明してくれる。
「若様が遊戯道を楽しむものだと言われておりますが、忍びの間では修行場と認識されております。
(わたくしでは止められない感じなのです。遊戯道の難度を少しずつ上げて無理なく鍛え、その技量は下忍まで向上し、そうなると更なる技を教える者も多くおります。そもそも健康体操やヨガも体術を取り入れる一環と考えており、若様が教えて下さることはすべて忍術に応用できます。これで否定しろというのが無茶なのです)
千代女の声が段々と小さくなってゆき、半分以上が聞き取れない。
とにかく、何か勘違いされているのは判った。
「で、末森でも同じようなことをしているのか?」
「いいえ、末森では庭を使っての訓練はできません。姫はお淑やかにするものです。騒ぎを起こせば、お市様が叱られます」
「そうだろうな!」
「ゆえに部屋で私が紙を丸めた剣で襲い掛かり、お市様が避けるなどの訓練をしております。他にも石の代わりに紙の玉を避けるなどもやっております。お市様の技量はかなりなモノになっているとご報告できます」
嬉しそうに言うなよ!
つまり、あの程度の武士なら相手にならないほど強いってことか?
あり得ないな!
「まさかと思うが、お市の技量は?」
「お聞きにならない方が…………」
「はっきり言ってくれ!」
「若様がお昼寝をされている間もお市様や里様は修行に励んでおります。3年も続ければ、当然の結果かと思います。若様も同じ年の者に比べますと、かなりの体力を持っておりますが、お市様と比べると劣ります」
「そうか!」
「
千雨が励ましてくれるが、それは励ましか?
そこで2つ年下のお栄がでてくる。
千代女はまだ気まずそうに横を向いていた。
つまり、お栄にも負けているってこと?
俺って、もしかして駄目な子か?
代わりに目をキラキラさせた千雨が言う。
「お栄様はお市様やお里様と一緒に遊びたいと頑張られておられます。近い内に一緒に修行できるようになると信じております」
「そうか、助けてやってくれ!」
「はい、承知致しました」
三十郎兄ぃらは武家としての鍛錬があるので、中根南城に来る回数がお市らに比べて少ない。
その分、剣術や弓術が上達しているらしい。
「ふふふ、三十郎様程度でお市様に触れることもできません」
千雨が自信満々で胸を張った。
父上 (故信秀)、駄目な下忍を付けましたな!
さて、お市はどこを目指しているのだ?
「決まっているではありませんか? お市様の目標は千代女様でございます。私では忍術をこれ以上はお教えすることができません。指南役を所望致します」
「考えておく!」
「ありがとうございます。お市様がお喜びになられます」
千代女並!?
俺にとってスーパー秘書だが、忍びとしては加藤に次ぐ、上忍でもトップクラスだ。
お市はすでに下忍並か!
なるほど、そう言うことだったのか!
ちょくちょく抜け出しているようだが、堂々と壁を越えて抜け出しているらしい。
そりゃ、門で網を張っても捕まらない訳だ!
知恩院の壁は割と高いぞ。
◇◇◇
はしゃぎ過ぎたお市はお昼寝中だ!
流鏑馬を見終わってから乗馬を始めたが、日が高くなる頃には乗りこなすようになっていた。
余程疲れたのだろう。
馬から降りると寝息を立てて、そのまま眠ってしまった。
「ほほほ、教えがいのある子だ」
「ありがとうございます」
「気にするな、蹴鞠で負けた褒美だ!」
晴嗣に随分と気に入られたようだ。
「晴嗣のことは嫌いじゃないですがあげませんよ」
「ほほほ、後10年若ければ、申し出たかもしれん」
「何歳ですか?」
晴嗣は天文5年生まれの17歳だ。
すでに久我晴通の娘を正室に迎えている。
当然、お市を側室に入れさせるつもりなどない。
まぁ、俺が決めることじゃないけどさ!
「それより、昨日のような面白きことは麿がいるときにやってたもれ!」
「全然、面白くありません。何か言ってきましたか?」
「おお、言ってきたぞ!」
やはりか!
細川氏綱の家臣とか言っていたので、最悪は刃傷沙汰まで覚悟していた。
笑ったとか、罵ったくらいで殺し合いとか、実に下らない。
だが、それが普通にあるのだ!
「そのような家臣は知らんと言ってきた。幕府にも同じような使者が行っているのではないか?」
えっ、俺はぽっかりと口を開けて間抜けな顔を晒す。
トカゲの尻尾切りか!
「ほほほ、流石の(細川)氏綱も飛鳥井家と織田家を相手するのは拙いと思ったようだな!」
「帝、公方様、三好の影がちらつきましたか?」
「おそらく、そうであろうな!」
管領になったと言っても(細川)氏綱を支援するのは、
朝敵、逆賊とレッテルを張られ、三好が討伐する口実にされては堪らないとでも考えたか?
まぁ、いずれにしろ助かった。
「ところで、町の衆が朝廷に懇願してきた」
「何をですか?」
「織田様に町の治安を守って頂きたいらしい」
「そうですか!」
ほぉ、意外と思ったのか、晴嗣が声を漏らした。
別に意外ではない。
京の治安は売上に影響する。
できれば、協力はしたいと思っていた。
織田家が上洛を終えた後の傭兵を一時的に近衛様にでも貸し出すとかどうだろうか?
「それは悪くない」
「預かって頂けますか?」
「引き受けよう」
「ありがとうございます。近衛家付きならば、噛みつく馬鹿も少なくなると思われます」
「ところで麿が左近衛大将をやっていたのは知っておったか?」
「確か1月まで兼任していたと承知しております。その後は右近衛大将であられた
「その右近衛大将が空いておる。お主がやらんか?」
「やりませんよ。何、さり気なく昇進させようとしているのですか? 右近衛大将と言えば、従三位でしょう。実績もない俺がなれる訳もないでしょう」
「ほほほ、お主が近衛の養子に入れば問題ない。麿が空けた席に弟が入るだけのこと。帝に献上した医学書と合わせれば、十分過ぎる成果もある」
「遠慮します」
「すまん。もう
ちょっと待て!
官位を辞退できたのか?
調べた資料を思い出せ、何かあったハズだ。
確か、
つまり、前例もある。
「判りました。引き受けましょう」
「引き受けてくれるか?」
「但し、その3日後にすべてを辞任させて頂きます」
「
「はい、駄目と言っても聞きません。聞き届けられねば、病に掛かったと言って、すべての支援を打ち切って尾張に帰らせて頂く所存でございます」
「待て、待て、待て! まだ、上奏しておらん。冗談だ!」
冗談、晴嗣も人が悪い!
辞任したと言っても元右近衛大将の名前は付いてくる。
兄上らに何を言われるか判ったものじゃない。
肝が冷える冗談だよ。
「こっちの方も肝が冷えたわ! 帝にお叱りを受けるわ!」
「二度とそんな冗談は言わないで下さい」
「官位はやはり有り難がる者に与えるに限るわ!」
「そうして下さい。こちらはお家騒動にしかなりません」
「無欲だのぉ!」
「本当に使者を送り付けないで下さいよ」
「駄目か?」
「駄目です」
もう一度、念を押しておいた。
右近衛大将は京の治安も守る責任者の一人だ。
形骸化しているが、間違いなく近衛家に預けた傭兵の面倒を俺が見ることになる。
さらに取り込むつもりだ。
つまり、尾張に帰れなくなる。
絶対に拒否だ!
本気で辞めてやる。
俺は京での儲けを諦めて朝廷への援助もすべて打ち切る。
晴嗣が「仕方ないのぉ!」と呟いていた。
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