第65話 お市は京菓子を頬張った。

「魯兄じゃとお出掛け、魯兄じゃとお出掛け❤」


3月下旬、今日のお市は上機嫌だ!

小刻みに体を揺すって、俺の腕を掴んで離そうとしない。

知恩院を出る前からそんな感じで、牛車に乗っても同じだ。

それもそのハズで待ちに待った京見物だ。

今日の案内は飛鳥井 雅綱あすかい まさつな様だ。

歳の功がお市の扱いが巧い。


「おぉ、お市は蹴鞠が上手になったなぁ!」

「そうであろう。一杯、がんばったのじゃ」

「これはご褒美をやらねばならんな?」

「ならば、茶菓子を所望する。持ってくるのではなく、食べに行きたいのじゃ!」

「お市、京の町に出るのがご希望か?」

「そうなのじゃ!」


蹴鞠の修練を披露したお市は雅綱様からお出掛けの権利を捥ぎ取った。

公家様と一緒なら (内藤)勝介しょうすけも邪魔ができないと知ったのだ。

(近衛) 晴嗣はるつぐはロクでもないことしか教えない。


「他にも沢山の約束をされているのですか?」

「そうなのじゃ、今後は 晴嗣はるつぐ流鏑馬やぶさめを見に行くのじゃ!山科の爺とは呉服屋に連れていって貰うのじゃ」

「それはよかったですね!」

「わらわの勝利なのじゃ、えへん!」

「ですが、嫌なお勉強から逃げていると聞きましたぞ」

「嫌な物は嫌なのじゃ、詰まらんのじゃ」


雅綱様は困りましたねというポーズを取られ、それからお市の頭を撫でた。

お市も無垢な笑顔で対抗する。


「それではいつまで経っても拝謁ができません。魯坊丸殿もお困りでしょう」

「魯兄じゃが困るのか?」

「困ります」

「じゃが嫌なものは嫌なのじゃ!」

「では、こう致しましょう。すべての先生からお市にご褒美を出しましょう」

「おぉ、それは楽しみじゃのぉ!」

「その代わりに、お出掛けはすべての先生から合格を貰ってからとします」

「それは狡いのじゃ!」

「勉強から逃げ出した罰です」


雅綱様はその場で俺にそのように段取りを組むようにお命じになった。

お市が合格を貰った時点で予定を組み直す?

つまり、先に入っていた予定を後に回すと言うことだ。

中々の無茶を言ってくれた。

俺が口に出すより早く、(内藤)勝介しょうすけが声を上げた。


「権大納言様、それは無茶でございます。こちらにも予定がございまして!」

「内藤殿、よろしくお願いします」

「ですが!」

「お願いしますといいました」


静かな声で凄い迫力だ!

お市もごくりと唾を呑んだ。


「さぁ、お市。これで約束は取り付けました。後でお出掛けができないと言わせません。約束ですよ」

「わ、判ったのじゃ!」


子供の扱い方が巧かった。

こうしてお市は勉強から逃げ出すことができなくなり、渋々でも勉強を続けた。

雅綱様も早々に100点満点を諦めて、拝謁できる程度の赤点ギリギリまで目標を下げた。

その甲斐あって、昨日で何とかすべての先生から合格を頂いたのだ。


言い忘れたが、(松永)久秀ひさひでも祝いの品を持って来た前日に、帝からの使者が来られ、俺は従五位下の典薬頭てんやくのかみ、お市は従五位相当の掌侍ないしのじょうになっていた。

お市の勉強も終わって、やっと拝謁の準備が整った訳だ。

お市の勉強具合では半年ほど滞在するかもしれないと覚悟していたから、予定より半月遅れなら上々だ!


「魯兄じゃとお出掛け、魯兄じゃとお出掛け❤」


お市は朝からこんな感じだ!


 ◇◇◇


最初は川端道喜の『おんちまき』だ!

元、鳥羽の武士だった餅商人渡辺 進わたなべすすむと、その婿である中村五郎左衛門なかむらごろざえもんが御所の惨状を憂いて、帝に餅を献上したのが始まりと言う。

中村五郎左衛門は永正8年(1511年)に餅の司に任命され、出家後、道喜を名乗った。

口々に川端の道喜と呼ぶようになり、それを家名としたらしい。

帝もお食べになっておられる美味しい『ちまき』だ。

店に行くと事前に伝えていたので、店の奥、客間に通されて『ちまき』が出てきた。

ぱく、むにゃむにゃ、にぱぁ~!


「素朴な味が美味しいのじゃ! 幸せの味なのじゃ!」


1つ、また、1つと葛を笹に包んで蒸した餅がお市の口の中に入ってゆく。

笹の中に入っているのは白い葛ではなく、うす褐色の葛餅だ!

どうやら気に入ったらしい。

主人が客間に入って来て頭を下げた。


「如何でございましょうか?」

「旨いのじゃ、褒めて遣わす」

「ありがとうございます」


この『ちまき』は茶菓子としても出されており、俺は一度茶の席で食べたことがあった。

出来立てはそれ以上に美味しかった。


「主人、明日でも二百個ほど知恩院に持ってくることはできるか?」

「ありがとうございます」

「魯兄じゃ、わらわは食いしん坊でも二百個は食べられんのじゃ!」

「お市の分ではない。他の者への御裾分おすそわけだ。俺らだけが美味しい物を食していては拗ねられるであろう」

「おぉ~、そうなのか? ならば、わらわも御裾分けしたい者がおるのじゃ!」

「主人、二〇個ほど持ち帰ることができるか?」

「すぐに準備させます」

「これでよいか?」

「ありがとうなのじゃ!」


お市は残りもぺろりと食べ尽くした。


さて、『ちまき』の次が塩饅頭屋だ。

続いて、あん餅、さくら餅、みたらし団子、せんべいと回って行く。

最後に伏見の駿河屋の『紅羊羹べにようかん』だ。

下鴨から京の町を南に縦断することになる。

果たして、こんなペースで食べていてお市の腹は持つのだろうか?


「ところで、昨日のお出掛けはどうであった?」

「魯兄じゃ、市を褒めてたもれ!」

「いくらでも褒めてやるぞ!」

「にゃははは、昨日は貝合わせをやって来たのじゃ!」

「公家の姫らしくなってきたではないか?」

「そうであろう。じゃが、貝合わせはボロ負けであった。だから、ジェンガ (積み木崩し)で再戦して全勝してやってきたのじゃ!」


雅綱様の計らいでお市は公家の姫達との交流もはじまった。

歌読み、双六、貝合わせなどである。

女の子らしい遊びと言えば、女の子らしい遊びだ!


だが、お市がそんな大人しい遊びで耐えられる訳もない。

負けるばかりでは気が済まないのだ!

だから、お市は自分からおもちゃを持ち込んだ。

トランプ(数札)や花札、リバーシ(楽碁)、ジェンガ(積み木崩し)、かるた(歌留多)、立体パズル(御座居候ござそうろう)、立体4目並べ、ボードゲーム(人生ゲームならぬ戦国遊戯)などなど、 晴嗣はるつぐが広げはじめた百人一首も持ち込んだ。

全部、お市の一人勝ちだ!


流石、公家の姫様もお市と同じく、プライドが高いのだろう。

優雅に負けを認めながら、悔しさ100倍!

娘にねだられて、公家様らがこぞって商品を求めた。

嵯峨で『潤屋』を商う角倉 与左衛門すみのくらよざえもんは嬉しい悲鳴を上げた。

今回、俺はおもちゃを流行らすつもりもなかったので最初から持って来なかった。

しかし、何故か、城に置いてきた『おもちゃ箱』をお市が自ら持ち込んだ。

先見の明がある。

俺より商才があるのかもしれない。


同時に悲しい悲鳴もあった。

お市の教養の一環で碁の碁聖仙也せんやと、将棋の名人日海にっかいの再戦が実現した。

勝ち逃げをするつもりだったのに!


「魯兄じゃ、がんばるのじゃ!」


お市の声援に応えて、二勝、三勝と上げたがそこまでだ!

碁は定石をすべて出し尽くせば地力が敵う訳もなく、将棋は棒金からはじまり穴熊の戦術を出し尽くした所で終わった。

日を替えて交互にやって、連敗記録を伸ばしている。

棋譜はすべて記録して、帝に届けられていると言う。

止めてくれ!


「いい勝負だったのじゃ! 次は勝てるのじゃ!」


声援が痛い。

マグれでいいから連敗記録を止めないと!


『どきやがれ!』


突然に女性が木戸を突き破って飛び出してきた。

おっと危ない!

俺は咄嗟にお市を庇い、慶次と千代女が俺の前に立った。

次の店を目指して歩いていただけだと言うのにいい気分が大無しだ。


「女、俺の事を今、笑ったな!」

「笑っておりません。お許し下さい」

「馬鹿にされて黙っておられる訳もない」

「御武家様、どうかお許し下さい」


店の中から主人が出て来て土下座をする。

どうやら商品を買いに来た武士が、商品のことがよく判らず、それを見ていた女中が笑ってしまったらしい。

怒った武士は女中の頭を掴んで放り投げたらしい。

実に下らない。


「この落とし前、どうつけるつもりだ!」

「止めるのじゃ!」


えっ、いつの間に?

俺はお市を掴んでいたハズなのに、するっと抜け出すと武士と女中の間に飛び出していった。


「ちび、どこから出てきた?」

「そんなことはどうでもいいのじゃ!」

「なっ!?」


びしっ、お市が武士にすっと人差し指を向けた。

まるで剣先を突き付けられたかのように差し出した指先に反応して武士が後ろに引いた。

くすくすくす、小さな子供に怯えたように見えたのか、周りの人が口を隠して微かに笑った。

恥を掻いた武士が顔を真っ赤に染めてさらに怒っている。


「どこのちびか知らんが、俺はちびだからとて容赦せん」


かちゃ、武士は刀に手を掛けると居合抜きのように、斜め下から切り上げる逆袈裟切りを振り上げた。

お市!?

刹那の瞬間、お市の首が飛んだように見えたが、もちろん鮮血は飛ばない。


「慶次、何をしている!?」

「いやぁ、お市様が見事に反応したので助けるのを忘れてしまった」

「怠慢だ! 忘れてはいかんだろう!」


よく見れば、女中と武士の間に立っていたお市が、半歩下がって女中の足元まで引いていた。


「何か、したのかや? 全然、遅いぞ! 千雨ちさめの剣の方が数倍速い!」


おい、千雨ちさめ

お市になんてことを教えているんだ。

見えなかった。

刀が抜かれるより早く、バックステップで下がったということか?

いやぁ、いやぁ、感心している場合ではない。


「慶次、動け!」

「ははは、すまん。すまん。犬千代を留守番にして正解だったな! 連れて来ていれば、今頃はあいつの腹に槍が刺さっておった」

「笑っている場合ではあるまい」

「それもそうだな!」


武士は抜いた刀が空を切って、高々と刀が舞い上がっていた。

くす、くす、くす、空振りと思われたのか、さらなる嘲笑を浴びていた。

もう止められないとばかりに武士が上段に構えて振り降ろす。

が、振り降ろす途中で慶次の手が柄を押さえた。


「悪いがここまでだ!」


ずごん!?

慶次の蹴りが武士の腹を蹴って突き飛ばす。

武士が二回、三回と転がって倒れた。

起き上がると、こちらを睨んでいる。


「俺にこんなことをして、ただで済むと思っておるのか? 某は細川氏綱様の家臣であるぞ!」


思わぬ所から大物の名前が出てきた。


「そうか、それがどうした。とりあえず、刀を返してやる」


慶次が奪っていた刀を投げた。

放物線を描いて武士の鼻先一寸を霞める。

虚仮にされた上に舐められた。

武士はもう引き下がれないと立ち上がる。


「我が娘に刃を向けたと承知しているのであろうな!」

手前てめいは誰だ!」

「麿か、麿はこのの親で権大納言、飛鳥井 雅綱あすかい まさつなである。この隣にいるのが、このの兄で、織田を率いる魯坊丸ろぼうまるだ。噂くらいは聞いているであろう。帝と公方のお気に入りだ。どうだ、それを承知で刃向かうか?」


雅綱様は帯刀もしていない。

その堂々とした姿勢には威厳が乗っていた。

雅綱様が一歩前に進むと、武士が一歩下がった。


「お、覚えていろ!」


負け犬の定番だ。

去ってゆく武士を見送ると、わあぁぁぁっと民衆が歓喜の声を上げる。


「流石は、権大納言様だ!」

「胸がすっとした」

「織田様、万歳」

「お市様!」

「魯坊丸!」


叫び声に中に「慶次様!」、「飛鳥井様」と言う声を聞こえる。


「儂は次いでのようだな!」

「助かりました。感謝しております」

「ほほほ、儂は何もしておらん。名乗っただけだ!」


俺はもう一度だけ頭を下げておいた。

取り敢えず、終わりだ。

面倒なことにならないといいな?


因みに、お市は『紅羊羹べにようかん』まで完食した。

夕食を食べずに、そのまま寝込んだのはお約束だ!


「また、行くのじゃ! 約束じゃ!」


寝込んでも懲りていなかった。

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