第55話 平和の為なら頭を下げるし、銭も払うし、遜りもする。

俺がすき焼きを準備する為に席を外すと、今頃になって勝介しょうすけが青い顔をしてやってきた。

今更遅い、お市が暴走する前に体を張って止めてみせろ。


「これは一体どういう事ですか?」

「見た通りだ。公方様がすき焼きを所望された」

「すき焼きとは何でございます」

「城で食べたことがあるであろう。甘い肉の煮込み料理だ」

「あれでございますか? 確かに、あれは美味しゅうございましたな」


何を暢気なことを言っている?

待てよ。

那古野城で出したすき焼きのタレは親子丼に掛ける溶き卵風のモノだったな。

生卵は熱田の城主限定だ。

そうか、溶き卵という手も…………駄目だ。

お市が生卵のタレと言ってしまった。

溶き卵では違いすぎる。


魯坊丸ろぼうまる様、何が拙いのですか?」

「はっきり言うぞ! 生卵を食すると百が一、千が一、万が一に死人がでる」

「何ですと」


本当に稀だ。

それでも注意を払い、取れた卵はすぐに井戸の水で洗浄している。

ひびが入っている奴などは間引く。

すき焼きに使う生卵は朝一で取れた卵でないと駄目だとしている。

さらに沸騰していないお湯に『ひふみよ』と60回 (約10分)数え直して低温加熱処理をしてから使っている。

それでもあたったときは諦めるしかない。


公方様にお出しする卵は新鮮だ。

おが屑を詰めた箱で尾張から今日の為に持って来させた。

但し、新鮮と言っても3日前、あるいは、4日前の生卵になる。

生卵は何日ほど持った?

頬にたらりと汗が滴り落ちた。

加熱すれば、一ヶ月は余裕で食べられる。

何の問題もなかったハズなのに?


「運が悪ければ、もしものことが起こるのですか?」

「早い話がそういう訳だ」

「どうされるおつもりなのですか? 公方様に万が一のことがあれば、腹を切って済む話ではございませんぞ」

「知らん!」

「そもそも、そんな危険なモノを何故にお食べになるのですか?」

「旨いからに決まっているであろう」

「考えられません」

「旨い物を食べる為なら少しくらいの命を張るのは惜しくない」

「武家として考えられません」


勝介しょうすけらに言われたくない。

何のメリットもないのに意地を張って殺し合いとか?

そちらの方が非合理だ!

それと比べれば、腹痛など些細ささいな問題に過ぎない。

それで昇天するなら運がなかったと諦める。


すき焼きに生卵なしとか考えられないぞ。


が、問題はお市だ。


 ◇◇◇


「お市殿、他にどんな物を食されておるのですか?」

「わらわは肉じゃがが大好きじゃ」

「以前、出て来た奴でございますな」

「余はまだ食っておらんぞ」

義藤よしふじ、一度ですべて食そうなどと図々しいにもほどがあるぞ。麿など毎日通って有りついているのだ」

「お前の方が図々しいだろう」


公方様と晴継はるつぐがお市を挟んで口論していたが、俺が知る訳もない。

二人の口論を他所に(近衛) 稙家たねいえ様と猶父様(雅綱まさつな)がお市からさらに聞き出していた。


魯坊丸ろぼうまるは凄いのぉ」

「そうなのじゃ、魯兄じゃは凄いのじゃ」

「他にどんな凄い料理を考えておる」

「わらわは牡丹丼が好きじゃ」

「どんな料理だ」

「肉とご飯を甘いタレで一緒に食べるのじゃ! 食べ易くて、わらわはいつもお代わりをして褒められるのじゃ! 三十郎兄じゃは焼き肉の方が美味いと言い張る。肉をがっつり食った方が美味いに決まっていると言うのじゃ! じゃが、わらわは親子丼にも劣ると思うのじゃ」


次々と出る料理名に涎を垂らす、公家様方々がいた。

まだ、他にそんな料理があったなど露にも知らなかった。

これは食さねばと心に決めていた。


「じゃが、市は三十郎兄じゃに言ってやったのじゃよ。最強はハンバーグにあり」


また、新しい料理名が出てきた。

これはもう魯坊丸ろぼうまるを焚きつけて食するしかないと、皆が思い始めていた。

食欲とは恐ろしい。


 ◇◇◇


俺もお市が何を聞かれているかを想像していた。

まず、お市の好きな肉料理を要求されると思っていた方がいい。

そして、大量の肉を食い過ぎて腹痛はらいたを起こす。

ふっ、あるのだよ。

毎回、食い過ぎて腹痛を起こす奴が中根南城の中でも一人は出ている。

判っていても食い過ぎるのだ。

普段、肉を食わない連中が大量に肉を食えば、どうなるのか?

見世物としては楽しいな。


魯坊丸ろぼうまる様、何を暢気に言われているのですか?」

「仕方ないであろう。おそらく、全部、食すると言うぞ」

「仕方ないではございません」

「では、どうするのだ?」

「手立てをお考え下さい」

「ないな」

「それでは困ります」

「慌てるな。食い過ぎで死んだ奴はいない」


最悪の気分で下痢に襲われて、2・3日は死地を彷徨う馬鹿はいるが、大人しく寝ていればいずれは治る。

生卵にあたることを思えば、些細な問題だ。


「某は切腹するしかございません」

「俺はしないからな」

「武家の作法です。ご存知でしょう」

「知らん」


目を丸くする。

勝介しょうすけは俺が腹切りの作法を知らないことが気に入らないらしい。

何故、こだわる?

身勝手なのは向こうなのだ。

どうして俺が責任を取って詰め腹を切らねばならない。


「何を言っておられるのですか? いずれは中根南城主になられるお方が切腹の作法を知らないなどありえませんぞ」

「一生切る気もない腹切りの作法など覚える気にならん」

「何をおっしゃいますか?」

「今はその議論の時ではない」


俺は勝介しょうすけを無視して、足を速めて台所に向かう。

もちろん、追い駆けてくる。

千代には先に兵舎に行って貰い、料理人と材料、道具をこちらに持ってくるように頼んでおいた。

台所に着いたが、まだ千代女らの姿ない。

代わりに舞いが終わってどこに消えたかと思っていたが、慶次が台所で一杯やっていた。

ここなら肴に困ることがない。


魯坊丸ろぼうまる様、まだ話が終わっておりません」


しつこいな、勝介しょうすけがまだ絡んでくる。

実に下らない。

俺は慶次の横に座り、慶次の食べていただし巻きを一つ摘んで口に放り込んだ。

旨い!

卵料理は幅が広い。

いっそ卵づくしの料理でも出してやるか?


魯坊丸ろぼうまる様」

「まぁ、座って、だし巻きでも食べろ」

「俺の分だぞ」

「また、取ってくればいいでしょう」

「それもそうか。だし巻き、だし巻きと」


慶次が腰を上げて、だし巻きを盗みにゆく。


「同じモノでは芸もない。何品か、取ってきて下さい」

「あいよ」

魯坊丸ろぼうまる様、どうなさるつもりですか?」

「言われた以上、生卵は出すしかないだろう」


もちろん低温処理はするが、3・4日前の生卵だからな。

悪い卵にあたらないことを祈るしかない。

慶次が何品かを盗んで持ってきた。

だし巻きに魚の白身の湯通し、高野豆腐、半熟たまごの黄身が掛かったポテトサラダを持って来たか。

ポテトか、嫌がらせにフライドポテトでも出してやるか?

質の悪くなったラードで揚げて、強引に胸やけを起こさせれば、肉料理を続けて食べられなくするのも1つの手だ。

食事が終わった時点で不評がでるのは間違いない。


すき焼きのおかわりをさせない策を取るか、腹を下さないことを祈るか、それが問題だ。


あれ!?

よく考えれば、俺が悩む必要などないのではないだろうか?

・(コン)

・(コン)

・(コン)

チーン、悩む必要はないよ。


さて、どうしてやるか?

おかわりをさせない…………半熟たまごの黄身?

これだ!

半熟卵ならば、生卵のとろり感が残せる。

茹でる時間も3倍以上になる。

生卵を出すより、絶対に安全でトロリ感も残っている。

こちらならお市のお好みの1つだ。

問題ない。

ふふふ、希望が見えてきた。

あとは詭弁きべんで乗り切るか。


 ◇◇◇


笑う俺を勝介しょうすけがジト目で見ている。

勝介しょうすけは慶次が勧める酒も断った。

座り直した慶次が俺に尋ねた。


「また、面白いことになっているのか?」

「あぁ、公方様方々がすき焼きを所望した」

「ははは、中々に度胸がある」

「おそらく大丈夫と思うが、万が一もある。生卵を止めて、半熟卵を出そうと思う」

「なるほどね! あれはあれで旨いからな」

「俺もそう思う」

魯坊丸ろぼうまる様、真剣にお考え下さい。公方様に何かあったら、どうするつもりですか?」

「どうともしないさ。適当な死体を運び込んで、その者が元管領の(細川)晴元はるもとの命で毒を盛ったと触れ回ってやる」

「ははは、それはいい。この前の借りを返しに行けるな」

「俺は討伐隊の大将などやりたくない。だが、降りかかる火の粉は払わねばならん」

「何の話をしておるのか?」

「公方様がお亡くなりになった場合は、一乗院いちじょういん覚慶かくけいを京にお連れして室町幕府第14代将軍にする話だ」

「そんな話だったか?」

「どれも似たり寄ったり、すべて万が一の話だ。起こっていないのに悩んでも仕方ない」

「それもそうか、 公方様が亡くなってから考える話だな」

魯坊丸ろぼうまる様、慶次、不敬過ぎますぞ」

「聞いてきたのは勝介しょうすけだろう」


俺はもう1つ、手で掴んでだし巻きを口に放り込んだ。

元管領の(細川)晴元はるもとが衰退したことで、管領の細川 氏綱ほそかわ うじつな、河内守護の畠山 高政はたけやま たかまさ、興福寺一乗院に属する筒井 順慶つつい じゅんけいら、畿内の有力者達は虎視眈々と勢力拡大を狙っている。

皆、元々国人に過ぎない三好家の風下にいるのが気に食わない。

マッチ一本火事の元。

どこから火が付くのか、三好 長慶みよし ながよしにも判らない。


魯坊丸ろぼうまる様、某にも判るように言って下さい」

「つまり、公方様と三好家が対立すれば、畿内は再び戦乱で荒れる。だから、三好家は公方様と争いたくない。そして、その仲を取り持ってくれる織田家も失いたくない。騒ぐのは奉公衆くらいだから、何を言って来ても気にすることはない」

「そういう訳には参りません」

「何があっても気にするな。何とかすると言っている」

「また、そのようなことを」

勝介しょうすけ、よく聞け! 俺が公方様や公家様に従うのは、その方が都合がいいからだ。だから、俺は頭を下げ、銭を払い、へりくだりもする」

「当然でございませんか?」

「当然ではない。争った方が損だからだ!」

「損だからですか?」

「そうだ、大損だ! 頭を下げて許してくれるなら頭を下げる。銭で解決するなら、銭を払って俺はのんびりできる時間を買う。いくさなんて始めてみろ! 休む暇も無くなってしまう。重要なのはごろごろできなくなることだ」

「ごろごろしたいだけでございますか?」

「それ以外に何があるのか?」


おっと、千代女が料理人を連れて戻って来た。

俺はゆっくりと腰を上げた。


「慶次、魯坊丸ろぼうまる様は何を言っておられるのだ? 儂にはまったく理解できんぞ?」

「つまり、あいつを怒らせると面白いことが起こるってことさ」

「面白いこと?」

「とても面白いことだ」

「慶次、勘違いするな! 俺はごろごろしてのんびりと暮らしたいのだ。これ以上、忙しいことはしたくない。ただ、それだけだ」


慶次はまだそれを言うのかと不敵に笑みを浮かべ、勝介しょうすけは天を仰ぐような困惑の顔を浮かべる。

みんな、仲良く、平和が一番だろう。

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