第54話 何故、最高の持て成しをせぬのだ?

公方様の御成は、弥生の十五日であった。

常の御成とは違って、格別興趣かくべつきょうしゅあるはずの催しとなった。

近衞 晴嗣このえ はるつぐが青海波をお舞いになったのだ。

一方の舞手には滝川 慶次郎 利益たきがわけいじろうとします

容貌、心づかい、人よりは優れているが、立ち並んでは、やはり花の傍らの深山木である。


『今日の試楽は、青海波に事みな尽きぬな!』


帝は涙をお拭いになさり、上達部、親王たちも皆落涙なさったということはなかったが、そもそも帝も女御様もお越しになっておられないので、そんなことが起こることもない。


だが、これを見た公方様は感動され、御相伴衆、御供衆、奉行衆、奉公衆の中には落涙をして悦びなさった者がいたことは間違いない。


なぜならば、雅楽を演奏されているのは元関白近衛 稙家このえ たねいえ様、権大納言飛鳥井 雅綱あすかい まさつな様をはじめ、公家の方々なのだ。

これほど盛大な雅楽の音色の中で高まって、同じ面づかい、舞の足拍子、手の振り、表情まで相まって、右大臣近衞 晴嗣このえ はるつぐ様が舞われている。


帝でさえ、これほど豪華な方々の雅楽の音色を聞いたことがあるか疑わしい。


これに感動しない者がいたならば見てみたいと思ったら目の前にいた。

舞台の下で内藤 勝介ないとう しょうすけは腰を抜かし、慶次が何か失敗をしないかとハラハラしながら祈っていた。

確かに、この面子で平然と舞っている慶次の胆力が凄いと思う。


どうせ食事の前の余興だ!


失敗したなら、この余興を企画した山科 言継やましな ときつぐに責任を取って貰えばいい。

その為に高いプロデュース (製作)料を払っているのだ。

段取りまで凛々しかった勝介しょうすけがどこかに消えてしまった。

演奏者が(近衛) 稙家たねいえ様方々と教えなかったのが悪かったのか?

教えなくて正解だ。

知っていれば、準備も覚束おほつかなくなっていたような気がする。

元を言えば、公方様の能会に一緒に見たいと言った(近衛) 稙家たねいえ様があく枢軸すうじくだ。

こっちがビクビクとする必要がどこにある。


「魯兄じゃ、晴嗣はるつぐ慶次けいじがカッコいいのじゃ」

「お市、この場では様を付けろ!」

「魯兄じゃ様?」

「違う!? 俺じゃない。晴嗣はるつぐ様だ。慶次けいじには様はいらん」

「判ったのじゃ!」


お市は素直でいい子なのだが、やる事に予想が付かない。

ジェットコースターに乗るより、お市をこの場に置く方が恐ろしい。

脇の隅に笠の中に置いていたのに、公方様の御希望で俺の横に座らされた。

もう知らないぞ!


「お市、晴嗣はるつぐはカッコいいか?」

「様を付けないといけないのじゃ!」

「ははは、あれは余の義理弟おとうとのようなものだから様はいらん」

「そうなのか?」

「いつも晴嗣はるつぐと呼んでおるのか?」

「そうじゃ! 晴嗣はるつぐ……様は、蹴鞠も巧くって、中々に勝てんのじゃ!」

「ははは、そうか! だが、お市も様はいらん。晴嗣はるつぐと呼べ、余が許す」

「ありがとうなのじゃ!」


おぃ、勝介しょうすけ

慶次よりこっちの方が絶対に危ないぞ!

早く正気に戻れ!

後ろの女官らもはらはらドキドキのようで顔色が悪い。

たぶん、俺もだ!


 ◇◇◇


公方様の御成に元関白や右大臣が乱入なんてあっただろうか?

おそらくないと思う。

俺をからかって楽しんでいるのだろう。

あるいは公方様に出す料理が目当てなのかもしれない。

大いに迷惑だ!


前例に倣うなら楽師として参加した公家様はいたらしい。

余程の名手だったのだろう。

という訳で、前例に倣って義理の叔父に晴嗣はるつぐが舞いを披露し、楽師を 稙家たねいえ様が連れてきたという建前を作った。

公方様は近衛 尚通このえ ひさみち様の猶子で(近衛) 稙家たねいえ様の義理の弟になる。

父親ならぬ、弟の授業参観とでも思うしかない。

ありなのか?

楽師らは公方様と一緒に食事と能会を楽しむことになるという大義名分は作った。

だが、席がもう滅茶苦茶だ!


公方様を中心に左に管領・管領代の順に名代を座らせ、右に俺が座って、その横に三好とする予定だった。

その為にわざわざ正面が一段高く、少し前に出っ張るような御台を付けさせた。

これで御相伴衆や御供衆が公方様の視界から消える。

ハズだった!

しかし、公家様らを下段に座らせる訳も行かず、最上段の御台に公方様と 稙家たねいえ様と晴嗣はるつぐの席を作り、その三人を中心に左が公家衆、右が武家衆、下段に御供衆、奉行衆、奉公衆に並び変えた。

当然、家格から三好 長慶みよし ながよしの名代の松永 久秀まつなが ひさひでは下段の中央部に座ることになる。

公方様の視界に入らないようにした工夫は徒労に終わった。

俺の努力を返せ!


 ◇◇◇


余興が終わると晴嗣はるつぐらが戻って来て席に付く。

代わって笛、太鼓、琴の楽師が出てきて穏やかな音楽を流し出す。

食事の時に音楽を流す風習があったかどうかは知らないが、緩やかな音楽が悪い影響を及ぼすとは思えない。

さぁ、料理が運ばれていた。


いつもの定番である前菜の薄切りのローストビーフを華のように巻いた一口サイズのお肉だ。

それに加えて、牡丹汁を添えてみた。

名前の通り猪の肉を煮込み、それを濾して取った吸い物だ。

別に煮込んだ大根や葉を一緒に入れる。

そのメインが牡丹の花だ。

小海老を細かく砕き、うどんの麺に混ぜて花びらのような形にして牡丹の花を作る。

それを湯気で蒸して、牡丹汁の上に乗せると完成だ。

椀を取ると、牡丹の花が咲いたようなうどんの麺が沈んでいる。


「牡丹の花を食べずにしばらくご覧下さい」


牡丹の花に牡丹汁が染み込んでゆくと、より赤が鮮やかになってゆく。


「おぉ、これは艶やかな!」

「中々、趣向が面白い」

「味も整っており、牡丹の花がまた美味い」


よし、公家様が驚いてくれた。

公方様らは何を出してもはじめてだが、公家様らはお馴染みの人もいる。

つまらないと言われないように気を使った。

うん、牡丹汁は豚汁と同じく濃厚で美味しい。


「いつもより美味しく感じるのじゃ?」

「今日は特別な隠し味を使っているからね!」

「それはなんじゃ?」

「秘密だ!」

「ケチなのじゃ!」


本当は秘密でも何でもない。

教えると、周りの人が『ぎょっ』と驚くかもしれない。

答えは『卵』だ。

うどんの麺に卵の黄身を少々加えておいた。

これが味に深みを加えてくれる。

しかし、神聖なニワトリの卵を食材に使っていると知れると何を言われるか判らないので、下処理は兵舎でやっており、下準備の終わった食材を寺に持ち込んで最後に完成させて運んでいた。

次の料理は一品ずつ運ばれてくる。

1つ1つに創意工夫を加えておく、公家様らを飽きさせない努力だった。


今日の最高の一品は『茶碗蒸し』と『シフォンケーキ』だ!


この日の為に尾張から卵を運ばせてきたのだ。

卵があれば、料理は幅が一気に広がる。

同じ料理も一クラス上の料理に代わるのだ!


「お市、こちらで一緒に食べましょう」

「わらわは魯兄じゃと一緒が良いのじゃ!」

「そう言わず、義理父ちちと一緒に食べましょうぞ! ほれ、土産の京人形をお持ちしました」


お市が俺と(飛鳥井)雅綱まさつな様の顔を見比べた。

もしかして拙い?


「済まぬのじゃ! すぐに戻ってくるのじゃ!」


おい、京人形1つで買収されたぞ!

お市が横に座ると雅綱まさつな様が破顔する。

お気に入りなのが判るが、お市を可愛がり過ぎではないか?

蹴鞠か?

蹴鞠なのかぁ?

う~ん、良く判らん。


お市が雅綱まさつな様の横に座ると晴嗣はるつぐも構い出すと、公方様まで膳を横に向けて話に加わった。

(松永)久秀ひさひでを見下ろしながら食っても美味くないという意味か?

一方、(松永)久秀ひさひではそんなことを気に掛ける風もなく、料理と酒を楽しんでいる。


「羨ましいのぉ! お市はこんな美味い物をいつも食っておるのか?」

「これよりもっと美味い物を食っておるぞ!」

「何だと! これより美味い物があるのか?」


待て、お市ぃ!

馬鹿野郎、何て質問をするのだ!

心の中で公方様を怒鳴っていた。


「牡丹丼に焼き肉、すき焼きじゃ! その中でもすき焼きは絶品なのじゃ! それと最後にケーキなのじゃな! ほっぺがとろりと落ちそうになるのじゃ!」


俺は手の平を広げてお市に『待て!』の合図を送っていたが遅かった。

お市は幸せそうに言い切ってしまった。

公方様がゆっくりとこちらを向いた。

言わなくても判ります。

判りますが言わないで下さい。


「なぁ、魯坊丸ろぼうまる。何故、最高の持て成しをせぬのだ?」

「色々と事情がございます。それにケーキは用意しております」

「そのすき焼きとかはないのか? その事情とは何だ?」

「場合によって不敬に当たるかもしれぬと思い、此度は控えさせて頂きました」

「はっきりと判るように言え!」

「肉料理でございます」

「先ほども出ていたな!」

「がっつりとした肉でございます」

「肉ならば、普段から所望しておる」


武家は狩りで肉も食べるよな!

公方様は怒っていないが、答えないという選択肢はない。

静かな威圧が圧し掛かり、有無を言わせない視線が胸を貫く。

誰か助けろ!

むっ~~、神仏がどうとか言うなよ?


「肉を付ける垂れに鳥の生の卵を使います」


ほらぁ、ぎょっとする武家が多くいた。

神の鳥だものね!


「お待ち下さい」

「待てぬ」

「天罰が下ります」

「お市や魯坊丸ろぼうまるは下っておらんぞ?」

「しかし!?」

「諄い」

「公方様に万が一のことがあれば」

「幼子が食する物を余が恐れるというのか?」


奉公衆から公方様を止める声が上がった。

だが、もう止まりそうもない。


魯坊丸ろぼうまる、麿の分も用意してくれるのでしょうね!」


横の口論を涼しげにスルーして、晴嗣はるつぐがすき焼きを所望した。

その横の稙家たねいえ様も無言で、「言わずとも判るな」という感じで俺を見ている。

そして、後ろの公家様らは?


「公家様、全員でございますか?」


一糸乱れず、首を縦に振った。

慣れと言うのは恐ろしい。

肉が大丈夫になると、卵も大丈夫と思ったのか?

あぁ、違った。

涎を垂らしている公家様が一人いた。

お市が絶品と言ったので、もう食べないというのでこちらも選択肢がないようだ。


「某も所望致しますぞ!」


(松永)久秀ひさひでさん、黙っていてくれませんか?

話がややこしくなる。

ほらぁ、公方様が怖い顔になった。

(細川)藤孝ふじたかさん、俺を睨まず、嫌なら公方様を小熊なような体格で止めて下さいよ。

どうして俺を睨むのぉ!

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