第56話 にわとりを食っていたのって、本当ですか?

すき焼きは完璧だ!

こんなこともあろうかと!

な~んて、言わない。

ただ、兵士の賄い用にお手軽などんぶりを準備していた。

もちろん、牛や馬は使ってない。

主に猪だ。

しかし、それだけでは足りないので、鹿、狸、兎などの肉も混じっている。

朝からさばいて塩麹の壺に漬けて、井戸水に浸した地下室に置いた。

公方様を護衛に来た兵士が腹一杯になれるくらいおかわり自由な丼と一人一合くらいの酒を用意してあった。

肉や玉ねぎはそれで代用できるので下準備もなく、割と簡単に対応できた。


ふふふ、風呂や地下室を作る為に材料を堺から運ばせたのは正解だった。

地下室も1,500人に訓練と称して穴を掘らせれば簡単にできる。

知恩院には今回利用させて頂いたお礼に漆喰しっくい造りの土倉を引き渡すことになっている。

地下室の上に現在建造中だったりする。

その土倉の基礎となる煉瓦を焼く窯も完成した。

俺は1,500人の兵を遊ばせるなんて無駄はしないぞ!

新しい兵舎も造り直して、ボロ屋と仮設の食堂からおさらばだ。

土倉は中根南城でも造った曲輪で守る。

ははは、住職の許可は貰ってある。

しばらくは傭兵らの拠点になるのだ。

こういう城造りが一番楽しいのだ。

知恩院の北の山側をドドンと魔改造してやるぞ!


 ◇◇◇


すき焼きが完成する前に 稙家たねいえ様に二冊目の健康の医学書を差し出した。


医食同源いしょくどうげん


日頃からバランスの取れた食事をすると、病魔 (風邪)などからの予防になる。

食事や生活は強い体を作る為のいろは本だ。

脚気の治療などと重複する所はあるが、冬はみかん、夏は鰻を食するのが体にいいと書き綴った本であった。

帝への献上品の1つとして持ってきた。

まさか、こんな形で渡すことになると思わなかった。


一品ずつ出てくるコース料理を食べて頂きながら、俺は本の前文を復唱した。


「これまで走ったこともない方が、はじめて一里 (3.9km)を走るのは苦しいことです。しかし、10日間も続ければ苦しくなくなります。

日々の訓練を続けることが強い体を作る為に必要でございます。

しかし、はじめてで十里 (39km)を走ると、死に至ることもあります。

運動にしろ、食事にしろ、普段から準備、そして、何事も程々に気を長くして鍛えるのが肝要なのです」

「うむ、よく判った。帝に献上しておこう」

「よろしく、お願い致します」


俺は晴嗣はるつぐや公方様に聞こえるように大きな声で言っておいた。

勘のいい、公方様がギロリと睨んでくれる。

ホント、威圧だけで人を殺せそうな方だ!


魯坊丸ろぼうまる、何が言いたい。はっきりと申せ!」

「恐れながら申し上げさせて頂きます。料理は用意させて頂きます。しかし、美味いからと言っても食べ過ぎて腹痛を起こされても、こちらは責任を持ちかねます」

「下らんことを心配するな! おまえに迷惑は掛けん」

「お約束です」

「その代わりに牡丹丼やはんどばあぐを所望する」

「はんどばあぐではなく、ハンバーグでございます。残念ながらハンバーグは準備しておらず、またの機会にさせて頂きます。しかし、牡丹丼などはのうが終わった後に、夜食として用意させております」

「余を失望させるな?」

「お約束しかねます。私(俺)がお出しできるのは、お市に食べさせたことのある料理だけでございます。公方様のお口に合うかはお答えできかねます」

「まぁよい。期待しておる」


とにかく、織田家に責任を問わないと言う言質を頂きしました。

よし、俺は小さく拳を握った。

後は、事あるごとに「食べ過ぎると腹痛になります。無理をなさらないで下さい」と何度も呟いておいた。


「何度も申すな! うるさい」

「申し訳ございません」

「魯兄じゃは過保護なのじゃ! わらわにもいつもうるさく言うのじゃ」

「そうなのか?」

「そうなのじゃ!」

「ならば、仕方ない」

「仕方ないのじゃ!」


お市、ナイスフォロー!

後で、頭をなでなでしてやろう。


 ◇◇◇


すき焼きは最後のケーキを出す前になんとか間にあった。

巨大な鍋で運ばれてきた。

鍋の中には、玉ねぎ、菊菜、百合根などと一緒にしゃぶしゃぶのような薄く切った肉が入っている。

やはり、塩麹に漬けても肉は固い。

歯ごたえがあっていいと言う者もいるが、やはり食べ易い方がいいに決まっている。

そこで肉の塊のままで厚みを極限まで薄くして切っている。

ごく薄だが、一切れの量は割と多い。

毒見は自ら名乗りを上げた (山科) 言継ときつぐ様が献身的にやって下さった。

誰よりも先に食べたかっただけだよね!

小皿から取り出したすき焼きの肉を半熟卵の入ったお椀に付けてから、がぶりと食らいついた。

口に含んだ言継ときつぐ様がほわんと幸せな顔をする。


「もう良い。早く持って来い!」


巨大な鍋から大きなお椀に移して、割り終えた半熟卵が入った小さなお椀と一緒に 稙家たねいえ様、 晴嗣はるつぐ、公方様、(飛鳥井)雅綱まさつなとお市の前に運ばれた。

公方様はすぐに箸を取った。


「こちらがすき焼きとタレの半熟卵でございます」

「生卵ではなく、半熟卵じゃ?」

「お市も好きだろう」

「お市の為に半熟にしておいた」

「ありがとうなのじゃ」


うん、間違っていないぞ!

お市が腹を壊さない為の予防だ。


魯坊丸ろぼうまるよ。生卵と半熟ではどう違うのか?」

「より手間を掛け、より美味しくしました」

「それがこれか!」

「味わって下さい」


嘘じゃないぞ!

半熟卵の椀には軽く、出汁を掛けて旨みを増している。

公方様が大きな椀から肉を取り出し、半熟卵のタレに付けてから口に運んだ。

食った瞬間に目の色が代わり、一気にがつがつと食い始めた。


「もう一杯だ!」


言うと思った!

競うように 晴嗣はるつぐも椀を差し出す。

稙家たねいえ様、 晴嗣はるつぐ、公方様が箸を付けるのを待って、皆さんに配り始めたばかりだ。

もう少し味わって欲しい。

まだ、他の方も配り終わっていないのに割り込むのは行儀が悪いぞ!

しかし、配膳をする僧侶は当然のように、晴嗣はるつぐと公方様の椀にすき焼きを注ぎ、新しい半熟卵の小椀と共に届けにゆく。

がつがつがつ、美味いとは思うが野生に返ってないか?


「旨い、もう一杯だ!」

「麿もだ!」


大きな椀は割と大きいよ。

もうすでに相当食べているのに大丈夫か?

本当に俺は知らんぞ!


最初は土鍋に入れ直して席に置くことも考えたが、晴嗣はるつぐと公方様が箸を突き合わせて戦う姿しか思い浮かばなかった。

中根南城では、三十郎兄ぃと九郎兄ぃ、喜蔵、彦七郎、喜六郎、半左衛門らの兄達が肉を取り合って争っているのだ。

兄弟は日によって組み合わせは違うのだが、どの組み合わせであっても「これは俺の肉だ!」と言って取り合うのだ。

肉は大量に用意されており、争う必要もないのに肉を取り合って喧嘩に至る。

意味が判らない。

お市、お栄はそんな兄らから避難させて、里の分と一緒に俺がお椀に掬ってやる。

源五郎は体がまだ小さく、兄らの争いに加われないので、従者が甲斐甲斐しく世話を焼いていたな!


「旨い、もう一杯だ!」

「麿もだ!」


だから、周りの配膳を待ってやれよ!

巨大な鍋があっという間に空になったが大丈夫だ。

次の大鍋が運ばれてくる。

絶対に食い切れないほどの量を作らせてある。

残ったすき焼きで、賄いの方々も腹一杯食えるハズだ?

稙家たねいえ様はゆっくりと味わって食べていた。


「これほど柔らかい肉は久しぶりだ。どこから取り寄せた?」

「この近くで取れた獲物でございます」

「ほぉ~、琉球から取り寄せたあぐ~ではないのか?」

「もし、ご褒美が頂けるのならば、琉球王に親書を出して頂き、雄と雌のあぐ~を尾張に送って頂けると非常に助かります」

「豚ならば、何でもよいか?」

「はい」

「やってみよう」

「叶いましたときには、相当のお礼をさせて頂きます」


にやり、 稙家たねいえ様がうっすらと笑ったような気がする。

随分、あっさりと承諾してくれた?

訳が判らん。

まぁ、いいか!


「わらわもおかわりじゃ!」

「お市、止めておきなさい」

「どうしてじゃ、まだ入るのじゃ!」

「この後のケーキが入らなくなるぞ!」

「それは一大事じゃ、おかわりは止めるのじゃ」


晴嗣はるつぐと公方様の競争は続いている。

お市はケーキと聞いて機嫌よく止めてくれた。


魯坊丸ろぼうまる殿!?」

「はい、何でしょうか?」

「いつもこんな美味いものを食っておられるのか?」

「いつもではございません」


(松永)久秀ひさひでがすき焼きをゆっくりと味わいながら、振り向いて尋ねてきた。

他の者も気になったのか、視線がこちらに集まった。


「砂糖と椎茸を大量に使っておりますので、年に2・3度と言った所ですか?」

「砂糖と椎茸ですか、この一杯に10貫文は掛かっておりそうですな!」

「さぁ、どうでしょう」

「年に2・3度でも羨ましい!」

「三好様も贅を尽くしておられると聞きました」

「人を招いた時だけです! 日頃は質素に暮らしておりますよ」

「それは意外でございます」


銭勘定するのが(松永)久秀ひさひでらしい。

何故か、質素という言葉に皆さんが首を縦に振っていた。

奉行衆、奉公衆も思っている以上に家計が苦しいのかもしれない。

今日の久秀ひさひでは大人しい。

まだ公方様に喧嘩を売っていない。

公方様も相手をする気がないのか、いないことにしているようだ。


「ところで信勝様の御生母様から良きお返事を頂いたとお聞きしました」

「さぁ、どうでしょう。こちらの事は私(俺)に一任すると書状を貰っております。公方様がお認めておらぬ限り、進めるつもりはありません」

「こちらも気長にお願いするつもりです」


久秀ひさひでは諦めないと公言した。

公方様の耳がぴくりと動いた。

喧嘩は売るつもりはないが、まだ諦めていないとさりげなく公言したのを聞いたのだろう。

好々爺な爺だ。

それに問題は他にある。

どうやら三好の間者(スパイ)が知恩院にいるようだ!

知られるには少し早過ぎる。

調べさせておこう。


 ◇◇◇


「う~ん、美味いのぉ! ケーキは最強なのじゃ!」


お市は誰に言う訳でもなく、シフォンケーキを頬張ほおばった。

一口入れると、幸せそうな笑顔が漏れる。

見ているだけで和むな!

公方様は八杯もすき焼きを食べたのに、ケーキもペロリと胃袋に収まった。

呑み比べでも思ったが、どういう胃袋をしているのだ?


「中々に美味かったぞ!」

「ありがとうございます。夜食も準備させております」

「楽しみにしておる」


よし、難関を突破だ!

後は能会を無事に終わらせ、宴会になる前に公家様らを別室にお連れして、風呂に入れて追い返すだけだ。

稙家たねいえ様がそっと口を開く。


「いつ? 魯坊丸ろぼうまる水無瀬家みなせけと縁を結んだのだ」

「何のことでしょうか?」

「これだけの卵を調達したとなれば、水無瀬家みなせけから分けて貰ったのであろう?」


言っている意味がまったく判らない。

おい通訳、何か話せよ。

俺はさっと 晴嗣はるつぐを見ると、ヤレヤレという感じで口を開いていた。


時代は遡り、平安の世に藤原 信隆ふじわら の のぶたかという、別名『七条修理太夫信考』の名で知れる方がいたそうだ。

悪い病魔が流行ったときに卵を食べると具合がよくなったと聞いて、沢山のにわとりを飼い始めた。

その数がざっと1,000羽もいたそうだ。

それがいつの間にか、4,500羽に増え、檻を越えて、田畑に入って大変な被害を出して大騒ぎになったそうだ。

その流れを汲む坊門家ぼうもんけ水無瀬家みなせけでは、今でもにわとりを飼っているらしい。


「ほほほ、今は1,000羽も飼っていないそうだ!」

「そんなに多くては世話もできませんしな」

「まったくでおじゃります」


ど、どういうことだ?

にわとりって、ときを告げる神聖な鳥であって、食べるのは禁忌だろう?

どうしてそんなことになっているのだ?


魯坊丸ろぼうまるにわとりを食うなどしてはいかん。だが、うさぎきじを食っても罪に問えない」


おい、『馬鹿』の古事かよ!

鹿を見せて馬と言ったことが『馬鹿』の由縁だ!

にわとりを見せてうさぎと言う。

ありなのか?


「卵はどうなのでしょうか?」

魯坊丸ろぼうまる、あの卵がにわとりの卵とどうやって見分ける。きじの卵かもしれん。つるの卵かもしれん。へびかもしれんぞ!」


詭弁だ!

それで村人らも道理で肉食も卵も割と受け入れてくれた訳か!

皆、隠れて食っていたのかよ。

禁忌と思って、気を使っていたのは何だったのだ!

俺は両手をついてうな垂れた。

調べるべきだった。

思い込みは駄目だとあれほど念を押したのに俺は馬鹿だ!


「魯兄じゃ、どうかしたのか?」

「お市、俺は負けたのだ」

「よく判らんが、次からがんばるのじゃ!」


お市の声援が心に響いた。

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