閑話.がんばれ、お市ちゃんの大冒険(3)

忠貞たださだはお市を連れて陸に上がった。

安乗湊は伊勢湾と外海を繋ぐ湊であり、これから向かう堺には難所である熊野灘くまのなだが待っていた。

はっきり言うと、忠貞たださだだけではここを超えることができない。

そこで忠貞たださだはその難所を通る為に人と会うと言った。


「ならば、陸より遠い所を通れば良いのじゃ」

「お嬢ちゃん、中々にいいことを言う。その通りだ」

「誰じゃ、おぬしは?」

「此度の案内を任された堀内-氏虎ほりうち-うじとらだ」

「ほぉ、中々にカッコよい名前じゃ」

「ありがとうよ」

「何故、船は沖より遠い所を通らないのじゃ?」

「潮の流れは南から東に流れている。余程巧く風をつかまえないと前に進むこともできん。特に夜になると目印がない。海に精通した者でないとどこにいるかも判らなくなる」

「難儀じゃな」

「だが、沖が見える所ならどこにいるかは一目瞭然だ。近い場所に避難して風のいいときを狙って海を渡るのさ」

「風任せなのか?」

「そうだ、風任せ、潮任せだ。それに沖に近い場所では戻り潮目がある。これに乗ると一気に新宮まで行ける。風が悪いときは湊で風が変わるのを待つ、判ったか?」

「なるほどのぉ」

〔南から上がってきた黒潮は伊勢沖で東に流れが変わり、渦状の沖に向かって流れる潮目ができていました。逆に伊勢に戻るときは、陸より遠い潮目に乗ると戻って来られました〕

(※.毎年、黒潮の流れは変わるので潮目を読むのは大変です)


沖から離れない船は難所を通る為に新宮・尾鷲・九鬼・鬼本ら熊野勢に水先案内を頼んだ。

尾張から酒などをはじめ、多くの物品が熱田から堺に送られ、米や鉄、硝石などが堺から熱田に運ばれていた。

織田は熊野勢のお得意様だった。


堀内-氏虎ほりうち-うじとらは熊野新宮勢であり、伊勢国司北畠氏の被官となって熊野を安堵された。

石高が2万5,000石程度の小領主に過ぎなかった。

熊野水軍は安宅あたぎ衆が率いており、新宮勢の堀内家もその傘下にあった。

しかし、安宅家でお家騒動が起こり、享禄三年 (1530年)の『安宅一乱』に乗じて、堀内家が熊野水軍の長にのし上がった。

つまり、堀内家の力が増したのだ。

すると、今度は堀内家と北畠家と不仲になり、小競り合いが続いていた。


「大丈夫なのですか?」

「問題はない。荷を積んだ船を先導するときは襲わないという暗黙のおきて(ルール)がある。北畠も織田家や堺衆を敵にしたくない」

「なるほど、判りました」

「何が判ったのじゃ。市には何のことか判らんぞ?」

「つまりだ。北畠がもっと銭が欲しい、俺らが命懸けで道案内をして手に入れた銭をもっと寄越せと言っているのよ」

「欲が深いのじゃな」

「そうさ、北畠は欲張りなのさ。だが、肝心の織田家や堺衆を怒らせたら、船が一隻も通らなくなる。そうすると一文も入って来ない。北畠が持つ商品や木材も織田や堺に持って行かねば買ってくれなくなる。つまり、銭にならん。北畠は織田と堺衆を敵にしたくない。 それに今川も北畠を狙っている。北畠は織田家を味方にしておきたいと思っている」

「そうであったか」

「だから、互いに荷を先導する船は襲わないのさ」


氏虎うじとらは明日の朝卯刻(6時)に出発して、夕方申刻(16時)に新宮湊に寄港すると言う。

〔安乗湊と新宮湊は38里(150km)、船は7.5ノット(時速14km)で5刻半(11時間)〕


「と言っても風が悪けりゃ、夜中になるがな。がははは」

「いい加減じゃのぉ」

「海というのはそういうものさ。俺の見立てでは明日は大丈夫だ」


翌日、(堀内)氏虎うじとらの船を追い駆けて、三隻が安乗湊を出港した。

外海に出た瞬間に船が大きく揺れ出した。

船は大きく上下に揺れながら、帆は風をつまえて勢いよく進んでいた。


「何故、氏虎うじとらがこの船に乗っておるのじゃ?」

「俺様が直々に船頭をしてやろうというのだ。感謝しろ」

「船頭とは何じゃ?」

「そうだな、風を読み、潮を読む、案内役だ。前の船が見えなくなったら俺が指示を出す」

「そうか、そのときは頼むぞ。氏虎うじとら

「おぅ、任せておけ」


氏虎うじとらは船の前に立ち、仁王立ちで前を見ている。

お市ははぎつけに手を掛けて海から陸を見た。

また、気になったものを次々と氏虎うじとらに聞いていた。

お市の元気さに好感が持てた。

なぜなら、後ろではゲゲゲと船酔いで気分を悪くしている侍が溢れているのだ。

波の静かな伊勢湾と違い、確かに外海の波は高い。

先端が上がると次は後尾が上がる。

波を超える度にこれを繰り返す。

忠貞たださだもかなりやせ我慢していたが顔色が悪い。

お市の女中の千雨ちさめなどが甲斐甲斐しく皆の世話をしていた。


「お市様はこの揺れは気にならないのですか?」

「左程は気にならんな」

「それは凄い」

「これくらいなど大したことはない。こんなこともできるぞ」


そう言うとお市ははぎつけの上に立ってみせると、おぉ~と船を預かっている船乗りから声が上がった。

船乗りもできて当たり前なのだが、これができるようになるまで年季がいる。


「お市様、お止め下さい。ここは我が城ではございません」

忠貞たださだ、大丈夫じゃ。何なら逆立ちでもしてみせようか?」

「この下は海でございます」

「判ったのじゃ」


そう言って、すっと飛んで床に降りた瞬間、波が船の横に当たって大きく揺れた。

着地のタイミングが狂って、お市が躓いてしまった。


「しまったのじゃ?」

「おっと、油断大敵だ」

「すまぬ。助かった」


咄嗟とっさ氏虎うじとらがお市を太い腕で抱きかかえた。

船から落ちるのではないかと思った忠貞たださだも息を付いて安堵した。


氏虎うじとらの腕は太く、色も黒くって、カッコいいのぉ」

「がははは、そう言ってくれるのは嬉しいが、海の神様が焼き餅を焼くのでそれ以上は言わないでくれ」

「海の神は女子おなごなのか?」

「そうさ、自分より美しい姫に嫉妬を燃やし、海を荒れさせてしまう」

「難儀じゃな!?」

「海が荒れるとお市様を海に捨てて許しを請わねばならなくなる」

「市は泳ぎが得意じゃが、沖まで泳ぐのは辛いのじゃ」

「がははは、おかでなく、沖に…………竜宮城でもいくつもりなのか?」

「なんじゃと、竜宮城はどこにあるのか?」

「俺は行ったことはない」

「つまらんのぉ」

「これぇ、冗談でも言ってはならん。お市様を海に捨てるなどと信長様が聞いたら、熊野衆を根絶やしにすると怒り狂われるわ」

「それは怖いな。海の神も怖いが織田様を怒らせるのも怖い。お市様、褒めるのは止めて下され」

「判ったのじゃ」


とにかく、お市様が無事でよかった。

忠貞たださだはそう胸を撫で下ろす。

撫で下ろすと、下から何かが吹き上げる違和感を覚えた。

うげぇ、忠貞たださだは体の半分を船の外に出して胃の中にある物を吐き出した。


「だらしないのぉ!?」

「申し訳ありませ、うげぇ」

「がははは、織田は男より女の方が怖いらしい」


船で一番元気そうなのが、お市とその女中の千雨ちさめだからだ。


千雨ちさめは思う。

織田の兄弟も船酔いはしないだろうと。

なぜなら、お市は中根南城で『猿飛』(トランポリン)という遊びを堪能しているからだ。

この帆のような四角い布の隅を8人の下男に持たせ、真ん中でお市が飛ぶ。

魯坊丸ろぼうまる様が考えた遊びの1つだ。

巧く飛べば、屋根より高く飛べる。

そして、空中でくるくるとお市が舞うのだ。

魯坊丸ろぼうまる様をはじめ、他の若様も楽しんでおられた。


さらに、中根南城の外庭には魯坊丸ろぼうまるが改造した『遊戯道(アスレチック)』があった。

細い角材で外庭を張り巡らせた迷路だ。

その細い板の上を走り、紐の上を渡り、細い丸太を跳んで、網を蔦って木に登り、張った紐を一気に滑り落ちる。

魯坊丸ろぼうまる様は『遊戯道(アスレチック)』と呼んでいるが、忍びの修練場のようであった。

この遊戯道(アスレチック)は二本平行して走っており、お市と兄弟がぐるっと回って競争していた。

ある日、魯坊丸ろぼうまる様と千代女様が何やら話していた。


「若様はご兄弟を忍びにされるおつもりですか?」

「千代、何を言っている? ただの遊び道具さ。安全は確保している」

「確かに、網や池であり、怪我は致しません。それでも遊びの域を超えていると思います」

「次は何を作ろうか? 池に丸太を浮かべて、それを連結して、丸太の上を走るなどおもしろいと思わないか?」

「ええ、私も幼い頃に川でよくやらされました」

「そうか、では、次はそれを作ろう」


魯坊丸ろぼうまる様は本気でご兄弟を忍びにするつもりなのだろうか?

そんなことを千雨ちさめが考えていると、お市と氏虎うじとらは楽しそうに話を続けていた。


「そうなのじゃ、魯兄じゃはおもしろいことを沢山考えてくれるのじゃ。細い板の上を走り、先に到着すると勝ちなのじゃ」

「かけっこは俺も好きだった」

「そうなのか? では、どちらが速く一周できるかを競うのじゃ」

「面白そうだな?」

氏虎うじとら、尾張に来たら、市が競争してやるぞ」

「楽しみにしておく」


夜になると、『遊戯道(アスレチック)』は忍びの修練場になっていることを魯坊丸ろぼうまるも知らない。

綱の配置や丸太の間隔がわずかずつ調整され、難度が上げられていた。

お市はそれを苦もなく、里様らと一緒に走っている。


また、『猿飛』も二人が綱の両端を持ち、一人を飛ばして壁を超える技になった。

紐を使えば、三人分の力で三間(5m)以上の壁が一瞬で登れる。

地味に凄いことだ。

お市らは小柄なので六間(10m)の壁を登れるのでないかと、千雨ちさめは思ってしまう。

もちろん、試す気にならない。


船が順調に進み、日が傾くころに新宮が見えてきた。


「親方、城が見えてきました」

「どこじゃ」

「お市様、あぶのうございます。お降り下さい」

「姫様、あそこです。あそこが我が殿の城『和田森城』です」

「小さいのぉ」

「屋敷は別にあるのです」


氏虎うじとらと一緒に乗ってきた見習いが帆柱の上に登ってそう言った。

暇を持て余したお市も帆桁に足を乗せ、帆柱の頂上から景色を眺めていた。

ここが一番眺めのよいことに気が付いたのだ。

船酔いを克服した忠貞たださだは帆柱の下でお市が落ちないか心配そうに見上げていた。


『面舵、湊に入るぞ!』


お市達は新宮湊で盛大な歓迎を受けた。

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