閑話.がんばれ、お市ちゃんの大冒険(2)

中根南城の土倉にはおもちゃの入った木箱がいくつか置かれていた。

魯坊丸ろぼうまるが試験的に作った新作のおもちゃの数々であった。

たとえば、水鉄砲。

木工師に思いのままに造らせた品々が入っている。

竹の筒に穴が空いて水が飛び出すものから、短銃や小銃の形の複雑な形の水鉄砲だ。

ひと夏の中でお市も楽しんだおもちゃだ。

結論を言えば、強度不足、材質の変形などでお蔵入りしたガラクタだ。

その中の1つ、手品用と書かれた二重箱の中に毛皮を引いてお市が入っていった。


「お市様、この箱の中は狭く苦しいかもしれませんが、決して声を上げないようにして下さい」

「判っておるのじゃ。千雨ちさめが開けてくれるまで待っておるぞ」

「船が出港すれば、警備も手薄になります」

「明日の朝までじゃな」

「わたくしも巧く乗り込んでみせます。ですが、我慢できない場合は無理をなさらないで下さい。お市様に何かあっては一大事です」

「大丈夫じゃ。おにぎりも入れた。水もある。厠も行っておいた」


そういう意味ではないと千雨ちさめは思ったが敢えて何も言わず、箱の蓋を閉めて箱の角を回すと、かちゃという音がした。


 ◇◇◇


急きょ、荷積みの監督になった倉庫番の長太は、魯坊丸ろぼうまるの代わりに荷の出し入れを管理する。

右筆から渡された品物の一覧表と睨み合いをしながら唸っていた。

船が着岸するまで荷を見守るだけのハズが、どうしてこうなってしまった?

箱の1つ1つに番号が振られている。

熱田の土倉から着岸した弁才船べざいせんに荷番号を確認しながら次々と運ばせてゆく。

細かい作業であった。

確認する手間が掛かり、日が暮れる頃になっても黙々と作業が続く。

そこに荷馬車に荷を積んでやってきた千雨ちさめが声を掛けてきた。


「長太さん、中根南城の倉庫に残っていた箱を届けに来ました。番号が振られているので、これも積み荷ではありませんか?」

「ちょっと待ってくれ」


長太は荷の一覧表をぱらぱらと捲って番号を確認する。

めの一の一からめの一ノ十か。

おぉ、最後にあった。


「助かった。見落とす所だった」

「積むのも手伝います」

「助かる。あちらの『は丸』(3番艦)に乗せてくれ。全然、人手が足りないのだ」

「じゃあ、積んでゆきますね」


千雨ちさめは荷物を順番に船に乗せて行った。

手伝いの中には中根南城の者もいて、千雨ちさめに声を掛けてくる。


「手伝ってくれるのはありがたい。だが、ご主人様を放っておいて大丈夫なのか?」

魯坊丸ろぼうまる様において行かれたことを拗ねており、今日はもう気分が優れないから寝るそうです」

「お市様は若様を気に入っているからな」

「そうなのです。手紙でも送ってくれないと機嫌が直らないかもしれません。付き合う私の身になって下さい」

「ははは、大変だな」

「大変なのです」

「里様もおられる。その内に機嫌もよくなるさ」

「荷物を置いたら帰ります」

「あぁ、助かった」


そう言っている間に次々と千雨ちさめは船に荷を積んでいった。

そして、いつの間にか帰ったようだ。


 ◇◇◇


天文22年 (1553年)2月26日、熱田湊から3隻の船が出港した。

佐治家で建造した300石は積める大型の弁才船べざいせんだ。

この船団には魯坊丸ろぼうまるの義理兄、(中根)忠貞たださだが乗船していた。

(当時、110石が主力と言われたが、主力が250石に代わってゆき、江戸後期には1,000石の千石船が主流になっていった)


出港する船を見送って、倉庫番の長太が肩の荷を下ろした。

魯坊丸ろぼうまるが急に出立したので代理になったが、これっきりにして欲しかった。

やはり、長太に魯坊丸ろぼうまるの代わりができるハズもない。

右筆から渡された積み荷の一覧表通りに積むだけで精一杯だ。

況して、その日の夕刻に目付けがやって来て、問い詰められるとは思っていない。


上洛の堺方面の責任者は(中根)忠貞たださだであった。

中根南城の方々は熱田で泊まり込み、出発する忠貞たださだと随行の20人の若侍を労った。

此度の上洛に選ばれたのは熱田周辺の期待の若者たちだ。

旅の無事を祈って熱田神社に祈祷した後に、大宴会が開かれて中根南城の方々はその接待で大忙しだ。


「目出度い、目出度い」

「前田様のご子息のように上洛の家来衆に選ばれなかったのが残念です」

「こちらも立派な上洛だ。胸を張って京に上りなさい」

忠貞たださだを支えてやって下さいね」

「必ず、お役に立ってみせます」


堺から上洛する者は警護する傭兵の指揮を執ることになる。

正式な上洛の随行員に数えられない。

忠良ただよしや奥方は彼らを労って送り出す使命があった。

幼いご兄弟も『忠貞たださだ兄上をよろしく』とあいさつをする仕事と幼く見送りに来た家族の子供達の世話を言いつかった。

この2、3日、中根南城の者は子供まで大忙しの日を過ごした。


中根南城に残されたのは、城代と遊びに来ているお市だけであった。

客間の障子には、『魯兄じゃ以外の者が開けることを禁ずる。客間から出て欲しいならば、魯兄じゃを連れて来い』と書かれた紙が貼られていた。

お市のストライキだ。

忙しい中根南城の者はふて寝をしているお市をしばらく放置することにした。

船が出港した26日夕刻になって、皆が帰って来ても一向に姿を見せないお市に不審を抱き、こうして『お市失踪事件』が発覚した。


信長は太雲たうん岩室 宗順いわむろ そうじゅん)を呼び出した。


「誰がお市を攫ったのか?」

「只今、捜査しております」

「中根南城の者は何をやっておった」

「城の警備は万全であり、蟻の這い出る隙もありません」

「それならば、何故だ」

「警備は万全ですが中身はすかすかでした。魯坊丸ろぼうまる様不在の為に、中根城の者は総出で上洛の準備を分担し、船が出港するまで大忙しだったそうです」

「何たる不手際だ。魯坊丸ろぼうまるは何をやっておった」


美濃との会見が終わった翌日に出立を命じた。

段取りを中根南城の者と熱田衆に伝えるのが精一杯であり、急に振られた方が大混乱を起こすのは当然であり、付き詰めれば、この混乱は信長が作ったようなものだ。

それで魯坊丸ろぼうまるを責めるのは酷というものなのだが、信長は気が付いていない。

さらに言えば、中根南城の忍びはほとんど魯坊丸ろぼうまる付きであり、魯坊丸ろぼうまるが不在になると、ドーナツ化現象が発生していた。


「あいつがしっかりしていないからこういうことになるのだ」

「お市様の女中が手を貸すほど、人手が足りない状態だったのです」

「何故、そんな馬鹿なことをした」

「致し方ないかと」

「こちらに助けを求めればよい」

「こちらも上洛の準備で人手が足りておりません」

「ちぃ、とにかく急いで探せ」


那古野でも平手 政秀ひらて まさひでの不在による人手不足が起こっていた。

目付けなど管理する役方代の帰蝶、裏方の管理者である長門守も大忙しであり、他を気遣う余裕もなかった。

こちらの送り出しはこれからである。


信長の足元は、ごく少数の側近(ライトスタッフ)で支えられた『砂上の楼閣さじょうのろうかく』であることを露呈していた。

熱田では魯坊丸ろぼうまる、津島では大橋 重長おおはし しげなが、そして、那古野では帰蝶と長門守、その誰かがいなくなるだけで機能しなくなるのだ。

これでは遺憾いかんと信長は思った。


27日も日が変わる頃になって、やっと1つの報告が上がってきた。

25日夕刻に帳簿に記載されているのに船に積まれていない荷が発覚し、千雨ちさめが中根南城から荷を持ってきた。

その一覧表の最後に書かれた番号は千雨ちさめがこっそり書き足したモノとは誰もまだ気づいていない。

そこで千雨ちさめは船に荷を乗せるのを手伝っていたらしい。

それが千雨ちさめを見た最後であった。


「城に帰っていち早く気が付いた千雨ちさめは、何らかの手がかりを持って追い駆けたのかもしれません」

「その千雨ちさめが裏切った可能性はないのか?」

「あり得ません。お市様の為なら命も惜しくないと言う者です」

「では、どこにいった」

「判りません」

「この馬鹿者が。お市に何かあったら、簀巻きにして海に放り投げてやるぞ」


感情のまま、信長は太雲たうんを足蹴にしてしまった。

長門守が止め、帰蝶が溜息を付く。

この癇癪かんしゃくがなければ、非の打ち所が無い殿なのだが…………困った殿だ。

蹴られた本人も気にしていない。

手掛かりも足取りも掴めずにいる方が太雲たうんには辛かった。

網を掻い潜られた方が悔しかった。

あら、もしかして?

帰蝶がふと呟いたのだ。

それは信長や太雲には絶対に考えられない発想だった。


「もしかして、一人で上洛するつもりではないかしら?」

「埒も無い」

「不可能でございます。那古野から10里(40km)、網の目のように包囲網があります。誰の目に付かずに出て行くことなどありません」

「その千雨ちさめはお市に命を懸けるほどの忠義者なのでしょう。お市の願いを聞いて、船にこっそり連れ込んだのではないかしら?」


この時代、女が一人で旅をするのはかなりリスクが高かった。

況して、自らの主を危険に晒すなどあり得ない。

あり得ないと思うが、お市ならあり得そうな気がした。

信長が立ち上がった。


「殿、どこに行かれます?」

「大湊に決まっているであろう」

「お待ち下さい」

「離せ、長門」

「殿、落ち着いて下さい。父上(太雲)、まだ間に合いますか?」

忠貞たださだ様は伊勢参りを行い。明日の朝に堺に向けて出港すると思われます。今から走らせましょう」


那古野から大湊まで25里(100km)だ。

道路が整備され、川に橋が掛かっている時代なら余裕で朝までに到着できただろう。

街灯もなく、橋がなく、逆に関所があり、夜は閉まっている。

障害だらけだ。

太雲に命じられた数人が月明かりを頼りに25里を走った。

やはり、大湊に着いたときには船は出航しており、遠くなる船を見て叫んだ。


「お市様ぁぁぁぁぁぁ!」


 ◇◇◇


「あぁ、生き返るのじゃ」


大湊を出港してしばらくすると、お市と千雨ちさめが船倉から甲板に上がってきた。

京に随行する若侍が慌ておののいた。

堺に向かう船は『い丸、ろ丸、は丸』(一番艦、二番艦、三番艦)と名付けられ、『い丸』に(中根)忠貞たださだが乗船しており、『は丸』には下級の侍しか乗っていなかった。

信長の妹であるお市が登場する。

お市は雲の上の存在だ。


「お市様、どうしてこのような場所に?」

「堺に同行することにした。よろしく頼む」

「しかし…………」

「安心するがよい。そなたらに罪はない。今晩にでも忠貞たださだ殿にわらわから説明する。それでよいな」


船が出港すると船倉に来る者はほとんどいなくなる。

熱田を出ると千雨ちさめに箱の蓋を開けて貰い、しばらく優雅に過ごした。

しかし、着岸すると見回りがやってくる。

食事をするとき以外、丸一日の間、箱の中で小さくなって過ごしていた。

手足を伸ばせることが、こんなに素晴らしいこととは思わなかった。

頬に当たる潮風も嬉しかった。


「もう臭いのキツい、船倉はこりごりなのじゃ」


暗く湿り、独特な香りがする船倉はお市にも辛かったらしい。

その日の天候は良く昼過ぎに安乗湊に到着すると、湊で忠貞たださだを驚かせた。

何故、お市様が!?

安乗湊は伊勢湾と外海を繋ぐ湊町であり、大湊から13里(50km)しか離れていない。

しかし、山道は険しく、とても歩いて帰せる場所でない。

また、別の船を用意してお一人で帰すのもできない。


「お願いじゃ、堺まででよい。連れて行ってたもれ。そこから帰れというならば、市は一人でも帰ってもよいぞ」

「お市様、どうしてこんな無茶をされたのですか?」

「わらわは魯兄じゃと京の町を歩きたい。ただ、それだけじゃ。それだけではいかんのか?」

「お気持ちは判りますが、無茶を言いなさるな」

「そうか、世話になった」

「どこに行かれます」

「適当な船を探して戻るしかあるまい」


大丈夫とは思うが船乗りは荒くれだらけだ。

そこに幼いお市と女中の千雨ちさめを二人で乗せるなど、忠貞たださだにはできない。

中根南城の者は皆、主家の子供に甘かった。

迷う忠貞たださだの顔を見て、お市はもう一度頼んでみた。


「どうか、わらわを堺まで連れて行ってたもれ」

「わ、判りました。堺までです。そこから信長様に指示を仰ぎます」

「感謝するのじゃ」


こうして、お市は第一関門を突破した。

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