第32話 策士、策に溺れる。

紫頭巾の動きは美しい。

その動きはまるで雅楽ががくに合わせて舞っている。

向かう刃をさっと躱し、蝶がひらひらと飛ぶように避けて舞う。

おもてづかい、足の踏み方が見事だった。

俺は青海波せいがいはを早回しで見ているのではないかと錯覚を覚えた。


はじめこそ一刀両断で叩き伏せていたが、常に取り囲まれないように移動しつつ腕や足など防具の薄い部分を狙って刀が舞っていた。

そうかと思うと一瞬で首を飛ばし、赤く噴出した血が辺りに降った。

見ている者に恐怖と感動を与える刃である。

俺もその華麗さに息をするのを忘れた。


「師匠は相手の死角に飛び込めとおっしゃっておられました」

「師匠ですか?」

「はい、麿の師匠であり、あれの師匠です」

「敵の正面に飛び込めと」

「まさか、あれはあいつの性分ですよ。首を1つ狩るより、腕・足を3つ裂く方が生き残れるとおっしゃっておられました」

「首が飛んでいますね」

「ほほほ、あれもあいつの趣味です。ここの所、詰まらないことで苛立たされることが多かったので発散しているのでしょう」


それで首が飛ばされたのでは迷惑な話だ。

効果的と言えば、効果的だが…………壮絶すぎて褒める気にならない。

また、血の噴水が舞い上がった。

返り血で赤く染まって狩衣は赤鬼そのものだ。

これが塚原-卜伝つかはら-ぼくでんの『無手勝流』か?

ちょっと違うな、無手じゃないし。


卜伝ぼくでんの有名な話だ。

近淡海ちかつあふみ(琵琶湖)で乗り合わせた舟の中で若い侍に勝負を挑まれた。

卜伝ぼくでんが断ったが若い侍は諦めない。

そのうちに若い侍は卜伝ぼくでんが噂ほどでないと思ったのか、調子に乗って罵倒を続けた。

このままでは迷惑と思った卜伝ぼくでんは勝負を受けて島に舟を近づけさせると、さっと小島に降りたったのだ。

それに続けと若い侍も勢いをつけて島に降りる。

すると、卜伝ぼくでんは島から舟にすらりと跳んでかいを漕ぎはじめた。

そこで若い侍は騙されたのを知った。

あまりの卑怯さに若い侍は卜伝ぼくでんを罵った。


「ははは、戦わずして勝つ。これが無手勝流だ。覚えておくがよい」


若い侍は小さな島に取り残され、卜伝ぼくでんの乗る舟を見送ることになった。

卜伝ぼくでんは弟子に戦わずに勝つことを教えたと言う。


そんな卜伝ぼくでんも多数の敵に囲まれたことがあっただろう。

そのときの対応を紫頭巾は実践している。

動揺しているとは言え、一対百余りで圧倒している。

敵方の指揮官は唖然としたままだ。

無能と言ってもいい。

20人目が斬られた所で敵の威勢がなくなった。

戦意喪失だ。

逃げようする者が現れた。

一人が逃げ出すと、我先にと他の者も逃げ出すのだ。

その瞬間にすべてが終わった。


俺はそっと手を横に振る。

林の方に走っていった兵がぐさっと槍に突かれて押し返された。

逃げて来た者を殺すだけ殺して林に姿を隠す。

次に林に隠れていた者が篝火台を持ち出して、そこに火を灯した。

いくつかの灯火が辺りを照らし、ゆらりと数多の兵の影が映った。

ただの影絵だ。

さらに、からくり箱から飛び出した無数の矢が飛んできて地面に突き刺さる。

先に逃げた者は剛弓の矢に射られて倒れている。

背後に弓隊がいるように演出する。

実のところ、弓士は数名しかいない。

しかし、盗賊団らはそれを知らない。

林の中に無数の伏兵が隠れており、後背は死の道、前方に赤鬼がいる。

逃げ道がないと悟ったのか、逃げようとした者が足を止めて彷徨った。


「見事です」

「実は後背はざるでして、本気で逃げ出した場合、指揮官以外は通してしまうように言ってあります」

「矢の数から300人はいるように思いましたぞ?」

「カラクリです。300人も要れば、堂々と取り囲んでいます」


紫頭巾の戦いが終結したようで警護の者が俺に1つ頭を下げてから身を投じた。

慶次は勝ち戦に興味がないらしい。

千代と二人ばかりの護衛を残して、こちらも兵を進めて敵を取り囲む。


晴嗣はるつぐ様は行かれないのですか?」

「今日は護衛がおらんのでな」


晴嗣はるつぐの腕なら自分の身くらいは守れるのだろう。

慶次と同じか。

念の為に言うが、千代女らの守りは俺優先だからな。


終わってみれば、殺した数はそれほど多くなかった。

最初の4人と勢い余って腹を裂いた1人、首が飛んだ3人のみだ。

殺した数は8人のみと意外と少ない。

腕や足を斬られて戦闘不能になった者が20人余り、森に逃げようと殺された死体が6体、森に入って悲鳴が聞こえたが、林に逃げた10人は生きて林を抜けたのではないだろうか?

後ろに逃げた兵の内、2人が矢を射られて絶命した。

死体の数は18体だ。

生き残っている半数が何某かの傷を負っている。

最初にイノシシの罠に嵌った者が一番多く生き残っているのが皮肉かもしれない。

この残る80人が引くか、突破するかで悩んでいる。

悩んでいる間に遠くから見えた松明の明かりが近づいて来た。

逃げ損なったな。


「あの明かりはどこの者ですか?」

「あちらの方向でしたら、波多野家家臣、長澤-市政ながさわ-いちおさ殿でしょう。盗賊団に恨みをお持ちでしたので声を掛けておきました」

「なるほど」

「ここからは見えませんが、林の向こう側から三好の兵も近づいているハズです。こちらも篝火を上げると同時に兵を送って頂けるように手紙をしたためました」

「用意周到という訳ですな」

「倒すだけなら我々でもできますが捕えるとなると数が足りません」


市政いちおさは余程恨んでいたのか、300人近い兵を連れて駆けつけて、彷徨う盗賊団に突貫した。

ほとんど一方的に40首が飛んだ。

死んだ死体に何度も槍を突き刺している者もいる。

何となく判るが、何があったのは考えたくない。

そんな混乱こそあったが、敵の大将は御用となった。


「協力、感謝致します」

「こちらこそ、声を掛けて頂いたこと。ありがたく存じ上げます」


波多野家の家臣、市政いちおさは礼儀正しく、俺と 晴嗣はるつぐに頭を下げた。

取り押さえている間に三好も到着して、武将が兜を脱いで近づいてきた。


「お初にお目に掛かる。そして、宮様、お久しぶりでございます」

晴嗣はるつぐ様、どなたですか?」

三好-長慶みよし-ながよしの家臣で松永-弾正まつなが-だんじょう殿だ」


中々に渋いおっさんだった。

三好の中で頭角を現し、 長慶ながよしの腹心と言われるようになった御仁だ。


「いつもきめ細やかな配慮に感銘を受けております」

「此度はご迷惑を掛けました」

「こうして盗賊を捕えられたこと、声を掛けて頂いたこと、お心遣いに万謝いたします」


どこか悔しさが滲み出ている。

三好を振り回すだけ振り回して、おいしい所だけ取られた。

感謝されたというより慚愧ざんきに堪えないという顔であり、出し抜かれたという思いか。

目が合った。


「ふふふ、小僧とは戦をしたくないものだ」

「俺も三好と戦いたくありません。勝てる気がしません」

「負ける気もないのであろう」

「それはどうでしょうか? 運次第ですね」

「運次第か!? では、盗賊の顔を拝ませて頂きましょう」


そう言うと盗賊が捕まえている所に移動した。

敵の頭は思った通り、晴元はるもとの側近の一人であった。

問題は副将だ。


「以蔵、何故、そなたがそこにいる?」

市政いちおさ殿、どなたですか?」


市政いちおさが苦々しい口調でぽつりと言った。

波多野家譜代の一人らしい。


「どういうことだ。説明しろ。何故、村を襲った。何故、男を殺し、何故、女を犯し、何故、産み月の腹を裂いて赤子を取り出した。どういうことだ」


市政いちおさは以蔵という男の胸倉を掴んで詰問する。

以蔵はばつが悪いのか目を逸らし、ぽつりとしゃべった。


晴元はるもと様の御命令だ。波多野家に疑いの目が向かぬようにするには、徹底的に恨まれるほどの被害を出さないと波多野家が疑われると脅された」

「何故、それを止めなかった。何故、晴元はるもとに従っている」

「俺の意志だ! 俺の独断だ! 殿には関係ない!」


こりゃ、白状しているのと同じだ。

どういう経緯かは知らないが、晴元はるもと波多野-晴通はたの-はるみちから支援を受けていた。

どうりで丹波の山々を自由に動ける訳だ。

鞍馬か、比叡山の修行僧の支援を貰っていたかと思っていたが、まさか波多野家と思わなかった。


「なぁ、麿にはよく判らんのだが、どういうことだ?」

晴元はるもとに『してやられた』ということです」

「どういう意味だ?」


紫頭巾までやって来た。

晴元はるもと晴通はたの はるみちは長年主従関係を続けてきた。

俺の知らない秘密があるのかもしれない。


「秘密とは?」

「知りません。知らないから秘密です。たとえば、 長慶ながよしに暗殺者を送った実行犯が晴通はるみちだったとか?」

「そうなのか、小僧?」

「知りません。とにかく、晴通はるみちの弱みを握り、協力させれば、この時点で『この策』は完成しているのです」

「なるほど、そういうことか」


弾正だんじょうはすぐに理解した。

波多野家の家臣が関与したのだ。

長慶ながよし晴通はるみちを詰問する為に呼び出さねばならない。

果たして出てくることができるだろうか?

相互不審に陥っている。

謝罪にこなければ、それなりの対応が必要になる。

三好も弱腰ではいられない。

これで三好家と波多野家にくさびが打たれた。

実に巧妙だ。


つまり、

盗賊団が捕まらなければ、三好の面目が立たず。

捕まえれば、三好家は波多野家の扱いに困ることになる。


『敵を欺くにはまず味方から』


ここまでするのか、晴元はるもとという男は?

騙された。

盗賊団を捕まえたとぬか喜びさせて、冷や水を被せられた。

だって、そうだろう。

波多野家も被害者だ。

ならば、誰が支援しているのか探らなければならない。

盗賊は殺さずに生け捕りにする。

誰かが捕まえることも策の内だった。

裏をかけていたと思い上がった俺が馬鹿だった。

完全な読み負けだ。

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