第25話 正徳寺の会見(2)<信長と道三(斎藤 利政)の一会>
「遅いぞ」
控え室に戻った俺を迎えた言葉は槍で突き付けるようなドスの利いた声であった。
兄上(信長)は場所取りで負けたことを聞いて不機嫌になっていた。
俺は知らない。
騙すとか、ひっかけるの得意だが、そもそも交渉ごとは苦手なのだ。
いっそお市でも連れてくるか?
老獪な妖怪爺らにもあのおねだり攻撃のお市なら絶対に負けないと思う。
「阿呆なことを言うな」
「俺は真面目に言っているつもりですよ」
「なお、悪いわ」
兄上(信長)はお市をこんな場所に連れてくることに反対らしい。
そんな真面目に怒らなくていいじゃないか。
軽い冗談だ。
でも、お市の可愛らしさで斎藤の兵を骨抜きにすると安上がりな攻略になるかもな!?
「まだ、言うか?」
「ホントに冗談ですよ」
「おまえの冗談は冗談に聞こえん」
「信じて下さい」
「で、何を考えていた?」
「ちょっと美濃中を公演で回らせて『私の歌を聞け』とお市に歌わせたら、美濃中が織田の味方になるかな~~~って、なんて考えただけですよ」
「阿呆、ヤラせるか!」
だから、冗談だと言っているのに。
◇◇◇
話を逸らすことができたので真面目な話を始めた。
会見の場所は敢えて、大広場から見える部屋が選ばれた。
兵をずらりと並べての会見になった。
互いに力の誇示のし合いだ。
これで
但し、
会見のあいさつは兄上(信長)から先に頭を下げる。
どっちが先だとか、どっちが上座とか、どっちが先に頭を下げたとか、心の底からどうでもいい。
兄上(信長)が恥をかかない程度なら好きにすればいい。
この話はすでに決まっていたことだった。
今日、追加で決まったのは、控室から会見の間までの長廊下に斎藤家の武将がずらりと並ぶことだ。そして、廊下から庭に降りると斎藤の兵が並んでおり、左右から敵を見るような目に晒される。
もちろん、廊下の縁の下と屋根に下男(忍び)を配置しているので万が一はあり得ないが、兄上(信長)には度胸試しをして頂くことになる。
俺の交渉敗北だ。
「このたわけが」
「嫌なら他の人を交渉の責任者にして下さい」
「できるか、まぁよい。相手の度肝を抜いてやればいいのだな!」
「できれば、大人しく座ってくれるとありがたいのですが」
「考えておこう」
何かするつもりか?
時間が来た。
案内の僧侶がやって来て、僧侶を先頭に俺、佐渡守、兄上(信長)の順で歩いてゆく。
俺が一緒に歩くと、七五三のようになって不格好だ。
糞ぉ、僧侶は配慮が足りない。
また、ミスが露呈した。
ゆっくり歩くように先に言っておくべきであった。
僧侶に合わせて歩く為に俺はどうしてもひよこ歩きになってしまう。
ひょこひょことなんという微笑ましい姿だろう。
ここに並ぶのが女性達なら、その可愛い姿にきゃぁ~と悲鳴を上げてくれるのだろうが、残念なことに、その視線は屈強な戦士たちの目だ。
軽い失笑しか生まれない。
あぁ~、失敗だ。
俺は会見の間に入って静かに座ると、兄上(信長)が着席するのを待った?
待った、待った、待った。
なぜ、座らない?
兄上(信長)はさきほどと打って変わった凛々しい姿で廊下を歩き、斎藤家の武将から送られる殺気を軽く躱し、平然と前に進み、会見の間の前で止まった。
さぁ、見よ。これが信長である。
そう言わんばかりに兄上(信長)は廊下から大広場の方へ向かって姿を晒した。
尾張の『たわけ』を見に来た兵らが睨み付ける。
足軽らには一番手柄の首である。
ほぉ、欲しいか。
そんな殺気混じりの無数の視線を浴びても兄上(信長)は微動だにしない。
兄上(信長)の体は大きくないが、その神々しい威厳が体を一回り大きく見せた。
あぁ、これが信長か。
俺ははじめて兄上(信長)を見たような気がした。
次に腰の扇子を抜いたと思うと、柱に背を掛けて仰ぎはじめた。
ゆったりとくつろぐ表情を見せて、『さぁ、この首が欲しいなら掛かって来い』とばかり、挑発的な流し目を送る。
挑発された
あぁ、兄上(信長)の悪い癖だ。
不用意に挑発し過ぎる。
兄上(信長)は絵に描いたような
それが屈強な大柄な熊男を挑発する。
向こうは『イザぁ、尋常に勝負』とでも叫びたいだろう。
だが、それは許されない。
沈黙という静かな空気が流れた。
ヤバぃ、見入ってしまった。
俺は慌てて席を立って兄上(信長)の側に控えると、
「あちらにおわすのが、山城守(
兄上(信長)はすぐに応えずに、ゆっくりと視線を戻してゆく。
『で、あるか』
俺と話していて、あの顔がでなかった。
頬を少しだけぴくぴくと震わせて、怒りとも呆れとも取れる表情で兄上(信長)を見ている。
俺も兄上(信長)の思考が読めないことがある。
目の前に本人を待たせて気づかないってことはないよな~?
兄上(信長)の大胆不敵さがこれでもかと強調された。
この会見の主役は『信長』であると誰もが察した。
してやられた。
俺の脚本じゃないですよ。
小さく首を横に振った。
少し目を丸くしたのか、驚いたようであった。
そんな場の雰囲気を無視して、兄上(信長)は
「織田 尾張守 三郎でございます。ご
「儂が斎藤 山城守 新九郎である。婿殿に会えて嬉しく思うぞ」
俺と佐渡守は置いてゆかれた。
斎藤側の
交渉では老獪な春日丹後と掘田道空は廊下の外で待機させられているので口も出せない。
予定が台無しになって春日丹後が顔を埋めている。
兄上(信長)と
湯付を食べた後に、互いに杯を交わして、『又、会いましょう』と言って別れる予定だが…………どうするつもりだ?
言葉も挟めず、俺も佐渡守もタジタジだ。
あいさつもさせて貰えない状態が続く、向こうも同じだけどね。
なんか、嫁自慢、娘自慢の話に変わった。
「帰蝶は良い嫁でございます」
「我が娘は産まれた頃から利発でのぉ」
「利発と言えば、こんなことがございました」
「ははは、そうであろう」
ほのぼのした空気が漂い、威厳に満ちた兄上(信長)が消え、頬を垂らしたダラシない
腹を抱えて笑っていた
織田の兵も斎藤の兵も呆れている。
もういいや、どうにでもしてくれ。
兄上(信長)ご自慢の天下の話がはじまると、
その話は中々に面白い。
「そこは譲歩できなかったのですか?」
「無理だ、無理だ、こちらは土台もできていなかった。隙を見せれば、こちらがヤラれる。生き延びてこその理想だ。理想だけで飯は食えんぞ。婿殿(信長)」
「舅殿の申す通りでございます」
「まぁ、お主もそれに気が付いたようだな。見込みがあるぞ」
「精進致すつもりでございます」
まるで本当の親子みたいな会話になってきた。
兄上(信長)の顔が子供に戻っている。
しかし、そろそろ限界だ。
一刻(2時間)で終わる予定が、すでに二刻(4時間)だ。
織田の兵の限界を超えている。
待つ事が地獄ではないが、微動だにも動かずに立っているのが大変なのだ。
「申し訳ございません。時間が差し迫っております。御湯付を」
かなり強引に言葉を挟むと、予定通りに湯付を食べて貰って、杯を交わし、別れの言葉で席を立った。
春日丹後がこの二刻(4時間)で随分と老けたように感じた。
「この馬鹿め、邪魔をしおって」
「我慢して下さい。織田の兵が倒れてしまいます」
「仕方ない。また、舅殿と会う機会を作ってくれよ」
「又、会うのですか?」
「まだ、まだ、聞き足りんことだらけだ」
帰りは身なり正しく帰って頂く。
なんと、
勿体ない。
兄上(信長)は馬を一度下りて、別れのあいさつを交わすと正徳寺を後にした。
俺も暫く並走する。
しかし、兄上(信長)はもう一度、岩倉城を縦断するコースを通って帰る。
緊張の時間がまだ続く。
まだ、日は高い。
兵達は渡河している間だけが唯一の休憩時間だ。
遅くなったが軽い食事を取らせておこう。
しかし、時間が押したので那古野に到着するのは夜中だろう。
「では、ここで失礼させて頂きます」
「一緒に帰らぬのか?」
「俺は舟で来ております」
「付き合いの悪い奴め」
「では」
俺は舟着き場で別れて、舟に入ると寝転んで思いっきり背伸びをした。
もう舟から動きたくない。
舟は中島郡馬寄村の湊に移動した。
「千代、湊でおみやげになりそうなものを探しておいてくれ」
「畏まりました」
千代女はそう言って舟から出て行った。
馬寄というくらいだから、旅人目当ての菓子でもあるといいな。
俺はタオルケットを何重にも敷き付けた簡易ベッドの上だ。
川の音を子守歌にしてお昼寝だ。
お休みなさい。
日が暮れてから舟に揺られてのんびりと熱田に帰るだけだ。
あぁ、今日はもう疲れたよ。
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