閑話.正徳寺の会見の裏話(2)<帰蝶の願い>

斎藤-利政さいとう-としまさが到着し、俺を呼ぶかと思ってぼ~っと待った。

物見の報告では総勢4,000人、その内700人を連れて寺に入ってきた。

この700人は屈強の斎藤軍だ。

総大将は息子の高政たかまさ、副大将は明智-光安あけち-みつやすの弟である明智-光久あけち-みつひさ、他にも安藤-守就あんどう-もりなり氏家-直元うじいえ-なおもとなど、名だたる武将がずらり参上した。


この会見に当たって、俺は大きな勘違いをしていた。

正徳寺(聖徳寺)が中島郡の一宮にあると思っていたのだ。

だから、『イザぁ』という時に備えて、中島郡の城主が味方に付くような政策を取った。

どうして肥料『蝮土』を優先的に回すのか?

中島郡の厚遇ぶりが奇妙に映った。

俺の勘違いでした。


焼失する前の正徳寺(聖徳寺)は尾張葉栗郡(のち美濃国羽栗郡)大浦郷にあった。

どうして俺は「好きにしろ」と言ってしまったのか?

失敗した。

大胆にも岩倉街道を北上するルートを選んだ。

最近、岩倉城主の尾張上四郡守護代の織田-信安おだ-のぶやすとは不穏な空気になっている。

何もそんな危ないルートを選ばなくていいのに。

迂回する津島から中島郡を北上して、葉栗郡を横断すればよかったのだ。

これならば、中島郡に餌を撒いた価値も出る。

それが北上するルートですよ。

国境付近に3,000人の予備兵を配置して威嚇しているが、とても安全とは言えなかった。

報告書を持ってきた千代女が俺に問う。


「これで大丈夫でしょうか?」

「大丈夫じゃない」

信安のぶやす殿が覚悟を決めて、信長様を討つなら、援軍が来るまで敵中で孤立します」

「常備兵だから兵力的に足りないことはないが行列で縦に長くなっている。横からの奇襲には脆い」

「500程でも、信長様を討ち取れるかもしれません」

「加藤や千代が10人程いれば、兄上(信長)は確実に死ぬな」

「取り止めますか?」

「否ぁ、このまま行こう」


尻を拭くと言ったのだ。

津島の勝幡城主である叔父上(織田-信実おだ-のぶざね)は前々から常備軍に興味があった。そして、海部郡にはいくさを待っている傭兵や加世者が日雇い人夫として、その日暮らしをしていた。

そこから1,500人を選抜して津島商人に扮装し、物売りとして行かせる。

もちろん、本物の津島商人も500人くらいが帯同して貰う。

悪いが千代女に勝幡城に走って貰った。


「おぉ、千代殿か、久しいな」

「お久しぶりです」

「このような時間に来るとは急ぎの用事か?」

「信長様と(斎藤)利政としまさの会見で少々問題ができました」

「やっと俺の出番か! 手を出すなと言われて暇を持て余しておった」

「申し訳ありません。我が主は引き続き、荷ノ上城と長島一向宗の監視をお願いしますと申しております」

「つまらん仕事だ」

「牛屋(大垣)と津島は尾張織田の生命線でございます。(織田)信実のぶざねがいらっしゃるから安心と申しております」

魯坊丸ろぼうまるめ、煽てるだけは上手な奴だ」

「代わりと言っては何でございますが、以前から希望されていました常備兵です。津島衆が全額出してもよいとの返事を持って参りました」

「でかした。津島が出すと言ったのだな」

「但し、平時は津島の警備を任務として欲しいとのこと。また、我が主(魯坊丸ろぼうまる)が必要とするときはお貸し頂きたい。最後に信長様と同じではつまらないので、黒鍬衆を模した万能型の常備兵にしたいとのことです」

「それでよいぞ」

「では、さっそくですが最初のお願いでございます。常備兵をお借りして、『物売り』をさせたく存じます」


仕官を餌に傭兵と加世者を囲い入れ、『物売り』をさせる。

通行を許可する代わりに物資を流せと言ってきたのが向こうだからだ!

ははは、流して上げますよ。

津島・牛屋(大垣)間の運送船を借りて、岩倉城主、織田伊勢守(信安のぶやす)様に感謝の大セールだ。

大きな荷物を持った津島商人が次々と川から上陸して、岩倉街道沿いの村で市を開いた。

格安の商品が並んで、武家も商家も村民も大助かりだった。


「若様は本当にお人が悪い」

「ははは、総勢2,000人の津島商人が街道沿いに沸いていたのでは奇襲どころではないだろう」

「どう見ても商人に見えない者が商品を売っているのです。城を預かっている者はいつ奇襲を受けるのかと、青い顔をして見守っていることでしょう」

「俺の策もザルだったが、加藤ら100人が帰って来てくれたので何とかなりそうだ」


津島商人の中に多くの忍びを混ぜたが完璧には遠かった。

(情報の包囲網のおかげで)敵の動きを察知できる。

それに連動して味方が動かねば、価値が無いも同じだ。

一々、俺に判断を聞きに来たのでは後手に回ってしまうかもしれない。

現場の判断ができる指揮官が足りないからだ。

しかし、俺を心配してくれた加藤らが京から戻って来て助かった。

加藤らは優秀なのだ。

俺の命令を無視して、京から勝手に帰ってくるくらいだ。

独断で判断できる。

会見1つでこんな大事になるとは思っていなかった。


「はじめから若様が指揮を取れば、こんなことにならないと思います」

「まったく、その通りだ。千代にも苦労を掛ける」

「それは言わない約束です」

「それでも言わせてくれ、すまなかった」

「私も加藤も楽しんでおりますので、気にすることはありません」

「そうなのか?」

「はい、加藤もやりがいがあると言っておりました」


加藤には暗殺まがいの脅しをお願いした。

すると、「本当に忍び使いの荒い主だ」と加藤は笑った。

俺は申し訳なさで一杯だ。


加藤らの仕事はかなり難しい。

寝床で目が覚めると刃が目の前にあるとか、朝起き上がると羽交い絞めにされて首元に脇差が添えられているとか、あるいは、城主が一人の所を狙って一騎打ちを所望して勝って貰うとか、殺す気ならいつでも殺せると兄上(信長)への恐怖を擦り付ける。

これで街道沿いの城主は誰もなびかない。

加藤らは急ぎの仕事もきっちり熟してくれた。

職人の鑑だ。


これで兄上(信長)の安全は保障された。

しかし、会見後はどうだ?

織田信安の権威はガタ落ちだ。

しかも単独では兄上(信長)に敵わないことが露呈してしまった。

信安は権威を取り戻す為に動かざる得なくなってしまった。

時計の針を進めてしまった。


「千代、会見後の信安の動きに注意してくれ。必ず、清州の信友に連絡を入れると思う」

「畏まりました」

「それにしても利政としまさ様は遅いな」

「寺の外に数名を連れて出ていったそうです」

「やはり、兄上(信長)を見に行ったか」


今日の千代女の服装は何の飾りもない麻や木綿の素朴な色の衣装を身に付け袴を穿いた下女スタイルだ。

いつもの動き易いが武家の女中と判る華やかな衣装は着ていない。

会見は安全を考えて警備の数をお互いに減らしている。

側仕えの数も制限される。

俺の女中を入れる余裕などない。

そこで身分を下げて小間使いに扮してくれた。

しばらくすると、使いの僧侶が走って来た。


「信長様がご到着されました」

「では、出迎えるとするか。一同、兄上(信長)をお迎えするぞ」

「畏まりました」


準備をしてくれた家臣らを連れて、門まで兄上(信長)を出迎えに向かった。

兄上(信長)は派手な那古野ぶりでの登場であった。

これが帰蝶様の選択だ。

サナギが蝶に化けるのを演出する。

津島から鉄砲50丁を借りて、鉄砲を300丁も揃えた手腕も大したものだが、鎧・兜をすべて新調させて統一感を持たせていた。


「兄上(信長)、無事の御到着、恐悦至極でございます」

「迎えご苦労」

「馬はこちらで預からせて頂きます。どうぞ、中へお入り下さい」

「大儀である」


兄上(信長)の案内は準備をした家臣らに任せ、馬上武者の家老のご子息殿にあいさつをする。

林殿、内藤殿のご子息、青山殿の従兄弟殿、平手殿のご子息である久秀ひさひでは謹慎を続けているので、叔父の野口政利が代理を務めた。

他のも荒子城の前田家のご子息など、20人が随行している。

馬上武者の先頭は佐渡守(林-秀貞はやし-ひでさだ)が自ら先陣を切って率いていた。


魯坊丸ろぼうまる様、殿のお姿は貴殿の申し出か?」

「いいえ、帰蝶様が決められたことでございます。山城守(斎藤 利政さいとう としまさ)のご気性を一番知っておられます。この度だけは帰蝶様をお信じ下さい」

「貴殿がそう言うのなら信じてみよう」

「忝いことでございます」


佐渡守も兄上(信長)と同じく、中に入って頂く。

改めて城でも言った同じ説明をする。

兵達は昨日も説明を受けており、武将に至っては三度目になる。

疲れているのは承知しているが、ここで弱みを見せる訳にはいかない。


「よいか、統一した新調の武具を付ける者は武具を持たぬ農兵をかき集めたと思われるのが世の常だ。

そなたらを見て、美濃衆は尾張の兵は弱兵と思うに違いない。

それを逆手に取る。

織田家の兵は武将から足軽に至るまで、精強であることを見せ付けよ。

その為に武具を取り揃えた。

織田の兵が最強であることを見せつけよ」


俺も偉そうなことを言っている。

兜・鎧・刀を揃えたのは帰蝶様であって俺ではない。

同じ兜・鎧・刀の一式を帰蝶様の土産として、利政としまさに渡す。

前立挙まえたてあげ三段、後立挙うしろたてあげ四段、長側なががわ五段、小札の間に鉄を挟んで防御力を増している甲冑だ。

鉄砲に備えたものだ。

そんな古臭い甲冑では鉄砲には通じませんよ。

(美濃衆らに)そう言いたいのだろう。

帰蝶様はいいモノを揃えられた。

大将が着るのと同じモノをすべての馬上武者が身につけている。

帰蝶様も兄上(信長)に負けない傾奇者だ。


「よいか、これは『いくさ』だ。

侮られれば、織田は滅ぶ。

ここに織田ありという旗を掲げよ。

微動だにせず、仁王像の如く立ちつくせ。

美濃の武将に見せ付けよ。

織田の威信はそなたらに掛かっているぞ」

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」


1,000人余りが一斉にときの声を上げて寺中に響く声を上げた。

俺は前進の合図を送った。

行進も美しい。

この一ヶ月、この訓練にかなり時間を割いたらしい。

もちろん、指示したのは帰蝶様だ。

帰蝶様は鬼だよ。

大手門から中手門を抜けて、大広場に兵を並べる。

織田の兵が武将、槍隊、鉄砲隊、弓隊の順に綺麗に並んだ。

着替えを終えて廊下を歩く(斎藤) 利政としまさは整然と並ぶ、織田の兵に目を見張ることになるだろう。

会見の一刻(2時間)ほど、動かずにじっとしている地獄が待っている。


先に入っていた斎藤家の兵との違いは一目瞭然であった。

待機を言い付けられたのだろう。

その場で胡坐をかいて坐っている者もいる。

織田が来たことで待機を解いて整列を掛けた。


各武将を先頭に家臣らが槍、弓、刀を持って後に並び出した。

整列とは言い難い。

列の幅も長さも違ってバラバラであった。

鎧も不揃い、槍の長さもまばら、見た目の美しさがまるでない。

ただ、一人一人の気迫は尋常でない。

俺は外から眺めながら、下男に扮している加藤に声を掛けた。


「斎藤の兵は織田を恐れてくれるか?」

「今の所、無理でございましょう」

「だよな」

「鎧や槍がバラバラなのは古強者が揃っている証拠でございます」

「ここにいるのは歴戦の勇士ばかりだろうか?」

「その通りです」


戦を生き残った者の強みか!

さて、(斎藤) 利政としまさは4,000人の兵を連れて来ている。

美濃が通る道はすべて領内で明智の領地が近い。

先遣隊が1,000人も要れば、問題はないハズだ。


「4,000人は少し多いな」

「万が一を考えたのではないでしょうか?」

「兄上(信長)が襲われたときの話か?」

「おそらくは」

「援軍のフリで葉栗郡と丹羽郡に兵を進めると言った所か?」

「そうなるかと」

「何か、動きはあったのか?」

「はい、ご子息、高政たかまさの名で奇襲の援軍を送るという書状が飛び交っておりました」

「息子ではなく、おそらく本人だろうな」

「某もそう考えます」

「蝮だからな。それくらいは考えるだろうさ」


兄上(信長)の周囲を騒がして、その隙を突く。

斎藤軍の武将達が望んでいるストーリーだ。

その望みは敵わない。

帰りも何の問題も起こさせない。

利政としまさはそれも承知でやっている。

これは美濃の武将に見せる為のパフォーマンスだ。

織田に付け入る隙などないのだと。

そして、帰蝶様も必死だ。

余程、織田と美濃を戦わせたくないのだろう。

織田の兵に括目しろ。

帰蝶様の思いを感じとれ。

高政たかまさ、気づいてやれよ。

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