第22話 魯坊丸、ぐうたらと妄想に時間を潰す。
ごろごろごろ、中根南城の一室で日がな一日をごろごろとして過ごす。
猫のように丸くなったり、背伸びをしたり、いい気分だ。
南側の日当たりの良い部屋で毛皮のマットを下に敷き、ぽかぽかと照り付ける温かさを感じてゆったり眠る。
それが俺のお気に入りだ。
でも、まだ2月は寒い日もある。
そんな日には障子を閉めて、外の冷たい寒気を遮断し、障子から漏れるうっすらとした光の中に、木綿で作ったタオルケットを肩から覆って、安らかな眠りを貪る。
寝る子は育つ。
俺は育つ為にぐうたらしている。
そもそも俺は働き過ぎだと思う。
いい顔をしているといくらでも勝手に仕事が増えてゆく。
熱田の商品開発、販売計画に始まり、那古野の区画整理とその他の村計画までだ。
本来なら100人単位のスタッフで対応する案件だ。
俺一人で対応するのが間違いなのだ。
井口北(長良川の北部)、東美濃、牛屋(大垣)は指示だけ出していれば、あとは彼らで考えてやってくれるからいいのだが、那古野は近すぎるので困ったものだ。
俺は大学の教授じゃない。
日が沈む頃、まどろみの中から瞼をゆっくりと開き、夢世界から帰還する。
ぼっとした瞳に千代女が写っている。
千代女は俺が起き出すのを待ってくれている。
彼女を待たすのも悪いと思い、おもいっきり背伸びをして息を吸い込んだ。
もうそんな時間か。
そっと俺の横に手紙の山が置かれた。
身を起こすと、手紙を片っ端から読んでゆく。
奥の襖が開けられて、専属の右筆が3人ほど入ってきた。
何故、
また、護衛だった忍びの中で字が綺麗な奴にも手伝いをさせた。
日によって人数が変わるのだ。
まぁ、どうでもいいか。
この手伝い達は右筆と呼ぶかどうか、よく判らないのだ。
さて、手紙を読み終える毎に簡単な指示は千代女に出しておく。
優秀な秘書は他の何よりも得難い。
また、返書は右筆にその内容を適当に伝えると、中身は手紙ごと丸投げだ。
内容など一々考えてられるか。
弟子が俺の一言一句を几帳面にメモに取る。
次は兄上(信長)に会見の手筈だ。
これも美濃との打ち合わせに同行させた側用人に段取りを丸投げして、その報告だけに目を通す。
「千代、俺に気にせず、思ったように好きにせよと申し付けておけ」
「よろしいのですか?」
「構わん。兄上(信長)と蝮(
「畏まりました」
「失敗すれば、尻は俺が拭いてやる。好きにやれと申せ」
「若は肝が据わっております」
「よいか、千代。『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず』と言うのだ」
「何やら、良いことを言われたような気がしました」
「ははは、そうだろう。千代以外の者に聞かせれば、“なんと、素晴らしい考え方だと褒めてくれる”と思うぞ」
俺の本心を知っているので千代女に笑われた。
そうだ、俺は楽をしたいだけだ。
千代女から見れば、とても見極めているように見えないらしい。
正解、ノリと勢いだ。
どうせ俺は人を見る目はない。
悩むだけ無駄というものだ。
という訳で美濃行きで同行した何人かに完全に任せてみる。
問題は上洛だ。
「その前に、信長様が那古野氏と密会されたようですが、如何なさいますか」
「気にするな。兄上(信長)とて無能ではない。むしろ有能な方だ。あれを遊ばせておく方が
「しかし、完全に放置するのは危険と思います」
「そうか、千代がそう言うならそうなのだろう。俺のこづかいから100貫文を抜きだし、伊賀の百地に渡し、伊勢と三河、遠江に網を張らせよ」
「畏まりました」
「駿河はよろしいので?」
「駿河を張ると逆に感づかれる」
「お見事です」
尾張と美濃は網が完成しているから問題ない。
その他は遊楽、行商、歩き巫女に頼っているが、タイムラグが起こってしまう。
あれは情報ツールであってスパイじゃない。
気候や収穫、事件などを把握することで、次に何が起こるかを予測できる。
目立つスパイ活動をさせないから敵の中に放り込める。
要は使い方次第だ。
さあ、上洛の話だ。
上洛の随行者にこっちも10人の側用人を用意した。
こちらも兄上(信長)の家臣の子息だ。
使い物になるかはこれから見てゆくしかない。
最終的に2人一組にして、バラバラに10人とも京に残してくる予定だ。
そこから第2の
その政秀は死んだことになっているから、“判らぬことがあれば、聞きにゆけ!”と押し付けることもできない。
これを見越して、死んだことにした訳じゃないだろうな。
「そんな訳ございません」
「判っているよ」
美濃の拝謁を終えた時点で、俺の忍びのほとんどが京や近江に先行して偵察に向かった。
尾張には禁所の警備と要人の警護の為の忍びしか残っていない。
城を出た所を
来ないと思うけどさ。
実際、政秀に警備を回している余裕はない。
あの爺さんの予想通りだ。
今の公方様は室町幕府第13代征夷大将軍
おまえは阿呆なのか?
それとも力がないだけなのか?
どっちなのだ?
「で、奉公衆の
「まだ、見えておりません」
「単純に上野家の窮地からか、三好の派閥争いから来る煽りか、細川家の反撃か、尼子・陶・大友の画策か、公家家で一条か、九条辺りのやっかみか?」
「すべての者が状況を利用しようとしておりますから、主犯を見つけるのは容易ではありません」
「そうだよな」
ちっ、俺は舌を打つ。
この状況を一番巧く使っているのが尼子なのは判る。
去年、公方(将軍)は
その原因は中国の覇者だった
公方(将軍)を支持した
しかし、備中・備前で三好と争っておる尼子を支持するのは、三好に対する敵対行為だ。
各所への根回しと、三好・尼子間の講和ができていないと絶対にやってはいけない。
要するに、大内が内乱で分裂して弱体化したから上野らは尼子を頼ろうとした。
しかし、弱っても大内は元覇者であり、三好は仲良しだったから尼子と仲良くするのは認められないと拒絶している。
こっちを立てれ、あっちが立たないと言う典型だ。
「次々出てきた名前で頭が混乱する。俺を困らせる為に動いている訳じゃないだろうな」
「そんな訳がありません」
「千代、そんな呆れた目で見るな」
「見ておりません」
「そ、そうか?
大友と大内は白と黒で敵対していたのに(陶)
まるで『リバーシ』だ。
これも簡単に言うと、大内(黒)と戦っていたのは、尼子(白)と大友(白)だった。
敵の敵は味方と言うので、尼子と大友は仲良しだった訳だ。
しかし、大内で内乱が起きて、大友が大好きの大内(白)に生まれ変わった。
これで三人が仲良しになるかと言えば、そうはならない。
尼子は大友が自分を裏切ったと大内と大友を恨むのだ。(白から黒にひっくり変わる)
結局、尼子と大内の戦いは続く。
泥沼の人間関係だ。
「なぁ、千代。おまえはどう思う。大友、大内、尼子が仲良く『白』に染まると思うか?」
「大内家の残党を糾合して、尼子が勢力を伸ばすのかと」
「だよな。今度は尼子が『黒』に寝返る。そして、
俺はすべての手紙を放り投げて床に転がった。
公方様(
しかし、失敗して強行することになった。
反対していた
「なぁ、千代。公方様と三好が対立して、尼子が8万の大軍を連れて上洛してくれると思うか?」
「それは無理かと」
「そんな馬鹿な夢物語を当てにして、三好と一戦できるなんて思っていないよな」
「さぁ、どうでしょう」
「千代、そこは大丈夫ですと言ってくれ」
「若様は不確かな発言がお嫌いでございます」
「そうだけどさ」
公方様の人柄の情報を集めると、聡明で決断力が早く、忍耐強くもあり、強烈に人を引き付けるカリスマもあり、足利幕府の再興は公方様でないとできないと言う声が多い。
しかし、行動は滅茶苦茶だ。
三好長慶の暗殺に失敗し、長慶家臣である遊佐長教暗殺の犯人にでっち上げられ、長慶家臣・松永久秀と戦い敗れ、その後も敗戦が続いた。
少数で大軍に挑むって、勇猛と無謀を履き違えていないか?
それとも他の狙いがあったのか?
考えてもしかたないか!?
2月に入って、親三好派の伊勢貞孝が盛り返し、上野信孝など側近の奉公衆らの排除に長年従って三好氏と戦ってきた大舘晴光や朽木稙綱も同調したと言う。
このまま、何事もなければいい。
俺の苦労が徒労に終わった方がいいのだ。
「俺が上洛に連れてゆく兵は500人のみだ。しかも一ヶ月前に雇った新参兵で、二ヶ月ほど鍛えるが形だけの
「堺で傭兵をもう少し増やしますか?」
「その武将を誰にするつもりだ? 5,000人の兵を手にした公方様が強気になったらどうする。もし、慶次にでも任せれば、公方様と一緒に三好に突っ込んでゆくぞ」
「それは拙いかと」
「だろ」
俺は身内を殺したくない。
下手に兵力を増やすとロクでもないことが起きかねない。
ならば、いっそない方がいいのだ。
傭兵1,000人くらいなら、公方に上げても惜しくないし、三好の恨みを買うこともない。
やはり、最後の問題は
瀬戸内海に進出するチャンスだ。
動かないという確証もない。
「備中を基盤にする
「公方様を脅しているとお考えで?」
「さぁ、判らん。あること、ないことを言って騙しているのか? 情勢も判らず、公方様自身が妄想に駆られているのか?」
「公方様はどう動かれるのでしょうか?」
「それが判らんから策も出せない」
「策とは?」
「そうだな。たとえば、公方様と三好が同じ所にいるから争うのだ。阿呆でなければ、尾張に引き取ってくる手もある」
「公方様を!?」
公方様を那古野に入れる。
これで兄上(信長)に逆らうものはすべて賊軍になる。
守護代信友を叩くのも楽になる。
公方様が出陣してくれば、清州に
信友に味方する奴はすべて賊軍だ。
ふふふ、味方がどれだけ残ってくれるだろうか?
「伊勢の北畠も、駿河の今川も公方様を相手に戦えるか見物だと思わないか?」
「兵はどうするつもりですか?」
「堺から傭兵でも2万人ほど借りてくればいいさ。尾張の兵は一人も貸さん。織田が出すのは銭だけだ」
「そんなことが可能なのですか?」
「公方様が阿呆でなければな」
三好も公方様の目が東海に移るのは歓迎してくれる。
鬼の居ぬ間に畿内を固めることができると読んでくれるくらいの度量はあると思う。
たぶん。
一方、公方様には東海を平定して頂く。
公方様が旗頭だ。
日和見の腰ぎんちゃくと大望に目が眩んだ馬鹿な武将が参戦して、その数は8万人くらいに膨れ上がる。
伊勢の北畠や駿河の今川は戦うか、従うか、どちらを選んでくれても織田に損はない。
従っても、反抗しても銭と兵が奪われる。
それを連れて京に凱旋すれば、公方様は三好と対等に話し合える。
ガラ空きになった伊勢・東海を経済的に兄上(信長)が支配すれば、当分の間、織田に逆らう者はいなくなる。
楽して、勝ちたいね。
「若様の策謀は目を洗われる思いです」
「ただの妄想だよ」
「若様ならやれます」
「おだてないでくれ。急いで各地の情報をつぶさに集めろ。それで動かせる兵が判る」
「承知しました」
千代女が何とも言えない顔をしていた。
公方と一緒に凱旋して天下を取ってくれとか思ってないだろうな?
遠慮する。
とにかく、兵糧、銭、武器の流れが見えれば、誰がどこを狙っているかが判る。
見極めろ。
もう一度、手紙を皿のように読み直す。
やっぱり、無理だ。
上洛、延期して。
「流石に無理かと」
「判っているけど、このままでは絶対に火中の栗を拾うことになるぞ」
「皆、若様がどう動くのかを楽しみにしております」
「
「いいえ、皆、火中にございます」
そうだね、その通りだ。
甲賀・伊賀合わせて500人、皆が俺に命を預けている。
あぁ、肝心な情報が欲しい。
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