閑話.稲葉山城の花見酒。

美濃の蝮、斎藤 利政さいとう としまさは稲葉山(岐阜山)の山頂に作った屋敷の物見台に登り、月明かりを頼りに眼下に広がる天下(濃尾平野)を見下ろして一杯やっていた。

丁度いい枝ぶりの梅の木があったので、それを切って手すりに掛けて飾ってみた。

利政としまさは険しい顔で歌を詠んだ。


『春されば まづ咲くや どの梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ』

(春になると、まず最初に咲く梅の花は、私一人で見て春の日を過ごすなどどうして出来ようか)


「随分と寂しい歌でございますな、山上 憶良やまのうえ の おくらでしたかな」

「(明智)光安か!」

「はい、光安でございます」

「どうかしたか?」

「いいえ、お館様が上がっていくのが見えたので探しておりました。一献いかがかと」

「儂も持っておるわ」


光安が上げた一升壺と同じ壺を利政としまさも上げた。

誰も考えることは同じだった。

織田の土産は鉄砲の他に大量の酒であった。

十升樽を背負わせ、人夫が列を為して連ならせてやってきた。

当分の酒盛りに困ることはない。


「せっかくのよい梅だ。一緒に見るものがおらんので困っておった」

「では、失礼仕る」


光安は利政としまさの隣に座り、月明かりに見える眼下を見下ろした。

その平地は遠く伊勢湾まで続いている。

大地は暗闇に包まれ、ぽつぽつと小さな明かりが零れており、その明かりが集落であることと判る。

大地に輝く星々は海へ下るほど輝きを増しているように思え、尾張が栄えていることがぼんやりと知ることができる。

利政としまさは酒の器に月を映し、月ごと一気に飲み干してしまう。

ふっと熱い息を吐くと、利政としまさは美濃を大国にするにはまだまだ時間が掛かると肩を落とした。


「お館様は魯坊丸ろぼうまるを随分と気に入っているご様子で」

「気に入っている、儂があの小僧を、あり得んな」

「はてぇ、違いましたか?」

「気に入っているのではない。憎んでおる。怒っておる。恐れているのだ。越後の話を聞いているだけで儂は背中が寒くなったぞ」

「某も感服致しました」

「越後が出る。それは儂も同じことを考えておった。しかし、北信濃の村上と越後の長尾の睦び付きが深いゆえに兵を出すと思っておった。だが、地形を考えると、越後勢は必死に北信濃を守りにくる」

「はい、そうなるかと」

「それに比べて、武田は信濃統一の一環だ。必死さの違いで越後勢が勝つ、あるいは、引き分けると読めた。美濃に居ながら、遠く北信濃の戦の結果が知れるのだ。恐ろしくないか?」


光安はそう言われて、はっと気が付いた。

その情報を集めたのは熱田衆だと思った。

熱田や伊勢には全国から商人が足を運んでくる。

その無数の情報をまるで糸を紡ぐように集めると、色々なことが見えてくるとお抱えの商人が言っていた。

商人はそれを読んで商品を売りに行くのだと。

魯坊丸ろぼうまるは地図が頭の中に入っていると言った。

数多の商人の話を紡び、頭に日の本の地図を作り出したのだろうか?

光安は首を少し横に振った。

あの者が成人する頃にはどれほどの者になるのか?

確かに空恐ろしい。


「商人がそんなことを、そうかもしれんな」

「自分で言ってなんですが、可能なのでしょうか?」

「知らん。だが、今は甲賀・伊賀も使っておるからな。小僧の目と耳だけでも東美濃半国を与えてもおつりが返ってくると儂は思う」


光安は酒を呑み込んだ。

腹の底から湧いてくる熱さを感じる。

東美濃半国、お館様は武田の盾として使いたいのか?

それほど、評価されておられたのか。


「はじめ、漢の劉邦を支えた張良か、魏の曹操を支えた荀彧かと思った。だか、小僧は国士ではない。そして、手紙を交わしている内に三国志の水鏡の話を思い出した」

水鏡すいきょう、本名を司馬徽しばき。劉備に臥龍がりょうか、鳳雛ほうすうのいずれかを取れれば、天下が取れるとか言った者でしたかな?」

「それよ。儂はあれを見て確信した。あれは地に眠り、爪を磨く臥龍がりょうではない。天空を思いのままで飛ぶ鳳凰ほうおうの雛だ」

鳳雛ほうすうですか、そう言われれば、そんな気もしてきました」

「あれを高政たかまさが手懐けておけば、美濃は安泰であった。小芝居までして、媚びを売ってやったのに、あの馬鹿は判っておらん」


越後の話で得心したが、それでも利政としまさの入れ込み様はいささか異常に思えた。

確かに手に入れたい智謀を持つ少年であると思えたが、まだ7歳の子供でしかない。


「儂を疑っておるな」

「疑うなど、しかし、所詮はまだ子供であり、これからどうなるか?」

「あれは7歳の小僧ではない。あれは化け物だ。3年、いや、4年前であったか。牛屋(後の大垣)で白石を集める奇妙な商人の噂を聞き、調べさせ始めると、本人の大喜嘉平が孫六の手紙を持ってきたのだ」

「孫六の手紙ですか?」

「大喜嘉平の6番目の孫、魯坊丸ろぼうまるのことだ。白石を売ってくれれば、天下を取らせてやるという傲慢な手紙だった」


美濃と言えば、『蝮』だ。

その蝮が作った土だから『蝮土』と呼ばれた。

利政としまさの『蝮土』は天下に知れ渡り、多くの間者がこれを探ろうとしている。

戦をせず、土地を増やさず、それでいて石高を増やす。

守護・守護代・地頭からすれば、目からウロコだ。

陰謀、策略、守護の追放、付きまとうのは悪い噂ばかりだった利政としまさの評価が一転した。

地頭や豪族が利政としまさを見る目も変わった。


「まさか、その大名刺が魯坊丸ろぼうまるの策だったのですか?」

「尾張から持ってきた肥料『蝮土』で豊作になることを証明し、そして、長良川の北に肥料造りの場所を作った。今でも織田が雇った忍びが周囲を守っておる。人の領地の真ん中に自分の雇った忍びを置くとは大胆不敵にも程があろう」

「お館様はそれを排除されないのですか?」

「できるものか。織田にとっても秘匿中秘匿の1つだ。

帰蝶が『蝮土』を尾張に広めたことになっており、尾張の商人が美濃に来ることも増えた。

東美濃の木材を大量に買い付け、木々を切る人手まで送ってくれておる。

西美濃では白石を掘る為に人を手配し、買っていってくれる。

儂の懐に銭が集まる。

織田と切れれば、それをすべて失うのだ」


利政としまさの話に光安は戦慄を覚えた。

中美濃は『蝮土』を得ることで落ち着いている。

東美濃も木材が売れて沸いている。

西美濃には商人の行き来が多くなり、落ちる銭が桁違いになった。

利政としまさに逆らう者をすべて処分した結果だが、美濃の城主の多くが利政としまさを支持するのは、今が巧く回っているからだ。

あの子供一人でこの状況を作り出したと言うのだ。

知って驚き、光安は次に焦った。


「知っておるか、東美濃で木材を多く売っておる領主の石高が倍になっておる」

「何故でございますか?」

「あの小僧、丘の上から木を切るついでに山を削って、その土で沼地を埋めておる。木が切り終わると、丘の上に村一つ分の農地が、丘の下の沼地だった所に同じく村一つ分の農地が生まれている。これを知った領主達は自分の山の木も切って欲しいと殺到している」

「木の取引の窓口は熱田商人でしたな」

「そうだ。木を切る人夫も熱田商人が手配しておる。もう気が付いているのだろう。熱田商人の後ろに誰がいるのか?」

「なるほど、それで東美濃を上げてしまう話になるのですな。しかし、危険ではありませんか?」

「あれが危険? 儂に『衣食足りて礼節を知る』と管子の教えを説き、防衛において墨子を説き、人心を得る為の徳において孔子と荘子を語る。

あれに野心はない。

あったとすれば、ぞっとするがな。

だから、東美濃を貸しても恐れる必要がない。

東美濃は武田の盾、織田にとって三河を頭から襲う矛、信秀が生きておったら、喜んで貸してくれたかもしれん」


光安は逆に焦っていた。

利政としまさがここまで話すのはおかしい。

腹の底を語ったのに意味があるハズだ。

何を考えておられる?


利政としまさは杯を回しながら、そろそろ気付けと殺気が漏れ始めていた。

使い物にならないなら、首を挿げ替えることを厭わない。

利政としまさにはそんな恐ろしさを秘めていた。


「あと三年、あの小僧が早く生まれておれば、儂は守護様(土岐 頼芸とき よりあき)を追放する必要もなかった。

儂は今、銭を持っておる。

その気になれば、京や近江から傭兵を5,000人くらいは雇うことができる。

銭を持つということは、心にそれだけ余裕が生まれる。

守護様(土岐 頼芸とき よりあき)が悪巧みしようと、雛が水遊びをしているに等しい。

そんな些細なことを気にすることもなかった」


銭、銭、銭、利政としまさに銭があると言った。

光安は脂汗を垂らして考える。

気持ちよかった酔いが一気に覚めてしまった。

銭、そうか。

織田は銭を大量に持っておる。

その気になれば、内乱など一気に銭の力で消して終える。

それをしないのは必要がないからだ。

つまり、羊などではなく、虎のまま、尾張の虎は死んでいない。

それだけ警戒されているのだ。


六角との和睦も織田を警戒し、敵を武田と見定めたのも織田と共通の敵を持つ為か。


ならば、明智家にそれを知らせた理由は1つ。

帰蝶の母、小見の方の兄として、織田家とのよしみを深めておけと言うことか。

まずは、息子の秀満ひでみつ、甥の光秀みつひで、二郎(光忠みつただ)辺りを送るか。


「気づいたようだな。織田に使いを出すときは孫四郎、喜平次も一緒に連れて行ってくれ」

「畏まりました」

「必ず、小僧に会わせて、知己を深めさせよ。遊び友達でよい。そうだな、口実は孫子の兵法でも聞きたいと言って会いに行かせればいいか」

「承知しました」

努々ゆめゆめ、仲違いなどさせるなよ」


利政としまさの目が恐ろしかった。

嫡男の高政たかまさ魯坊丸ろぼうまるが欲しいと言わせようとして失敗し、もう後がなかった。

高政たかまさの組閣の中に織田派(魯坊丸ろぼうまる)を組み込まないと、家督を譲った瞬間に美濃が終わってしまう。

美濃の蝮は美濃(高政たかまさ)を守ることに必死だったのだ。

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