第19話 魯坊丸の外交デビュー。
「お初にお目に掛かります。
「儂が
「私も同じ思いです」
「そうか、やっと叶ったわ」
「日頃の温情、ありがたく存じ上げます。今後も良しなにお願い致します」
「お主は義理の弟殿だ。濃も弟のように思っていると書いておった。儂を父と思うて、いつでも頼ってくれてよいぞ」
「ありがとうございます。山城守様を父と思うように致します」
「そうか、そうしてくれ」
十八楼に到着すると待ちきれなかったのか、
もう三年近く手紙を交わしている。
湊でのあいさつもそこそこに席を宴に場所を移した。
城ではないので、
帰蝶のことや那古野の食べ物など、どうでもよいことで盛り上がった。
「ほぉ、南蛮芋を所望するか?」
「思ったものは来ておりませんが、色々と探してくれているようです」
「だが、何か変わったものを手に入れたとか聞いたぞ」
「まだ、秘密です。時機を見て紹介致します」
「楽しみにしておるぞ」
俺と利政が上座に共に座った。
斎藤家の家臣が左手にずらりと並ぶと俺が連れてきた側人は右手に座っていた。
その左の最前列にいる嫡男の
格下の俺の下に置かれたのが気にいらないようだ。
そして、七歳の小僧に媚びを売る利政も気に食わないのだろう。
それを察した利政が東美濃の話を振った。
「ところで甲斐の武田は美濃に攻めてくると思うか?」
「間違いなく攻めてきます」
高政は一気に酒を呑んで熱い息を吐くと「お聞き申したい」と呟いた。
まだ泥酔には早すぎる。
酒の力を借りて、無礼を押し通すつもりなのだろう。
「何故、攻めてくると言える」
「簡単です。信濃統一が厄介だからです。北信濃の村上氏を追い出せば、信濃を統一できると武田は簡単に考えていますが、越後の長尾家から見れば、山一つ超えた所を抑えられるのです。守ろうとするのが当然ではありませんか」
「越後が何故、信濃にこだわる?」
「今申しました。北信濃から一つ山を越えれば、居城の春日山城を攻めることができます。居城をいつでも襲われる所に敵がおれば、城から兵を出せなくなる。越後にとって北信濃は生命線です。身内でない武田が治めることは認められない。武田はそのことを承知しておらず、越後が本気で兵を出してくるなどと思っていないでしょう。逆に越後は必死ですから、簡単に決着がつきません。ならば、簡単そうな西信濃の小笠原や木曽に兵を向けるのは必然です」
武田は北信濃に侵攻し、
武田の兵も強いが越後の兵も強い。
武田は越後と雌雄を決するか、越後を一時放置して西に進むか、その選択を迫られる。
その選択を俺が知る事はできない。
だが、武田が越後にこだわって停滞するなど都合のいい想い込みはしない。
間者を送り、耳を澄まして、常に考え続ける。
俺は
楽をする為に全力を尽くす。
「まるで見てきたような話し方だな」
「行ったことはございませんが、地図は頭に入っております」
「あははは、見事だ。儂もまったく同じだ。厄介な越後勢より、先に西信濃の小笠原や木曽を狙うぞ。 高政」
「父上、伊那の小笠原は名家です。易々と負けますまい」
「府中の小笠原はすでに負けて、越後へ逃げた」
「偶然が続く訳がございません」
「偶然で勝ち続けるなど無理だ。高政、それが判らんか」
美濃の利政の敵は武田であり、尾張の織田の敵は今川だ。
武田と今川が同盟を結んでいるように、美濃と尾張も同盟を強くして行かなければ、勝てる戦も勝てなくなる。
しかし、高政は納得できないという顔であった。
利政は俺と高政の知己を結ばせようと、その為に子供の俺に媚びを売っている。
わざわざ共に上座に座り、俺との縁を深くするつもりだ。
織田を敵にしない。
なぁ、高政は敵か、味方か、どっちだ?
「高政、武田は強いと思うか?」
「おそらく、織田より強うございます」
「そうか、強いのか」
「
「織田より強く、美濃より強いでしょう」
「なんだと」
「ですが、息が続きません。織田も美濃も息が長い。そこが狙い所と心得ます」
「砦でも増やしておくか」
「それがよろしいかと」
「父上はこいつの話を信じるのか? 美濃は強い、武田にも負けん」
「織田より強いと思いますが、武田には敵いません」
俺は厳しい口調ではっきりと言う。
高政はその声に一瞬だけ身を引いた。
とっくりを手に取り、茶わんに注いで一気呑みだ。
体に悪い飲み方だ。
武田や越後に浴びるほど酒を呑む武将がどれほどいるだろうか?
彼らの強さは環境の厳しさだ。
隣村でも生きる為には容赦なく殺す厳しい世界で育った。
領地を奪い合うゲームをしている織田や美濃の気楽さがない。
心していないと初見で負ける。
「美濃の武将を愚弄するか」
「現実です。武田が来てから準備しても間に合いません。座して武田に滅ぼされますか?」
「黙れ! 分裂しておる織田が何をほざいておる」
「分裂しているように見えますか?」
「戯言を言うな! 弟に家督を奪われ、叔父に見放され、家老は離反し、尾張上四郡の織田伊勢守と仲違い。それで守護代の信友と戦の最中だろう。これを分裂と言わず、何というか?」
「分裂しているように見えますね」
「見えるのでなく、分裂しておるのだ。それも判らんのか。小僧」
「大変、勉強になりました。この魯坊丸、世間の見方が実感できました。そして、高政様に感謝致します」
「はぁ、何を言っている」
「その分裂して困っている織田の為に、兵をお貸し頂ける話ではありませんのか?」
「馬鹿か。何故、織田を助ける必要がある」
「同盟関係でございます」
「そんな都合のいい同盟などあるか」
「違いましたか、それは残念です。織田を助けて頂けるなら、いつか借りを返させて頂く所存でございましたが、高政様とは兄弟のように仲良くして頂けないのでしょうか?」
「おまえは阿呆だな」
なぁ…………なんじゃ、そりゃ?
はっきり言ってくれる。
困ったときの子供の振りだ。
母譲りの可愛い顔を使い、上目使いで目をうるうるとして見上げ、「お兄さん、駄目ですか?」という感じで首を捻って困ったようなポーズを取った。
目が合ったので「お願い」と無邪気そうに微笑んだ。
高政が狼狽える。
まるで子供を虐めているみたいな嫌な顔をされた。
おかしい?
う~~~ん、お市ほど巧く媚びるのはできない。
「ふん、その容姿で媚びを売るのが好きそうだが、俺は父上のように騙されんぞ」
「騙すなんて人聞きが悪い。可愛い子供にはお菓子でも配って、手懐けた方がお得ですよ」
「馬鹿らしい。そう言えば、織田は色々な物を配って、媚びるのが得意らしいな」
「はい、織田は喧嘩も戦も大嫌いなのです。仲良く致しましょう」
「おまえは何だ」
「魯坊丸でございますが?」
「武田と越後を語った一瞬の気概は何だったのだ」
「さぁ、何でしょう?」
「腑抜けたか。いかにも判らんという顔をするな。おまえも兄と同じでうつけの腰抜けであったか」
「兄上(信長)は生真面目で融通が利かず、意地悪もするので多少嫌な奴ですが、高政様より強いですよ」
大柄で熊のような高政が鋭い眼光で俺を睨む。
何が気にいらないのかは判らない。
まさか、大将同士の一騎打ちで勝負するなんて考えていないよね。
大将の戦は知略戦だ。
あぐらから片あぐらに姿勢を変えて、膝に肘を乗せて頬を置く。
おねだりのポーズから兄上(信長)が好きな、人を見下ろすような、ゆったりとした姿勢を取った。
まだ、体が小さいので見下ろすのではなく、見上げることになった。
そこで余裕綽々の万遍の笑みを送り返した。
ぷちん!?
逆に怒らせたのか、高政は
「木刀を持って表に出ろ。鍛えてやる」
「痛いのは嫌なので遠慮します」
「やはり、腰抜けか。それで大将が務まるものか」
「大将が刀を握らないとならない時点で、戦は負けですよ」
「くっ、ああ言えばこう言う。口だけ達者な奴め。父上、もうよろしいでしょう」
高政は刀を手に取るとその場を後にした。
ふぅ、助かった。
無理矢理でも手を取られて連れ出されたら、どうしようかと焦ったぞ。
連れで高政に勝てそうなのは慶次しかいない。
勝てる保証はないが、何か期待できるのは奴だ。
ところが、その慶次が宿に入るとどこかに消えてしまった。
肝心な時にいない。
高政、最後に織田の澄み酒(清酒)を枡ごと抱きかかえて出ていったので興が醒めた。
その酒は腰抜けの織田が造った酒だぞ。
「愚息が済まんことをした」
「いいえ、こちらこそ申し訳ありません。山城様の心遣いに応えたかったのですが技量が足りなかった様です。ただ、家督を譲るときはご注意下さい」
「承知しておる」
この時代の武将は脳筋な馬鹿が多い。
美濃が繁栄しているのは、米・木・白石などを織田に売っているからだ。
その銭で鉄・塩などの物資を買い、より美濃が繁栄している。
尾張はおいしそうに見える羊だ。
だが、その織田を喰らえば、すべて止まる。
そもそも分裂し、混乱している国が銭を回して活気に満ちるものなのか?
おかしいと思わないかな。
「お互い、苦労が絶えないようですね」
「まったくだ。戦好きが多くて困っておる」
「戦で分捕っても、田畑を耕しても、得るものは同じ。美濃が太るには後者しかありません」
「儂はお主のように治水をやりたい。美濃をどこにも負けない大国にしたい」
「木曽川、長良川、揖斐川の三川を制すれば、100万石も可能と思います」
「100万石か、夢があるのぉ」
だが、信じられないほどの時間と銭が掛かる。
完成するまで100年掛かるだろう。
利政も承知しているので、大規模な河川工事はやっていない。
「さて、本題の話をしよう。2月20日とは随分と急ぐのだな」
「申し訳ございません。こちらの都合です」
「承知しておる。伊勢家の件だな」
「はい、公方様と伊勢家が揉めるとは思ってもおりませんでした」
「おまえも読み間違うのか?」
「読み間違ってばかりです。三好と公方様を繋ぐ細い糸、自ら切るとは考えたくないのですが、その糸が切れれば再び争乱になります」
政所執事を世襲する伊勢家は幕府の重し石だ。
三好と交渉できる手腕を持ち、三好から一目置かれている。
公方様から見ると裏切っているように見えるが、公方様に三好を討伐する軍事力などない。
仮に六角と朝倉が共同して三好を倒したとしても、幕府の主人が六角・朝倉連合に変わるだけで幕府が強くなる訳ではない。
するべきは、憎い三好を利用してでも幕府の権威を取り戻すことだ。
「どちらに付くつもりで」
「もちろん、公方様です」
「三好とことを構えるのか?」
「まさか」
そう言うと利政は顎髭を撫でた。
三好と喧嘩をして堺を使えなくなれば、こちらは大損だ。
支持するのは公方様だが、三好とは対立しない。
「こちらは後で、当初の予定通り、4月まで会見を遅らせても構わんぞ」
「いいえ、すでに朝廷には日程を申し出ております。それに遅らせるならば、秋以降になります」
「それは困る」
「そうでしょうね。浅井討伐に六角が動くかもしれません」
「その通りだ」
利政が我が意を得たり、嬉しいのか、にやりと笑った。
武田に備えて、六角と和議を結びたいのだ。
六角への助力はその架け橋だ。
浅井は京極と争っており、その京極は六角を頼った。
前当主の
その心の隙を突いたのだろう。
追い出した美濃守護である土岐頼芸も身を寄せているが、当主が
やはり、蝮は食えない。
斎藤と織田の会見は2月20日と決まった。
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