第17話 平手政秀の逆襲?

天文22年閏1月13日、那古野家老、平手 政秀ひらて まさひでの葬儀が平手家の菩提寺ぼだいじでひっそりと執り行われた。

享年62歳、功菴宗忠大居士。


死んだのかって?

いいえ、政秀まさひでは生きていますよ。

完全に怪我が回復するには半年以上、職務に復帰できるのは1年後くらいでしょうか?

しかし、斎藤-利政さいとう-としまさとの会見、俺の上洛を控え、安心して政秀まさひでの警護を任せられる者がいないという事態になった。

生きていると知れれば、また襲ってくる。

そこで政秀まさひでは兄上(信長)に死んだことにして欲しいと願ったのです。

兄上(信長)も承知され、ひっそりと沢彦たくげん和尚に預けた。

和尚の所なら兄上(信長)も顔を出すので見舞いも行ける。


老いても政秀まさひでは策士だった。

政秀まさひでが死んだことを隠し、自宅で療養していることにして政秀まさひでを襲いにくる賊を一網打尽いちもうだじんにする罠を仕掛けた。

そうだ。

政秀まさひでの死は那古野の家老のみに知らせ、家老衆から騙した。

佐渡守(林 秀貞はやし ひでさだ)を筆頭とする家老衆に話すと袖を涙で濡した。

政秀まさひでの死は厳重に伏せられた。

しかし、政秀まさひでの死はすぐに尾張中に広がり、同時に兄上(信長)の悪評が広まった。

監視されているとも知らずに。


「兄上(信長)が嬉しそうだった」

「監物様(平手 政秀ひらて まさひで)の策が巧く嵌っているのです。今の所は満足されているのでしょう」

「平手の爺様も癖者くせものだな。養父(中根 忠良なかね ただよし)を中家老にしやがった。側人に俺をご指定とか、6日に1度は登城することになったじゃないか」

「老いて狡猾になった感じです」

「しかも自分の死すら兄上(信長)の為に使おうというのだから家臣の鑑だ」

「私もいずれはそのような者になりたいものです」

「止めてくれ、千代が先に死ぬと俺が困る」


偶然とは言え、得難い秘書を手に入れたのだ。

手放すつもりはない。

こちらが先に網を張り、政秀まさひでの死がどう伝わるか?

裏切り者は誰か?

どこで釣り糸が垂らされているのか?

陽動役が誰か?

どのような情報網が構築されているのか?

最重要人物の死だからこそ、見えてくるものがあった。


諫言かんげんして、詰め腹を切ったとか?

兄上(信長)が無礼討ちにしたとか?

襲われた兄上(信長)の身代わりになって死んだというのも流れた。

毎日、更新ご苦労様。

今の所、敵の情報網が見えて来て兄上(信長)も満足している。

兄上(信長)の悪評が日々更新されてゆく。

どこまで我慢が続くのだろう。


「若様はどうされたのですか?」

「ふっ、これを逆に利用して敵を罠に嵌めたい所かな。いやぁ、忘れてくれ、無理な話だ」

「若様に不可能などありません」

「ははは、世の中、それほど甘くない。それに兄上(信長)も我慢が続く訳がない」


兄上(信長)の怒りが爆発した時、いつでも一斉摘発できるようにしておこう。

それに個人的な恨みも晴らしたいしね。


 ◇◇◇


延喜十一年(901年)、醍醐天皇の御代に尾張国那古野庄の地に勅により鎮祭せられた亀尾天王社(那古野神社)が建立された。

それは那古野城のすぐ真横であり、改修された那古野城の城壁の内側になる。

この天王社には別当寺であり、亀尾山安養寺十二坊(天王坊)と呼ばれた。

信長の師匠である沢彦宗恩たくげんそうおんが住職を務める寺であり、信長が師匠の話を聞きにきた。


「信長様、ようお越し下さいました」

「良い、そのままにしろ」


布団から起き上がろうとした政秀まさひでを止めたが、寝たままでは話し辛いので体を起こすのは止めなかった。

城の内側なら警備も厳重で敵に知れることはない。

天王坊の離れは沢彦たくげんの別宅であり、師匠に教えを貰うのが日課になってきた。

今日は忍者が集めた情報を精査し、今後の対策を考えるというのが名目だ。

でも、本当は信長が見舞いに来たいだけである。


「よくもこれだけ巣を作っていたものだ。爺はどう思う」

「今川の間者のみではないようですな。守りが固すぎたことが敵同士の結束になったのでしょう」

「そうかもな。師匠はどう思われる」

「今川は藤林家を中心に北伊賀組を多く雇っておる。甲賀に近いゆえに、ゆかりの甲賀に根を張り易かったのかもしれませんな」

「一網打尽にしてくれる」

「信長様、短慮はいけません」

「何か、拙いか?」

「ただ親しいだけで協力している者も多いのでしょう。根絶やしにすれば、その身内から恨まれることになります」

「その通りだ。情報を融通し合っているだけで殿に味方している者もおる。その身内から新たな敵を作ることになりかねませんぞ」


師匠の言葉に政秀まさひでが頷いた。

判り易く、全部を根こそぎ刈り取りたい信長にとって面倒臭いことこの上もなかった。

信長に逆らった者がどうなるかを見せ付けてやりたかった。


「刈り取るのは北伊賀組のみに留め、情報を売っていた者は信賞必罰しんしょうひつばつのみに留めるのがよろしいかと」

「生ぬるいのではないか?」

「あのような者らは生かさず殺さず、いつも心の臓を掴んでいると脅す方がよろしいのです」

「爺よ。性格が悪くなったのでないか?」

「ははは、元からでございます。それに信長様の恐ろしさを広めてくれる者まで殺しては、この戦を仕掛けてきた者に伝わらないではないですか」

「そういうものか。まぁよい。爺が考えた策だ。爺が思うようにやってやる」

「ありがたき幸せ」


師匠の沢彦たくげん和尚が忠告を入れた。


「今回のことに関与しておりませんが、行者ぎょうじゃの動きにも注意されるとよかろう」

「師匠、どういう意味だ」

「今川義元は幼少のみぎりに仏門に入れられ、情報を仕入れるにも、また、流すにも行者を巧く使っておる」

「行者とは、それほどの知己を得ておるのか?」

「いいえ、行者と繋がっているのは各寺々です。特に菩提寺ぼだいじは領主の為に情報を集めます。その全国の情報を持ってくるのが、行者なのです」

「なるほど、真偽の定かでない情報を住職が信じ、住職を信じている領主が信じてしまうのだな」

「ご明察の通りでございます」

「住職を信じております領主は、うまうまと騙されるのでございます」


信長はうっすらと今川義元の影を見た。

忍者と行者を巧みに使い分け、人心を思いのままに操る。

親父(故信秀)はそんな化け物と戦っていたのか。

刃を交えずに戦う相手、魑魅魍魎ちみもうりょうの類いだ。


「ご安心下さい。そのような義元の相手は魯坊丸ろぼうまる様に任せておけばよろしい」

「爺のことでしくじったばかりであろう」

「あれは愚息の失敗です。それに魯坊丸ろぼうまる様はまだ幼い。負けることもありましょう。ですが、負けた儘で良しとするほど、性根が腐ってはおりません」

「それはそうかのぉ?」

「それに滝川、岩室、望月の甲賀三家がやられた儘で黙っている訳もありません」

「確かにな」


悪童あくとう魯坊丸ろぼうまる)が甲賀三家を束ねているのか?


 ◇◇◇


悪童あくとうと話すとイラつくことが多い。

評定では黙って大人しくしているが、談話になると評定の間違いを指摘して来る。

中々に評判が悪い。

それが終わると政秀まさひでの願いもあり、二人で話をするようになった。

ここでは評定では話せないことを話し合わねばならなかった。

悪童あくとうに改めて捕獲の日を告げた。


「承知しました」

「反論しないのか?」

「ご不快になるだけかと」

「一応、言ってみろ、聞いてやる」

「兄上(信長)が怒るだけです」

「怒らぬから言ってみよ」


悪童あくとうが嫌そうな顔をしながら口を開いた。


「まず、平手殿がいなくなったことでワザと綻びを作っております」

「そんなことを言っていたな」

「緩くしたのは我が領地の裏にある桜山の禁所です。たたら鉄と椎茸の栽培の秘密をわずかに公開しました」

「手練れなら入って来られるのだな」

「はい、鉄砲作りは一時中止し、鍛冶師の育成とたたら鉄で刀を作らせております。(今川)義元の土産に炭より燃える特製の炭(人工石炭)を持たせて帰らせました。それを見て頭を捻ることになるでしょう」

「盗ませたの間違いではないか?」

「同じです。こちらは平手殿がいなくなったことで付け入る隙を見せております。これを利用して、逆に平手殿の恨みを晴らせないかと考えた訳です」


気が付くと、悪童あくとうの目はいつの間にか、この信長を見ずにどこの彼方を見据えていた。

顔はどこまでも涼やかな表情になってゆくのに目に妖気が宿ったように輝いている。

目が離せない。

頬は微かに笑っており、姿勢は自然と背筋が伸びて美しく見えた。

こんな大人びた顔をできるのかと信長は思う。


そこから語られる言葉はまるで絵草子でも読むような怪奇で妖美な物語であった。

人を騙し、たぶらかし、化かし合う。

蛇と蝮と狐が嘘で固めた偽報を交わす。

それに翻弄される民は堪ったものではない。

化かし合いが終わると騙し合いに移った。

偽装ぎそう欺瞞ぎまん、欲望を晒して罠に掛け、暗殺で敵を葬る。

人はここまで醜くなれるのかと目を背けたくなった。


信長は佐渡守(林 秀貞はやし ひでさだ)の爺ぃに、武家のしきたりを破る品のない戦い方となじられたことを思い出した。

爺ぃの気持ちが判ったような気がする。

悪童あくとうの戦い方は人の道に反している。

余りの酷さに罵りたくなった。


その目的は今川義元の腹心、太原 崇孚たいげん そうふを暗殺で亡き者にしようという。

薄笑いを浮かべて怨念おんねんのようなモノを感じた。


「よく判らん。判るようにもう一度説明してくれ」

「敵を騙すにはまず味方からと申します。兄上(信長)と俺が仲違いして、その家臣までいがみ合うのです」

「本気で味方を見殺しにするのか?」

「最悪の場合です。こちらのやりとりが巧くいってないと思わせるのです。とにかく、敵も味方も騙すのが肝要かんようなのです」


騙し合いに無数の罠を仕掛けて味方を騙すのか?

狐や狸が人を化かすというが、まさにそれだ。

人を信じられなくなりそうだ。


「その準備が終われば、騙すことの名手である『美濃の蝮』に織田と合戦をする演技をお願いします。清州の信友も美濃斎藤家が味方になれば、気持ちも大きくなるでしょう」

「国主である守護様を毒殺して、守護代まで成り上がった者を信じるというのか?」

「織田が今川に勝っている間は裏切りません」

「どうして、そう断言できる」

「嘘を吐く者は嘘を見抜く力に優れております。だから、本気で斎藤家と戦をしなければ、今川義元も騙されてくれないのです」


悪童あくとうの策が恐ろしいのは、この信長と悪童あくとうと蝮以外は真剣に戦をするつもりということだ。


但し、斎藤家は尾張に兵を送るが戦う気がない。

そこが肝だ。

斎藤家の狙いは秋の浅井攻めであり、その戦費を稼ぐ為に清州の信友に味方する。

無駄に兵を減らしたくない蝮殿は、信長、信勝、信光、信友、信安に様々な条件を付けて、何もせずに大金をせしめようと企む。

織田と斎藤が清州を舞台に睨み合うのだ。


「その状況を作れば、(今川)義元は斎藤家の尻を叩く為に派兵するしかなくなるのです」

「敵の総大将は太原 崇孚たいげん そうふなのか?」

「知りません。しかし、他に誰がいますか。その太原 崇孚たいげん そうふを暗殺すれば、織田の勝ちです」

「簡単に言うのぉ」

「あづき坂を通った所で退路に火を放ち、前に出てきた所を左右から20丁の鉄砲で太原 崇孚たいげん そうふのみを狙撃するのです。この暗殺はほぼ確実です」

「何故、あづき坂だ?」

「敵が油断します」

「敵の真っ只中ではないか、着く前に捕捉されるぞ」

「大丈夫です。黒鍬衆らを偽装して先に送り、本隊の信広兄ぃは300騎ほどの騎馬隊で捕捉される前に着いて頂きます」

「あづき坂で戦がはじまれば、岡崎から兵が送られてくるぞ。それはどうする?」

「近づいた所を爆薬で吹き飛ばします。今川軍の本隊も爆薬で倒すつもりです。信広兄ぃは今川の首を狩るだけの簡単なお仕事です」

「その爆薬とはなんだ?」

「兄上(信長)も鉄砲で使われているでしょう。あの火薬を壺一杯に詰めたものを爆薬と申します。壺の中に鉄の破片を入れておけば、その爆発から生き延びられる敵兵はいないでしょう。俺の切り札の1つです」


無邪気な顔で笑いやがった。

義元や蝮を遊び道具くらいにしか思っていないのではないか?

もちろん、策が失敗する可能性をいくつか上げた。


「兄上(信長)の演技が下手過ぎれば、その時点で終わりです。その日が雨なら鉄砲と爆薬は使えません」

「どうするのだ?」

「どうもしません。芝居を止めて真面目に戦うだけです」

「そこで蝮殿が裏切ったらどうする」

「ですから、どうもしません。あり得ませんが蝮に降伏して、二人で今川を撃退します」

「これだけの騙し合いをしながら、どうして『美濃の蝮』をあっさりと信じられるのだ」

「この策の肝が『美濃の蝮』だからです。信じないと策は成立しません」


まったく判らん奴だ。

どうしてそんなことを聞くのかと、そこで首を傾げながら嬉しそうに笑うのだ。

妙な可愛い仕草をする変な奴め。

話にならん。

蝮が裏切らぬ、説明にもなっていない。

とにかく、細い綱の上を歩くような策だ。


「含む所はないが、危険過ぎて却下だ」

「承知しておりました。では、段取り通りに行います。では」


ここまで話して、あっさりと引いた。

あっさりと引かれると薄気味悪く思えた。


 ◇◇◇


予感は的中した。

悪童あくとうが美濃に向かう直前に、忍びの報告書を上げてきた。

帰蝶が報告書を見て驚いた。


「尾張で始末した北伊賀の者が100人余り、駿河・遠江で始末した北伊賀の者も100人ですか」

「濃はどう思う。敵地でそれだけの数を始末できるモノなのか?」

「尾張にいた甲賀・伊賀をかなり連れて行ったのでしょう」

「無茶をする」

「ですが、こちらの方が魯坊丸ろぼうまるらしいです」

「ふっ、そうだな。これで義元の目と耳を塞いだ」

「藤林長門守が持つ忍びは300人程度、義元などの身辺を固める為に尾張に割ける間者はほとんどいなくなったのではないかと思われます」


尾張の敵を掃除してすっきりしたと思っていたが、おつりが返ってきた。

義元もさぞ、肝を冷やしただろう。

それにしても悪童あくとうはどれだけの甲賀・伊賀者を抱えているのだろうか?

そんなことを考えていると信長の顔が不貞腐れ顔になっていたらしく、帰蝶に人差し指で頬を突かれた。


「むつかしい顔をされますと、男前が台無しですわ」

「たわけが」

「この度の策を考えられたのは殿、魯坊丸ろぼうまるは便乗したに過ぎません」

「平手の爺も、彼奴も、頭がいい奴は何故か人を騙したがるな!」

「お人のことのようにおっしゃりますのね」

「儂は謀りごとが嫌いだ」

「そうでございました」

「…………濃も好きそうだな!?」


ふふふ、帰蝶に頬をつねられて笑われてしまった。

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