第16話 平手政秀の死。

その日、山から下りてくると、兄上(信長)から至急登城するように命じられた。

何があった?

千代女も首を横に振った。


「使者殿、那古野で何があった」

「某も承知しておりません。殿が急に怒り出し、とにかく、魯坊丸ろぼうまる様をお連れしろとのことです」

「要領が得ぬが仕方ない」


風邪を引かぬように汗だくの厚着を一度脱いで、体を拭いてから正装に着替えた。

千代女はさっそく確認の為に人を走らせた。

馬を歩かせながら那古野に行く途上で理由が薄々判ってきた。

元凶はお市のようだ。

呼ばれた原因は結局のところ、よく判らん。

ともかく、お市絡みで兄上(信長)が怒っているらしい。

那古野に着くと部屋に通された。


「改めまして、新年、あけましておめでとうございます」

「遅いわ」

「こちらも多忙ゆえに」

「ぬかせ、市らと遊んでおっただけであろう」

「呼んで頂ければ、すぐにでも参上致しましたのに」

「そして、平手の爺のように、今度は儂を悪者にするのか?」

「何のことでしょう」

「ふん、おまえの手は承知しておる」


変な所で兄上(信長)は勘がいい。

平手 政秀ひらて まさひでに厄介ごとを押し付けたことをご立腹のようだ。

兄上(信長)もお市に甘いからな。

(自分のことを棚に上げる魯坊丸ろぼうまるであった)


「何故、呼び出されたか承知しているな?」

「それがまったく判りません」

「間者が襲ってくるような場所にお市を放置した」

「間者?」

「お市は間者が倒される所を見たと言っておったぞ」


やっと理解した。

兄上(信長)は状況を確認せずに、俺を呼び出したのか。

迷惑な話だ。

こういう迂闊な所が信勝兄ぃと似ているな。

はぁ、俺は大きなため息を付いた。


「なんじゃ、その溜息は?」

「凧揚げをしていただけでございます。城の中では流石にできません。外に出れば、当然のことながら間者も出てきます。万全の守りを固めておりますので、ご心配なきように」

「凧揚げじゃと」

「お市から聞いておりませんか?」


あぁ、目を逸らした。

頭に来て確認もせずに呼び出したのに気が付いたようだ。

何があったかと心配して来てみれば、これか!

どうせ、あいつら(兄弟ら)がいるからぐうたら・・・・できない。

俺はそれほど怒っていない。

だが、どういう言い訳をするか聞かせて頂こう。

この後はどうする?

那古野まで来たから城下町を見て、津島まで足を延ばすか!


「失礼申し上げます」


千代女が血相を変えて廊下の下に現れた。

いつも落ち着き、穏やかな千代女が狼狽しているのは珍しい。

嫌な予感がする。

否、予感ではない。

あの千代女が狼狽しているのだ。

よい知らせである訳がない。


「申し訳ございません。お守りしろと命じられながら、監物様(政秀まさひで)をお守りできませんでした」


千代女が頭を下げる。

俺は一瞬頭が凍りついて何も考えられなくなった。


『爺は無事か!』


兄上(信長)が叫ぶ。

立ち上がって、鬼のような形相で千代女を睨みつける。

おい、睨む相手が違うだろう。


「間者により背中から一突き、一命は取り留めましたが、助かるかどうかは判りません」

「おぬしらは何をやっておった」

「申し訳ございません。間者は忍びではなく、飛騨・信濃の者であり、監物様(政秀まさひで)のお命を狙うとは考えておらず。油断致しました」

「馬鹿者が」

「申し訳ございません」


政秀まさひでを守れと命じたが、そもそも千代女が守る義務はないのだ。

あくまで俺の為であって、兄上(信長)の為ではない。

何故、兄上(信長)が千代を責める。


「爺が死んだら、どうするつもりだ。その首を刎ねるぞ!」

「如何様にも」

「兄上(信長)、千代は俺の女中です。政秀まさひでを守る義務などありません」

「おまえ、何を言っている!」

政秀まさひでを守りたかったならば、兄上(信長)が自分の兵なり、忍びなりを付ければよかったのです。こちらは少ない手勢を回して護衛していたのです」

「失敗しておるではないか」

「千代ができなかったなら、誰がやってもできませぬ。千代に責はございません」

「若様」

「千代、自分を責めるな。これを糧とせよ!」

「次は確実に」


千代女に責任を問わないと先に言い切った。

兄上(信長)は俺に逆らうのかとでもいいたいのか?

俺を睨み付けても何もでないぞ。

付き合っていてもしたかない。


政秀まさひでの屋敷に行く」

「すでに馬を準備しております」

「そうか!」


俺が立ち上がって廊下に出ると、兄上(信長)も横に並んで歩いてくる。

まだ、ぎろりと睨んでいる。


「まだ何か言い足りないのですか?」

「ふん、知らん」

「そうですか。政秀まさひでにはまだ死んで貰っては困ります」

「当然だ」

「千代に責任はありませんからね。よくやってくれております」

「おまえは家臣に甘いな」

「兄上(信長)ほどではありません」

「ぬかせ。しかし、足が遅い」

「先に行って下さい」


兄上(信長)を睨み付けると、ふんと顔を逸らした。

何故、俺に合わせて横を歩くのか?

歩みを早めると、兄上(信長)も合わせてくる。


「ですから、先に行って下さい」

「儂は儂が歩きたいように歩くのじゃ」

「そうですか」


俺は意地になって足を進める。

まるで競歩のようだ。

しかし、兄上(信長)は大股で歩く程度に付いてくる。

所詮、子供と見下している。

大人気ないぞ!

ハイペースでドンドンと廊下を歩くと、他の人に邪魔だろう。

後に側用人がゾロゾロと付いてくる。

はぁ、はぁ、はぁ、玄関に着く頃には肩で息をするくらいに疲れてしまった。

水を飲んで落ち着く。

鍛え方が足りん!?

とでも言いたいのか、にやりと笑って兄上は馬に乗って先に出ていった。

糞ぉ、ヤラれた!

そう言えば、帰蝶様が言っていたな!

気が動転したとき、どうしようもなく慌てているとき、周りの者を弄って気分を落ち着かせると。

千代の仕返しも兼ねて、俺で遊ばれたのか?

意地になったのが失敗だ。

俺は抱きかかえられて馬に乗せられると千代女も跨った。

手綱は千代女が握る。


 ◇◇◇


政秀まさひでを刺した間者は飛騨・信濃の者であった。

家族らに先立たれて、独り身になって黒馬と一緒に尾張に流れつき、偶然に久秀ひさひでと会い、馬に惚れた久秀ひさひでが下人として雇うことで馬を手に入れた。

余りにも都合のいい偶然だ。

木曽氏か、小笠原氏辺りが織田家を探っていると考えた。

もしかすると武田家かもしれない。

武田は今川の同盟国だが、今川が成長するのを喜んでいるとはいい難い。

今川に利することをするとは思えない。

おそらく諜報だろう。

しばらくは害を為すことはないと高をくくった。

俺に命じられてすぐに平手屋敷の周辺には忍び5人が警戒に当たっていた。


今朝、久秀ひさひでが朝駆けから帰ってくると、政秀まさひでの部屋に入り口論となったらしい。久秀ひさひでの情報元はその下人(間者)であり、那古野や末森に流れる噂を聞いて、兄上(信長)をワザと怒らせたと言う。

政秀まさひでは兄上(信長)に謝罪する為に家を出た所を下人が脇差を構えて襲ってきた。


「よく、一命が助かったものだな!」

「丁度、滝川 資清たきがわ すけきよ様と慶次郎(前田 利益まえだ とします)が警護の打ち合わせにやって来て、咄嗟にクナイを投げたそうです」

「運が残っていたか!」

「急所は外れましたが脇差が背中から腹の奥に刺さり、資清すけきよと慶次郎で例の止血をしたそうです」

「あれをやったのか」


忍者の幹部には、死体の体を裂いて内臓を縫合ほうごうする技術を教えておいた。

死体を切るのが罰当たりとか、最初はぶつぶつ言っていた。

生身でする方が怖いよ。

傷口を開いて、中の出血する部分を止血して中を消毒する。

理屈が判れば、消毒液(蒸留酒)と針と糸があれば簡単にできる。

ウイルスとか細かいことは考えない。

戦場なら出血多量で死ぬ者を助けることができるかもしれない。

もしかすると程度の気休めだ。


「傷口を裂いて、生きた生身の縫合なんてよくやったな」

「教えたのは若様です」

「戦場なら何となくできるかもと思っただけだ」

態々わざわざ、あの小さな小刀を持たせたではないですか?」

「外科ナイフだ。脇差では大きすぎるだろう」

「クナイの代わりに便利です」


千代女が懐から外科ナイフを10本ほど取り出した。

投げナイフ代わりになるのか?

資清すけきよは脇差に毒が塗られていたかもしれないので甲賀の毒消しを飲ませ、消毒液(蒸留酒)で体の中を洗ってから閉じたらしい。

麻酔なしか?

考えただけで痛そうだ。

屋敷に到着すると、中では政秀まさひでは青い顔をして生きながらえていた。


「爺ぃ、生きろ!」

「信長様、爺はもう駄目です」

「逝ってはならん」

「上洛が最後の御奉公と思っておりました。それだけが心残りでございます」

「見事に果たせ! 親父は早く逝き過ぎた。せめて爺ぃに見届けて貰わねば、この信長が困る」

「勿体なきお言葉」

「本心だ。まだ、まだ、やって貰わねばならん」

「大丈夫です、爺の跡目に魯坊丸ろぼうまる様がいらっしゃいます。爺のすべてを注ぎました」


知っていたよ。

そうでないと政秀まさひでの持っている人脈を俺に紹介するような馬鹿なことはしない。

それが嫌だから、政秀まさひでが生きている間に他の人材を育てるつもりだった。

想定外、痛恨の事件だ。


魯坊丸ろぼうまる様、やることはやってみましたが助かるのでしょうか?」

資清すけきよ、ご苦労であった」

「血は止まりました。しかし、某には見当も尽きません」

「すまん。俺も判らん。俺は医者ではない」

「まさか、あのような医学書を書かれるお方が医者でないというなら、医者などおりません」

「生きるか、死ぬかは政秀まさひでの運次第だ」

「そうですか!」

「傷口が化膿しないように毎日綺麗な布に変えるように言っておけ」

「判りました」


兄上(信長)と政秀まさひでの話が終わらない。

いい加減にしないと死ぬぞ。

そう言っても伝えねばならぬことが多いのだろう。

横で聞いている久秀ひさひでが男泣きをしていた。

部屋を暖めて湿度を保つように指示する。

俺に出来ることはない。

屋敷を出ると雪が降ってきていた。


政秀まさひでの馬鹿野郎」


襲ってきた敵をひらりと躱してみせろよ。

外交の仕事が全部、こっちに回ってくる。

糞ぉ、誰が仕掛けた。

この恨み、いつか100倍にして返してやる。<涙>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る