第12話 信長の師匠は平手政秀。

天文22年 (1553年)1月5日、那古野家老の平手 政秀ひらて まさひでが中根南城にやって来た。

苦労人なのか、61歳で見事な白髪の老人だ。

濃い紫に染めた直垂ひたたれに金糸で家紋を縫い、それをデザインのように散りばめ、相撲取りの行司のようでカッコいい。

しかも直垂ひたたれの下着は白の白襦袢しろじゅばんが常識なのに、敢えて破って薄い赤襦袢あかじゅばんを着ているので襟が赤い。

濃い紫に薄い赤袖、そこに金色の家紋が目立つこと。

信長の傾奇癖はこの人の影響だとすぐに判った。

新しいことを考える兄上(信長)の原点は、この政秀まさひでから受け継がれていると思った。


「火急につき、取り急ぎこと不躾にて、平にご容赦を」

態々わざわざのご足労、痛み入ります」

「帝の勅命は誠に貴きものなれど、りとて思うようにならぬのが、この世でございます」

「無精者ゆえ、誠に申し訳ないと存じ上げております」

嫌々いやいや其許そこもとのことを言っているのでございません。道理を言ったに過ぎません」

「そうでございましたか」


政秀まさひでの小者が昨日の内に来て、今日の会談を申し出て来た。

特に用事もないので、俺は承知した。

急いでいると言っているのに、遠回しのあいさつに痺れを切らしたお市が立ち上がった。


「凧揚げをする予定じゃ。急いで終わるがよい」


凧上げを先に約束したが仕事ではない。

明日に延期してもいい。

だが、お市にとって凧揚げこそ、重要案件なのだ。

別室で待つように言い付けたが、会談に出ると言って聞かない。

どうしても同行させろと言うので、政秀まさひでに確認して了解を貰った。

政秀まさひでは度々訪れては、俺に作法に付いて講義をしてくれている。

いつものことだ。

お市はじれったく感じたのだろう。


朝廷より上洛しろと命令された。

と言って、『では、さっそく』という訳には行かない。

公家には公家の作法、武家には武家の作法があった。

そのどちらも必要になる。

その指導をしているのが、武家作法『伊勢流』の室町幕府政所執事の伊勢 貞孝いせ さだたかだ。

俺は政秀まさひでからその『伊勢流』と公家作法を教わっていた。

公家の作法は山科 言継やましな ときつぐ監修らしい。

これらが終わらないと上洛できない。

今の調子なら雪解けを待って2月頃に尾張を立つことができると政秀まさひでは言ってくれている。


「魯兄じゃは京に行くのか?」

「あぁ、偉い人に来いと言われたのでな」

「都は華やかと聞くのじゃ」

「それは判らんぞ、戦で焼け野原とも聞く」

「市も京に行きたいのじゃ」

「俺も京に行ってみたいな」


三十郎兄ぃ(4男の(織田)信包のぶかね)まで言い出した。

俺は無理だと断るが、市がしつこくお願いする。

うるうるとした目で体をゆさゆさと揺らし、「市はお留守番ですか」とぐいぐいと押してくる。

俺の腕をぎゅっと掴んで首を傾げて残念そうなポーズをするので心が痛い。

この子は魔性の女に育ちそうだ。


「わらわは良い子にするのじゃ。連れて行ってたもれ!」

「すまん、俺は決められん。平手の爺様が良いと言ったならな」

「判ったのじゃ」


今度は政秀まさひでに寄っていった。

白髪が増えるかもしれない。

俺的には連れて行っても危ないことはないと思うが、謁見の時に誰が子守りするかが問題だった。

警備はともかく、自由奔放な市を止められる者がいない。

それにお市を連れてゆくとなると三十郎兄ぃを始め、あと何人かを連れて行くことになる。

幼稚園の遠足だ。

政秀まさひでも焦ったようだが、すぐにお市に話を合わせはじめ、巧くお市の話を聞いている。

お市はいい子にすると政秀まさひでを口説いた。


「なるほど、なるほど、お市さまはエラいのぉ」

「そうじゃろ、連れて行ってたもれ」

「そうですな。まず、おねしょの癖を何とかしてからですかな」

「も、もうだいじょヴゥじゃ」

「ホントですかな、たしか、前は師走の15でしたか」

「平手のじいなど嫌いじゃ」


お市が逃げていった。

政秀まさひではにこにことしながら断ってくれた。

やっぱり年の功だ。

三十郎兄ぃも断ってくれて、これでゆっくり話ができる。


話の内容を要約すると、美濃の蝮(斎藤 利政さいとう としまさ)が信長との会談を申し出てきた。

今から準備をすると4月頃になるだろう。

上洛とぶつかってしまう。

斎藤家の窓口は政秀まさひでがやってきたが、このままだと準備を他の者に任せるしかない。

気難しい蝮と交渉できる人材はいない。

忍者を使っての連絡は簡単だが、外交を兼ねた正式な会見になると、途端に誰もいなくなってしまう。

織田家の人材不足は深刻だった。


「承知致しました。上洛は四月中旬、山城殿との会談が終わってからと致しましょう」

かたじけない」

「会談の場所はどうなりますか?」

聖徳寺しょうとくじが適当かと考えておる」


そうなるのか?

何か、不味かったのかと政秀まさひでが聞き直してきたが、中島郡の支援を本格的に考えねばなりませんとか言って誤魔化した。


上洛が春から初夏に変わったことで土産物も変更だと言うと、熱田の商人への根回しが終わっていた。

流石、政秀まさひでだ。

貫録の61歳。

拙い、本気で後継者を育てないとヤバいと思えてきた。

今、政秀まさひでが死ぬようなことがあったら、俺が大変なことになる。

外交は交渉力と人脈がモノを言う。

上洛では見所のある者を多く連れて行こう。

俺が楽をする為だ。

早く、多くの優秀な外交官よ、育ってくれ。


俺は政秀まさひでを門まで見送った。

そして、千代女に声を掛けた。


「なぁ、千代。外から見て、織田の弱点はどこだと思う」

「織田の弱点でございますか?」

「あぁ、織田には攻めるべき弱点がいくつもある。おまえならどこを狙う」

「最大の弱点は若様でございます」

「上洛は拙いな」


領内なら守る術はいくらでもあるが、領外になると手段が限られてくる。

今の俺では自分の身が守れない。


「ですが、本当の弱点に気が付いているかどうかは判りません」

「俺を傀儡くぐつと思っているのであろう」

「はい、若様がいくら優秀であろうと童であることは変わりません。尾張の虎を継いだのは信長様と思われていると存じ上げます」

「兄上(信長)は優秀だったからな。うつけと呼ばれているが、敵国の名だたる武将が兄上(信長)に注目しておる」

「はい、狙うなら信長様かと」

「違うぞ。狙うならば、その兄上(信長)を操っている者を襲う」

「信長様を?」

「不思議なことではないぞ。兄上(信長)とて若い。その足りぬ所を補っておるのが、政秀まさひでだ。父上(故信秀)の片腕であり、蝮から婚礼を取ってきた。朝廷にも代理として赴いている。尾張の虎が亡き今、兄上(信長)を支えているのは、政秀まさひでと思われているに違いない」

政秀まさひで様ですか。なるほど、目からウロコでございます」


千代女らからすれば、政秀まさひでが黒幕でないことを承知している。

しかし、外から見れば、どうだろうか?

俺と兄上(信長)の間を行き来する政秀まさひでが黒幕に見えないだろうか?

隠れ蓑に丁度いい。


「それで本音はどうなのでしょうか?」

「千代に本心は隠せないか」

「本心の底にある真意は覗けていないかもしれません」

「ないぞ、そんなものは」


はっきり言おう。

政秀まさひでがいなくなると、表の外交の仕事が俺に回ってくる。

滅茶苦茶に忙しくなる。

絶対に嫌だ。

三十郎兄ぃやお市らに囲まれて馬鹿騒ぎしながら引き篭もりたい。

俺は合法ニートがしたいのだ。


「と言う訳で、政秀まさひでを死なせるな。襲ってくるぞ」

「畏まりました。護衛は滝川様にお願いし、手の者を回りに忍ばせておきます」

「よろしく頼む。俺は千代が頼りだ」


そう言うと、千代も満更でない顔をしてくれた。

お世辞じゃないよ、本心だ。

各種警備の人員の配置も雇用もお任せだ。

同じく、お祝い・お供えなど管理なんてやっていられるか。

マニュアルだけ作って全部委託だ。

護衛も忍者の管理も千代に任せている。

俺の秘書は優秀なんだ。

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