第10話 それぞれの正月(1)。

正月の参賀に出る時はぶすっとした顔で城から出ていった信長が晴れやかに清々しいほどの上機嫌で帰ってきた。

どんな怖い顔をして帰ってくるかと身構えていた一同、出迎えた帰蝶もにっこりとしてしまう。

やはり笑っているお姿が素敵だ。

信長様はお茶目で、悪戯好きで人を笑わそうとする。

それは帰蝶を気遣っているのか、からかっているのか、帰蝶自身もよく判らない。

ただ、悪気はないのは判る。

帰蝶が怒ったり、泣いたりすると、申し訳なさそうに顔を覗き込んでくる。

他家に嫁いできた人質のような帰蝶を気遣っているのかもしれない。

その仕草が可愛いお方と思ってしまう。

ただ、それを口にすると旋毛つむじを曲げてしまわれるので決して言えない。

無事に帰ってきたことに帰蝶はほっとした。


「おかえりなさいませ」

「今、帰った」

「行くときは拗ねておられたのに、気分が良さそうですね」

「中々に痛快な見世物を見せて貰った」

「それはよろしゅうございました」

「聞きたくないのか?」

「もちろん、お話し頂けると承知しております」


そうか、そうかと信長は参賀の出来事を話してくれた。

小物と高をくくった魯坊丸ろぼうまるに言いくるめられて、信勝が大恥をかいた。

その姿が絵に描いたように浮かんでくる。

信長は迂闊過ぎる信勝を心の底から笑った。


「朝廷から名指しされる者を稚児と侮った信勝が悪い」

「ふふふ、本当にそうでございます」

「皆、あの幼い容姿に騙されるのだ。あれは詐欺だ」

「ホンに可愛らしいお方ですから」

「儂よりもか?」

「あらぁ、信長様を可愛らしいと呼んで喜んで頂けますか?」

「ぬかせ」


魯坊丸ろぼうまるは母親似の綺麗な顔立ちで、母親の幼い頃に瓜二つだと言われている。

綺麗な着物を着せれば、女子と見間違うほど整っている。

でも、中身が違い過ぎた。

尾張の虎と恐れられた大殿(信秀)とタメを張る胆力の持ち主だ。

ただ、見るだけならば、これからが楽しみな童だと思えた。


「それより悪童あくとうが言っていた。儂に便宜を図っていないというのは本当なのか?」

「本当でございます。ただ、正確ではございません」

「濃は何を知っておる」

「たとえば、我が父が考えたとされている『蝮土』ですが、実のところは魯坊丸ろぼうまるが考えたものです」

「あぁ、知っておる」

「ですが、春に肥料が使われる毎に使用料とか申して、尾張の各所よりわたくしの化粧代が届けられます」

のうに掛かる化粧代が帳簿に出てこない訳か」

「その通りです。化粧代には多く、色々と重宝しております」

「なるほど、それが側女の正体か」


帰蝶には抱える忍者や小間使いが多くいた。

もちろん、それが斎藤家から送られてきた者でないことを信長も承知している。

信長や長門守も便利使いさせて貰っているからだ。


「他にも酒蔵や那古野の城下町の土地代を払っております。これは税でございませんので、末森に納める必要もございません」

「末森と違うのか?」

「商人から土地代を払いたいと頼むことはございません。また、土地代を払ってまで店を構えようと思いません」

「何故、城主のわしより、のうが詳しいのだ」

「帳簿を扱える者が足りないとのことで、大殿(故信秀)より暇なら役方やくかたの手伝いをせよと仰せつかりました」

「長門、濃が何を手伝っておるのか?」

「申し訳ございません。人手が足らず、目付めつけ奉行ぶぎょう方の手伝いをして貰っております」

「相判った。濃を役方代やくかただいに命ずる。目付の総指揮をするがよい」

「ありがとうござます」


役方やくかたは庶務、監察、政務、行財政、賄い方などの裏方を取り仕切る総称であって役職ではなかった。

この瞬間、信長が新しい役職を作ったのだ。

それは内政を帰蝶に任せるという信長の信頼の証と思えた。

帰蝶が柔らかに微笑むと、信長は照れたように顔を背けて話を強引に戻した。


「那古野と末森ではどう違うのだ!」


ふふふ、帰蝶は笑みを零しながら、信長の期待に応えるように説明する。

那古野や勝幡のみで実施されているのは所得税という奇妙な制度だった。

(所得税:儲けた額に応じて、一定額の税を納める)

判り易く言えば、商人が毎月毎月売った額に応じて、一定の税を納めるものだ。

代わりに矢銭や特定税(油税など)や関税が免除される。

城主や寺などは関税を廃した代わりに、税から一定の分配金が貰える。

今の所、関所に人を配置せずに金が入ってくるので喜ばれていた。

あの強欲な寺を納得させたと帰蝶も驚いた。

大殿(故信秀)曰く、酒と銭で釣ったらしい。

関税より減ったら、熱田商人が損金はもちろん、十斗樽を100樽献上すると賭けたらしい。

見事だ。


一方、末森の商人らは昔ながらの関税を払い、特定税(油税など)を払い、矢銭やせんを要求されている。

熱田・津島の商人のみ免除されていた。


「末森は矢銭を貰っているのか」

「はい、取っております」

「確かに矢銭は旨みがあるのぉ」

「お止め下さい。月ごとの税を取る方が額は大きくなります」

「そうなのか?」

「月で比べると少なく感じますが、一年とすると馬鹿になりません。さらに那古野が大きくなるに付け、その額が太ってゆきます。矢銭は目の前の小銭です」

「矢銭が小銭だと」

「大殿(故信秀)が亡くなる2年ほど前に言っておられました。はじめて戦から解放されたと。思えば、銭を得る為に戦をし、戦をする為に銭を借りたと。それは我が父上も同じでございます」

舅殿しゅうとどの斎藤 利政さいとう としまさ)が」

「はい、父上は『蝮土』で西美濃衆を掌握し、木の売買で東美濃を納得させました。白石を織田に売ることで銭も入ります。美濃は戦好きが多いので戦を止められないようですが、互いに食い合うような戦から解放されました」

舅殿しゅうとどのは大したものだ。だが、父上(信秀)は安城を失った」

「あれは油断したと後悔されておりました。ただ、いつでも取り戻せると言っておられました」

「儂に言わんと、何故、帰蝶に話しておる」

「ふふふ、どうしてでしょう?」


矢銭とは、安堵状などを発行し、町の無事を保障する代わりに銭を頂く不定期な臨時徴収だ。確かに堺なら二万貫、石山本願寺なら五千貫、法隆寺で千貫くらいの矢銭で徴収できるかもしれない。

しかし、それが度々となれば、叛旗を翻すことになる。


那古野の税がどれだけ先進的か、利発な信長も気付いていなかった。

もちろん、帰蝶もそれは同じであった。

ただ、大殿(故信秀)が言い残したこと、商人と接して感じたこと、帰蝶はこのままの方が良いと思えた。


「末森を守る兵の俸禄は熱田・津島から送られる税を当てているそうです」

「土地なしの武将と足軽の分か」

「はい、そうなります」

「それは、この那古野も一緒だな」

「はい」


毎月振り込まれてくる税が頼りだ。

米の収穫で兵糧を蓄え、余剰で武具の手入れや城の補修に使っている。

巧く回っているのだ。

そこで魯坊丸ろぼうまるを怒らせて、土台からやり直すとなると大変なことになる。

まだ、魯坊丸ろぼうまるが持つ中小姓衆がいないと、商人から出される帳簿が正しいかどうか、検証できない。

帰蝶もその中小姓から教わりながら手伝っていた。

6年前から始まったという神学館から輩出される中小姓は、読み書きそろばん、論語、兵法書はもちろん、帳簿などの経理もできる者たちだ。

元々は商人の子、農家の子、河原者の子だそうだ。

身分的に出世はあり得ないが、那古野、勝幡、末森を支える中核になりつつある。

あの可愛らしい顔に騙されそうになる。

狸顔の商人よりズル賢く、利を諭して味方を増やしている。


「親父(信秀)も巧いことを考えたものだ」

「はい、清酒、石鹸、椎茸など、莫大な銭を生むものがあったからでしょう」

「ということは、また彼奴か」


上機嫌だった信長が不満そうに寝転がった。


「殿、久しぶりにどうですか」


近習の藤八が練習用の槍を持って来て、声を掛けた。


「やるか」


その声に信長が応える。

嫌なことを思い出したときは汗を流すのが一番のようだ。

帰蝶が少し困り顔で見送った。

正月の参賀は末森に行って終わりではない。

むしろ、これからが本番だ。

那古野傘下の武将達が那古野に集まって来て、あいさつを交わし、その後の宴会が待っている。

下戸の信長には辛いかもしれないが、家臣と腹を割って話す機会であった。


幸い、あの魯坊丸ろぼうまるは昼から熱田神社の神事が待っており、那古野に来ることはない。

帰蝶は思わず、笑みを零した。


「帰蝶様、どうかしましたか?」

「いいえ、信長様は魯坊丸ろぼうまるが苦手のようですが、魯坊丸ろぼうまるも信長様が苦手そうですもの」

「確かに、そんな感じがします」

「毎日、ぐうたらしたいと本気で言っているのも驚きですが、今日も明日も明後日も日が沈むまで神事が詰まっているそうです」

「それはお可哀想なことですな」

「信長様も今日も明日も明後日も来客で忙しいでしょう」

「あぁ、そうなると機嫌がよろしくなさそうですな」

「でも、知っています。魯坊丸ろぼうまるは城に帰っても子守りが残っているそうですよ」

「子守りですか?」


お市たちが中根南城に向かう途中で那古野城にあいさつに来た。

忙しい末森を離れ、しばらく中根南城で過ごすらしい。

遊び道具が沢山あって楽しいそうだ。

魯坊丸ろぼうまるはお市たちを憎く思っていないであろうが、沢山で押しかけることを喜ぶのだろうかと思うと本気で嫌がっている顔が浮かんできた。

ふふふ、思い出すともう笑いが止まらなかった。

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