第9話 正月参賀。

天文22年(1553年)正月、末森城に信長は新春のあいさつに訪れた。

末森城より東が信勝、西が信長という暗黙の了解が生まれ、信勝に信長があいさつをする。

はじめて格式が確定した。

信勝が満面の笑みを漏らし、信長は引き攣った笑みを零しながら拳を強く握り絞めた。

勝った。

信勝がそう実感できる最高の瞬間であった。

ただ、思い描いたのはここまでだ。

家臣らも信勝にあいさつをするが、信長にもあいさつを忘れない。

信長にも信勝と同様に丁寧に振る舞っている。

朝廷より尾張守を頂くことが決まった効果は絶大なようで信勝の左に座っていながら、対等のように思えてきた。

信勝は爪を噛みながら、信長にあいさつをする家臣を眺めた。


それとは対照的に佐渡守(林 秀貞はやし ひでさだ)などは涙を流して喜んでいた。

大殿(信秀)と作ってきた織田弾正家が1つになったのだ。

最近の信長は昔のように『爺ぃ』と呼んで頼ってくるようになった。

朝廷の御威光も目出度い。

一心不乱いっしんふらんで尾張下四郡を統一するだけと誓っていた。

これは信勝からすれば、裏切りに思えた。


 ◇◇◇


『中根越中守御一同』


一斉にわぁっと湧いた。

信勝兄ぃを不愉快にするもう一人の主役の登場だ。

つまり、俺だ。

中根南城主、中根 忠良なかね ただよしを先頭に、義兄(忠貞たださだ)、そして、俺の順に入ってくる。

視線が痛い。

織田三兄弟として有名になったものだ。

嫌々ぁ、俺は10男だって!

他の兄弟がいないことにされているよ。


信広兄ぃが影も薄く、大広間の前の隅に座っている。

織田の長男でありながら庶子なので家督から外れ、不運な人生を歩いていたが、腐ることもなく、活躍して三河の最重要拠点である安祥城城主を務めるまでになった。

しかし、今川の太原 雪斎たいげん せっさいに安祥城を落とされ、竹千代(後の徳川家康)との人質交換で帰された。

合わせる顔がないという状況であった。

今は丹羽長政にわながまさ(長秀の父)の屋敷で世話になっており、肩身が狭いのか、6尺6寸(2m)もある大男が猫のように小さくなっている。

信広兄ぃは他家に出された俺のことを気に掛けてくれるいい兄だった?

わぁ、声が掛け辛い。

今日は信広兄ぃは恨めしそうな顔で俺をじっと見ている。

前に会った時と別人だ。

あの時は人質交換前だったからな。

安祥城城主という立派な立場から、部屋住みに浪人に落ちぶれた。

俺は官位を貰うことになった身だ。

無官の信広兄ぃより偉くなり、立場が逆転してしまった。


下手に声を掛けるとプライドを傷つけそうで怖い。


などと思っている間に信勝兄ぃの前まで来てしまった。

背筋を伸ばし直し、楽座を組むと顔を見上げてから信勝兄ぃに深く頭を下げた。

養父、義兄と三人同時だ。

二人のあいさつを待ってから俺は口を開いた。


「お初にお目に掛かります。魯坊丸ろぼうまるでございます」

「話は聞いている。何故、もっと早く来なかった」

「呼ばれもせずに、のこのこと出掛ける馬鹿はおりません」

「那古野にせっせと金を落としておるそうだな!」

「何かのご冗談ですか? 那古野と同じく、末森にも税は納めております」


何か齟齬があったのか、側近の津々木 蔵人つづき くらんどと話が違うと囁いている。

家老達も寄って来て、間違いなく税を納めていることを確認した。

信勝兄ぃは税の2割が末森に入っていたのを知らなかったのか?

税と矢銭の違いも知らない?

滞っていたのは兄上(信長)が信勝兄ぃの家督を認めていない間だけだ。


「おまえは信長の為にあれこれと画策していると聞く」

「それも誤解でございます。朝廷より頂くことになった三河守は大殿(信秀)が持たれていた官位でございます。尾張守を信勝様、三河守を信長兄上にすれば、弾正家の家督は信長兄上の物と思われます。その方がよろしかったのでしょうか?」

「だが、尾張守護代を信長にすると雀が囁いていったぞ」

「私が望んだ訳ではありません。また、決まってもおりません。公方様が勝手に尾張守信長兄上に尾張、三河守信勝様に三河を治めて、公方様を助けて欲しいと願っているのではないでしょうか。信勝様の官位が三河守ですから、そう望まれるのも当然ではありませんか!」

「お前が望んだと聞いておる」

「それは誰ですか? 私はそのようなことを一度も言ったことはございません。先日来られた中納言(飛鳥井 雅春あすかい まさはる)様でございますか、もしそうなら苦情の手紙をすぐにしたためます。しかし、在らぬことで苦情を起こしたとなると、それ相応の問題となりますがよろしいのですね」


おぉ、津々木 蔵人つづき くらんどが焦って信勝兄ぃを止めている。

横で見ている兄上(信長)がにやにやと楽しそうだ。

うん、蔵人くらんど君、君の推測は正解だ。

でも、証拠はない。

どう探そうと俺自身の口から言ったことはない。

噂は商人達が自主的に言っている。

実際、それが商人の願望だ。

商人の声が宮様に伝わり、公方様に届いたとしても俺が関与した訳ではない。

那古野弥五郎を通じて斯波 義統しば よしむねの警護にくノ一を10人ほど送り、女中として囁かせている。

これも女中が言ったことで俺が言った訳ではない。

女中を斡旋したのも兄上(信長)でなければ、俺でもない。

斯波家側近の(那古野)弥五郎の独断だ。

俸禄は兄上(信長)が毎月のように献上している献上品の中から払われているが、最近はその一部が横領されている。

安い俸禄でもくノ一らは文句も言わず、健気に義統よしむね様に仕えて、信頼を厚くしている。

俺が仕掛けたという証拠もないし、俺が頼んで言って貰ったなど判るハズもない。


駄目だと悟って話を変えるらしい。


「武衛屋敷の改修はどうじゃ! これならば、言い逃れできまい」

「那古野の仕事でございます。食べる物を節約し、守護様に忠義を果たしているのは信長兄上でございます。熱田は宮大工を派遣したのみ、お代は頂きますので、優遇している訳ではございません」


信勝がぐっと引き、蔵人くらんど君が慌てて囁いている。

蔵人くらんど君との知恵比べか、いいでしょう。

どんとこい、受けて立つよ。


「那古野にそれほどの銭があるのがおかしいだろう。末森より何故、多くの銭があるのか?」

「勘違いしないで頂きたい。銭がいるならいくらでもお貸し致しましょう。信勝様が望むならば、熱田・津島にある銭をすべてお貸ししますぞ。もちろん、その価値に応じて、抵当は頂きます」

「儂から抵当を取ると申すのか!」

「大殿(信秀)からも頂いておりました。信長兄上からも頂いております。当然、信勝様からも頂きます。武衛屋敷の改修費の代金も頂きますので問題はありません」


京の武衛屋敷を公方様の屋敷より豪華に改修させており、それを見た公家衆が義統に上洛して歌会やお茶会を披露して欲しいと手紙を送ってきている。

兄上(信長)が斯波 義統しば よしむねに貢献している。

それ以上の貢献を蔵人くらんど君ががんばればいいのだ。


「熱田から大量の銭が運ばれたのも承知している。それでも言い訳をするか!」

「何か誤解をされているかもしれませんが、信長兄上に銭を貢いだことは一度もございません。貸してくれと言われれば、お届け致します。先ほども言いましたが、信勝様も銭が必要なときはいつでもお申し付け下さい。適正な金利で貸し付けさせて頂きます」

「御前は何様のつもりだ」

「信勝様の家臣でございますが、この童が銭を持っている訳がございません。商人に口添えするのみです。商人が銭を貸しつけるのは当然でございます」

「ふん、商人がそれほど偉いか?」

「偉くはございませんが、槍、矢、刀、塩、醤油、味噌、肥料などあらゆるものが入って来なくなります。それで織田はやってゆけますか?」

「ははは、本当だぞ! 那古野の財政は火の車だ。残った税で家臣の俸禄に与えると、儂のこづかいも残っておらん」


何が楽しいのか、兄上(信長)が信勝をからかった。

家老の一人、加藤勘三郎信祥もやってきて嗜める。

他の家老もやってきた。

末森の家老には何かと便宜を図ってきたからね!


勘三郎の高針城の財政は少し持ち直してきた。

借財に困り、同じ加藤を頼り、俺に相談に来た。

俺は財政の立て直しに水田と裏作を推奨し、芋など副作物を増やし、手仕事も斡旋した。

ただ、水田を闇雲に推奨する訳にいかない。

水田を増やすと、水問題が発生する。

高針城の周りには貯め池が多いので推奨したが、他はそういう訳にいかない。

肥料だけ我慢して貰い、茶の栽培を進め、桑の葉で蚕なども勧めている。

ケースバイケース、現地視察して決めないといけないので面倒臭い。

ここで助けてくれないと奉仕の甲斐がない。


末森の家老方々は俺に好意的だった。

家老達が俺を庇うと、信勝が何か嫌な顔をする。

解せん?

末森の領地が豊かになっているのに、何故、俺を睨む。

感謝されても恨まれる覚えはないぞ。

兄上(信長)が余計な仕事を作るから大変な上に、末森の家臣の相談に乗っている。

俺の苦労を判ってくれよ。


「よう判った。随分と家老らを誑し込んでいるみたいだな」

「誑し込むなど人聞きが悪い。もし、お嫌でしたら、信勝様の命で私に相談を禁じて頂くとありがたいと思います」


仕事を減らしてくれ!

減らしてくれたら、信勝兄ぃにも便宜を図るぞ。

少しだけ本気でそう思った。

でも、言ってくれそうもない。

信勝の顔が際立ち、兄上(信長)が腹を抱えて笑うのを我慢していた。

はぁ、溜息が出る。

俺はもう帰りたいよ。


 ◇◇◇


参賀が終わり、皆が一度退出していった。

信勝は床をドンドンと叩いた。

まさか、7歳の年端もいかない弟に抵抗されるとは思いもしなかった。

同じ歳の弟たちは恫喝すれば、身を縮める。

大声を上げれば逃げ出す。

逃げ遅れた者は失禁することもあった。


女子おなごのような顔をして、お市の方が可愛げがあった。

お市なら逃げ出して、去り際に『あっかんべ』をして去ってゆく。

腹は立つが、負けた気などしない。

まさか、まさか、論破されるとは思っていなかった。

皆の前で恥をかかされた。

糞ぉ、手当り次第の物を投げつけて発散する。


「何故、儂に逆らう。儂を誰だと思っておるのか?」

「信勝様、お気をお鎮め下さい」

蔵人くらんど、織田で一番偉いのは誰だ!」

「信勝様でございます」

「尾張を治めているのは誰か?」

「信勝様でございます」

「では、何故、儂に逆らう」

「それは信長を信奉しているに違いありません」


また、兄上か!

一年早く生まれただけで、すべてを奪っていった信長に敵対心を抱いていた。

信長が憎かった。

だから、がんばって棟梁としての資質を磨いてきた。

そして、遂に家督を手に入れた。

それなのに!


「信勝様、お任せ下さい。あの小童の肝を冷やしてご覧に入れます」


蔵人くらんどの目が怪しく光っていた。


「よし、任せたぞ」

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