3.

 カラピンチャの鉢植えは花隈駅で預かってくれていた。十三時を過ぎると梅田の忘れ物センターに送られてしまうらしく、早起きして正解だったなと涙人は思った。

 書類に記名し、駅員さんに頭を下げ、ようやく受け取った鉢植えを抱えた涙人は一旦家路に着くことにした。

 始業までには十分に時間があるし、帰宅すれば鉢植えの置き場所を決め、水をあげるぐらいはできそうだ。

 新開地方面の普通に乗り、車内でカラピンチャを眺めながら考える。

 自分は何者なのかという長年の疑問に、昨夜の一件で、自分はどうして妖魅なのかという問いが新たに付帯された。

 ただ、疑問を解消する方法を涙人は知っていた。

 それはずっとずっと昔から思いついている方法だった。

 直接祖父に聞くことだ。

 早くに父母を亡くし、祖父母に育てられた涙人は父の顔も母の顔も知らない。これまで涙人はそのことについて一切尋ねることはしてこなかった。その質問は育ての親である祖父母に対し何だか悪いような気がしてどうしても聞くことができなかったからだ。

 新開地で下車し、山陽電車に乗り換える。板宿まではまだ四駅ほどある。通勤客と逆方向なので乗客はほとんどおらず、鉢植えを持った学生が目立つこともない。

 十分足らずで板宿駅に到着する。地下階の改札を抜け、地上に出てから西向きに橋を渡る。

 この辺りは古くからの住宅街で、涙人の家は勝福寺という小さな寺の側にある。

 千年以上も昔に建立されたという勝福寺には鬼退治の伝説があるらしいが、涙人は詳しいことはよく知らない。祖父から聞いたような気もするがうろ覚えだ。

 駅から八分ほど歩き、ようやく家の前まで辿り着く。

 古い木造の一軒家。軒先にはいくつもの鉢が並んでいる。祖父も植物を育てるのが好きな人で、離宮家は緑を絶やしたことはない。

 十二月に入り寒い日が続くようになったが、いくつかの草花は立派に花を咲かせている。

 ヒメツルソバの桃色の小さな花がまだその華やかさを保っている横で、トキワサンザシが真っ赤な実をたわわに付けている。

 別名の長命菊の名の通りヒナギクも元気に咲いている。白と黄色のコントラストが可憐で微笑ましい。

 千日の紅と書くセンニチコウが、その名に反して紫に近い色の花弁を丸く形成している。

 他にもシバザクラ、イヌホオヅキ、ツワブキもそれぞれに咲き誇っているし、リュウノヒゲは鉢からはみ出すほどに生い茂っており、その隆盛を謳歌している。

 ツバキ科のサザンカとボタン科のシャクヤクが、互いにぽってりと有美に花を咲かせ競い合うその脇で、ルリマツリが小さな群生を形成していて、寒空の下でも植物が図太く生き残ってゆく様を涙人にまざまざと見せつけてくれている。

 どれもがありふれていて平凡な花ではあるのだが、祖父の手入れのもとで思い思いに息づいているのが何とも頼もしく、涙人はいつまでも眺めていられるのだ。

 そんな玄関先で、今年で七十八歳になる祖父、離宮仙吉がキダチアロエに水をあげているのが見えた。

 キダチアロエは真冬に花をつける種で、葉腋から花序を伸ばし、もうしぐ花の咲きそうな気配を纏っている。そろそろ水断ちらしく、祖父は傾けた如雨露をすぐに戻し、土を湿らす程度で切り上げる。

 祖父の背中は僅かだが円背してきており、昔は大きく感じたはずのその姿は今では少し小さく感じられた。長らく続けてきた造園業も定年で引退し、こうして庭先の草花の世話をするのが日課になっていた。

「た、ただいま」

 意を決して涙人言った。

「……おかえり」

 振り返って祖父は言った。それは怒るでも落胆するでもなく静かな声だった。

「昨日は何処へ行っていたんだい?」

「あ、えっと、その、凱斗くんの家に泊まってたよ」

「連絡ぐらい寄越しなさい。これでも親代わりだ」

「ごめんなさい……」

 それ以上、言葉が出なかった。

 祖父母に育ててもらっていることに、どこかで気を使いながら生活している自分がいる。そして祖父も両親のいない自分に対し、遠慮がちというか、微妙な距離感で接しているように思えてならなかった。

「柑橘系だね」

 涙人の抱えた鉢を見て、祖父が呟くように言った。

「はい、カレーリーフと言います」

「ローリエみたいに使うわけか」

「そうです」

 長年培ってきた経験と知識で、カラピンチャの性質と用途を初見で見破る。

「その子は日当たりの良い暖かい所が好きそうだ」

 これまたズバリだ。

「はい、東南アジア原産なので恐らくそうだと思います」

 祖父はキダチアロエの鉢を横にずらしてスペースを作ると、そこにカレーリーフの鉢を置くよう指示した。そこは庭先で一番日当たりの良い特等席だった。

 涙人が鉢を置くと、祖父が如雨露で根元に水をやり、霧吹きで葉に水を吹いた。するとカラピンチャから嬉しいと声が聞こえてきた。どうやら新しい居場所を気に入ってくれたようだった。

 風にかすかにそよぐカラピンチャを見ながら、左目の下にある痣を指で拭った。

「学校、間に合うのかい?」

「大丈夫です」

「今日は早く帰るといい。あれが心配する」

 祖父の言うあれとは祖母のことだ。祖母は祖父よりも二つ下だが、最近は膝を悪くし、台所に立つのも少し辛そうな様子だ。弁当作りは中学卒業を機に涙人の方から断りを入れている。

「はい、昨日はごめんなさい」

 二人に心配をかけるのは本意ではない。涙人はもう一度謝ると、それ以上は喉がぐっと詰まってしまい、何も言えなくなってしまった。

 本当は聞きたいことが沢山ある。

 父のこと。母のこと。この家に引き取られた本当の理由。そして――僕は一体何者なのですか? と。

 何も聞けないまま、涙人は部屋で必要な教科の用意だけ済ませ板宿駅へと引き返した。



 

 

 

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