2.
翌朝。
部屋のコールで呼ばれ、凱斗がバーに顔を出すと良い匂いがした。
パンの焼ける匂いだった。
「おはよーにゃん♪」
ミカが朝日のように眩しい笑顔で迎えてくれた。今日は神戸屋の店員さながらブルーのスカートにブルーのチェックのエプロンが合わせてある。ツンと上を向いた耳が可愛らしい。もふもふ尻尾がスカートの裾から少しだけ顔を出していて、機嫌良さそうにふりふりと動いていた。
四人がけのテーブルにはトーストとスクランブルエッグ、サラダが並んでいて、その一席には、赤縁眼鏡に白衣姿の穂積がもうすでに着席している。
凱斗は女医と
「育ち盛りなんだからいっぱい食べてにゃん♪」
タイミングよく腹が鳴る。その言葉に甘えることにして、凱斗はいただきますと手をを合わせてから、まずはトーストに齧り付いた。溶けたバターの旨味に思わず声が出てしまう。
続いてサラダに手をつける。レタス、トマト、その上に炒めたキノコが乗せてある。仕上げにかけられたオリーブオイルが香り良く、これまた凱斗の舌を満足させてくれる。
「味覚、変わったろ?」
珈琲を片手に針谷がカウンターから凱斗に問いかけた。
言われて少し戸惑う。
針谷の言う通りだった。バターもオリーブオイルもそんなに好きじゃなかったはずなのに、何故か今日はとても美味しく感じられる。
「古籠火の特性でな、恐らく毎日そうやって油を摂らないといけない身体になっちまってるんだ」
唐突に言われ呆然とする凱斗の前に、珈琲カップを置きながらミカは言った。
「まあでも油だったら簡単にゃんね」
味覚の変化に動揺してしまったが、確かにミカの言う通りだった。油を摂るぐらいなら安価だし何処にでもあるし何ということはない。コロッケでも買って食べればいいだけの話だ。
続いて羽花がやってきた。
凱斗の隣に着座し、ミカに問われ紅茶を選択する。
羽花は起きてシャワーを浴びながら、両親への言い訳をひたすら考えていた。
終電を逃して友人と朝までカラオケボックスにいました。あまりに楽しくて家への連絡を忘れてしまいました。ごめんなさいごめんなさい。もう二度としません。
これで押し通すしかないというのが羽花の結論だった。友人の連絡先を聞かれても、涙人と凱斗なら両親もよく知っているし、口裏も合わせてくれるはずだ。
そんなことを思いながらパンを千切って口に放り込み、紅茶をストレートのまま味わう。茶葉はアッサムだとすぐに分かった。それならやはりミルクは欠かせないなと、ミルクのピッチャーに手を伸ばす。コーヒーフレッシュではなくミルクというのが嬉しい。
手にしたミルクを紅茶に注ぎながら、ふと気がついて羽花は尋ねた。
「……あれ? 涙人は?」
「花隈駅に鉢植えを取りに行くと言って早々に出ていったよ」
針谷の答えに、こんな時まで植物かよ、と凱斗は思わず毒づいた。
涙人はいい奴だし話していて楽しいのだが、すぐに泣くところと女みたいに植物を可愛がるところは自分とは相容れないなといつも思っていた。それは凱斗には理解しがたい要素だった。
「昨日はお疲れ様」
穂積にそう言われ、凱斗は小さく、いえ、とだけ答える。
「短時間であれだけ妖術を操れるなんてね。大したものだわ。出来る子ね」
少しムッとした表情で、凱斗は火種を呼び出した。掌を上に向け、小さな火種を三十センチほどの火柱へと成長させる。
「子供扱いも上から物言われるのも、あんまり好きじゃないんだ」
凱斗の態度に穂積は軽く微笑み、紅茶のカップをソーサーに戻した。
「気に障ったなら謝るわ。ごめんなさい」
凱斗は指を鳴らして瞬時に火柱を消し去った。生み出す炎を完璧に支配下に置いていた。
後ろでホッと胸を撫で下ろしているミカに、針谷が何事もなかったかのように珈琲のお代わりを注文した。
凱斗は自分の取った衝動的な行動に、内心困惑していた。あんな小さなことでイライラすることなんてなかったのに……。これも古籠火とやらの作用なのだろうか。
カウンターの向こうの置き時計がボーンボーンと七回鳴った。
それを聞いて、もう七時になったのかと凱斗は慌てた。
トーストとサラダを素早く平らげ、スクランブルエッグをあっという間に掻き込むと、ご馳走様でしたと言い残して退席する。あまり悠長にしていると朝練に間に合わなくなってしまう。
「学生さんも忙しいにゃんねえ」
続けてソーセージ炒めとコンソメスープを出すつもりだったミカが言った。残念そうに猫耳がくたりと垂れる。
「君も学校かい?」
「いえ、今日は学校には行きません」
針谷の問いに羽花は即答した。
その目には強い覚悟が感じられた。
骸露を吸収したのは羽花の方が先だった。それなのに覚醒したのは凱斗の方が遥かに早かった。
朝からそれを目の当たりにし、羽花は
「……私は、私はどうしたら凱斗みたいになれますか?」
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