2.

 猫耳娘に手を引かれるがままに、凱斗はエレベーターに乗った。スカートの裾から見える尻尾がまるで本物のようにひょこひょこと動いている。

 何だよ妖魅って……。

 真面目な顔で説明されたところで信じろという方が無理な話だと凱斗は思ったが、ミカの尻尾のリアルさに猜疑心が消えていく奇妙な感覚を味わう。

 ミカはそんな凱斗に気づくこともなく、B3と書かれた――本来あるはずのない――ボタンを押した。

 エレベーターが動き出し、降下してすぐに停止する。

 地下三階。降りて正面にある金属製のやけに物々しいドアを押し開ける。

 そこは射撃場のように凱斗には映った。

 コンクリート打ちっぱなしの広い空間には、射撃ブースらしきスペースが横並びで五つ。その向こうには映画やドラマで見覚えのある人間の上半身を模したターゲットが並んでいる。

「ここの構造って……」

 どうなってんだよ? 憮然とした表情のまま、後半の台詞を凱斗は胸中に収める。

「ほらほら、早くブースに入るにゃん♪」

 ミカに背中を押され、気の進まないままにブースに足を踏み入れる。

 渋々ながら前方を見る。件のターゲットまでは約二〇メートルと言ったところか。マウンドからホームベースまでが一八.四四メートルで、それより少し遠いことから凱斗はそう推察した。

「さ、やってみるにゃん?」

「やるって、何を?」

「あ、そっか。まだ妖術の使い方とか知らないにゃんね」

「妖術?」

「ころうかの骸露を取り入れて火柱も出せちゃったから、てっきり出来ちゃうもんにゃと思ったにゃん」

「つーかさ……その『ころうか』っての何なんだよ?」

 凱斗は吐き捨てるようにそう言った。ミカとの会話のキャッチボールの酷さにイライラが態度に出てしまう。

 針谷も先程バーで口にしていた『ころうか』について、凱斗は聞いたことがなかった。無論、意味も分からなければ皆目検討もつかない。

「『古籠火ころうか』は妖魅の名よ。古い籠の火って書くわ」

 背後から声がした。

 穂積だった。

 スレンダーな女医は、赤い眼鏡を人差し指で押し上げてから言葉を続ける。

「古い石灯籠に勝手に火が灯ると噂になり、噂が流れるうちに妖怪の仕業ということになり、そのうちに妖魅として生命を持つことになった。……古籠火のいわれは差し詰めこんなとこかしらね」

 あくまで推測だけど、と穂積は付け足す。

 人の想いから生まれる生命。

 信じがたい理屈だが、全否定すると自分の指先から放たれた火柱について説明がつかなくなってしまう。

「そして妖魅には大きく分けると妖力と妖術という二つの能力があるの」

 妖力と妖術。凱斗には正直どちらも同じに聞こえた。一体何がどう違うというのか。

「妖術は呪文みたいなものね。手順を踏むことで発動するものを指すの。一方の妖力、これは常時発動している妖魅特有の力のことよ」

 例えば、と言って穂積は人差し指を立てた。

「幽霊、っていうのは身体的特徴として『実態がない』し『半透明』だったりするわよね。一反木綿だったら『飛行』できるとか。こういった常態的に発揮されている能力を"妖力"と呼ぶの」

 立てていた指で赤い縁の眼鏡を押し上げ穂積は続ける。

「それとは別に、狸が『化ける』だとか、セイレーンがその歌声で『魅了』するだとか、雷神が『雷撃』を放ったりとか。能力を発動するためにプロセスや集中などの作業が必要なものを総称して"妖術"と呼んでいるの。さっき貴方が出した火柱も妖術に分類されるわ」

 凱斗は自分の手を見る。指先から燃え上がった炎の柱のことを思い出す。確かに燃えろと念じた途端に起こった出来事だった。

「貴方の場合、古籠火の骸露を取り入れたことで火に関する妖術を扱えるようになっているってわけ。炎の妖術は推し並べて強力な物が多いから、ここで扱い方を学んでおくと後々役に立つわ」

 断定し、さあやってみてとばかりに穂積は顎を動かした。だが促されたところで凱斗は妖術を発動させる手段を理解していない。

「指先に意識を集中させて、点けって言ってみるときっと火が出るにゃん」

 ミカがそう言って、耳をピンと立てて微笑む。

 二人の女性を交互に見やり、まったく雑な説明だなあと思いながらも凱斗は言われた通りにやってみることにする。

「……点け」

 すると先程同様に右手の人差し指に小さな火種が灯った。小さな火だが、吸い込まれるような鮮やかな赤を纏っており、火種の内側に今にも爆発しそうなエネルギーを宿していることを如実に表していた。

「そのまま指を前に出して、銃を撃つ要領で撃ってみて」

 穂積の言葉に、凱斗は右腕を床と水平にかまえた。左手で支え、指先をターゲットに向ける。まるで古いアニメの主人公にでもされたような気分で少し照れくさい。

 それでもイメージする。

 イメージの中で引き金を引く。

 するとそれに呼応して指先に灯る火の玉がより鮮やかに燃え上がり、シュボっと音を立てて射出された。反動で両腕が跳ね上がる。

 だが、全てを制御できたとは言い難かった。

 火の玉はターゲットを大きく右上に外れ、奥のコンクリート壁を軽く焦がした。

「すっごいにゃん! さっき取り入れたばっかなのにもう操れるとか天才にゃん!」

 ミカがそうやってはしゃいで手を叩く横で、凱斗は憮然とした表情のまま指先を見つめる。

 確かに手順は問題なかった。だがそのコントロールは絶望的で、まったくもって的外れなところに着弾したことに凱斗は不満があった。

「……もう一回だ」

 再び構え、火の玉を発動させる。

 集中し、放つ。

 先程右上に外れたことを考慮し、左下を狙ってみたが、今度は下過ぎてターゲットに届く前に床で跳弾してしまう。

「くっそ」

 あからさまに悔しがる凱斗。

 生まれてこの方、銃など撃ったことがない。

 さらに二度三度と繰り返すが、火の玉がターゲットを掠めることはあっても綺麗に命中する気配はない。

 凱斗は考える。この方法ではコントロールに難があるのは確かで、そこにギャップがあり憤りがあった。

 三塁手として守備につく上で、一塁までの遠投でこんなにコントロールに苦しんだことはない。遊撃手としてもポジショニングや反応の部分での拙さはあっても、一塁までのスローに関してはどんなに難しい体勢でも正確に投げることが出来ていた。

 少し思いついた事があって、凱斗は再び指先に火の玉を呼び出した。

 そしてそれを少し大きく育てる。繰り返し発動させることでそのくらいの調整はできるようになっていた。丁度野球のボールぐらいの大きさに火球を膨らませる。

 出来上がった燃えさかる火の玉を、おもむろに掌で掴んでみる。

 熱さは感じなかった。むしろ手にしっくりなじむ感覚さえあった。

 凱斗はターゲットに対し半身に立ち、火球を握った右拳でぽんと左の掌を叩いた。左足を高く上げる。

 そこから身体を開き、左腕を前に出す。

 左足を踏み出し、突き出した左腕を胸元に引き寄せるようにして腰を回す。凱斗はオーバーハンドからターゲットめがけて火球を投げ込んだ。

 その火球は先程までとは違っていた。

 威力があり、速度があった。

 ゴウッ! と音を立て投げ込まれた火球は寸分違わずターゲットの左胸を射貫いた。

 ミカはきゃっきゃと騒ぐように喜び、穂積は言葉を失っていた。

 覚醒に三日かかるはずの妖魅への適応力。そしてたった数分の修練でアジャストする性能。凱斗のポテンシャルに対しそれぞれに意を表した結果だった。

 凱斗はその後も自身に覚え込ませるように投球動作を繰り返した。このほうが銃に見立てて放つよりも圧倒的に精度が高い。二〇メートルの距離を弄ぶかのように易々とターゲットを打ち抜いていく。

 二十発目の火球がターゲットを射貫くと、凱斗は大きく深呼吸をした。

「さてと」

 と、凱斗は言った。火球を出すのにある程度の疲労を伴うのか、額にはじんわりと汗が滲んでいる。

「これでも勘は良い方でね」

 言いながら凱斗はブースから出て穂積に近寄る。

 彼女のおとがいに触れ、少し持ち上げてから、こう尋ねた。

「……あんたら、俺に一体、つもりなんだ?」

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