3.

 針谷の言葉に沈黙がやってくる。

 それを破ったのは凱斗だった。

「……俺たちに、さっきみたいな不気味な姿になれってことかよ……あんなになってまで生きてたかねえよ」

 吐き捨てるようにそう言って、立ち上がろうとするも拭い切れない熱と痛みに抗えず床に崩れ落ちる。

「妖魅にも色々ある。俺も、そこにいるミカも穂積も妖魅なんだ」

 そうにゃん♪と笑顔で同意するミカ。対照的に穂積は伏せ目がちに皆から視線を外す。

「妖魅ってのは姿形は様々だ。いずれも生まれた事情に起因する、例えば俺は……」

 そう言って針谷はカウンターの奥にあるアンティークな振り子時計を指差した。

「俺の本体はあの古ぼけた置き時計さ」

 その台詞の意味を理解できず、涙人は首を傾げる。

付喪神つくもがみ、というのがあってだな。何十年何百年と愛された物には魂が宿ることがある」

「……雲外鏡うんがいきょう、とか」

 羽花が小さな声で言った。

 脚本を書くときに少し調べたことがあった。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり。『付喪神絵巻』という古い古い書物の冒頭の一文。

「よく知ってるな。雲外鏡は鏡の妖魅だ。他にも着物、人形、織機など長く使われたり愛されたりしたものは妖魅になることが多い」

「ったく、意味分かんねえ」

 凱斗は理解することを放棄し、床に仰臥したまま目を閉じる。

「……どうやって、妖魅になるの?」

 羽花は赤いソファーから身体を起こし、針谷を真っ直ぐに見つめて言った。

骸露むくろ、というものがある。これは何かの事情で活動できなくなった妖魅が残した核のようなものなんだ。それを体内に上手く取り込むことができれば妖魅になれる」

 針谷の説明に羽花が真剣な表情で深く頷く。

「いくつも事例があるわけじゃないが、取り込んだ骸露むくろには相性があるらしく、合わない場合は勝手に体外に排出される。自分と合う骸露むくろに出会えればいいが……こればっかしは運だろうな」

「妖魅になると、これまでの生活はできなくなるの?」

「難しい質問だ。骸露むくろの性質にもよるが、正直なところ、従来の生活を捨てざるを得ない場合もあるにはある」

「……」

「もちろん我々のように人間社会に上手く適応している奴も沢山いるし、そのためのアドバイスは大いにさせてもらうつもりだ」

 羽花は針谷の言い回しにある種の誠実さを感じつつも、上手く人間に化けて社会に適応している妖魅が少なくないことを理解する。

「それより何より、首尾良く妖魅になることさえできればこのままウイルスに侵され死なずに済むことだけは確かだ。妖魅は人間の罹る病気に罹患することはないからな」

 その言葉に、このまま策を講じなければただただ死んでいくことを羽花は思い出した。と、同時に思い浮かぶのはゲゲゲの鬼太郎の歌だった。おばけは死なない。病気もなんにもない。あれって、本当だったんだ……。

「ここにも数は少ないが、いくつか骸露むくろがある。ミカ」

 名を呼ばれたミカは、はいにゃん♪と返して奥へと引っ込む。

 しばらくして羽花の前に開示されたのは木製のジュエリーボックスだった。

 ローテーブルに置かれた箱の中には骸露むくろと思われる小さなオブジェのようなものがいくつも並んでいた。蒼い水晶のようなもの。二枚重ねの豆皿。黒い羽根。小さな生首のようなもの。古いキセル。小ぶりな徳利……。

 直感的に羽花が惹かれたのは闇のように深い黒で染められた一枚の風切羽根だった。自分の髪色に似たそれを羽花は美しいと思った。思った時にはもうすでに触れていた。つまみ上げ、光源で透かす。

「……綺麗」

 言うと同時に羽根は羽花の指先に吸い込まれ消失した。

 それを見た針谷は羽花の妖魅への転身を半ば確信した。相性の良い場合に起こる現象だった。ミカの時のこと思い出す。あの時も瞬時に吸収された。

「えっ……あ……」

 戸惑う羽花。

「構わんよ。恐らく一番良いのを選んだってことさ」

 そう言って針谷は羽花に微笑んだ。

「そこのでかいの。生き残りたいならお前さんも何か選びな」

 仰向けに床に転がる凱斗にも声を掛ける。

 凱斗はどうにか身体を起こし、ローテーブルにしがみつくようにして骸露むくろを眺める。選ぶ余裕などなかった。

「妖魅になるって……なんだよ。……意味わかんねえよ……くそったれ」

 顔を顰め悪態を吐く。羽花と違い、骸露むくろになかなか手が伸びない。それはそうだろう。先程出会った異形の怪物と同質になれと言われ即決できる人はそうはいない。

「理不尽な事を言っているのは重々承知している。でもな、選ばないと……死ぬぞ」

 あえて追い詰めるような言い方をする針谷に押され、ようやく凱斗が手を伸ばしたのは二枚重ねの豆皿だった。

 それでも触れるには至らない。寸前で手が止まる。

 凱斗は想う。

 小学生の頃、食の細かった凱斗を心配して母親が少しでもご飯が進むようにと毎日のように豆皿に少量ずつ惣菜を乗せて並べてくれたことを。パート勤めを続けながらのその労力は、今思えば相当の手間だったであろうことは想像に難くない。

「ここで死ぬわけには……いかねえ」

 プロ野球選手になって母親を楽にする。

 それは凱斗の譲れない誓いだった。

 そのためには妖魅になろうが何しようが生き延びなければならない。

 覚悟を決め、豆皿に触れる。

「ほう。面白いな」

 凱斗の選択に針谷の口から思わず言葉が漏れる。

「それは油皿と言って、江戸時代に石の灯籠なんかに灯りを灯すために使われていた道具さ」

 凱斗が取り上げた二枚の豆皿を確認すると、確かに下皿は特殊な形をしていた。皿面に上の皿を受け止めるパーツが隆起しており、その一部に削られたように窪んだ箇所がある。

「下の皿に油を張って上皿で蓋をして、その隙間から芯棒を出して火を灯すんだ。アルコールランプの要領で一晩ぐらいなら灯りを保てる」

 針谷の説明を聞きながら、凱斗は初めて見たその道具に何となく親近感を覚えていた。火を絶やさない持続性は、自分の野球に対する想いと通づるものがあるような気がした。

 そんなことを考えていると、二枚の皿は熱されたチョコのようにとろりと溶け、凱斗の手の中に消えた。

「ほう。直感てのは大事にしてみるものだな」

 羽花同様に戸惑う凱斗の挙動を眺めながら、針谷が口角を上げそう漏らした。


「……さてと」

 二人の選択を見守り、一呼吸置いてから穂積は涙人の腕に触れた。

 不意に触れられビクつく涙人をよそに、穂積は制服のブレザーの袖を片側だけ抜いてから、慣れた手つきでシャツのカフスボタンを外し袖をまくりあげた。

「君は……症状が出にくい体質なのかも。ちょっと調べてみたいから採血させてもらうわね」

 長い髪を耳にかきあげながらそう言われ、涙人は思わず首を縦に振る。

 穂積は滅菌ガーゼで注射器の先端を拭き、涙人の左腕にあてがう。

「ちょっとチクッとするけど……我慢して」

 優しい言葉とともに挿入される注射針。すぐさま赤い液体が注射器の中を染める。

 とろりとしたその液体を見た穂積は少し間を置き、軽く微笑んでから言った。

「な-んだ。君、もともと"妖魅"じゃない」

 穂積のその言葉に涙人は凍りついた。





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