2.
ミカが猫耳をピンと持ち上げながら扉を開ける。
中に入ると古いバーという印象だった。
右手には木製のL字のカウンターに高いスツールが並んでおり、その向こうには様々な酒瓶が陳列されている。左手には一枚板の大きなテーブルと大理石でできた二名掛けの小さなテーブル。奥にはローテーブルと赤いソファーが置かれている。テーブルの向こう側には一面の棚があり、大小様々な紙箱が並べられていた。
針谷は背負っていた凱斗を床に寝かせた。
彼女をソファーへと言われ、涙人は羽花を奥のソファーに着座させた。羽花はそのまま赤い座面に力なく倒れ込む。
二人とも高熱に臥しているのが明らかだった。
不意にカウンター横のドアが空いた。
現れたのは白衣の女性だった。
二十代半ばだろうか。手にしている銀色のトレーと無骨な聴診器が彼女が女医であることを雄弁に物語っている。胸元まで伸びるダークブラウンの髪と赤縁のメガネが彼女を蠱惑的に魅せていた。
「穂積、こっちの男の子の方が重症だ」
針谷に言われ、穂積と呼ばれた女医は凱斗の横に屈んだ。タイトなスカートから見える穂積の白い生足に、涙人は慌てて目を逸らす。
そんな涙人の態度を意にも介さず、穂積は体温、血圧、脈拍、
「ただの解熱剤よ。一時凌ぎにしかならないけど少しは楽になると思うわ」
涙人に視線を向けることなく穂積は言った。同じ物を羽花にも注射する。
「ところで、涙人君。君は……君はどうして平気なんだ?」
針谷は涙人に問う。それは花隈駅で出会ったときからずっと感じていた違和感そのものだった。一人だけ発熱していないこと。胸部を貫かれたにも関わらず平然としていられること。
「僕にも、わかりません……そもそも、何が起こっているのか……今も、何が何だかわかりませんし、何て言うか、その、とても現実味がなくて……」
しどろもどろに返す涙人に、針谷は「……まあそうだろうな」とだけ言って頬杖を付いた。
解熱剤が効いたのか、しばらくすると羽花がうっすらと目を開けた。
「……ここ、どこ?」
「羽花っ!」
大袈裟な声を上げて涙人が駆け寄る。知っている顔に羽化は安堵の表情を浮かべる。
続いて凱斗も目を覚ます。
「……っ痛え」
ぶり返す痛みに思わず右肩を押さえる。無理もない。太い針でえぐられた右肩の傷はかなり深く凱斗の太い腕を蹂躙しており、巻かれたハンカチを赤黒く染めている。
「何だったんだよ、あの、化け物……」
「あれは"妖魅"だ」
凱斗の疑問に針谷が答える。
「妖怪、といったほうが分かりやすいかもしれん。通常の生態系からはかけ離れた存在さ」
「"妖魅"……」
涙人は呟くように言って表情を曇らせた。
「あの"妖魅"に名前を付けるなら、さしずめ『ウイルス』だろうな。運び手となる蚊、豚、ノミ、シラミ、コウモリ等を混ぜ合わせた姿で人々を襲い、殺人ウイルスをまき散らす。君たち二人もこのままだと三日も経たないうちに……死に至ることになるだろう」
突然の死刑宣告に沈黙する三人。
「だがまあ方法はないことはない……死を回避する唯一の方法は、君たちも"妖魅"になることだ」
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