第15話 大人は判ってくれない

『彼ら』は、炎の中に佇む怪物を睥睨する。悲鳴も慟哭も彼らには届かない。ただ、緑のグリッド線の向こう側に、情景としてあるだけ。そこで起きるたくさんの死も、彼らにとっては数字ですらない。


「ミサイル発射警告……川越は、妥協を覚えたらしいな」


「やっと大人になってくれたか」


 老人達は腕を組み、含み笑いを交わす。

 巨獣のふもとで、ちいさな白い人形が立ち上がる――対峙する。あまりにも無謀にうつる。


「目的は半ば達成した。データも予想以上に集まった。もうあの街には用はない」


「あのもののけは想像を遙かに超えるほど暴れてくれたな。そうなれば、あの紙細工どもも用済みだ」


「後は、鬱陶しい何千年もの歴史ごと、消えてもらうだけ……ですな」


「そうとも。我々の歴史は、人間だけで作るものだ……」


 彼らの背後には影があった。巨大な、あまりにも巨大な陰謀の影が。それは、マガツと肩を並べるほどなのか。いや、もし、それ以上であるとしたら……。



「三崎……お前、どうやって」


「……」



 

 

 

 ドアの向こうに立っていたのは一人の男。彼女は知る由もなかったが、それはあの時、戦闘を『中継』し、壁の崩壊の一因を作った、あの太ったディレクターの姿だった。彼はにやにや笑いながら佇み、灯里を見ていた。当然彼女にはそれが本物に見えた。だがほかの誰かが見れば、人形のように見えたことだろう。

 

 姿

 

 

 


「そうか、お前――……」


 川越の目が、怒りから哀感に変わり、彼女を見た。かつての部下を見る目ではなかった。変わってしまった何かを見る冷たい目だった。


「魅入られたな。奴に」


 狼狽する部下を制して、重々しく言った。

 灯里は薄く笑った。ぞっとするような。あの巫女達と同じ種類の、何か呪術的なものを感じさせる、超越的な……。

 見える――彼女の首元に、黒いひるのようなものがからみついて蠢いていた。マガツと同じ色。彼女が何に触れて、どうなったかの証左。


「あなたは間違えました、一佐。どうあっても、承認すべきじゃなかった。彼女の犠牲を」


「他に手段があるなら教えてくれ。これが最良だ」


「これが? これが最良? 冗談じゃないですよ。私の中では今も妹が死に続けてるんですよ。ずっとずっと炎に焼かれて。きっとそれを無視したら、これからもそうなり続ける。一人を犠牲にするのは、世界を犠牲にすることなんですよ。分かりますか。分からないですよね。だって貴方は部下を犠牲にして、自分だけ生き延びて――」


 自分を煽り立てる言葉は、ただ彼女が『魅入られた』ことの証拠になるだけ。同じだ。もう三崎は、奴と同じだ。何を言っても通じない。

 川越は重い徒労感が泥のようにのしかかるのを感じる。モニター内では、ようやく体勢を立て直したイズノメがマガツと対峙している。だが、奴はきっと逃げるだろう。もう、用がないのだから。

 これで終わりだ。何もかも。そうとも。俺は無駄にした。たくさんの命を。だがな、三崎。これが大人なんだ。いろんなものをあきらめで埋めて、最後に灰色で覆うのが、俺たちの。

 ――川越は心の中で詫びた。詫び続けた。

 それでもう、終わりだと思った。後は炎が全てを焼き尽くすと。そう思って全てを諦めたから。

 『彼』のことを、忘れていた。


 ――

 ――

 ――


「――なんだ、この、声……どこから」


「一つだけ方法があります、一佐」


「冗談はよせ、三崎。奴はもう目を覚まさない。マガツが覚醒してもなお――」


「目を覚ます? ああ、それなら……」


 ――

 ――


「それなら――実行済みですよ。10分前に」



 白羽。何度も口に出してみて、その都度、その響きを慈しむ。いつも共にあった三文字。彼は否定された。それに。だが、彼にとって意味合いが変わることはない。いつでも彼にとっては大事な存在だった。目覚めのときはすぐそばにあった。すぐに、煮えたぎった。

 ――目覚めて。蔵前くん。

 ――

 ――あなたの妹が、犠牲になる。コノ世界に。

  

 ――彼の中で、妹への懺悔も、引け目も、全てが消し飛んで、彼は目覚めた。


「しらは、しらは……」


 彼は重いからだを引きずって地上にあがる。その身体には粘性の黒いものがまとわりつき、影のように追随する。べたり、べたりと。前に進むたび、それは地面を這いずり回り、やがてそのどろりの中から人影を形作り、うめき声のようなものを響かせる。彼が知るはずもない者達。マガツの犠牲者達。朦朧とする意識の中、彼は進み。

 ――暗い世界にたどり着く。空には暗雲。目の前に広がるビルの向こう側。そこにそびえ立ち、蠢く……マガツ。反対にちいさな人形。そちらはどうでもいい。彼に見えるのは。


「……ッ!」


 身体がざわつく憎悪がこみ上げる。制御が出来ない。彼は粘つく影を、そちらに振り向けようとする――。


「どこへ行くんだ」


 声がした。振り向いた。

 川越が立っていた。銃をこちらに向けている。その後ろから、灯里も見える。彼女は遠くで、様子を見ている。


「……あんたが。あんたらが。白羽を閉じこめたのか。あの、怪物のなかへ」


「そうだ。彼女が依代になることで。マガツは不死性を失う」


「あんたらはクズだ。最低だ」


「クズはお前だ。お前がやろうとしてるのは、人類全体を巻き込もうとすることだ……大人になれ、直次。彼女は、お前のものじゃない」


 ……逆鱗に触れるには、十分だった。


「――てめぇッ!」


 直次は身体の重さを厭わず、川越に飛びかかった。銃が放たれたが、黒の粘液が弾いた。そして、覆い被さる。地面にたたき伏せる。そのまま拳を振るう――だが、川越は殴られてはくれなかった。手前で受け止めて、額同士をぶつける。血が流れる。睨みつける――怒りを込めて。


「てめぇ、てめぇが、てめぇらがっ。ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなッ!」


「――ふざけてんのはお前だ、直次ッ! いつまでも白羽白羽と……情けない兄貴だ、そのお前の態度が、あの子を苦しめ続けてきたんだぞ!」


「てめぇらに何が分かるんだ、俺にはあいつしかいねぇんだぞ!!」


「ああ分かんねぇなあ、俺も部下を大勢失ったよ――だがな、俺は大人になった、理屈と感情を分けた。それで、目の前がはっきり見えた。お前はどうなんだ直次。お前はもう、何が妹のためなのか分からなくなってる!」


 今や川越も冷静さを失っていた。それはもう、ただの喧嘩だった。二人は、遠くに聞こえる地響きも唸りも遠くへ押しやって、ただぶつかり合う。


「そうやって諦めることが、大事なもんを手放すことが、『分かる』ってなら……俺は何も分かってたまるかッ! 分からなくていい! 俺はこのまま、全部ぶっ壊す! それで俺とあいつだけで――」


「いい加減にしろ、このクソガキがッ!」


 今度、殴りつけたのは川越だった。

 ――直次は倒れ込む。一瞬、はっとした。だが、もう止まらない。


「いいか――よく聞けよ、直次。お前が仮にマガツを倒したとする。だがな、ここには核が落ちる。この街ごと消し飛ばして、全部なかったことにする気だ」


「それがなんだ。あいつがお前等の好きにされるなら……」


「違うんだ、直次。だからお前は馬鹿なんだよ……いいか。お前とマガツが戦う。それで、膨大な記録が、データが取れる。今までの分と合わせてな。証拠隠滅した後、お前らの情報はどこに行くと思う……」


 ――それ以上、言ってはいけない。灯里は思った。だが川越の顔を見てからは、何もしなかった。彼の顔からは何もかもが抜け落ちていた。


「――上層部はな。そのデータを、化け物なんかじゃなく、現実の人間同士戦うためにな。消えたお前の故郷も、この街も……そのための実験場に過ぎなかったんだよ」


「よし、よし。これでいい」


 鼻血を拭いながら、ヴィンセントは足下を『視た』。すぐ近くに蔵前が居る。彼がカミナヲビに乗り込むなら、それが最適解だ。どうせ自分には、奴のコアを覆う皮膚を切り裂く力など残っていない。後は裁きの火が全てを終わらせる。俺は観測者の役目を終え、権力と名声と、絶対的な正義を――。

 ……だが、彼の笑みはそこで止まった。彼は、イズノメから脱出しようとしていた。だが動かない。身体が動かない。厭な汗が出る。下を『視る』……それから前を見た。笑っているように見える、マガツの顔を。

 幻想は崩れ落ちた。イズノメの身体は、地下を這う触手にからめ取られ、完全に拘束されていた。


「どうだ……声も出ないか。でもな、こいつが大人のやり方なんだ。分かるか?無駄だ、無駄なんだよ……」


 ふらふらと座り込み、川越はたばこを吸う。その笑みには力がない。灯里には分かる。彼は今、無理をしている。


「もうやめろ。馬鹿らしいだろ。何もかも諦めちまえ、そうして蓋をすれば、楽に暮らせるんだ……陸戦隊が全滅した時点で、もう核を取り下げることは出来なくなった。だからお前も、家に帰るんだ」


 自分に、言い聞かせているのだ。この人は。そうすれば、乱れた心を元に戻せるとでもいうように。痛々しい。かっこわるい。

 沈黙が続いた。川越は、直次を見た。彼は――。


「……ふふ」


「――直次……?」


「ふふ、ははは……」


 彼は立ち上がる。黒い影がまとわりつき、翼のように広がるーー。


「ははははははは、っははははははははははは!」


 目を見開き、頭をかきむしりながら、狂ったように笑った。彼の中で何かが壊れた。いや、あるいははじめから。声が、煉獄に響く。


「直次……お前、」


「何を勘違いしてんだ、あんた、俺が正義の味方か何かと思ってんのか。冗談じゃない。俺は今から……白羽以外の全部をツブす」


 笑み。裂けた口。見開かれた目。それはまるで――。


「お前、この馬鹿野――」


「おれは。かいじゅうだ」

 彼の背中から、黒い粘液が槍となり飛び出して、立ち上がった川越の肩口を抉った。倒れ込む。後ろから灯里が庇う。彼女は直次を見た。


 彼は――笑った。灯里はもう、ぞっとしなかった。

 マガツにそっくりの笑顔を見ても。

 ……やがて遠くから、地響きが近づいてきた。巨大な何か。灯里に支えられた川越が呻き、目をそこにやった。僅かに、驚く。直次は待ちわびていたーーその来訪を。

 顔を上げる。佇んでいる。大きな影が、そこにあった。

 カミナヲビが、そこに立っていて、直次を見下ろしている。自らに意志があるかのように。その表層はひび割れ、幽鬼のようだった。直次はその巨大な機械人形を見つめてーー何かをかわしあう。


「よせ、なおつ、ぐ……」


 川越は血を吐いた。伸ばした手は届かない。灯里は機械的に血を拭ってやる。彼女は、直次を見ていた。そうして、全てを見届けることに決めていた。彼も、彼女を見た。一瞬、何かがかよいあった。咆哮。遠雷のように。その刹那に、二人の間の何かが完結して、消えていった。

 数秒後。カミナヲビの腹部が裂け、その暖かい腹の中に、直次を導いた。巨大な機械の炉に火がくべられて、彼はゆっくりと立ち上がり……巨影を地面に焼き付けて、消えていった。


「俺は、負けたんだな」


 川越は痛みに耐え、傷口をおさえながら身を起こす。自分を支えてくれている女からは、もう暖かさを感じない。奴の走狗になっている。だからこれは、彼の独白だった。


「もう、勝てないのかもな。大人は――子供に」


「あの子は。そういう言葉が厭だったんですよ。先輩」


 それ以上、川越は何も言わなかった。煙の消えた煙草からは、何の味もしない。遠くで音が聞こえ始める。ずずーん、ずずーん。それは、遙か彼方の、別の世界で響いているように感じられた。

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