第13話 スカイ・エクリプス

 その瞬間大地が一斉に鳴動し、地の底から巨大な質量の脈動が地上に向けて解き放たれ

た。揺れ動いたと同時に、その縦一列の街路、メインストリートを貫くその場所が閃光を

放ちながらスパーク、突如としてその床材を噴水のごとく噴き上げ始めた。

同時にそこからぬめる影――触手が飛び出し、暴れ狂う。それらは噴き上がると同時に周囲のビルディングに衝突、のたうち、脈打ち、ぶち当たり、破壊し、痛々しい痕を刻む。それら街路一面に花咲き始めた触手はやがて他方にも広がり始める。街中のストリートが噴き上がり、そこから触腕が飛び出し、暴れ狂う。ミニチュアのただ中で大蛸がもだえ苦しんでいるような。

 それだけではない。大地がひときわ大きく揺れたかと思うと、巨大な亀裂が街中に走り、地面が左右にばっくりと持ち上がる。その上に林立していたビルディングが足下からすくわれ引き倒される。その際に発生した煙と閃光のさなか、地の底からそれが見える――巨大な。あまりにも巨大な、長大な。その長い、天をつく巨大な腕。違う。尻尾である。剣山のような氷のようなヒレを兼ね備えた尻尾が空に向かってうなり、しなり、地面を裂いて現れたのだ。

そこから――更に閃光。尻尾の下から、それすらも上回る質量が姿を見せ始める。世界が漆黒に染まる、黒い影。ビルディングが揺れて引き倒され粉砕される。ブロック菓子のように。ひびわれて煙が立って、その出現が歓迎される。まずはじめに、ケロイド状の罅だらけの身体が見えた。やがてそれは、あの怪物、マガツであることが分かる。今まさに地中から現れ、尻尾を契機として地上へと姿を見せる。激震の中――その巨体が、完全に露出する。周囲に、触手と尻尾をまきちらしながら。

 ……それは一つの巨大な影。いや、山だった。

 発生した大量の、灰色の土煙は、周囲一帯を薄曇りに変えていた。その中に浮かぶマガツ。ケロイド状の巨体に、頑強な四肢。

 だが、触手はもはや、口部から出ているのではなかった。それらは彼の皮膚を突き破る形で、まるでいびつな焼けただれて縮んだドレスのようにその身体を彩り。尻尾は彼の全高を遙かに上回る長さで、ビル街を威圧する。

 周囲の何よりも彼は巨大で、彼の上には何もなかった。景観すべてが、彼をとりまき、まるで王の御前であるかのようにかしづいていた。

 その彼に巻き付くように視線を巡らせて、やがて胴体を上り、頭部に到達すると、そこに至るまでの黒いケロイドに、まるでビーズの装飾のごとく、輝く瞳が並んでいることが分かる。

 ――低い、低い唸り声が、薄曇りの中に響いた。

 同時に。

 ぎょろり。

 彼の目が。連なる目が。一斉に見開き、光沢を帯び、琥珀色の輝きを解き放つ。

 呼応するように。

 空。曇り始める。暗雲が垂れ込め、世界に漆黒を落とし込む。

 ビルの中、窓から遠くに映る姿。沈黙する黒い影。巨大な、あまりにも巨大な。うなりは窓を震わせ、空間いっぱいに重低音が響く。


 荒野が揺れて、砂が舞った。待機中だった兵士達は直立不動を僅かに崩しよろめいた。テントの中で照明が左右に震えて、明滅する。部下達が均衡を崩す中、船山はただ、腕を組んでいる。

 テントから、部下が出た。その視界は外に、町の側に向かっている。周囲の者達もそうだ。『そちら』に向いている。みな、一斉に、ゆっくりと顔を上げて、見上げた。

 荒野の前方、自分達の前方に広がるビルの群れ、そのただなかですべてを覆う巨大な黒い影。佇むマガツの姿。兵士達の後ろ姿の連なりはただ、沈黙していた――圧倒されていた。街の上空から見ても、それは巨大な山だった。

 モニターは解放されていた。もう隠す意味もなかった。市民達もまた、顔を上げていた。呆然とした顔、顔、顔が持ち上がり、ただ、見ていた。誰かが、ごくりと息を呑んだ。


「なんて大きさだ。これまでよりも、ずっと……」


 さしもの川越も、唖然とした声を出した。

 独房の奥で膝を抱えて、灯里は顔を上げる。小さく呟く。とりつかれたように。


「マガツ……」


 ――そして、直次の繭に、小さく。ぱきりと、ひびが入った瞬間。

 マガツの頭部が、大きく空気を吸うように下に向けられて。

 上空へ、解放された。


 裂けた口が開いて、ほうこうがとどろいた。

 いくつもの街頭カメラが、いくつもの場所が、すべての場所が、その叫びを耳にした。奥に入り込み、蹂躙した。

 周囲に響きわたった。直接的にダメージを受けて悶絶するかのように、巨大な山のまわりに立ち並ぶビルの胴体がいっせいにわなないて、その窓ガラスが次々ににへしゃげ、割れていく。   

停まっていた車はスクラップ同然に縦一列にへこんでいき、その破片の洗礼を受け、誰も聞くことのない警報を叫び出す。すぐそばで地面に再びヒビ。細かくほとばしり、その亀裂に呑み込まれるように、自転車が、看板が、ガードレールが、軒先が、街路樹が倒れ込んでいく――荒れ地の兵士達も耳をふさいだ。戦闘服の端が、響きを受けて裂けた。テントの中、船山は口を引き結んでいる――。


 余韻は長く、長く続く。マガツは口を閉じる。

 同時に。彼の背中に生え揃う、皮膚から突き出る形で連なる背鰭が、一斉に『起動』した。横倒しの鱗のようだったそれらがまっすぐに立ち、まさに剣山のようになったのだ。

 ……砂嵐の残響のなか、兵士達がいる。マガツの側を、向いている。

 船山は……前だけを見据えて、ゆっくりと口を開く。

 特科大隊の戦闘車両の中。兵士の一人が、ちいさな家族の写真を見て息を呑んだ。

 空に轍を残して駆ける航空機のパイロットが、眼下に巨影をみとめて、手を強く、強く握る。

 緊張の続く中、川越は、無言でモニターを見ている。見守っている。

 そして、開かれた口の奥から。船山が、その言葉を絞り出した。


「フェーズ1、開始」



 熱気をあげ、空気をねじ曲げる蜃気楼を発生させながら、対戦車ヘリ中隊が、駐屯地より離陸する。

埃が舞い、整備士たちの視界がくらむ。そのはざまにパイロットが地上に目を馳せて別れを告げる。誘導灯が振られて、黒い狩猟犬たちが空に舞い上がり、向こう側へと飛んでいく。

 マガツはその巨大な――あまりにも巨大な体を、書き割りのようにさえ見える灰色の街の中で蠢かせた。触手が周囲を傷つけ、瓦礫を増やしていく。みじろぎするたび地面が揺れ、張り付いたテクスチャを倒壊させる。彼は唸りながら、ゆっくりと『向こう側』へ、侵攻するべき場所へ身体を向けようとする。

 だがそのとき、彼の背鰭がざわざわと蠢いた。異常に発達した感覚器官が、その『殺気』を探知する。彼は身体を少し傾ける。激震とともに、その頭が、無窮の荒野をとらえた。

 ――彼の瞳。連なる琥珀色が輝いて、その奥の光景を注視する。黒い軍勢が、こちらに向かってくる。


 漆黒の『ヴァイパー』『アパッチ・ガーディアン』からなるヘリ中隊が、けたたましい羽ばたきの音を、まるで軍歌のように打ち鳴らしながらビルの狭間を抜けて、荒野から進撃してきた。

その獰猛な機械音が空に鳴り響き、機首が、標的の側に向く。無人の街並みの向こう側、かすむ灰色の空気のもやを切り裂いた先に、漆黒の曖昧で巨大な影が浮かび上がる。近づくたびに鮮明になる。マガツ――彼らは、その怪物に向かった。パイロットは額と頬に汗をかき、その内部にいかなる激情を湛えていようとも、冷静そのものだった。レバーを握りしめ、黒い影が山のごとくそびえ立つコンソールの向こう側にしっかり注力する。

 そうして、並び立つ無人のビルディングを下敷きと背景にして、マガツとヘリの群の対峙構造ができあがる。相対する――はざまに、緊張。夕暮れを越えて、夜の藍色がゆっくりとやってくる。暗い機影が、街路に強烈な影を落とし込んでいる。


「目標地点に到達」


 硬質な部下の声。

 船山はどっしりと構えた状態で、伝える。


「……攻撃開始」


 それぞれの顔が、指令を受け取った。指先が震える者、汗をかく者、堅く口を引き結んだ者――憎悪が籠もったまま、マガツを見据える者。

 怪物が、黒い軍隊を睨みつけた。

 彼は、咆哮した。


 その叫びが空気を引き裂くと同時に、ヴァイパーの機首に備え付けられた30ミリ機関砲の群が、一斉に火を噴いた。

 怒号のように放たれる火線。大量の薬莢がばらまかれながら、殺意の炎が怪物に向けて殺到し、濁流のごとく突き刺さり始める。そのさまは怒濤。黒いケロイドの肌の上で、激しい閃光が幾つも起きて、爆発する。その間に咆哮が途切れ途切れに聞こえ、琥珀の目が歪む。攻撃が続く。一切の容赦も、果断もなく――淡々と。鋭利な刃物のように。


「やったか!?」


 そんな声が聞こえた。

 ……そう。マガツの肌は、決して硬くはない。だが、奴は。


「いや……」


 黒い煙が彼の表面に起きるが、その混迷を突き破って、怪物の凶相が顔をつきだした。

 ――煙が晴れる。銃撃がやむ。

 彼は無傷だった。その琥珀の目の群が、ヴァイパーを睨んだ。機体が冷たい風に揺れて、動揺するように動いた。


「効果を認めず!」


「ガーディアンのヘルファイアに切り替えろ」


 指令が伝えられた。

 殺気だったシルエットのアパッチ・ガーディアンが突き出されて、据え付けられた地対空ミサイルヘルファイアが一斉に放たれた。パイロット達が互いに指示を送りあい、落下――射出。黒い尾を引きながら、怪物達に吸い込まれるように向かい。

 一気に着弾。

 とたんに、マガツの体表面は、地獄のような炎に包まれる。

 藍色の混じり始めた黄昏の空に、不気味な火の花がいくつも咲き乱れる。


 モニターに、その様子が映し出される。炸裂する爆発は画面の大半を覆い、狂いもだれるように顔を振るマガツが僅かに見える。

 食い入るように見つめる市民の中から、時折感嘆するような声。しかしそれ以上に、不安の形相が包んでいる。


「おい、いけるんじゃねえか、あれ」


 波平が、疲れ切った顔を歪ませて、そう言った。


「だといいけど……」


 村山も疲れ切っていた。みな疲れていた。もう日常は戻ってこない。巨大な画面を塗りたくる橙色の光が、そんなことを告げていた。

 川越は、並ぶモニターを見ている。その顔から、緊張は取れない。そして。


「ッ……マガツ、僅かに身体の向きを変えましたっ!」


 部下の声。そこから波のように広がるざわめき。

 そう――マガツは、ヘルファイアの輝きの中、その足並みをほんの少し動かした。荒野に、ゼログラウンドに向けて。


「よし……」


 船山はデスクの下で拳を握る。こみ上げる感情を抑えて、口を開く。


「ヘリ中隊は後退、これよりフェーズ2へ――」


 だが。


 ――激情を噴出させたのは、マガツのほうが先だった。

 怪物は再び叫び、それと同時に、全身の皮膚を突き破る触手が、身体を覆う黒煙をかきわけながら、一斉に解き放たれ、指向性をアタエられた状態で暴れ狂い始めた。

 それらは周囲のビルに当たり散らして破壊をまき散らしながら、攻撃を終えたばかりのヘリ中隊へと進んだ。ぬるぬるとした肉の腕の群れが、伸ばされた腕のように彼らを見据え、そして――。

 琥珀色の目の奥で嗜虐の光が見えたと同時に。その機体を、とらえた。


「退避だ、退避ッ――」


 その声は届かなかった。

 まず一機が触手に胴体を貫かれて爆散した。見ていた周囲は動き始めていたが、キャノピー越しに、すでに他の触手が来ていて。

 ……寮機の破壊を目の当たりにしていたパイロットは、眼前に迫る肉の目を見て、思わず両腕で顔を覆ったが遅かった。彼の身体はぶちっと潰されてコクピットの中で溢れ、機体ごと死を迎えた。

 混乱の中、残ったヘリが後退していく。だが触手が迫る。機体速度は遅い。襲いかかる――巻き付き、振り回される一機。悲鳴が通信で聞こえる。どうしようもない。やめてくれ、助けてくれ――ビルに激突。破壊。触手が荒れ狂う。遠ざかろうと必死になる。怪物が吠える。迫る、迫る。


 マガツの怒りが、空に解き放たれた。無力な人々の声が響く。川越は唇を噛む。血がにじむほど。市民達は呆然と眺める。画面の中で、自分たちを助けるはずの者達が、触手にとらえられ、ちいさな光芒の中に消えていく。命が、いくつもの命が。


 ――ベイルアウトしろ、早く。

 ――間に合いません、撃墜されます。


「……ヴァイパー2。ガーディアン1。触碗の範囲外に到達」


 船山は……目を閉じ、その一瞬の中で、祈りを捧げた。

 再び目を開いたときには既に、覚悟を決めていた。


「作戦をフェーズ2に移行。武器の使用は『無制限』」

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