第12話 決戦

◇65時間後

◇ゼロ・グラウンド跡地

◇『オペレーション・マリオネット』開始予測時間まで あと5時間


 空は不気味なほど晴れており、荒涼とした風を運んでいた。少し肌寒かった。開け広げられた空間。

 それを切り裂くように、いくつもの翼が空を切り、通り過ぎ、周回し……集結してくる。

 自衛隊最新鋭戦闘機――詳細は不明。だが、その漆黒の気体色は、不吉なまでに、あの怪物と似ていた。

 アスファルトを蹂躙するように、重厚な車体を振動させながら、自衛隊の戦車大隊が疾駆し、ゲートを乗り越え、無窮の荒野に次々と群がり、隊列を整えながら集結してくる。その数は決して多くはない。そう、『規格外の怪物』を迎撃する数としては。

 彼らの作戦基地は、市街に不要となった廃屋が大量に用意されているにもかかわらず、その広大な土地の中にもうけられていた。仮設テントが幾つも連なり、その周りを特殊車両がせわしなげに駆け、重厚な装備に身を固めた隊員達が物々しく作戦準備を急いでいた。

 すべては、その場所に集結しつつあった。市街地に展開させないのには理由がある。

 川越はじめ、『組織』は、『マガツ』の目的が、『人々に恐怖を広めつつ、範図を拡大する』ことにあると判断した。奴は九割九分、現在の街から目覚めれば、近隣地区に向けて進撃を開始すると考えられた。

 つまりは――ゼログラウンドの、真反対。戦場が、この荒野になることはまずない。しかし、市街地は狭く入り組んでいる。航空戦力以外が入り込み、巨大な標的を相手取るにはいささか不利といえた。おまけに、奴の踏破力は、先の戦闘で実証済み。市街の障害物は何の役にも立たないだろう。そこで必要なのは――奴の注意をひきつけゼログラウンドに向け、そちらに進路を変更させる。そののち、広大なフィールドに展開した陸上戦力にて迎撃、というプロセスだった。


 しかし。そのための戦力規模は大きくない。あの怪物を脳裏に浮かべた者達が、乾いた大地の上に展開されている戦車大隊の群と、空に白い帯をたなびかせている航空機を見た時には、きっと不安に駆られるはずだった。

 これで本当に、本当に、奴を倒せるのか、と。


 だが、これが現在、川越が自衛隊から『組織』へと転向する際の『置きみやげ』を駆使して呼び寄せられた最大戦力であった。そして、これから行われるであろう、『きわめて稚拙な抵抗』も、彼の用意できる最大の力だった。彼はたったそれだけで、『オペレーション・マリオネット』を遂行せねばならなかった。

 現在、蔵前直次は眠りについている。そして、『カミナヲビ』も、連動するかのように不調を迎え、無人迎撃システムの稼働不良を起こした。今となっては、それらと、『イズノメ』だけが頼みの綱だった――あまりにも頼りない、頼みの綱。だが、やらねばならない。


 作戦本部には隊員達が詰めて、オペレーションの確認作業に入っていた。無骨そうな顔をした男が、マップを指示棒で示しながら語る。聞き取っている部下達は緊張のおももちだ――これが訓練ではないことが自明だからだ。そして、ここで話されていることに『もしかしたら』は、ない。


 川越はテントに向けて早足で歩き、旧知の存在に会いに向かった。

途中、せわしなく動き回っている若い隊員達が、彼を見るや否や立ち止まり、背筋をただして敬礼を寄越した。むろん慣例として、彼も礼を返すが……寒空の下、彼はむずがゆさを感じた。なんだか英雄みたいで据わりが悪かった。それは自分には一番ふさわしくないようだったからだ。だからこそ……会うのにも、気が引けた。


 手持ちぶさたに、こっそりテントの近くに佇んでいると、相手は、向こうから会いに来た。


「おお、川越か」


「ご無沙汰しております。船山隊長」


 大股で歩いてくる、角張った、日焼けした50がらみの男。

 かつての川越の上官であり――そして、今回の作戦の要である存在。迷彩柄の重装備をものともせず、彼は快活に笑いかけてきた。

 テントの裏で二人は握手をかわす。部下達はそんな二人に目もくれず、それが最大の敬意といわんばかりに――展開している特科大隊とのやりとりや、作戦の調整に駆け回っている。寒々しい荒野の中、二人は息を吐く……。


「その言い方はよせ。尻がかゆくなる。それにお前も、出世しとるじゃないか」


「厭な職場ですよ。悪罵のかわりに、勲章が飛んでくる」


 船山は、そう言った川越の顔をまっすぐとらえた。どこまでも実直な、ひたすら救命と非常事態の最前線にあって、国と人々を護ることだけに尽力してきた、ただ一人の男の顔。

 ……川越は、自分が急に恥ずかしくなった。彼と顔を合わせることが、ひどく無礼である気がしたからだ。自分はこの人と向き合うに足る仕事をしていない……。

 そんな彼の瞳の色を読みとったか、船山は川越から視線をそらし、独り言のように、空を見上げて言った。


「先の戦闘では、間に合わず……残念だ」


 たったそれだけの言葉に、そっけなさと、あたたかさが同居していた。川越は乾いた笑いを喉の奥から出して返答する。


「仕方ありません。あの戦闘は――壁が崩れぬことを前提としていましたから」


「……寒いな」


 船山は噛みしめるように呟き、再び川越の側を向いて、言った。


「だが、川越。我々はやるぞ。気落ちは不要。お前も、前を向いてくれ」


 その一言には、責任感と――それ以上に、強い、あまりにも強い、正義が宿っていた。

 ――どくん。

 ああ……ああ。自分は、ここにいるべきではない。

 川越は全身が切り裂かれそうな思いを味わった。

 そうだ。この人は、知らないのだ。分かっていたはずなのに。彼らは、目の前にあることをやるだけ。そこにどんな含意があっても、関係ない。だから――奴の中になにが眠っていたとしても、関係がないのだ。



『彼』はそこにいて、怒りの繭の中に籠もり続けていた。まるで目覚める気配がなく、部屋の中央に鎮座し、黙り込んでいる。


「依代は……彼が力を増すための装置であると同時に……彼が想定もしていなかった、彼自身の、唯一の弱点。そこを突けば、不死身の奴は人の野に下ってくる……」


 その繭にもたれかかり、着衣の乱れも意に介さず、灯里は呟く。彼に聞こえているかどうかはどうでもよかった。ただ、語って聞かせることで、自分が楽になった。がらんどうの彼の部屋の中。繭には配線や装置が絡まり接続されているが、意味のないことだ。結局蔵前直次は、ここにいることを選び、視界を閉ざすことを選んだ。すべては彼次第なのだ。


「――あなたは、この戦いに選ばれなかった。一佐は……いや、ヴィンセントは、あなたの妹ごとマガツを倒すつもりよ。そうして、あなたを永久に凍結する。かつてのマガツと同じように。ひどい話よね」


 返事はない。薄く笑って、黒い殻にもたれかかり、ほつれた髪をうつろに見つめる。


「それであなたが目覚めたら、マガツごと相殺してもらうつもりみたい。人でなし。ひとごろし、ろくでなし。それが私たち。正義なんて、どこにもないんだ」


 酒が飲みたいな、でもきっと蔵前君は怒るだろうな、妹に会うのに匂いが移るって――……灯里はとりとめもなくそんなことを考え、気づけば、語り始めていた。


「私ね――妹がいて。でも、あなたと違って、仲が悪かったの」


 心の柔らかい部分に封じていた話だから、誰にも言うつもりはなかった。しかし今なら、それもさらけ出せる気がした。


「それで、最後は。そのまま、別れちゃって。妹は、マガツに殺されちゃった。痛かっただろうな。熱かっただろうな。きっと、私を恨みながら死んだんだ」


 何度後悔したのか分からない。こうしてほしかったこと。こうされたかったこと。いくらでも湧いて出てくるが、過去は炎に焼かれて、今との接続を失ってしまった。だからこれは、単なる、セピア色の――。


「あなたがきっと羨ましいのね。それで同情もしてしまってる。本当に、勝手な話だけど――」


 その情景に、色を落としたいと思った。だから、彼女は起き上がり、その繭に。

 棘に、触れた――。


「あなたのことを、知りたい――」


 その時すでに、彼女は。

 『彼』に、永久にとらわれる運命だったのだ。



 


 流れ込んでくる――これは誰の記憶。独白。

 妹の、操の追想だ。いったいなぜ。困惑する。だが記憶は続いた。


 


 ――後悔。妹が後悔。心が痛い。違う、あなたは悪くない。悪いのは私で、あなたは何一つ。

 灯里はその追想をのぞき込んで、激しい心臓の明滅を感じた。駄目だ。その先に行ったら駄目だ――。


 


 そして、やってくる。絶望――マガツ。灯里は炎の中に巻き込まれた。顔を覆う腕を取り払うと……あの日の情景が見えた。画面越しだったはずの破壊の情景。燃えさかるビルの群。焼け焦げた死体の群。そのただ中に立つ少女。


みさおっ!」


 手を伸ばした。だが、声は届かなかった。

 彼女は紅蓮の中で、遠くを見ていた――その腕を、何かを迎え入れるかのように、真上にのばした。

 その先に、マガツが居た。操は、微笑んでいた。

 そんな表情を、灯里は知らなかった。これまで一度も――。


「操――駄目、操っ!」


 ああ、そうだ。私はこれでいい。ここで死を受け入れることで、私はあなたへの贖罪の、ほんのひとかけらだけでも成し遂げられる。お姉ちゃん、ずっと足手まといでごめんなさい。私はこれから、ただの犠牲者。あなたは私を忘れて生きて、生きて――お姉ちゃん。

 ――


 そして――灯里の妹は、彼女の目の前で、マガツに踏みつぶされて、死んだ。その瞬間確かに、怪物の目は歪み、操の両腕を、とらえていた。自ら望んで死を選んだ少女の存在を。


 踏み越えぬようこらえていた最後の一線が粉々に砕け、その心が完全に、壊れた。



 『枷』の老人を継ぐ者達がジオフロントに現れたのはそれからすぐだった。

川越は彼らを無言で出迎える。無表情な巫女、踊り子。仮面を付けた男。みな、これまでずっとこの瞬間の為に生きてきた者達。どこからきたのかは誰も知らない。知る必要もない。彼らは動揺する周囲の者達一切を無視して、ただ前を見ていた。川越の向こう側――新たな巫女と成る存在を。

 赤い血が抜かれたことで、蔵前白羽もまた、目覚めた。

 彼女は目を開けてすぐ、ゆっくりと周囲をうつろな目で見た。それから小さく、「はじめて」と言った。特定の誰かにではなく、この状況そのものに言った言葉。それは自らの運命を見定めた御子の言葉だった。憑き物が落ちていた。


 廃墟の連なるビル街、その中心。面を着けた者達を左右に、同じような装束をした能面のような女達を後方に控えさせながら、着替えた白羽は、まっすぐに進む――呪術的な太鼓の隊列、その響き。太鼓から続く謡唱を受けながら、進む、進む。

 一斉に立ち止まる。

 巨大な瓦礫のクレーターの前。

 マガツが倒れ伏し、その姿を消した場所。

 彼らはそれを前に停止し、儀式を開始する。

 川越と部下は、それを少し手前から見ている。

 ヴィンセントは――パイロットスーツに着替え、イズノメに乗り込む準備の最終段階。

 ゼログラウンドでは、特科大隊が緊張の面持ちで待機中。


 炎が、揺れる。

 白羽は目を閉じて、しゃがむ。それから手を胸の前で組んで、捧げものを祀るように上へ上げる。太鼓の拍が速さを増す。仮面を着けたものが、得体の知れぬメロディの歌を背景に踊り狂う。祭器としての剣を振り回して再現するのは果たして、もののけとカミナヲビの再現か。白羽は汗をかきはじめる。熱さ故か、それとも。

 仮面の男が、白羽の前で立ち止まる。太鼓が、ひときわ大きな音を鳴らした。

 同時に男は、携えたその剣で、彼女の手首を薄く切り裂いた。

 後方で、息を呑む気配が感じられたが、川越は目を背けることもなく、それを見ている。血が噴き出して、地面にぼたぼたと垂れる。

 巫女が白羽の傍に近づいて、垂れた血をすくい取り、彼女の顔に持ってくる。指先で、その頬に、口元に、目元に、赤の紋様をえがく。牙のような部位、つらなるまなこ。それらは――マガツの表象に違いなかった。

 儀式は最終段階。

 巫女がもう一人。大きな丸い鏡を白羽の前に置くと、彼女は導かれるように目を開く。

 白羽は、自分の姿を見た。次の瞬間、彼女の中で何かの反応が起きた。そして、その身体から抜け出すように、赤く彩られた口から、大量の吐瀉物が、堰を切ってあふれ出した。

 ごぼ、ごぼ。苦しげに胸を押さえながら、嘔吐していく。地面がすえたにおいで染まっていく。それすら予定の流れ。太鼓の音、声。

 再び、仮面の男が現れた。

 彼は嘔吐を続ける彼女の後頭部に触れると、そのまま、荒々しく、吐瀉物のなかに、その顔をたたきつけた。

 悶絶するように手足をばたつかせるが、男が、そして巫女たちがおさえている。彼女は吐瀉物のなかで窒息しそうになる。

 それを見ていてもなお、川越は、目をそらさなかった。


「一佐」


 後ろで声がした。

 振り返ることもなく、誰か分かった。


「遅刻だぞ。もうすぐ終わりだ」


「そうです。終わらせなきゃ、こんなばかげたことは……!」


 かちっ。

 音がして、そこで、灯里が、拳銃をこちらに向けていることが分かった。


「……馬鹿なことするなよ」


 呆れながら頭をかいて振り返る。

 そこにいたのは、錯乱のただ中にいる女だった。髪も衣服も乱れ、すべての統制を失っている存在だった。びっしりと隈がこびりついたまま、こちらに銃を向けている。川越は彼女に何があったのかを知らなかった。だが今、彼女が何を思ってここにいるのかは分かっていた。


「こんなこと、許されて良いはずがない。何もかもまやかしで、間違ってる……」


「お前。ほんとうにあいつみたいになってるぞ。大の大人が、ガキにほだされるんじゃねえや」


「うるさい。こんなこと、やめてもらう、今すぐ、今すぐに……」


「――三崎を拘束しろ」


 川越は再び背を向けて、部下に指示を出した。

 灯里の両脇から出てきた者達が彼女をはがいじめにし、暴れるのも意に介さず、その場から立ち去らせていく。

 ……幼い罵倒を背中で受けながら、川越は、参ったな、というように肩をすくめた。それから煙草を吸って――ひとこと、言った。


「遅いんだよ。何もかも」


 大地にひび割れが走って、その隙間からぬるりとした触手が這い出てきた。それは地に添って樹状にゆっくりと巡りながら白羽のもとへ向かった。彼女は息も絶え絶えに上体を起こしていたが、それらを視界に入れると、ゆっくりと目を閉じ、腕を組んだ。突然のことだが、もうすべて分かっていた。

 幾重もの触手が、無数の腕のように彼女に触れた。おそるおそる、その存在を確かめるように。白羽は少しだけ目を開けると、小さく、こわくないよ、と言った。その身体は震えていたが、そこで触手の躊躇がやんだようだった。それは彼女の身体に巻き付き、抱擁を始める。内側に抱き込む。ぶるり、とはねる彼女。その動きさえしまいこんで、緩慢に、地面のひび割れに誘導を始める。粘性の肉に巻き付かれた彼女は、奇しくも、兄を包む繭と同じような状況だった。

 触手は光を放ちながら彼女を包み込んでいる。部下達は目を覆っていたが、巫女達は能面のまま光景を見ていた――他ならぬ川越も。

 そして――白羽は。大地の内側へと浸食し、ぬるりと消えていく。


 その頃ヴィンセントはラクスチャーに乗り込み、鉄の棺の内側で、各種動作チェックを行っていた。機体は決戦に向け、武装の強化を施されていた。灯里は暴れ、もがきながらも、鍵付きの部屋へと無理矢理放り込まれていたし、避難所に詰め込まれた無数の市民達は、疲れ切ってやつれ、希望のないなまこでぼんやりと上を向いていた。寒さに震える子供を母親が抱きしめていた。廃墟の果てで行われている儀式を、どこか他人事のように感じながら、緊張のとれない面持ちをしている兵士達。隊列を組んだ戦車の中で、ただ拳を握り、額の汗を感じる。頭上を戦闘機が飛ぶ。テントでは、船山がどっかりと腰を下ろし、堅く口を引き結んだまま指揮棒を強く握りしめる。そして直次は目を覚まさない。川越が基地に戻ると、並んだモニターの画面の中で、あるひとつの赤い光点が胎動していた。上昇している――大地に向けて。確実に。避難所で、子供が顔を上げた。彼は小さく、何かに気づいたように、呟いた。母親は寝ていた。「――来る」


「……一佐」


 部下が振り返った。アラートのピッチが急上昇していく……。



「――真下から、来ます!」

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