第9話 不吉の予感

 それから二人は、白いがらんどうの部屋の中で、ずっと一緒に過ごしている。

 白羽は床に画用紙をばらまいて、そこにクレパスを使って絵を描いている。それは地獄の絵。ギザギザの炎の中で建物が崩れて、ヒトが死んでいく。まるで幼児のようなタッチの絵。しかしそこに刻まれる地獄は、彼女の目を通した『残酷な世界』。だからこそ、あるがままより、ずっと……おそろしく、そして、悲しかった。地獄が、作られていく。彼女が息をするのと同様に。生の営み、あるいは、彼女が命をつなぐ手段として。様々な形で描かれていく。

 直次は、もう暴れなかった。医師から治療を受け、指示に従い、必要であればやりとりもする。その様子だけであれば、ごく普通の青年だった。それどころか今は、うっすらと笑みを浮かべ、彼女が絵を描いているのを、優しく見守っていた。

 妹がいれば、彼はこうなのだ。彼は、人間で居られるのだ――。


「あの二人は……純粋すぎる」


 灯里は、ガラス越しに彼等を見た。

 白い区切りの中に居る二人は、まるで誰もいなくなった地上に、たったふたりで取り残されているように見えた。

 だがそれは、かつてはその通りだった――。


「いや、世界は……この子たちにとって、残酷すぎたのね」


 ――あの災厄を生き延び、保護された直後の二人の映像を、アーカイブで見た。

 ……気を失い、鼻と耳から血を流す少女を抱きしめたまま、少年は話そうとしなかった。うつろな、光が失せた目のまま、少年は全てに牙をむいた。何もかもを失った。その中で、妹だけが手元に残った。正気を失い、ぼろきれに身を包んだ彼にとっては、自衛隊員も医師も、全てはあの炎、瓦礫、そして怪物と同じに見えたのだろうか。

 映像の中では、彼が暴れ回り、医療スタッフたちに暴力を働く様子が記録されていた。しかしその彼は、妹が姿を見せると、あっさりと怒りを鎮め、暴行した者達に至極丁寧な謝罪をした。どれが本当なのだろうか。いや、全てが本当なのだ。ただ、彼の中には『妹』という絶対的な基準があり、そこからの逸脱を絶対に許さないことを、自分自身に課している。

 狂っている、と言うのは簡単だ。だが、自分たちが同じ立場に立たされた時、彼のようにならないなどと、誰が言い切れるだろうか。彼はただ、自分の生きる理由になるものを、守ろうとしているだけなのだ。

 だとしたら。

 ――

 ――

 ……灯里の中で、失われた思い出が、大切なものが、セピア調でゆらめく。だとしたら、それに対して折り合いをつけている、つけてしまっている自分というのはなんなのだろう。今ここにいる自分は、どちら側なのだろう――。


「狂っているのは……いったい、どちら側?」


「決まっていますよ。彼です。そしてその理由は全て、医学で説明が付きます」


 ナーバスになりかけていた灯里の追想を破ったのは、ヴィンセントの声だった。


「大尉……?」


 彼はいつの間にかそばにいた。片腕を包帯でつり下げた無惨な姿。その声は全てを塗りつぶす冷徹さに満ちている。彼は、再び生き残った。


「教育をしてやらなければね。貴女は下がっていて」


 そしてヴィンセントは、灯里が制止する間もなく、直次達の居る空間に潜入した。

 ……解除キーは、自分と川越しか知らないはずだったのに。



 その顔が室内に進入したとき、直次は形相を一変させた。

 彼の中で直感が走った。カミナヲビと連動していたからか、それは分からないが。とにかく彼は知った。彼は撃った。自分を助けた。だが、その果てに、あの二人は、あの兄妹は――。


「お前ッ……」


 直次は立ち上がり、白羽の手を振り払った。動揺する彼女をよそに、ヴィンセントにつかみかかる。


「あの時のっ……」


 だが、伸びた両腕は、彼の無事な片腕でいなされ……そのまま間接をホールドされて、地面にたたき伏せられた。


「ぐあッ、」


 流れるような技。直次が苦悶し、床の上でそれ以上動く気にならないことを確認すると、拘束を解除。立ち上がって見下ろす。ネクタイをきつく結びなおしながら、冷ややかに言い放つ。


「あのままでは、君は死んでいた。それを助けたんだぞ。分かっているのか、少年」


「っ……だけど、だけどっ」


 直次の言葉はそれ以上続かず宙づりになってさまよった。


「その顔。自分に戸惑っているらしい。誰も彼も敵に回していたから、いざ真実を突きつけられれば、どうすればいいのか分からなくなる。自家撞着の典型例だな」


「ちょっと大尉、貴方――」


 しかし、灯里の言葉は手で制された。

 そうされればどうしようも出来ない。彼には特権がある。この中で、自由に動ける特権が。


「私も君も戦った。結果君はほぼ無傷で、私はこれだけ負傷している。それはいい。だが、なぜ君は、もっと悔しそうにしない。君が逃がさなければ、奴を倒せていた。君は眼前の瑣末事にとらわれて、大事なチャンスを逃した。それは……許されないことだ」


 ……灯里の中で反抗心が首をもたげたが、黙り込んで封じる。

 好きになれるはずがない。こんな男のことなど……。


「……子供が。人質にとられてたんだぞ。そいつを見捨てろって。そう言うのかよ」


「そうだ。君があの時すべきだったことは、奴を倒すこと」


「俺は……俺達は、あいつの攻撃で、たった二人で、生き残った……」


「そうだとも。しかし、だからこそだ。残された者は、それに相応しい使命があるはず。私も派遣されたチームの中でただ一人生き残った。そして、正義を遂行することを誓った。君にもあるはずだ。大事な使命が。力を与えられた以上は、正義という――」


「――……ふざけんじゃ、ねえええっ!」


 直次は再び立ち上がった。ヴィンセントがまた組み伏せようとするが……直次は、頭の包帯をむしり取り、それを彼の脚にひっかける。

 両者とも、転倒する。

 ヴィンセントに、のしかかる。その拳を振るう。ヴィンセントは、必死にさばいている。


「勝手に決めんなっ、俺の生きてる理由を、勝手に決めんなっ!」


「なら君は悔しくないのか、辛くないのかっ、好き勝手に暴れられて――」


「やめて、やめて。おにい、」


「俺が、俺が憎んでるのは、あいつじゃない! 俺と白羽を断ち切ろうとするもの、全部だ! 俺が守りたいものはこの世界そのものじゃない! 俺には、俺には世界なんてどうだっていい! 俺には白羽さえいればいいんだ!」


「やめて――……」


「狂った奴だ、異常な倫理を振りかざしていると、なぜ分からない!」


「分かってたまるか、お前らは、俺達以外はみんなそうだ、ずっとずっと、俺達を脅かし続けてる、あいつが街を壊す前から、ずっと――いいか白羽、そこで見てろよ、お兄ちゃんが今から、お前の敵を……」


「やめてええっ!」


 叫び。

 ――白羽。はっとして、直次がそちらを見た。

 彼女は目を見開きながら髪をかきむしり、その場に座り込む。


「いや、いや――あらそわないで。白羽のめのまえで、また、またっ……!」


 そのままぶつぶつと呪いの言葉をつぶやきながら、目に涙をためていく。灯里が、傍に寄り添った。彼女の細いからだが震え、もう兄を見ていない。


「白羽ちゃん……!」


 彼女はもうずっと『受動体』なのだ。自分から何かを発信する事は出来ない。だが、彼女が世界のあり方を見たとき、それは彼女の身を削って現される。彼女は鏡のようなものなのだ。こんなにも脆く、砕けやすい……。

 しかし。その強度を、鏡を持つ兄が、分かっていない……。


「おい、おい白羽――」


 直次はヴィンセントから離れて、よろよろと彼女の方へ。


「しっかりしろ、白羽、白羽っ……お前等のせいだぞ、お前等が……!」


 だが。

 灯里は、あきれたような、悲しむような、その両方の表情を見せて、彼の方を向いた。


「――違うわ、蔵前くん」


「なんだと……」


「あなたが、この争いを彼女に見せたから。分からないの? この子は、争いが苦手なの。だから、あなたの思いの暴走は、この子にとっての毒なのよ。どうか落ち着いて。でなきゃ、いつか、あなたのこの子への思いやりが裏目に出て、この子を……破滅させてしまう」


 ヴィンセントはゆっくり立ち上がり、苛立ちを発散させる如く歩き回る。


「俺が、白羽を――」


「そうよ。あなたとこの子の思っている大事なものは、きっと形が違――」


「ふざけるな。俺は。俺は白羽の兄ちゃんなんだ。それ以上でもそれ以下でもない。俺は俺である以上、俺を変えない。俺は白羽の兄ちゃんだ。白羽以外、何がどうなっても――」


 だが、彼の怒りが、困惑に変わることはなかった。そのまま直次は、灯里にさえ食いかかろうとした――。

 その時。


「そらよ」


 彼の首の後ろ側に何かがぶち当たり、そのまま地に伏した。

 ……そしてうつぶせになって、動かなくなる。

 灯里は、顔を上げる。

 ……川越が、手刀を構えて立っていた。


「ちょっと!?」


「おい、こいつひでえ熱だ。このまま寝てて正解だな、うん」


 そう言うと、川越は直次をひょいっと抱えて、ベッドに寝かせた。


「その子は、お前が頼むわ」


 白羽に寄り添い、ゆっくりと背中を撫でている灯里に言った。腕の中で、少女はゆっくりと落ち着きを取り戻している。

 ……ヴィンセントは、「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめ、仏頂面で部屋を去っていく。灯里は、そんな彼の背中に、中指をくれてやった。

 ベッドの上で、直次は眠っている。

 そうしていると彼は、どこまでも……普通の少年だった。

 眠っている怪物のごとくに。



「ほら、起きろ」


 鼻先に熱いものが押しつけられて、直次は目を覚ました。

 そこは白くなかった。薄暗く無機質な廊下。その椅子に、自分は座っていた。


「っ……ここは」


「あそこじゃ缶コーヒーも飲ませちゃくれない。医者ってのはSMプレイに向いてるよ」


 軽口。隣に、川越が座っていた。その手に缶コーヒー。にっと笑って直次に渡す。一瞬抵抗したが、受け取る。そして、回想。何があったのか。自分は確か、あの金髪の男と……。


「っ……」


「思い出したな。というわけで、好きに話して良いぞ。暴れるならまた俺が気絶させてやる」


「白羽は……!」


「また寝てるよ。あの子、ぜんぜん外出てないな。体力なさすぎだ」


「くそっ」


 頭を抱え、色んな事を、本当に色んな事を後悔する。


「言っとくが」


 自分もコーヒーを飲みながら、川越は言う。


「俺はお前に、感謝も謝罪もしないぞ。それはお前がたぶん、今一番されたくないことだ」


 ……直次は、少しだけ目を丸くして顔を上げる。


「あんた……」


「お前のことは分かってる。数年前ここに保護されてから、嫌ってほどな」


 川越はそう言って、やけにうまいウインクをした。

 空調機の駆動音の中で、直次はかがみこみながら、たちのぼるlコーヒーの煙を見つめる。


「俺はただ、俺がしたいと思ったことをしただけだ。俺はただ、白羽を守りたかっただけなんだ。それなのに……」


「それなのに、どうして余計なもんがくっついてくるんだ、ってか?」


 ぎくり、とする。


「お前はたぶん、白羽ちゃんを守ることが、そのままこの世界を守ることに繋がると思って行動した。だが、あいつやあいつの言うように、どうやらそれは違うらしい。それでお前は混乱してる。自分の芯が揺らぎ始めてる。違うか?」


 直次は反論しようとして顔を上げたが、ぱくぱくと口を開くだけで、何も言えなかった。のどの奥が、乾く。

 ――隣の枯れた男は、以前会った時もそんな調子だった。飄々として、いくら殴りかかってもかわすばかり。殴り返すことすらしない。ずっと超然として、笑っている。直次はこの男が、ずいぶんと苦手だった。そしてそれは――あの金髪男に抱いた明確な嫌悪感よりも、どこか……血の通った感情だった。


「あんたには……お見通しなのか」


「ガキなんだよ、おまえさんは」


 川越が腕を伸ばして、髪をさわろうとした。直次は素早く腕を振り払って、睨みつける。相手は、口笛を吹いて肩をすくめる。


「何もかもに妥協して。それで、自分が自分じゃなくなってまで生きるのが一番いい方法だっていうなら。俺は、大人になんかなりたくない」


「なるほどな」


 川越は、コーヒーを一気飲みする。


「そういうのを、若いって言うのさ」


「俺は、そういうのが……嫌いだ」


 それ以降、直次は黙った。

 しばし、沈黙。

 ……それから、再び口を開いたのは、川越だった。


「次に奴が出てきた時が、決戦だ」


 直次の背中が、その一言で、伸びる。


「俺もいくつか切り札を用意してるが。出来れば使いたくない。お前が嫌いなヴィンセントの機体含め、ラクスチャーが真っ向から打ち砕くのが理想だ。だから――」


「だから……俺にもう一度アレに乗れと?」


 川越は……一瞬だけ躊躇したように見えたが、すぐ頷く。


「当たり前だ。これ以上、白羽を苦しませない。俺は絶対に奴をぶっ潰す」


「そうこなくっちゃな」


 立ち上がる。


「だったら、カミナヲビの復旧作業を手伝え。若いのは動いてナンボだ」


「そういうのが、おっさんなんだよ……」


 二人は、そのまま、廊下の奥へ消えていく。


「……やっぱり、あの子」


 ――その様子を見ていた、灯里。

 彼女は混乱していた。


「どれが、ほんとの、あの子なの……」


 灯里は自室に戻り、ベッドに身を投げ出す。頭が重い。

 あの少年のことが巡り続け、自分を痛めつけている。彼の姿が、激情が、消えない。

 先ほどまで、川越一佐と話していた彼。そこにあるのは、等身大の少年だった。しかし、それに至までの彼は、まるで……。

「駄目よね。どれがあの子なのか、分からなくなってる」

 枕元に置いてある写真を見やる。

 家族の写真。自分の隣で、妹が笑っている。もう居ない妹。マガツに焼かれて死んだ妹。


 何も言えないまま、なにも謝罪することができないまま、彼女は逝ってしまった。

 ――自分にコンプレックスを持っていた妹。最後まで、自分と喧嘩をし続けた。姉をエリートと罵り続けて、無理やり、家から飛び出した。自分は見送らなかった。そして、そのまま――死んだ。最後まで、仲直りできないまま。断絶したまま。


 灯里は、妹が自分を許さないまま死んだと思っている。だから、それを自分のせいに出来る。ゆえに自分は、正気を保てている。しかし、もし、少年と境遇が同じなら、とっくに――。


「っ……!」


 はっとして、起きあがる。

 ぞっとする感覚。自分は彼に、ひどく肩入れしているのではないか。その境遇故に。勝手に同一化して、同情して……。

 何か、得体の知れない冷たいものが背中に差し込まれ、浸食する感覚。

 ……自覚した瞬間、彼女は強烈な疲労感を覚えた。

 ――出来れば、会いたくなかった。あの少年に。

 そして、どこかで思った。

 あの兄妹は……本当は、この世に居るべきではなかったのだ、と。



「ええ、分かっています。順調です。何もご心配なく」


 体がひどく痛む。あの少年は腹立たしかったが、思惑からは一切外れていない。ゆえ、ヴィンセントは冷静で居られた。

 何もかも、予想通りに進んでいる。事態は自身と、上役たちの掌の上だ。平和を創るのは、個人の感情などではない。もっと大きな大義なのだ。

 電話を切る。


「後は……導くだけだ。彼女を」


 全てにケリが付いた後を想像するのは楽しかった。彼はほくそ笑んだ。



「ごめんな、兄ちゃん……おまえを、悲しませて」


「いいの。でも、おにい。もう、あんなことしないでね。地獄にいるのは、白羽だけでいいんだよ」


「何言ってんだ。おまえがそこにいるなら、俺もそこにいる。言ったろ、俺はおまえのためならきっと、どんな場所にだって行ってやる」


「……」


「なあ、白羽」


「なあに、おにい」


「全部終わったら、二人で、遠いところへいこう。地獄なんて描かなくていい、遠いところへ。そしたらおまえは、好きなだけ、好きなものを描けるんだ」


「……」


「そのために俺は、全部終わらせる。お前はちょっと寂しいし、辛いかもしれないけど、我慢してくれ。俺は絶対、戻ってくるから」


 ――兄は。

 誤解している。

 自分が、地獄の絵を描くのは。そこから抜け出したいからじゃない。やけになって、悲しんでいるからなんかじゃない。

 兄は、誤解している。

 自分は、狂ってなどいない。

 はじめから自分は、一つのことしか考えていない。

 兄は――知らない。

 自分が暴れ回るのも。周囲を傷つけるのも。すべて、すべて。一つのため。兄は、それを知らない。


「……おにいは」


 だから、彼女は尋ねるのだ。


「おにいは、それでいいの。それで、本当に――」


「いいも悪いもない。そいつがお前にとって、一番幸せなんだ。お前が幸せなら、それでいい」


 そして、そんな答えが返ってきたとき、彼女は本当に悲しくなるのだ。

 兄は笑う。優しく笑って、頭を撫でる。

 ――だけど、彼女は思い続ける。そのあたたかさ以上のものを求めている自分を嫌いになるけれど、思い続ける。

 ――……自分は。兄が、本当に幸せそうにしているのを。見たことがない。少なくとも、自分からは、そう見えてしまう。


 だから彼女は考えた。

 彼女の表層はこわれて、ばけもののようだったから。白痴のような行動しか出来なかったけれど、それでも、彼女の芯の部分は一切変わらなかったから。彼女は、夢想の中でうごめいて、自分に何が出来るのかを考えた。

 白い部屋のなか、与えられた娯楽は、いっぱいの画材と、それから、正面のテレビモニター。

 ……なにか、導かれるようなものを感じた。

 だから、彼女はその電源をつけた。

 そこに映し出されるものが、自分を、兄を、先に進ませると信じて。


 部屋の外で、ヴィンセントが笑う。

 全ては計画の通り。

 そして、彼女の部屋のモニターに映し出される光景。


 蔵前白羽は、それを見た。見たいはずなど、あるわけがなかった。


「……!」


 炎。黒煙。悲鳴。絶叫。轟音。血しぶき――光。

 ――兄が、怪物と大差ない、異形のバケモノとなって、敵と戦っている光景など、見たいはずが、なかったのだ。



 そして、地中の檻の中、怪物が宙づりになりながら、身を横たえる。

 裂けた肉は赤黒い色をのぞかせ、じくじくと脈動している。濁ったうなり声が地の底に響いている……その肉体を、徐々に、徐々に回復させていく。

 肉の断面から、蚯蚓のように触手が蠢き、絡まり合い……肉と同化していく。そして、バキバキと音を立てて硬化。痛み。怪物は悲鳴を上げる。古い肉質がはがれ落ち、同時に新しい肉が生み出される。傷口が埋まっていき、切り離された部分が再生していく。怪物は叫んだ。人間の女と、赤子と、サイレンを混ぜ合わせたような、風を切るような声と共に叫んだ。誰も聞いてはいない。だが、その絶叫の中――脳裏に幻視する。過去の断片を。   色褪せたフィルムのなか、情報の洪水のただ中から拾い上げていく。再生と共に。自らに捧げられた者達。美麗秀句を衣にして身を投げ出し、己の触手の糧とされた、弱き人間たち。死の瞬間正気を取り戻し、現世への憎悪と恐怖を吐き散らした身勝手な者達。彼らの全てがいとおしく、再び会いたくなる。そして、ひとつになりたくなる。ここに来い、我のもとへ。さすれば、世界は再び地獄に満ちる。さあ参ろうぞ――。

 ……潰れた瞳の部分が裂けて、新たな琥珀がぎょろりと目をむいた。それは周囲を見てから、ひとつの部分に焦点を定める。

 白い部屋のなか、『真実』を目の当たりにした少女。呆然と、動けなくなっている。その見開かれた目。乾いた唇。やつれた頬。全てが、全てが、『彼女たち』と同じだ。未来、現在、過去が、同列に並ぶ。皆同じだ。皆、我のもとへ。さあ、お前も――。


 琥珀の目が、恐悦にゆがんだ。

 そして、これから作り出す光景を予見して、歓喜に身を震わせる……。

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