第8話 エイジオブイノセンス
放射が終わると同時に、直次は膝をついた。炉からは光が失せて、四肢の紅蓮も消え失せた。前方の爆発を受け止め感じ取りながら、彼は顔を上げた。剥き出しの顔面部分からも、センサーが消灯しつつあった。彼は、爆発の余韻を見ている。夜が、終わる――。
「やったか……?」
川越は思わず叫んで、コンソール台に拳を叩きつけた。
だが、しかし。
爆発の煙が、晴れる――。
◇
そこにはまだ、マガツが立っていた。
それは、原型も留めぬ肉塊に過ぎなかった。
「馬鹿な……っ」
モニターの中のカミナヲビは、片膝をついたままろくに動けない。まさか、まだ――。
肉塊は次の瞬間、どろどろに崩れた。それは決壊したダムのようにこぼれ落ちながら、地面に流れていった。個体から液体へ。あまりにも急激な変化だった。マガツだったものは、そのまま大地に流れ、染み渡り、消えていく――。
「……倒した?」
「いや、違う……奴は、くたばっちゃいない。逃げたんだ」
「えっ……」
「『依代』が居ない。まだ、死んでない」
川越は歯噛みしながら、モニターを睨んだ。
スクリーンの前で、人々は唖然としたまま黙り込んでいた。状況をどう捉えていいのか分からなかったのだ。これは勝利なのか、それとも。
視界がかすんだ。胎内で、直次自身の意識が、遠のいていく。カミナヲビの身体から力が失せて、完全にその光が失われていく。
彼は、意思が完全に失せるその一瞬、視界の中に、少女の姿をとらえた。それが、あの小さな女の子なのか、それとも白羽なのか。彼には分からなかった。
カミナヲビは完全に沈黙し、破壊された街に佇む巨大な影となった。
いまだ、至る所から炎が見えて、煙が上がっていた。誰に聞かれることもないサイレンが、街中でむなしく響いている――。
◇
戦いが終わり、夜の帳は完全に街を過ぎ去った。
だがそこには痛みが刻まれ、死の静寂が漂っていた。くすぶる炎と煙。そして、その場で膝をついて動かない、黒紫の巨人。
マガツは去った。だが、消えてはいない。いずれ再び現れる。
「おい、どうなってるんだ! 奴は倒したんじゃないのかっ!」
「……お答えできかねます」
「もし奴がまだいるなら、俺たちはここには居られない。はやく疎開しないと……ここから出してくれ!」
地下に閉じこめられた市民の一人が、スタッフに食ってかかった。だが、相手はそれ以上答えられない。同じような問答が様々な場所で繰り広げられ、それを塗りつぶそうと、スタッフのメガホンが必死に声を荒げている。広大な空間であっても、地上とは違う。不安と閉塞感がないまぜになって、街の人々をかこうその場所を覆っていた。
「……結局俺たちも皆も、モルモットに過ぎんということさ」
川越はタバコをふかして、誰もいないモニターの連なりをぼうっと眺めた。戦いのさなか働きづめだった部下たちには休息を与えている。自分ほどの『壊れた男』でなければ、この情報の群は堪えるだろう。画面上にはじき出された、街の被害の全貌、確認できる犠牲者数、次の戦闘開始までに必要な時間、マガツの現状・不明・不明・不明――。
『奴ら』がこの街全部に囲いを作った代わりに与えた、高性能なコンピューターによる、最高レベルに正確な計算。そのどれもが、現状を打開する一助となることはなく、ただただ冷徹に事実を告げるだけ――。
「それにしたって。この状況をいつまでも確保出来るとは限りません。どう考えたって違和感しかないですよ。どうして街の外に出ちゃいけないのかって」
灯里はタバコの煙を疎ましがりはしても、拒絶はしなかった。彼の隣で壁にもたれて、まずいコーヒーを啜る。その目には隈。皆が限界だった。
「かといって。やっこさんをたたき起こして、『さぁ、すぐに再戦だ』というわけにもいかんだろう。こちらとしては今のうちにラクスチャーを修繕して、奴とのアバンチュールに備える。それだけだ」
「……それで。あの子を、『よりしろ』にするんですか」
――灯里はその言葉を吐いてから、後悔した。
自分だってこのヤニ中毒の男と同じ筈だ。全てを分かっていながら、それを押し進めるしかない立場。それなのに、青臭いことを言って、馬鹿みたいだ。
「俺たちは、立場を選べる状態じゃない。この街が『フィールド』になった時から、な」
川越は、そんな彼女の思いをくみ取ったのかどうか、疲れ切った笑顔を向けてきた。そこににじむのは、諦観。
「一佐。それで、貴方は、手段が、本当に『それ』だけだと? マガツ必殺の為の手段が……」
「――……三崎。それ以上はナシだ」
川越の目が細まり、彼女をほんの少し咎めた。
……ここまでらしい。灯里は小さくため息をついて、『はい』と言った。
「隊長ッ!」
そこに、部下の一人が顔を青くして飛び込んできた。
「隊長って何人か居るけど。どいつのこと?」
「ええと……三崎中尉!」
「なに?」
「ケース1、いや……蔵前直次が目を覚ましましたッ!」
部下はそこで大きくむせた。川越は苦笑しながら立ち上がり、その部下の胸にミネラルウォーターを押しつける。
「早いわね。それで彼は無事なの?」
「それが、それが……とにかく来てください! 彼、暴れてます!」
……三崎と川越は顔を合わせた。
――彼女は、すぐに駆けだした。
◇
もうひとつの怪獣が、そこに居た。
駆けつけた三崎は、それを見た。
分厚いガラスに囲われた白い部屋の中で、蔵前直次が、額に包帯を巻いたまま、暴れ狂っていた。
枕を壁に投げ、布団をぐちゃぐちゃに丸めて叩きつける。ベッドのパイプを思い切り蹴りつけながら叫ぶ。そんなことをしながら、身悶えしている。狂乱の一言だった。
灯里はセキュリティゲートを開けて中に入り、暴れ狂う彼の肩をつかみ、耳元で言った。
「落ち着きなさい、蔵前くん、」
「ッふざけんな、これが落ち着いてられるかっ!」
振り向きざま、彼は叫んだ。それから彼女に充血した目を合わせて言った。
「俺は、俺は戦ったんだぞ! それなのに奴は逃げた、逃げたんだ! 俺の目の前で……兄妹が……あああああっ!」
彼はその場に倒れ込み、頭を抑えて叫ぶ。心の内側の隠しきれない獣性が溢れているようだった。
こんな少年の、一体どこに。
いや、どこかで分かっていたはずだ。これが、これが蔵前直次なのだ――。
「まずは、落ち着きなさい!! あなたは勝ったの、だから――」
「俺の目の前で、たくさんの人間が、あいつが……」
だがそこで、直次の表情は固まった。
視線は、灯里の外側に向いていた。
……振り返る。ドアが開いていた。
「――おにい?」
そこには、白羽が立っていた。
◇
白羽が、夢遊病のように、ゆっくりと、病院着のまま、前に進む。そして、呆然としている直次に近づいていく。
「ちょっと、どういうこと。彼女は隔離の筈よ」
灯里は白羽をつれてきたらしい女性職員に耳打ちする。
「それが……」
彼女は泣きそうな顔をして、真相を語った。
◇
目を覚ました蔵前白羽の第一声は、ご多分に漏れず「おにいはどこ」であった。
それ以降は狂乱の一言。こちらの声に全く耳を貸さず、医師の声も無視して、兄に会わせろと叫び、暴れた。結果として医師の顔にはひっかき傷、部下二人は休憩室で寝込んでいる。その挙げ句、兄のところに連れて行かねば死ぬ、などと叫びだしたのだ。決め手になったのは、実際に蔵前白羽が舌を少し噛み、口の端から血を滴らせたことである。
そして医師は、匙を川越に投げたのだった。
◇
「お前……」
直次は目を見開いて、声を震わせた。
「お前、血が出てる。誰に、誰にやられた――」
「ちがう。おにい。白羽が、自分でやった」
そう言って、白羽は、ぐしゃぐしゃのベッドの上に座り込んでいる兄に寄り添って、その手を、頬に添わせた。
彼女の瞳はどこまでも透明で、凪いでいた。先ほどまで暴れていたとは思えなかった。その様子は、どこか超然としていて、浮き世離れしていて――こわれていた。
「あばれてたら、あぶないよ、おにい。けがしちゃう」
「駄目じゃないか白羽、ここに来たら。お前はここよりも安全な病室に戻れ。お前、こいつらに会っちゃいけない。こいつらは人でなしだ」
――灯里のそばで、部下が顔をひきつらせた。
彼女は、部下を部屋の外に下がらせた。
それから……会話を見守る。というよりは、そうせざるを得ない。
「でも、おにい。おにいは――」
「今日。お前が死んだ。何人も死んだ。俺はそれを見た。目の前で大勢死んだ。白羽」
――その時の、直次は。
確かに妹を、蔵前白羽を見ているはずだった。だが、その髪に手を当てて優しくなでるその手は、その先に一体何を見いだしているのか。彼は妹に話しかけているはずだった。だがそこには、熱がなかった。どこか遠くに語っていた――現在から離れた過去に。何度も、何度も。
灯里は、ぞっとする。
この子は。本当に……こわれているのだ。あの時から。
「なあ。お前が、何人も、死んだんだ……」
直次は、無理に笑おうとしたが、やがてその顔がこわばり、ぐちゃぐちゃの泣き顔になって下を向いた。その涙の中にリフレインするのは、彼がその腕の先でつかみ損ねた情景。爆発、炎。失われた命。二度も。二度も彼は無力だった。
「おにい。白羽、ここにいるよ」
それでも白羽は、根気よく、そう言った。
どちらが妹か、分からない始末だった。
――ここに来るまでは、確かに直次が彼女を支えていると思っていた。
しかし違う。本当は、依存しているのは……。
「関係ない。俺にとっての白羽が、何人も死んだんだ。だから俺は俺が許せない。そして、この世界を許さない。待ってろ、俺が全部ぶっ倒して――」
その言葉は、ふわりと抱き留められた。白羽は兄の顔をその細い両腕で掴んで、引き寄せた。
直次の目が見開かれ、痛みが消える。
彼女の声が、うたうように宙に舞い、漂う。
「いたかったね。つらかったね。いいこいいこ。でも、白羽、お兄ちゃんには笑っててほしいから」
そう。彼女の声もまた、ここではないどこかに投射されているようだった。しかし彼女は、彼のことを認識していた。はっきりと。
「だから、そんな顔、しないで。じゃないと、」
そこまでだった。
直次の中で感情が噴出して溢れた。その目から涙がこぼれ落ちて、際限なく床に落ちる。それは白羽の口元から垂れる血を混じり合って、薄墨色の膿を作り出した。
「ごめんな。ごめんな……駄目な兄ちゃんで、ごめんな……!」
直次はこわばった手で、白羽の背中を抱きしめた。ぎゅっと、強く。
「あの二人を、この部屋から出さないで」
灯里は、部下に通信した。
「しかし、良いのですか。危険なのでは……」
「いいのよ。あの二人はこれでいいの。でないと……きっと、そっちのほうが危ないわ。この世界にとっては、ね」
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